序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年12月31日月曜日

スターゼリー

白濁したゼリー状の物体である。

隕石が落下した際、近辺に小さな塊が
点々と落ちている場合がある。
悪臭を放つこともあるらしい。

時には赤い芯のようなものがあるそうで、
手で触れると白濁部分もろとも
溶けてしまうという。

溶けたものは水と変わりなく、
調査は難航し、現在でもスターゼリーが
何なのか分かっていない。

赤い芯の部分を調べた学者が細胞状だが
遺伝子が無いと発表したこともあるらしいが、
サンプルが無いため証明はできていない。

一説には地球上の生物はこうしたスターゼリーから
生まれ、進化してきたとも言われている。

いずれにせよ、この不可解な物質が
何なのかまっとうな研究は成果を上げていない。

政府が隠しているというような陰謀論もあるが、
すぐ消えてしまうという証言が真実なら、
陰謀を巡らす間もないのではないだろうか。

実は古代にも各地でこのスターゼリーと
考えられるものが目撃されている。

旧約聖書にある、預言者モーゼらが飢えた際に
天から降りその腹を満たしたマナではないか
とも思われるのだがどうだろう。

マナとスターゼリーには
もちろん異なる部分もあるのだが、
いくつかの共通点がある。

白く、気温が上がると溶け、
やがて腐敗して悪臭を放つ。

スターゼリーを食べたという話を聞かないので
味はわからないが、もし甘ければ、
かなりの確率でマナの正体ではないだろうか。

異なる部分の霜のようという点に関しても、
霜が降りた後のように白かった、
霜が降りた後に発生した、
のように解釈すればわりと成り立ってしまう。

とりあえず、スターゼリーが何なのかは謎だが、
解明されれば生命誕生の秘密に迫れるかもしれない。

2018年12月30日日曜日

アドラノン

エヌゲニアで産出するガラス質の鉱物である。

透明度はサレン湖の水のごとしと謳われ、
永久氷晶と称える詩人もいる。

宝石として見た場合、
硬度が不足するため価値は高くないが、
古くから人々を魅了してきた。

研磨し、動物のトーテムをお守りとして
作るのだが、現在は土産物屋で安く買える。

かつての貴重さは損なわれたが、
エヌゲニアの重要な観光収入源である。

シャーマンに頼めば守護獣を見てくれるので
どうせなら自分のトーテムを購入しよう。

工業的な利用をするには産出量が少ないが、
レンズやプリズムの素材に向いている。
アドラノンプリズムといえば高級品だ。

例によってパワーストーンとして
どのように紹介されているか
見てみたいところだが、
本邦では流通が無いようだ。

なので秘められたパワーやら
浄化方法やらは不明である。

なお、エヌゲニアでは先祖の霊と
交信する媒体として祈りに用いられていた。

伝説として、森の女神が冬の新月の晩に
月を恋しく思い流した涙が凍ったもの
だとされている。

なかなかロマンチックだが、
月を殺したのは森の女神自身である。

身勝手な理由なのでそれで流した涙
というも少し冷えた目で見てしまう。

なお、アドラノンの原石を月にかざすと
人間に火をもたらした狼が見えると
言い伝えられている。

2018年12月29日土曜日

イシクラゲ

海藻の陸上版である。

夏になると雨が長めに降った後、
ようやく傘を置いて出かけられると思い、
外を歩いていると不意に遭遇する。

時には丸い球体、時にはワカメの塊、
種類によって形状は違うが、
コンクリートや砂利の上にぶよぶよした
何かが落ちているのだ。

色は半透明の緑から黒に近い緑まで、
様々あるが、これは一体何なのか、
不思議に思ったことがあるだろう。

子供の頃はあまり不思議に思わず、
そういう苔もあるんだなぐらいに思っていたが、
ある日マンションの屋上部、
当時ベランダとして利用できたその場所に、
かなり大きな扁平な球体が落ちていた。

突っつくとぶよぶよしており、
一体どこから現れたのか、
誰かが何かを高く放り投げて入り込んだのか、
とても奇妙な気持ちになったものだ。

その後、特徴からあれこれ調べた結果、
これがイシクラゲと呼ばれる
藻類であることが分かった。

ただ、ひとつ気になったのは、
資料として見たどの写真よりも
大きく、なめらかな表面をしていたことだ。

ひょっとして別の物体だったのだろうか。
そして、翌日には跡形もなく消えていた。

我が家に現れたイシクラゲらしきものに
ついて紙面を割きすぎてしまった。

一般的なイシクラゲについて話を戻そう。

イシクラゲは海藻の仲間である。
見た目は肉厚のワカメを裂いて
ぐちゃぐちゃにしたものといった雰囲気だ。

雨が降らない時期は乾燥し、
黒っぽい汚れにしか見えない。
彼らはこの状態で長期間生き抜くことができる。

そして、雨によって水分を得ると、
見事に復活するのだ。

実はこのイシクラゲ、食べることができる。
味はワカメと思いきや、アオサノリの
風味を少し落としたようなものだ。

現在では食べられることは少ないが、
昔はキクラゲの仲間として扱っていた。
木クラゲと石クラゲである。

天仙菜の名で漢方薬にも用いられており、
雨後に突如現れる神秘性から
特別な効能が得られると考えられていた。

実際の薬効はよくわからないのだが、
実はウイルスに効くだとか癌に効くだとか言われ、
研究が進められている。

なお、採取して食べる際には
しっかりと洗浄し、茹でてから食べて欲しい。

2018年12月28日金曜日

葉蘭

ハランと読む、地下茎から大きな葉の
直立する植物である。

花は紫色で、地中から咲くため
めり込んでいるように見える。

さて、このハラン、元々は馬蘭と書き、
バランと読まれていた。
それが江戸期に葉蘭へと転訛したという。

葉蘭の葉は料理の飾りつけに使われる。
包丁によって丁寧に切り取られ、
ぎざぎざの柵のような形にされる。

寿司や料亭の和食において、
料理と料理の仕切りに使われるのだが、
プラスチック製のものなら
誰しも見たことがあるだろう。

あれは元々この葉蘭で作っていたものを
プラスチックで代用するようになったものだ。

プラスチック製のものは人造葉蘭というが、
葉蘭と漢字で書くことはまずない。

そして、じんぞうはらん では読みにくいため、
人造バランと呼ばれている。

高級料亭ではハランと呼ぶので
バランと言えば人造バランのことと分かる。
なので、人造とわざわざ付ける必要もない。

なのでプラスチック製の緑のアレは
バランと呼ばれている。
なかなか知ることのない名称である。

ちなみに本邦独特の文化である。
異国の人々はバランを見て、これは何だろう、
何故こんな形なのだろうと困惑するらしい。

2018年12月27日木曜日

重曹

炭酸水素ナトリウムである。

金属であるナトリウムに
炭素と酸素と水素が結合したものだ。

様々な用途に使える白い粉末で、
一般家庭でも常備しているところは多い。
我が家にもある。

何に使うかというと、
まず第一は水回りの洗浄だ。
脱臭効果もあるため、排水溝のぬめりを
除去する際に大活躍である。

また、クエン酸と混ぜることによって
酸とアルカリの反応で炭酸が発生する。
この炭酸の力でしつこい汚れを
浮かして取ることができる。

洗剤と違って水質汚濁の原因にもならず、
人体への害も皆無である。

人体に無害という点は、
焼き菓子や麺類を作る時に
使うことからもはっきりしている。
かん水麺のかん水は概ね重曹だ。

掃除、調理以外の用途としては
水を使えない場合の消火剤に混合されている。

油が燃えている場合、
漏電によって燃えている場合、
水をかけては大変危険である。

重曹を主成分とした消火剤を
吹き付けることで、炎によって分離した
ナトリウムと水素が燃焼を阻害する。

アルカリの性質を活用した利用法もある。
胃薬になるのだ。
胃酸過多の場合に重曹を飲めば、
酸が中和され症状が改善される。

ただし、胃薬としてはあまり良い代物ではなく、
根本的な原因解決にはならないうえに、
却って胃酸の分泌を促進してしまうこともある。
他にも便秘解消の坐薬などに使われる。

なお、重曹の曹はソーダのソウである。

ソーダと聞くと炭酸水を思い浮かべるが、
本来はナトリウムのことであり、
後に炭酸ナトリウムを指す言葉になったものだ。

重曹は炭酸ナトリウムに水素が重なったもの
なので重ソーダなのである。

ソーダに関してはいずれまた
独立した記事を書きたいと思う。

2018年12月26日水曜日

ダンゴムシ

日陰の石の下などによくいる
王蟲の小さいやつだ。

刺激を受けるとアルマジロのように丸まるのだが、
本当に球状と言って良いほど丸くなる。

丸まらないやつはワラジムシといって
別物なのだが、私が子供の頃、
いまひとつ友人からの賛同が得られなかった。

私は幼少期にダンゴムシを大量に集めて
それを団地の階段で落として
奥様方の阿鼻叫喚を招いたことがある。

それはそうと、ダンゴムシは本来
海に住むエビのような生き物の一種である。

オオグソクムシやダイオウグソクムシを
思い出していただければイメージしやすいだろう。

我々が目にするダンゴムシはオカダンゴムシと
呼ばれる種類である。

実はあいつらは本来ヨーロッパに生息する種類であり、
輸入される土砂と共に伝来し、定着した。

本邦本来のダンゴムシはコシビロダンゴムシといい、
森林の腐葉土の中に生息している。
もしくは砂浜にいるハマダンゴムシである。

ハマダンゴムシぐらいになると
フナムシとそう変わらない気もする。
かなり印象は違うがフナムシも彼らの仲間である。

陸上に住むダンゴムシは落ち葉などを食べ、
その糞が菌類に分解され腐葉土を形成する
土壌を作りだす生物である。

子供の頃に慣れ親しんだ結果
あまり不快感を持たない者も多いと思うが、
つまるところいわゆる益虫の類だ。

毒の類を持たないため、食べることも可能で、
いざという時には幼少時の私のように
集めてみると生存率が上がるかもしれない。

漢方薬の生薬としては鼠婦と呼ばれ、
利尿作用のある生薬とされている。

なにはともあれ甲殻類である。
エビカニの仲間と思えば
口にする抵抗も多少は軽減されるだろう。

それを言えば、ワラジムシ、フナムシ、
クモ、ダニの類とて甲殻類なのだが。

さて、ダンゴムシの知られざる一面として、
コンクリートをかじるというものがある。

普段は落ち葉を食べるダンゴムシだが、
カルシウムを補給するために
コンクリートを食べるのだ。

ダンゴムシの歯は硬く、
コンクリートぐらいならかじり取ることができる。

具体的には水晶ぐらいの硬さがある。
人間の歯ぐらいと言った方がわかりやすいか。

近頃はダンゴムシが直進した際に
壁に当たると右に曲がり、
次にまた壁に当たると左に曲がり、
次はまた右に曲がるという話が知られている。

交代性転向反応というのだが、
なるべく生まれた土地より遠くへ行き、
子孫を残すよう生み出された性質だ。

ちなみにダンゴムシは尻から水分を摂取する。
この辺りから本来陸上の生物では
ない感じがする。

申し訳ないが今日はかなり酔っている。
ダンゴムシというかなり面白い題材を
雑に扱ってしまって慙愧の念に堪えない。

酔って記事を書くことは多いが、
今日の酔い具合は格別である。
年末だからといって無茶をした。

もしかしたら今後書き直すかもしれない。

2018年12月25日火曜日

余談4

今更卒業取り消しになどならないだろうし、
なったとしても本人も困らなさそうなので、
かつて友人の卒業論文を代筆したことを白状する。

友人の専門は神道における造形物であり、
私の専門は原始信仰であったが、
面白そうだったので快諾した。

論文は狛犬、鳥居、幣束、形代の四つについて、
その起源と発展、内在する意義などを
考察する形で書き進めた。

友人は本当であれば神像と神道曼荼羅について
書きたかったらしいのだが、
資料があまりにも乏しく断念した。

おそらくこの二つは権威ある学者先生であっても
そうそう本物を見せてもらえない可能性の
あるもので、そもそも現存物が少ない。

一介の学生が取り上げるには難しい。
それで急遽論文内容を変更したため、
ぎりぎりになって私に代筆を頼んできた次第である。

私も断念した部分がある。
上記の四つに加えて、社殿や装束についても
やりたかったのだが、建築や服飾についての
知識が不足していたため諦めた。

なにぶん提出期限が迫っている。
限られた資料で書き上げなければならない。

実際に完成したのは提出最終日の朝であり、
そこから印刷やらなにやらやっていたため、
彼の卒業論文は本当にぎりぎりの提出となった。

いわゆるコピペ卒論の横行する中で、
私の書いた論文は面白かったようで、
担当教授は個人的に資料として欲しいので
フロッピーでの提出も要請したという。

しかし、代筆してもらった負い目からか、
単に面倒だったからか、
友人はその要請を黙殺した。

なんだかここまで書いてしまうと
万が一その教授がこのブログを目にしたら
友人が特定されてしまいそうだが
まあいいだろう。

教授の名を忘れたので確信はないが
ご存命ではなかった気もする。

その友人の卒業論文だけではない。
色々な知人のレポート類の代筆もよく行っていた。

印象的だったのはチャイナの地誌学と
二十世紀クラッシック音楽と
レコンキスタ当時のイベリア半島の建築についてだ。

思えば、こうした雑多な方面で
文章をしたためてきたことが、
現在の私のライターとしての力になっていると思う。

某設定資料本における、建築、服飾、料理についての
教科書のような文章はこうしたものが
下地になっている。

ちなみに、料理に関する部分は最初の国の分しか
書いていない。他の国の構想メモもあったのだが、
他のライターが自分の仕事としてしまった。

純粋に面白いから書きたかったのだろうが、
私としては仕事を取られたようで
いまひとつ納得がいかない。

想定していたものとは異なる内容に
なっていることについては明確に不満である。

不満というほどではないが残念な点もある。
服飾史がページの都合で大幅にカットされているのだ。

やはり書きたいものを書きたいように書くには
こうした趣味のブログか、同人誌を作るか、
功成り名を遂げて意見を押し通すしかないのだろう。

安山岩

玄武岩と並ぶ火山岩である。

火山岩とは溶岩が急激に冷えて
固まったものであり、
二酸化珪素を主体とする。

安山岩と玄武岩の違いは、
主体となる二酸化珪素以外の
鉱物の状態にある。

安山岩の場合、溶岩が冷え固まる過程で、
その他の物質が結晶化し、
岩石中に細かく散りばめられている。

どういう見た目なのか言葉で詳しく説明
しようかとも思ったが、良い例がある。
墓石によく使われる黒から灰色の石が安山岩だ。

安山岩の名前の由来はなかなか面白い。
ドイツ人の地質学者がアンデス山脈の調査中に
特定の構造の岩石に対してアンデサイト、
アンデスの石と名付けた。

安山とはアンデス山脈のことだったのだ。

さて、石材として有用であることは
墓石に使われていることからも
想像がつくと思う。

非常に頑強で、産出地や産出量も多いため、
石造建築にはもってこいである。

そんな安山岩にブランドものが存在する。
讃岐岩や本小松石、伊達冠石、本山崎石
などというものだ。

讃岐岩はその名の通り香川で採掘できるのだが、
サヌカイトという安山岩から独立した名が
与えられているほど特殊である。

黒曜石ほどではないが、石器の素材として有益で、
打製石器、磨製石器どちらにもよく使われている。
また、叩くと澄んだ美しい音が鳴る。
ちなみに讃岐ではない二上山でも採掘可能である。

本小松石は神奈川の真鶴の銘石である。
真鶴は小さな漁村だが、この石材によって栄えた。
現在でも需要があるが、
採石量が追い付いていないらしい。

本小松石の墓石は将軍家でよく使われており、
鎌倉にある源頼朝の墓もこの石が使用されている。

伊達冠石は宮城の大蔵山で産出する石材である。
つややかで独特の紋様を持ち、鉄分が多いため、
歳月と共に酸化して赤みを帯びていくのが特徴だ。

伊達冠石も墓石として人気だが、
石像彫刻の材料としても知られている。
独特の風合いが芸術家を魅了するのだ。

本山崎石は最上級の墓石のひとつである。
特徴は経年変化が少ないことである。
いつまでも変わらぬ佇まいが求められる場合には
この石が重宝されることになる。

ただし、山梨の甲府で採石されるこの石は、
現在では供給量が少ない。
ただでさえ高級石材なのだが、
採掘量が少ないことで価格は上がっている。

おそらく採掘コストに見合わず、
生産量が減少しているのだろう。

海外産の安山岩にもブランドはあるようだ。
いずれ石材の本でも出版するようなことが
あれば取材してみたいと思う。

ところで、本小松石とも関係の深い
真鶴の貴船神社の関係者と
個人的に知り合いである。

真鶴の貴船神社は境内の様々なものに
本小松石が使われており、夏に執り行われる
貴船まつりは三船祭のひとつである。

神輿が船に乗り対岸へと向かう特別な祭りのため、
この時期に熱海や湯河原辺りの旅行を
計画しているのであれば、是非行ってみてほしい。

2018年12月24日月曜日

砂岩

文字通り砂が固まりできた岩である。

ただし、その辺の砂を集めておけば
岩になるというわけではない。

湖や海の底に堆積した砂が、圧力と、
水分中の炭酸カルシウムによって
長い年月を掛けて固められたものである。

砂は主に石英と長石であるが、
できあがる過程の性質上、
他にも様々なものが混ざり込む。

このその他の物質によって
砂岩の色が決まるため、
何色であるとは言い難い。

水を吸いやすいため、湿度の高い地域では
建材には向いていないが、
降雨の少ない地域では一般的である。

他の岩石と比べるとやや脆いのだが、
それゆえに加工がしやすく、
構成物が砂の為粒子が細かく却って崩れにくい。

本邦では前述のように建材には向いていないが、
砥石としては古くから使われてきた。

砥石は粒子の細かさで種類が別けられており、
荒砥、中砥、仕上げ砥というのだが、
砂岩は荒砥として利用される。

道具である砥石の話になってしまうが、
砥石がいつ頃から使われてきたか
知っているだろうか。

金属の刃を研ぐイメージが強いが、
磨製石器の製作にも砥石は使われた。

つまり、砥石は石器時代からある
人類最古の道具のひとつなのである。

古代の鏡の製作にも必要であったし、
金属の刃物が登場してからは
軍事的な戦略物資であった。

本邦の砥石は良質なものが多く産する。
砥石と刃物は切っても切れない関係にあり、
本邦で独特な刀剣が生まれたのは
良質な砥石の存在も影響したと考えられる。

本阿弥家のような刀剣の研ぎ師は
刀工と同等かそれ以上の技術者
もしくは芸術家として重用され、
尊敬される存在であった。

砂岩の話からだいぶ逸れてしまったが、
刀剣を語る際には研磨についても
思いを巡らせてみてほしい。

2018年12月23日日曜日

カベアナタカラダニ

春一番が吹き、暖かい陽気に誘われて、
外を歩いていると気付くことがある。

コンクリートに赤い小さな点。
よく見ると動いている。虫だ。

小さなあれはダニである。
カベアナタカラダニと名付けられている。

コンクリートという不毛な環境を好む
不思議な生き物だ。

彼らは主に花粉を食べて生きているという。
春になると花粉が飛ぶものである。

飛んだ花粉は色々なものに付着するが、
細かな凹凸の多いコンクリートにも
沢山付着している。

あの赤いダニはそれを食べているのだが、
コンクリートを好む理由は他にもある。

競合する者が少ないという利点がある。
コンクリートを好む動物など
人間とダンゴムシぐらいである。

コンクリートに付着した花粉は
カベアナタカラダニが独占できるのだ。

ちなみにカベアナタカラダニには
メスしか見つかっていない。

彼女たちは梅雨に入る頃に卵産むと、
それを抱えたままコンクリートの
苔の中で息絶える。

そして、その卵は翌年の春先に孵る。
春にしか存在しない生き物なのだ。

2018年12月22日土曜日

紙魚

銀色の体を持ち、羽が無く、
変態もしない原始的な昆虫である。

二本の長い尾毛と一本の尾糸があるため、
体の後ろに三本の触角があるように見える。
頭側には二本の長い触角を持つ。

古くは雲母虫と書いて きららむしと
呼ばれていたのだが、これは薄く剥がれた
雲母のような見た目をしているためである。

あまり使われないとは思うが、
俳句の夏の季語にもなっている。

変態をしないため、卵から産まれてすぐに
成虫と変わらない姿をしており、
脱皮を繰り返して大きくなる。

この成長は死ぬまで続き、
触角や足を失った場合は
脱皮の際に再生することができる。

さて、紙魚といえば紙を食らうと信じれている。

和紙の表面や、澱粉糊の部分を食うのは確かだが、
よく目にする穴の開いた本などは
死番虫に食われた跡である。

紙魚の仕業だと思われがちだが、
濡れ衣なのだ。
もっとも、和紙は被害に遭う。

また、衣類の繊維を食うという余罪もある。
紙魚ではなく衣魚と書くことが
あるのはこのためだ。

害虫の類だが、飼育を楽しむ文化もある。
世の中には色々な趣味の人々がいるものである。
くねるように素早く歩く様が可愛いらしい。

ちなみに、このくねる姿が
銀色の光沢と相まって魚のようだ
ということで名前に魚の文字が入る。

羽が無いため飛べず、跳躍力もないため、
引っ掛かりのないガラスやプラスチック
容器に入れておけば逃げ出すことができない。

共食いをせず、縄張り意識もないそうだ。
本邦の気候であれば特に温度や湿度の
管理が必要ないため飼育しやすいのだろう。

なお、天敵は蜘蛛である。
やはり蜘蛛は益虫なのだ。

2018年12月21日金曜日

アルマジロトカゲ

甲冑をまとったかのごときトカゲである。

大きさは両手の平に乗る程度だが、
スケイルメイルのような尖った鱗が威圧的だ。
手足など松ぼっくりのようになっている。

ナミブ砂漠の南の荒野に生息しており、
日中に岩場を徘徊する。

群れで行動することも多いため、
鎧の一団に遭遇する場合もあるだろう。

ただし、体が大きいわけでもないため、
人間のような大きな生き物が近付くと
慌てて岩陰に隠れてしまう。

隠れる場所が無い場合には
アルマジロのように丸まる。
これが名前の由来である。

丸まる際には尾を口にくわえ、
ウロボロスの構えをとる。
簡単に言えばドーナツ状だ。

トカゲだが卵は産まず、胎生である。
岩の荒野では卵のリスクが高いのだろう。

ゴツゴツした見た目だがトカゲの中でも
特に可愛らしい顔つきをしている。

爬虫類が苦手という者もいるだろうが、
どちらかといえば好きという程度でも
アルマジロトカゲは可愛い部類だと思うだろう。

そのため、ペットとして飼育されることが多い。
砂漠に近い気候で暮らしているため、
寒暖差に強く育てやすい面もある。

しかし、忘れてはいけない。
絶滅が危惧されている種である。

ペットとして人気が高いために乱獲されるのだ。
群れを形成することも仇となり、
一度に何匹も捕らえられてしまう。

ちなみに現地で食用にされている
という話は聞かない。

爬虫類は比較的美味な生き物だが、
アルマジロトカゲは食べるには
鱗の処理に手間がかかり、
食べられる部分も少ないと思われる。

他に食用になる生き物も多いため、
わざわざ狩猟対象にはしなかったのだろう。

ちなみに本邦で見ることのできる
動物園もあるが、数は少ない。

丸まる姿が見られるわけでもないのが
残念なところである。

ここはおとなしく動画や写真で我慢しておこう。

2018年12月20日木曜日

黒曜石

オブシダンと書きたくなるが
オブシディアンが正しい。

あれは文字数の都合でオブシダンと
表記されていたのだと思う。

さて、黒曜石は火山から流れ出た溶岩が
急速に冷え固まり、二酸化珪素を中心に、
酸化アルミニウムとその他の物質が
ガラス質となったものである。

二酸化珪素が七割から八割を占めるため、
天然のガラスと呼んで差し支えないだろう。

名前の通り黒いのだが、含まれるその他の
物質によって様々な色や模様を持つことがある。

鑑賞用としてはそうした変わり種が
重宝されるのだが、古代において
実用品の材料とされたものは
混ざり物の少ない方が上質であった。

黒曜石は綺麗に割ることができるのだが、
その断面はなめらかで、ふちは非常に鋭い。

下手な金属製の刃よりも鋭利であり、
人類の手にした刃物の中で
最も鋭いものと言われることもある。

そう考えるとガラスのつるぎ は
オブシダンソードだったのかもしれない。

ゲームのネタは置いておくとして、
実際に黒曜石は武器の素材として重要であった。

もちろん、刃物として武器以外にも用いられる。
金属器の無かった時代、刃物と言えば黒曜石が
最上のものだったのは言うまでもない。

武器としての黒曜石はまず鏃である。
他の石鏃と比べてその殺傷力は段違いである。

次いで槍の穂先である。
脆いのが少々難点かもしれない。

短刀は護身用に使ったかもしれないが、
武器というよりは高級日用品である。

だいたいの石器文明は時代と共に
低温鉄器や青銅器へと移行していく。

だが、貴金属以外の加工技術を持たなかった
中央アメリカの諸部族はイスパニア人が
大西洋を渡って来るまで黒曜石と燧石を
使い続けていた。

マカナと呼ばれる黒曜石の剣は、
木の板に溝を付け、黒曜石を挟んで作られる。
のこぎりのような見た目になるが、
使い方としては殴りつけて切り裂く。

腕や首を切り飛ばすことだってできた。

黒曜石の矢、槍、剣は上等な武器であり、
特に剣は選ばれた戦士のみが扱うことを許された。

アステカ人が他の部族を圧倒できたのは、
黒曜石の産地を押さえ、
優れた兵器を独占したためだと言える。

黒曜石はどこでも採れるわけではない。
火山から溶岩が流れ出し、
急速に冷えて固まることが生成の条件だ。

世界的に見て北アメリカから中央アメリカに
かけての火山帯は黒曜石の産出地が著しく多い。
次いで多いのが本邦である。

本邦は火山列島のため条件を満たす場所は
多いのだが、残念ながら冒頭で書いたように
純粋な黒曜石ほど価値が高い。
本邦では他の物質が混ざることが多いのだ。

それでも優れた黒曜石の産地はいくつもある。
本邦で採取された黒曜石は大陸にも運ばれ、
シベリアの方面でも見つかっている。

黒曜石はその組成のパターンから、
どこで産出したものなのかを鑑定できるのだ。

驚くべきことに、南アメリカ西岸でも
本邦で産出した石器が見つかっている。
主に翡翠であり黒曜石は少ないが、
いったいどうやったのか交易ルートがあったらしい。

なお、黒曜石の語源は不明だが、
読んで字のごとく黒く輝く石なので、
あまり深く考える必要はなさそうだ。

オブシディアンの語源は
大プリニウスによって紹介されている。
オブシウスという人物がエチオピアで発見したそうだ。

確かにエチオピアは黒曜石の産地として
かなりのものだが、大プリニウスは
何かよくわからないものがあると
大体エチオピアのものと言い出すので当てにならない。

おそらくは大プリニウスが悪いのではなく、
エチオピアでこういうものを見た、聞いたと
彼に報告した人物がいたのだろうとは思うが。

ところで、黒曜石はパワーストーンとして
人気のある鉱物である。

例によってパワーストーンの解説書きを
いくつか探してみたが、やはり人気のある石ほど
荒唐無稽なことが書いてある傾向で間違いなさそうだ。

武器や日用品として用いられた黒曜石だが、
呪物としても優れたものであった。

例えば黒曜石の鏡は金属が利用される以前は
最上級のものであったと言える。

長くなってしまったので
このぐらいで終わりにしておこう。

2018年12月19日水曜日

玄武岩

バサルトとも呼ばれる一般的な火成岩である。

火成岩とは火山から噴き出た溶岩が
冷えて固まった岩石のことだ。

その中でも急激に冷えて固まったものを
火山岩と呼び、ゆっくり固まったものを
深成岩と呼ぶ。玄武岩は火山岩である。

玄武岩の成分は主に二酸化珪素である。
シリカと呼ばれる物質で、
石英、つまり水晶と同じものだ。
つまるところガラスである。

玄武岩の場合、二酸化珪素は五割ほどで、
残りに様々な酸化金属が混在している。

色は通常、黒だが、
含まれている成分によっては灰色や
赤みがかった色にもなる。

さて、玄武とは東アジアの呪術において、
北という方角を象徴する霊獣の名である。

玄は黒を意味し、蛇と亀の融合した姿を持ち、
五行ではに対応する。

五行の水は陰中の陰であり、
陰陽の中で最も陰に近いものだ。

このため、玄武は太陰すなわち月の神という
性質も持ち合わせている。

また、亀は長寿、蛇は再生の象徴であり、
不老長寿や冥界とも関連付けられ、
玄天上帝として祀られた例もある。

玄武の武は武具の武である。
鱗と甲羅を身にまとった姿が、
甲冑を想起させたのだろう。

だが、武神としての性質は
北という敵対者である異民族のやってくる
方角が忌避され、信仰を集められず廃れた。

玄武岩に話を戻そう。
実はこの名前、黒く硬いから玄武と
名付けられたわけではない。

本邦において兵庫県の玄武洞に因んで
名付けられたものである。

玄武洞は柱状節理に覆われた洞穴で、
玄武岩の美しさを堪能できる場所だ。

柱状の岩が絡み合う様子が、
鱗と甲羅を想起させ、色も黒かったことから
玄武洞と名付けられた。

そこから玄武岩の名が付いたのだから
親和性が高いのも頷ける。

ところで明治期にこの名が付けられる以前は
何と呼ばれていたのだろうか。
残念ながら寡聞にして知らない。

よくある岩なので、分類などせずに
単に岩だったのだろうか。

バサルトの語源もはっきりしていない。
大プリニウスはエジプト人がエチオピアで発見し、
ベーサナイトと呼んでいたと
嘘か本当か分からないことを書いている。

読み返してみたが大プリニウスは
本当にテキトウなことばかり書いている。

私は少し真面目に書きすぎているかもしれない。
最初はもっと胡散臭い文章を
書き連ねる気であった。

もうすぐ年も変わることだし、
新年からは初心に立ち返ることも検討したい。

2018年12月18日火曜日

ダルナビル

エイズの治療薬である。

詳しくはないのだが、アフリカの都市や
地形を紹介する中でエイズ禍のことに
幾度も触れ気になったので調べたことを記す。

エイズとは後天性免疫不全症候群、
つまり免疫細胞がウイルスによって破壊され、
体の免疫が機能しなくなる病である。

エイズは不治の病として知られている。
実際に現在でも完治は困難で、
かつては治療薬も無く絶望的な病気だった。

そんな中、治療薬が発見される。
元々抗がん剤であったジドブジンという薬に、
ヒト免疫不全ウイルスの増殖を抑制する
効果があることが分かったのだ。

発見したのはアメリカの製薬会社
バローズ・ウエルカムに勤めていた
本邦の教授である。

存命のため敢えて名前は挙げないことにする。
ちょっと調べればすぐに分かることでもある。

ジドブジンは製薬会社によって特許が取られ、
高額な薬として販売されるようになった。

エイズ罹患者の多くは富裕層ではない。
つまり、必要な人々には手の出せない薬だったのだ。

教授はこの件について怒ったと言われている。
だが、彼はただ者ではなかった。

新たな治療薬をふたつも開発してしまったのである。

ダルナビルは第三のエイズ治療薬である。
教授はこの薬を発展途上国が特許料を
払わずに使えるよう国際的な機関に登録した。

治療薬の普及により、エイズ禍の蔓延している地域の
人々の平均寿命は大幅に伸びた。

まだまだ根絶には程遠いが、
人類はヒト免疫不全ウイルスに対して
抵抗することができるようになったのである。

ウイルスの進化は速い。
薬への耐性を獲得してしまう。

おそらく教授は今でも
新たな治療薬の開発を進めているのだろう。

いずれ人類史に残る偉大な人物として
その名が記録されることになるに違いない。

2018年12月17日月曜日

ヴィクトリア湖

アフリカ最大の湖である。
なんと琵琶湖の百倍の広さがある。

本来の名はニアンザ湖、もしくはウケレウェ湖だ。
イギリス人探検家に「発見」された際に、
当時の女王に因んで名づけられた。

ナイル川の源流のひとつだが
この湖に流れ込む川があるので
真の源流ではない。

なお、この湖から流れ出す川は
ナイル川のみであるため、
ナイル川の一部としてその長さに計上されている。

アフリカ大地溝帯に囲まれており
周囲が隆起したために窪地となったことで
形成されたと考えられている。

このため周辺のタンガニーカ湖
マラウイ湖とは異なり水深がとても浅い。

浅いのだが、赤道直下であり、
水温が高く嵐が起きやすく、
突風も吹きやすいため船の事故が後を絶たない。

事故の発生率と死亡率で言えば、
世界最悪の部類に入るらしい。

ついでに言えば、漁師は女性の仲買人に
魚を卸すのだが、その際に性交渉を
要求できるという慣習が存在する。

そういう文化なので、とやかく言う気はないが、
この慣習が原因でエイズ禍が広がっているのだ。
やはり、アフリカは辛い土地である。

さて、ヴィクトリア湖に話を戻そう。
この湖には多数の川から水が流れ込んでおり、
栄養素が豊富である。

また、はるか昔に形成された古代湖でもあるため、
多くの固有種の存在する豊かな生態系を持つ。

だが、食用に持ち込まれた外来魚によって
その生態系は破壊されつつある。

もっとも、外来魚であるナイルパーチの
輸出がなければ湖周辺の住民の生計は立ち行かない。

また、同じく外来魚のティラピアは
住民の重要な食料である。

栄養に富んだ水質と書いたが、
ものには限度というものがある。

人間の生活水準が上がったことで発生する
生活排水が流れ込み、栄養過剰となり、
赤潮の発生や藻の異常発生が問題となっている。

前述のナイルパーチによる
藻を食べる魚の激減も原因の一つである。

環境破壊が続けば頼みの綱の
ナイルパーチも獲れなくなってしまう。

藻を食べる魚だけの環境に商品となる大型肉食魚を
放流した結果、生態系が破壊され、藻の異常繁殖を
招き、肉食魚も生きていけなくなりつつある。

これが、この湖で起こっていることである。
生態系も経済圏も共倒れの未来が待っている。
どうにかする手立てはあるのだろうか。

きっと懸命に最善策を模索している人々が
いるのだろうとは思うが、
私にはどうしたら良いか皆目見当もつかない。

ヴィクトリア湖のナイルパーチの輸出が止まれば、
本邦でも白身魚フライの価格が
もしかしたら上がるかもしれない。
現地の人々の問題と比べれば些細ではある。

ちなみにヴィクトリア湖には人に寄生する
住血吸虫が多数生息しているため、
水に入ることや生水の利用は推奨できない。

アフリカはやはり辛い土地だ。
痛感しているので二度書いた。

追記
ナイルパーチを燻製に加工するための
燃料として森林伐採まで進んでいるらしい。

2018年12月16日日曜日

タンガニーカ湖

二人のイギリス人探検家が
ナイル川の源流を探して東岸から
内陸へと分け入った。

彼らはウジジ湖と呼ばれる広大な湖を発見、
そこで一人は体調を崩しもう一人は
更なる探検に出てニアンザ湖を発見した。

ニアンザ湖を発見した探検家はこれこそが
ナイルの源流であると主張したが、
残された探検家はウジジ湖だと主張する。

真相を究明すべく、
ディヴィッド・リヴィングストンが
現地へと赴いた。

リヴィングストンは暗黒大陸と呼ばれた
アフリカの内陸部を調査して回り、
空白の地図を埋めた偉大な探検家である。

だが、リヴィングストンはウジジ湖が
ナイルの源流ではない可能性が
高いことを突き止めたところで
その冒険の生涯を終える。

さて、このウジジ湖は現在
タンガニーカ湖と呼ばれている。

アフリカ大地溝帯にできた非常に深い湖で、
地球上で二番目に古い古代湖だという。

この湖は地形と気候の関係で温度変化に乏しい。
このため、水温による対流が起こらず、
水は水温毎に層を成したまま流動しない。

このため、深層水は酸素に乏しく、
化石水とまで呼ばれ、
ほとんど生物のいない環境となっている。

だが、定期的に吹く強い風によって
深い層の水が上層へと上がって来ることがある。
その際に、湖底に沈んだ栄養素が運ばれる。

この栄養素がプランクトンを発生させ、
それを食べる生き物が栄えることになる。

遥か昔に造成されたこの湖には
他の水域では見られない固有種が
多数生息しているのだ。

ちなみに、冒頭で述べたもうひとつの湖
ニアンザ湖はヴィクトリア湖と呼ばれている。

2018年12月15日土曜日

マラウイ湖

明かりを意味する名を持つ広大な湖である。
ニアサ湖とも呼ばれるが、
ニアサとは湖を意味するため重言となる。

アフリカ大地溝帯の裂け目に
水が流れ込み形成された湖で、
深さ大きさ共に屈指のものだ。
ザンベジ川の水源でもある。

この湖を初めて訪れたヨーロッパ人は
ディヴィッド・リヴィングストンであり、
彼は暗黒大陸と呼ばれたアフリカ南部の内陸部を
探索して回った名うての探検家である。

マラウイ湖には口の中で卵を育てる魚などが
千にも届く種類生息しており、固有種も多い。

この湖の魚たちは卵の扱いについては
非常に独特の進化を遂げている。
湖のガラパゴスと呼ばれることもある。

この湖に生息する貝類は
人にも寄生する住血吸虫を
保有しているものが多い。

住血吸虫はマラウイ湖を泳ぎ回っており、
皮膚から人間の体内に入り込む。

つまり、この湖に入ることは危険である。

マラウイ湖でのダイビングは色とりどりの魚が
見られるとあって人気なのだが、
こんな落とし穴が潜んでいるのだ。

もっとも、泳がずとも生水に触れるだけで
寄生される可能性が存在する。

実は観光客の減少を恐れるマラウイ政府によって
長らくこの事実は隠蔽されていた。

マラウイ湖に住血吸虫はいないということに
なっていたため、各種旅行ガイドにも
そのように書かれていた。
このため、無防備に泳ぐ外国人は数知れない。

もっとも、住血吸虫はこの湖固有の存在ではなく、
アフリカ南部の淡水にはよくいるため、
マラウイ湖だけが危険なわけではない。

恐怖を煽ってしまったが、
住血吸虫病はフラジカンテルという薬で治せるため、
マラリアと比べればそれほど脅威ではない。

現地人は普通にこの水を飲み、調理に使い、
洗濯に使い、体を洗う。

ちなみに住血吸虫は一応アフリカ以外にも
生息しており、各地で死者を出している。

本邦にも存在したのだが撲滅に成功している。
聞くところによると住血吸虫を完全に
駆逐した国は今のところ本邦だけらしい。

住血吸虫の話ばかりしてしまったが、
マラウイ湖は魅力的な場所である。

特に前述のように独特の進化を遂げた
魚たちの生態は非常に面白い。

凄まじい規模の蚊柱が立つことでも有名だ。
といえばマラリアの被害も多いので
注意されたし。

結局風土病の話になってしまったが、
アフリカ旅行へ行くのなら
どのみち病への対策は大前提となる。
知っておいて損はないだろう。

2018年12月14日金曜日

マダガスカル島

アフリカ南部の東側洋上に浮かぶ
とても大きな島である。

アフリカとはモザンビーク海峡を挟み
位置的にかなり近い関係にあるが、
一線を画す部分が存在する。

この島は遥か太古の昔には
インド亜大陸と接していたのだが、
いわゆる大陸移動により現在の位置に
移動してきたのだ。

マダガスカルにしか生息していない
動物は多いが、彼らと近い生き物は
インドや東南アジアに存在し、
アフリカの動物とは近しくない。

これだけでもなかなか興味深いことだが、
ここに住む人間もまた、
特殊な経緯を持つ。

モザンビーク海峡を越えるのは海洋技術
という点で言うとそこまで難しいことでは
ないのだが、アフリカ南東部の住民は
この島になかなか進出しなかった。

巨大で緑あふれるこの島は
なんと長らく無人島だったのだ。

確実な定住の証拠となると、
本邦ではもう平安期に
入ってからのことになる。

しかもだ、この島にはインド洋を越えて
東南アジアからやってきた人々が住み着いた。

マダガスカル語はボルネオ島の言語に近く、
住民の遺伝子はインドネシアの人々と
共通する染色体を持つ。

東南アジアからマダガスカル島まで、
一体どのような経緯を経て
住民が移動したのだろうか。

新天地を探し求めたのか、
望まずに辿り着いてしまったのか、
おそらく知られざるドラマがあるはずだ。

話が前後するが、マダガスカルには
固有の動植物が多数生息している。

カメレオンやキツネザルなど、
折に触れて紹介していきたい。

さて、最後にレムリア大陸のことを話したい。
アトランティス、ムーと並ぶ幻の大陸だ。

インド洋にはかつてマダガスカルから
スリランカまで繋がる大陸が存在したが、
海に沈んでしまったという説があった。

マダガスカルとアフリカの生物の違い、
マダガスカルとインドの生物の共通点、
このふたつを説明するために考えられた説だ。

大陸移動説によって否定されたが、
アトランティスなど海に沈んだ大陸の存在を
信じる者たちにとっては
マダガスカル島は説を補強する拠り所であった。

ただし、レムリア大陸の位置については、
オカルティストの間でも意見の相違があり、
生物学者の言うレムリア大陸とは
別物と言っても良い。

レムリアについてはいずれ
独立した項目で語りたい。

ちなみに、レムリアの名の由来は
マダガスカル島に棲む
キツネザルを指すレムールである。

2018年12月13日木曜日

マカディカディ塩湖

雪原のように塩の原が広がる広大な土地である。

塩湖と呼ばれているが、
乾季には完全に干上がることになる。

観光が可能なのもこの時期で、
雨季にはこの場所へ至る道すらも
水没するため見に行くのは難しい。

ボツワナに広がるカラハリ砂漠
盆地となっているのだが、
その最も低い部分はオカバンゴと
呼ばれる湿地帯である。

オカバンゴの中でも特に
低い場所がマカディカディである。

この地域は太古の昔には海であり、
周囲が陸地となり、砂漠となり、
干上がったことでマカディカディに
濃い塩分が残された。

乾季のマカディカディには人間が
観光やの採取にやってくる。

雨季になると水と塩分を求めて
様々な動物がやってくる。

ヌー、モモイロペリカン、フラミンゴ、
ダチョウ、様々な渡り鳥、
とにかく色々な動物が訪れる。

なお、マカディカディを観光するなら
朝焼けと夕焼けの時刻が特に美しい。

これらを見るための宿泊施設もあるので、
もし旅行に行くのなら試してみるといいだろう。

2018年12月12日水曜日

テーブルマウンテン

ケープタウンの背後にそびえ立つ
頂上が広く平らな山である。

他の地域にある似た形状の地形も
テーブルマウンテンと呼ばれるが、
単にこう呼んだ場合はケープのものを指す。

その威容は海からでも眺めることが可能で、
まるで巨大な砦か城壁でもあるように見える。

すぐ傍らにはライオンヘッドと呼ばれる
岩山もあり、好対照を成す。

ここは世界有数の観光スポットである。
日々世界中から多くの観光客が訪れる。

ほとんど垂直にも見える崖は
ごつごつと岩がせり出し、
登ることが可能なルートがいくつも存在する。

もちろん、この地を訪れれば
それらの登攀ルートに挑戦可能だ。

ただし、それはロッククライミング同然である。
手掛かりや足掛かりには事欠かないが、
素人には非常に厳しい道のりだ。
道と呼んで良いのなら。

もちろん命の保証は無い。

頂上に上ればそこにはごろごろと岩が転がり、
隙間から草の覗くだだっ広い平原が存在する。

山頂でありながら、まっ平らで広いのだ。
しかも雲と同じ高さである。
まさに天上の世界だ。

振り返れば大西洋の青と空の青が広がり、
眼下にはケープの街並が敷き詰められている。

厳しい崖登りを果たした者だけが見られる絶景、
というわけではない。

至れり尽くせり全周囲見渡し可能な
ロープウェイが存在する。

絶景を楽しみながら雲海の上へと
悠々登ることが可能である。
これが文明の力だ。

そして、山頂のロープウェイ発着場付近には
お洒落なカフェや土産物屋が存在する。

絶景を楽しみながら南アフリカワインを
飲むことだって可能だ。

だが、ワインを飲んだら下りは必ず
ロープウェイを使うことだ。
崖は登るより下る方が危険である。
酔って試みるなど自殺に等しい。

ちなみにテーブルの上には
ダッシーという愛称で親しまれている
ハイラックスという小動物が暮らしている。

他ではあまり見ないような顔つきの
愛らしい動物だ。

もちろん、そこに生える植物も独特である。
実はこの頂上の植物の種類は
ブリテン島の植物の種類より多い。

一見するとちょっとした草しかない荒地だが、
実に多様な生物圏が形成されているのだ。

ケープタウンは見所の多い街である。
アフリカ旅行をするのなら
この地を訪れテーブルマウンテンに登る
ことを目的にしてもいいのではないだろうか。

2018年12月11日火曜日

モシオトゥニャ

ザンビアとジンバブエの国境にある
巨大な滝である。

ザンビアの名の由来でもあるザンベジ川の
途中に突如として現れる。

山の無い平地に存在するため、
ヨーロッパ人は初めはその存在を疑った。

頑強な玄武岩と脆い砂岩の層が侵食によって削られ、
大きな峡谷ができたことで生まれた滝だと考えられる。

イギリスの探検家デイヴィッド・リヴィングストンに
よって初めてヨーロッパに紹介されたため、
彼の名は周辺に多く残されている。
ザンビア側の街の名前もリヴィングストンである。

リヴィングストンは当時の女王ヴィクトリアの名を
この滝に冠し、ヨーロッパのどこよりも
美しい景色だと評した。

なお、リヴィングストンは暗黒大陸と呼ばれた
アフリカの探検を劇的に進めた人物で、
内陸部の地図が作成されたのは
彼の功績によるところが大きい。

しかし、彼の開拓した経路を利用したのは
奴隷商人たちであった。
内陸部の住民が新たな奴隷の供給源となったのだ。

なお、モシオトゥニャ、
正確にはモーシ・オワ・トゥーニャは
雷鳴の轟く水煙という意味である。

雨季には凄まじい量の水が滝壺に流れ込み、
勢いで水煙が上空に噴き上がる。
下から上に雨が降っていると言われるほどだ。

夜にはこの噴き上がる水が月明かりに虹を作りだす。
美しい光景ではあるが、この時期に
滝本体を見ることは困難である。

滝壺に至っては乾季になって
ようやく見ることができる。

乾季には悪魔のプールと呼ばれる
滝の縁の水勢の緩やかな場所で
遊泳することも可能だが、
度々死者が出ているので試すなら覚悟が必要だ。

さて、このイグアスの滝と並んで世界最大級の
規模を持つ滝は、当然のことながら
世界屈指の人気観光地である。

ザンビアもジンバブエも観光収入のために
宿泊施設や交通網の整備に躍起になった。

それ故に環境へ与えた悪影響も大きく、
野生動物やゴミの投棄の問題への
取り組みが遅ればせながら行われている。

自然の景観の中で死ぬまでに一度は
見ておきたいと言われる場所は数多あるが、
この滝が数え上げられるのは私も妥当だと思う。

アフリカ南部内陸という難易度の高い場所だが、
前述の通りインフラが整備されているため、
現地に着いてから比較的楽に辿り着ける。

大自然を満喫するために海外旅行に行きたいが
どこにするか決めかねているというのであれば、
モシオトゥニャを見に行くというのは
とても良い考えである。

2018年12月10日月曜日

ザンジバル

タンザニア連合共和国を構成する
ザンジバルの首都である。

ザンジバル諸島はウングジャ島とペンバ島を
中心とした島々で、ザンジバルは
ウングジャ島東部に位置する港町だ。

サラセン商人たちがアフリカの富を求めて
アフリカ沿岸を南下する途中、
補給港が必要となり建設された。

大陸には各部族の王国やテリトリーがあり、
サラセン人の街は脅かされる可能性があったが、
沖合の島であればその恐れは少ない。

こうした経緯からザンジバルは建設され、
アフリカ東岸貿易の拠点となる。

一時、喜望峰を回ってやってきたポルトガルに
奪われることになるが、ヤアーリバ朝オマーンが
ポルトガルを撃破してザンジバルを掌握した。

その後オマーンは内乱が続き、
ザンジバル諸島のほとんどの都市が
その機に乗じて独立したが、
ザンジバルはオマーンに属し続けた。

ザンジバルのこの貢献は首都に
昇格されるという結果を生み出す。

サイード大王の治世にはアフリカ東岸の
海洋覇権を握り、多くの富を集めた。

大王の死後オマーンとザンジバルは分裂し、
後にザンジバルはイギリスによって
攻め落とされてしまう。

イギリスからの独立を果たした時には
まだスルタン国であったが、アラブ人の支配を
よく思わない住民たちが革命を起こし、
現在に至る。

ザンジバルはサイード大王が築いた石の都であり、
旧市街はストーンタウンと呼ばれて
人気のある観光地である。

聖ヨセフ大聖堂はイギリス植民地となってから
建てられたものだが、石造りの正統派
ゴシック建築であり、景観に溶け込んでいる。

マスジドはシンプルなものばかりで、
目を引くのはバグ・ムハルミのミナレットの
高さぐらいのものだろう。

ザンジバル料理の主食は米である。
ココナッツミルクと多くの香辛料で
シーフードカレーを仕立て上げる。

なお、ザンジバルは高級香辛料である
クローブの産地だ。
ザンジバルの富の源泉である。

サイード大王が導入し、
大規模栽培がおこなわれるように
なったと言われている。

現在でもクローブは主要な輸出品であり、
観光業と並んでザンジバル経済を
牽引している。

ちなみに、ザンジバルとタンガニーカに
よって構成されるタンザニアは、
どちらの側も産品と観光地に恵まれ、
良好な経済状況となっている。

2018年12月9日日曜日

ダルエスサラーム

タンガニーカの首都である。

タンガニーカという国名は耳慣れないと思う。
タンザニア連合共和国の構成国だ。

タンザニアはタンガニーカとザンジバル
連合してできた国であり、
国名もふたつを掛け合わせたものとなっている。

タンザニアの首都はドドマだが、
タンガニーカとザンジバルを敢えて分けて
紹介したいと思う。

とはいえ、ザンジバルは独自の政府が
運営しているが、タンガニーカはタンザニアの
政府によって統治されている。

客観的に見ればタンザニアという国があり、
その一部であるザンジバルが
自治権を有しているようにも見える。

ところで、タンザニアの首都ドドマは
ダルエスサラームからの機能移転が進んでおらず、
未だに実質的な首都はダルエスサラームである。

これも、ドドマではなく
ダルエスサラームを紹介する理由だ。

さて、ダルエスサラームを建設したのは
ザンジバルのスルタン国であった。

ダール・アッサラーム、平和の地という意味で、
サラセン商人やインド商人の拠点として、
アフリカ南東部貿易の要となっていた。

現在のダルエスサラームだが、
広大なスラムが存在し、約七割の住民が
不法に居住していると言われている。

対して海沿いの市街地には
高級マンションが立ち並び、
富裕層が住んでいる。

国内の貧しい地域、外国からの
労働者が流入し続ける
貧富の差が激しい街なのだ。

ムスリムの国だがカトリックの
聖ヨセフ都市大聖堂が存在する。

ドイツ統治時代に建てられたため、
ドイツ式コロニアル様式が特徴的だ。
つまりメルヘンチックな教会なのだ。

白壁にオレンジと黒の屋根、
そして青が差し色となっており、
なかなか印象的な建物だ。

シュリーサンタンダルマ寺院という
ヒンドゥー教の寺院もある。

シュリーとはインドの女神ラクシュミの
ことで、サンタニダルマとは
永遠の法を意味する。

吉祥天女に捧げる永遠の法の協同体と
無理矢理訳してもいいが、
なんとも怪しげな雰囲気なので
シュリーサンタンダルマ寺院と紹介しておく。

マスジドはたくさんあるのだが
観光向きなのはマスジドマームールだろうか。
内装が非常に豪華である。

各宗教の施設を紹介するだけで
紙面を食ってしまうわけだが、
今後はこの書き方を工夫した方がいいかもしれない。

食べ物はキャッサバトウモロコシから
作る餅が主食で、アラブとインドの影響の強い
料理が食べられている。

しかし、何より良質なコーヒー
産地として知られている。

ただし、コーヒーは輸出がメインで、
現地の人々はを好む。
もちろん甘くして飲む。

また、ムスリムの多い国だが、
アラブ人以外は酒を嗜み、
バナナビールやコニャギなど、
ユニークな酒を楽しめる。

このようにタンガニーカは魅力的な土地なのだが、
ダルエスサラームは観光客が見て回るには
向いていない街だ。

ホテルのある高級な地域から出ない方がいいだろう。
観光そのものはンゴロンゴロやセレンゲティ、
キリマンジャロなど大自然を楽しむべき場所だ。

私としては野生動物を見るよりも、
ダルエスサラームで古い建物を見て回りたい。
もちろん、自然に魅力を感じないのではなく、
文化の方により食指が動くという話だ。

2018年12月8日土曜日

リロングウェ

マラウイ湖で知られるマラウイの首都である。

マラウイ湖は大地溝帯に川からの水が
流れ込んでできている非常に深さのある
長大な湖である。

マラウイ湖の権利を巡っての確執はあるものの、
この国は戦争と無縁であり、アフリカの温かい心
と呼ばれることのある平和の地だ。

鉱物資源に恵まれず、漁業と農業で人々は暮らし、
灌漑設備への投資もできていないため、
旱魃に襲われることも多い。

インフラ整備も滞り、電力は安定しない。
つまり、貧しい国なのだが、
なんとも平和で牧歌的である。

多民族国家であり、言語も統一されておらず、
エイズ禍にも見舞われているが、
人々はのんびりと暮らしている。

そんなマラウイの首都リロングウェは
当然、田舎町である。

無計画な拡大を続けた結果、
住所の番地が秩序だっておらず、
道も曲がりくねり大変迷いやすい街だ。

観光名所など無い。
マスジドは面白い形をしているが、
古びたテーマパークの入り口のような風情だ。

ちなみにマラウイはプロテスタントが多く、
ムスリムは少数派である。

マウラ大聖堂は質実剛健な建物で、
一見すると教会には見えない。

完全な憶測だが、もしかすると
元は砦の一部だったのかもしれない。

武骨な外観とは裏腹に、内部はアフリカらしい
内装の質素だが華やかな大聖堂である。

マラウイ料理の主食はトウモロコシを練った
ンシマであり、おかずにはピーナッツや
トマトがよく使われる。

だが、なんといってもマラウイ湖で獲れる
魚だろう。ほとんどはシクリッドである。

治安も良いため旅行に向いているが、
マラウイ湖でダイビングがしたいなど、
明確な目的が無ければわざわざ
行く必要があるとも思えない。

のんびり牧歌的な雰囲気を楽しみたいのなら、
治安が最高の国である本邦国内の
田舎を満喫するといいだろう。

2018年12月7日金曜日

モロニ

ンジャジジャ島西部に位置する
コモロ連合の首都である。

コモロ連合はンジャジジャ島、ンズワニ島、
ムワリ島といくつもの小島からなるが、
コモロ諸島にはもうひとつ大きなマオレ島がある。

マオレ島はフランス領であり、
コモロ連合はこの島の領有権を主張している。

傍から見ればマオレ島だけ
フランスの海外領土というのは
不自然な状態のように見える。

ちなみにこのマオレ島は
フランス語ではマヨット島である。

三島は平等な立場にあることになっているが、
首都のあるンジャジジャ島の権力が強く、
ンズワニとムワリには独立を望む者が少なくない。

議会も連合派と各島の自治権強化を求める
連邦派に分かれており、島同士の対立が窺える。

バニラ、クローブ、イランイランなど価値のある
商品の輸出国ではあるが、産物の多様性は低く、
農業偏重の産業構造であり、教育水準も低い。

このため貧しい国のひとつであり、
外国からの援助に頼るところが大きい。

さて、そんなコモロ連合の首都モロニだが、
田舎の港町である。

ちょっとお洒落な田舎の漁村と言っても
あながち言い過ぎとは言えないかもしれない。
つまり、都会ではないのだ。

コモロはイスラム教が主流の国であり、
モロニにも大マスジドがある。

白いちょっとした城館といった風情で、
イスラム建築らしくはない。
そして、それ以外の見所は無い。

いわゆる南の島なので、リゾートの海を
楽しむ目的で行く場所である。

料理はサモサやクスクスなど、
ほとんどアラビア料理で、キャッサバ
バナナが辛うじてアラブらしくない部分だろう。

新鮮な海の幸にたっぷりのスパイスという
料理なので美味いものにはありつける。

ただ、南の島を楽しむのであれば、
わざわざコモロ諸島まで行く必要もないため、
本邦からの観光はいまひとつお勧めできない。

ああ、ひとつ、忘れていた。
コモロ諸島近海ではシーラカンスがよく網にかかる。
シーラカンスが見たいのなら行く価値はあるだろう。

2018年12月6日木曜日

アンタナナリヴ

マダガスカル共和国の首都である。

千の町という意味であり、
タナナリヴやタナと略される。

マダガスカルはモザンビーク海峡を挟んで
アフリカの沖合に存在する島だが、
住民は東南アジアの血を引く。

マダガスカルは大きな島であり、
海外との交流も少なかったことから、
そこに住む者たちの多くは長らく
島自体の呼称を持たなかった。

先祖の土地を意味するタニンヂャザナという
呼び名が、現在では美称として時折使われる。

マダガスカルはマルコ・ポーロの
勘違いから生まれた名前である。

彼はサラセン人から南の海に
マダゲイスカーという場所があると
伝え聞いたという。

これはソマリアのモガディシュ港のこと
だったのだが、ポーロはこれを
島だと思い込んだ。

後に喜望峰を回ってやってきたポルトガル人は、
マダガスカル島を発見し、これこそが
ポーロの言っていたマダゲイスカーに
違いないと考えたのだ。

さて、アンタナナリヴは元々青い森という
意味のアナラマンガという村であった。

マダガスカル統一を果たしたメリナ王国が
この地に都市を建設し、後に首都とする。

以来、フランスの植民地時代も独立後も
マダガスカルの首都である。

街の見所は王国時代の
マンジャカミアディナ宮殿だろう。
丘の上に佇んでいるが、
実は火災によって内装は失われている。

宮殿のある丘からは街が一望でき、
植民地時代に近代化が進んだ
煉瓦造りの家々が立ち並んでいる。

アンドハロ大聖堂はフランス流の
端正なゴシック建築であり、
ヨーロッパのものと比べても遜色がない。

インフラもある程度整備されているのだが、
残念ながら治安が悪い。

アフリカ南部のくくりで言えば良い方だが、
旅先として人気のマダガスカルの首都
ということもあり、観光客狙いの犯罪が多い。

ただし、食事は悪くない。

東南アジアに起源を持つ米を主食とした料理は
アフリカ文化と融合し、南国の香りを漂わせ、
フランスによって洗練された。

コーヒーの自生地であることから
カフェ文化も根強く、
ハーブティーも人気が高い。

酒に関しても種類が豊富で、
ピルスナー、ワイン、ラム酒など、
いい酒が多いが輸出はほとんどしていない。

本邦で言うところの酒の肴も充実している。
ちなみに、海外ではいわゆる つまみ は
概念が存在しない場所が多い。

酒と言えば食事中に代わりに飲むか、
食事とは無関係に酒だけを飲むもの
という地域の方が圧倒的に多い。

つまり、異邦人にとって酒肴という文化は
馴染みが無いケースが多いのだ。
ゆえに居酒屋が観光客に人気なのである。

話が逸れたが、マダガスカルは
独自の生態系を持つ自然を満喫できる
観光地だが、このように酒と食事を
楽しむこともできるのだ。

治安は気になるが、都市部にも立ち寄って
舌を喜ばせるといいだろう。

2018年12月5日水曜日

ハラレ

アフリカ南部の内陸国
ジンバブエの首都である。

圧政者として悪名高きムガベ大統領が
支配していた国だが、
彼は白人支配への抵抗の英雄でもあった。

大統領就任直後は
ジンバブエの奇跡と呼ばれるほどの
手腕を見せている。

しかし、その後過激な政策をいくつも打ち出し、
経済を大混乱へと陥れた。
ジンバブエのハイパーインフレーションは
特に有名である。

本邦でも価値のないものという意味合いで
高額のジンバブエドルを会話の上で
持ち出すのを聞いたことがあるだろう。

百兆ジンバブエドル札などというものも
実在したのだから驚きである。

なお、ムガベ大統領は去年、
クーデターによって失脚している。

さて、そんなジンバブエの首都ハラレは
元はソールズベーリという名だった。

イギリス南アフリカ会社の探検家が
建造したソールズベリー砦が基礎なのだが、
ソールズベリー侯爵が当時の首相であった
ことに由来する。

ジンバブエ独立二周年の際に、
街の一角の古い地名ハラレが採用され、
正式に改名された。

イングランド植民地であったため
キリスト教の宗派としては聖公会が強いのだが、
最も立派な大聖堂はカトリックのものである。

聖心大聖堂はこの地域にしては珍しい
スタンダードなゴシック建築であり、
鑑賞に耐えうる見事な聖堂だ。

とはいえ、ジンバブエの宗教事情は
土着の宗教が大勢を占めている。

キリスト教徒は半分ということになっているが、
このキリスト教は土着宗教と混じり合っている。

食文化はアフリカ南部の一般的なもので、
主食のトウモロコシ粥はサザと呼ばれる。
マイスビールが飲まれるのも共通だ。

ジンバブエ旅行をするなら
治安の悪い都市での滞在は最小限に抑え、
自然を満喫するのがいいだろう。

2018年12月4日火曜日

マプト

マダガスカルの対岸に位置する
モザンビークの首都である。

マプトはポルトガル商人が探検をした土地に
建設された街で、元の名は商人の名である
ロウレンソ・マルケスであった。

モザンビークが独立を果たすと、
街を流れるマプト川から名前を取り、
改名された。

モザンビーク国内のかなり南側に位置する
この港町は、南アフリカとの結びつきが強く、
プレトリアと鉄道が繋がったことで発展した。

だが、独立後は無法地帯となり、
近隣部族がやってきては略奪と破壊を繰り返し、
モザンビーク内戦によって更に破壊された。

今世紀に入ってから復興したが、
インフラや公共施設は未だ整っていない。

元々の都市計画自体は素晴らしく、
整理された区画と広い道、
ポルトガル風の建物と、
残っていたのなら良い観光地であっただろう。

現在は新しい中産階級によって
現代的な建物が次々と建てられているが、
都市としての機能は悪い。

更に悪いことに、スラムが広がっており、
内戦に乗じて集まったまともな戸籍を
持たぬ住民も少なくない。

無原罪の御宿りの聖母大聖堂は
カトリックの大聖堂で、破壊を免れた。

真っ白な高い尖塔を持つ近代的な建築で、
非常に美しいと言っても過言ではない。

伝統的とは言えないが、
新しい国づくりをしていかなければならない
モザンビークに相応しい大聖堂かもしれない。

なお、モザンビーク内戦の爪痕は深く、
国民は貧困にあえいでいる。

エイズ禍も猛威を振るっており、
やはりアフリカ南部は辛いと
思わざるを得ない。

2018年12月3日月曜日

ヘドロ

水中のの中でも特に様々な物質が
混じったものをヘドロと呼ぶ。

カタカナで書かれるが外来語ではなく、
屁泥と書かれることもある。

語源は不明で、反吐と泥の合成語や
灰泥の転訛など色々な説がある。

生活廃水や工業廃水が河川や湾に流れ込み、
泥と混合したものであり、
多くは有害な有機物を含む。

有害物質を含まない場合でも、
水中の酸素を減らす効果があるため、
生物が生存し難い環境を作りだす。

また、含まれる有機物が微生物に
分解される際にメタンガスが発生する。

このメタンがいわゆる温室効果ガスとなるため、
河川や湾だけでなく、地球全体に影響を与える
環境破壊だと懸念する者もいるようだ。

さて、含まれる有害物質であるが、
最も有名なものはダイオキシンだろう。
また、有機物質以外にメチル水銀など
重金属が混ざっていることが多い。

悪臭も酷く、いわゆる どぶ川の臭いの原因だが、
ここ数十年でかなり改善したように思う。
排水規制などが実施された成果だろう。

ヘドロを除去するには直接掬い出す必要がある。
浚われたヘドロは焼くことによって
有機物の無毒化が試みられる。

焼き固めたヘドロは場合によっては
煉瓦として利用されることもあるようだが、
有毒金属が含まれていないか調査が必要だ。

また、有害な物質が含まれていないヘドロは
肥料に加工される例もあるが、
利用は限定的である。

ヘドロからエネルギーを取り出そうという
研究も続けられている。

発生するメタンガスを燃料としたり、
単純に乾燥させたヘドロを燃料としたり、
各国で実用化されている。

面白いのが、ヘドロ電池と呼ばれるもので、
有機物を分解する微生物を利用した発電機構だ。

このヘドロ電池の画期的なところは、
電気を生み出しながらヘドロを単なる泥へと
変えることができる点にある。

ヘドロから電気を生み出し水を浄化する。

公害物質が資源となり得るのだから、
科学の進歩による未来への希望は
まだまだ失ってはならないと思う。

2018年12月2日日曜日

ラピスラズリ

瑠璃と呼ばれる青い貴石である。

インドでの呼び名ヴェルーリヤが
東方に伝播される際に瑠璃の名へ
変わったと言われている。

ラピスラズリの名は、ラピスはラテン語で石を示し、
ラズリはペルシアのラズワルド鉱山に由来する。

ラズワルドは地名だが、後にアラビア語で
群青色を指す言葉になったのは、
このラピスラズリの色に起因する。

深い青に金色のアクセントのあるこの貴石を
群青の空になぞらえるのは風雅である。

さて、宝石の類は結晶であることが多いのだが、
ラピスラズリは複数の鉱物が混ざり合った石である。

青色の主成分は青金石であり、
含まれる金色の粒は黄鉄鉱である。
他にも藍方石などの鉱物が混然一体となっている。

なお、本邦では非常に稀で、
交易を通して入って来るものも少なかった。

このため、本瑠璃は少なく、
瑠璃色の何かに対して瑠璃の名が
付けられている例が多い。

産出の多い、あるいは流通量の多い地域では
砕いて粉にし、顔料として利用してきた。

ヨーロッパではこの顔料をウルトラマリンと呼ぶ。
合成顔料のような名前だが、
古くから存在する。

これはマリン、すなわち海を超えてやってきた
という意味合いであり、地中海貿易を通じて
もたらされたことを示す。

空の色から海の色へと
イメージが変化しているのが面白い。

パワーストーンとしては価格が
手頃なこともあって非常な人気を誇る。

うたい文句としては
人類が利用した最古の宝石であり、
呪術的な意味で最強の聖石なのだという。

実際にラピスラズリは現在のところ、
確認できる最古の宝飾品に使われており、
各地の伝承でもかなり力のある石とされている。

古代エジプトでも多用されており、
黄金と群青の組み合わせは
エジプトらしいカラーだ。

なので、幸運を呼び込む、邪気を払うなどは
伝統的に言われてきたことでお守りとして
そういった効果を求めるのは良いと思う。

だが、第三の目を開くだの、
カルマを乗り越えるための試練を与えるだの、
一体誰が言い出したのか。

人気のある石ほど色々な場所で突飛なことが
書かれている気がする。

こうしたパワーストーンを取り巻く
俗信を調べ上げ、資料として残しておけば、
後世の民俗学者や宗教学者が喜ぶかもしれない。

2018年12月1日土曜日

アマランサス

真っ赤なのような もこもこの花を咲かせる
南アメリカ大陸の植物である。

本邦では観賞用として時折みられるが、
あまり知名度の高い植物ではない。

しかし、かつては南アメリカにおいて
主食の地位を占めていた穀物である。

小さな、粟のような種子が食用となるのだが、
味そのものはほとんどなく、
えぐみと強い香りを持つ。

アステカ人はこれを信仰上の重要な
穀物としていたため、キリスト教の布教を
企図していたイスパニア人は
その栽培を禁じてしまった。

トウモロコシという代替品があったとはいえ、
主食である穀物が禁じられるというのは
侵略されることの恐ろしさを感じさせる。

明日から米を食うことを禁じられたら
どう思うだろうか。

前述のようにアマランサスは癖になる味とはいえ
そう美味いものではない。

だが、土壌の塩分や酸性度の影響をあまり受けず、
気温の変化や旱魃に強い非常に丈夫な植物である。
安定供給という面において優れた穀物だ。

このため、大航海時代以降世界中に広まり、
インドでは大規模な栽培がおこなわれた。

本邦でも東北地方の一部では食用として栽培され、
現在でも秋田や岩手の特産品である。

和名はヒユとなるが、
アマランサスの名で流通している。

チャイナではシェンツァイと呼んで
葉と茎を食用としているのだが、
やはり苦みとえぐみが強い。

華僑の多いオーストラリアでは
広東語での呼び方インチョイの名で流通しており、
英語ではチャイニーズスピナッチとも呼ぶ。
スピナッチはほうれん草のことだ。

花からは赤色染料を採ることができ、
色名はそのままアマランサスである。

合成着色料の赤色二号がこの色のため、
アマランサスと呼ばれるが、
原料というわけではない。

近年では健康的な食べ物として
持て囃すメディアもあり、
一部では価格が高騰しているとも聞く。

キヌアもそうだが、こうしたマイナーな雑穀を
体い良いと称して売るやり方というのは、
どうにもいまひとつ健全に感じられない。

とはいえ、せっかく国産品もあることだし、
興味を持ったのなら一度試してみるといいだろう。

癖が強いので雑穀米として炊くのではなく、
炒って何かに少量かけてみるのをお勧めする。

2018年11月30日金曜日

アワカルケ

見るからに毒のありそうな
黄色い斑のある草である。

驚くべきはその根の長さだ。
ビル三階分ほども伸びるその根には
微量であるが神経を麻痺させる毒がある。

トルザリアでは古来この根を使い
狩猟のための毒矢に利用してきたのだが、
銃の登場で使われることは無くなった。

だが、種子に含まれる致死性の高い毒は
その後も歴史上幾度も暗殺に使われ、
毒殺の代名詞となっている。

本邦での知名度は無きに等しいが、
現地では若者のスラングとして、
死ぬほどという形容詞に使われている。

そんな有毒植物のアワカルケだが、
一部のトカゲの仲間は好んで花を食べる。

もちろん花にも毒があるため、
体内の酵素による解毒なしでは食べられない。

花は鮮やかな赤色で、
観賞用に良さそうだが、栽培が難しく
野生でしか見ることができない。

近年の森林伐採により数も減らしているため、
現物を見ることは難しいだろう。

2018年11月29日木曜日

ムババーネ

本邦での知名度が低いエスワティニの首都である。
ムババーネの名は街が作られた当時
この地域に居住していた部族長の名らしい。

エスワティニという国名が耳慣れないと思う、
それも当然だ、今年の四月に改名されたのだから。
それ以前はスワジランドと呼ばれていた。

もっとも、スワジランドの知名度も低いと思うが。

エスワティニもスワジランドも
スワジ人の国という意味だが、
英語から現地語へと変更された。

この国は南アフリカ共和国の東部に
食い込むように存在しているが、
これはスワジ人たちが膨張するオレンジ自由国から
身を守るためイギリスに保護を求めた結果だ。

エスワティニはイギリス連邦加盟国ではあるが、
独自の王を頂く王国である。

立憲君主制ではあるが、
事実上の専制君主制を敷いている。

民主化を求める動きも内外からあるが、
国王の強権は揺らいでいない。

様々な事件はあったが、どちらかと言えば、
安定していると言っても良いかもしれない。

経済状況は悪くはないのだが、
富は王族とごく少数の白人が占有しており、
一般国民の生活水準は低い。

また、国王の財布の紐が緩いともっぱらの噂である。

そんなエスワティニの首都ムババーネは
中途半端な街である。

王宮と議会はロバンバにあり、
経済の中心地はマンジニであるためだ。

ムババーネには行政府があるのだが、
前述の通りほぼ絶対王政のため、
重要度が低い。

近代化した都市だが、
垢ぬけない地方都市である。
見所も特に無い。

全ての聖人の大聖堂という聖公会の
大聖堂があるが、田舎のちょっと裕福な
地主の家といった雰囲気だ。

エスワティニの宗教事情は古来の宗教が
キリスト教と混じり合ったものが主なため、
キリスト教もイスラム教も強くない。

見所の無い田舎臭い首都ムババーネだが、
特筆すべき良い点がある。

清潔でのどかなのだ。
治安が良く、人々も小綺麗で、
街中も掃除されている。
食べ物もしっかりしている。

アフリカ南部とは思えない先進的な雰囲気だ。
田舎町をのんびり探索したいなら良いだろう。
わざわざ海外に行かずとも良い気はするが。

他の街も治安が良い。
アフリカでありがちな
警官の賄賂せびりも滅多にない。
むしろ暇を持て余して雑談を求めてくるらしい。

アフリカ南部を旅したいのであれば、
難易度の低い場所と言えるだろう。

2018年11月28日水曜日

マセル

本邦での知名度が低いレソトの首都である。
マセルの名は赤い砂岩という意味だ。

レソトは南アフリカ共和国の中ほどに
不自然に存在する国である。

かつてボーア人がオレンジ自由国を拡大する中で、
ソト人たちはイギリスに保護を求めた。
その結果、マロティ山脈一帯はバストランドと
呼ばれるイギリス植民地となった。

マロティ山脈はドラケンスベルヘ山脈の一部であり、
レソトはその全土が山地となっている。

この山脈は槍の障壁、ウクハランバと
呼ばれるほど険しい。

レソトはイギリス連邦加盟国ではあるが、
独自の王を頂く王国である。

本邦のように国民の象徴としての君主であり、
行政権は持っていないのだが、
不安定な政情もあって色々な事件があった。

いちいち列挙していられないほど
色々な事件があった。

レソトは気候が良く、水が豊富である。
これはアフリカでは珍しい有利な点だが、
農地に乏しいため水を売って食料を買っている。

ダイヤモンドも産出するが、
貿易収支は赤字である。

そんなレソトの首都マセルは
かなり現代的な佇まいを見せている。

もしレソトに観光に行くとしたら、
雄大かつ峻厳な自然が目的となるだろう。

マセルの見所はカトリックの勝利の聖母大聖堂と
聖公会の聖ヨハネ教会ぐらいだろうか。

ちなみに、非常に治安が悪い。

金を稼ぐため南アフリカに出稼ぎに行く者が
非常に多かったのだが、彼らは
南アフリカでのワールドカップ開催により
同国から締め出されてしまった。

帰還した者たちは失業者となり、
残念なことに多くが犯罪に走った。

数少ない農地で大麻を栽培して
密輸しているという話もあり、
問題は山積している。

エイズの蔓延も過酷である。
平均寿命は低く、産業は低迷し続けており、
先行きは暗い。

なお、主食はモロコシの発酵粥モホホだ。
食糧事情は悪いのだが、
マイスビールの醸造が盛んだという。

水が良いため美味いとも、
トウモロコシなので不味いとも聞くが、
現地に行かなければ味わえないので詳細は不明だ。

ビールは気になるが、
観光に行くべき場所とは思えない。

本邦外務省の海外安全情報によると、
特に危険情報は出ていないのだが、
私はお勧めしない。

それでも、もし行く用事があるのであれば、
ビールがどんなものだったか
ぜひとも教えてほしい。

2018年11月27日火曜日

ロカ岬

ヨーロッパの最西端、いや、
ユーラシア大陸の最西端である。

ポルトガルのリスボンから近く、
シントラからバスに乗って
一時間弱で到着する。

有名な「ここに地終わり海始まる」と
彫られた石碑以外には大したものは無く、
大西洋を見る以外にできることは少ない。

だが、それがいい。
視界一面の海は地球が丸いことを
直感的に理解させてくれる。

大地と海の境界で悠久の歴史を
感じたいところだが、
実はそうした感慨に耽るのは容易ではない。

何故なら、地の果てを見たいと望む者は
自分だけではないからだ。

観光客、人、人、人。

岬は人でごった返す。
ツアーに組み込まれているので
途切れることが無い。

ツアーバスだけではない。
一時間に一本の路線バス一杯の観光客が
やってきては帰ってゆく。

これらのバスを使う限りにおいては
自分もまたそのうちの一人にしかなれない。

夜闇の中で暗い海を見たところで
危険と隣り合わせでしかないため、
人が少ない時間を狙うなら必然的に早朝になる。

自分の足で未明から向かうか、
タクシーなどを利用するか、
いずれにせよ手軽ではない。

ついでに言うと、
同じことを考える者もいるだろう。

なお、本邦の観光地のように安全に配慮され
柵が設けられているというわけではない。

足を踏み外せば海の藻屑、
断崖となっている箇所もあるので
悪ふざけなどはしないように。

2018年11月26日月曜日

モロクトカゲ

足からを吸い上げる驚異のトカゲである。

体は小さく、手の平に乗る程度である。
小さくて可愛いため飼いたいという者も多いが、
オーストラリア政府の保護によって流通は少ない。

ウルル、いわゆるエアーズロック周辺に
生息しており、過酷な砂漠に順応する
様々な特徴を備えている。

体中に棘があり、斑のある茶色の体は
周囲の風景に溶け込む保護色である。

だが、モロクトカゲ最大の特徴は、
冒頭でも書いたように
水を吸い上げる能力であろう。

彼らが水たまりに足を踏み入れると、
水は皮膚の表面を伝って口まで流れていく。

毛細管現象によって、水が移動するのだが、
舌で舐めとる場合と異なり、
わずかな水分も逃さずキャッチする。

体が少しでも濡れると、
その水が口元へ移動するため、
霧を飲むことすらできる。

主な食べ物はアリで、
アリの行列を探して歩き回る。

英語ではソーニーデビル、
イバラの悪魔と呼ばれているのだが、
モロクトカゲの名も悪魔と関連がある。

ユダヤ教徒が悪魔として記している
モロクという神から拝借された名前なのだ。

母の涙と子供の血に濡れた魔王と呼ばれる
モロクの名を、体表から水を集める
このトカゲに付けた生物学者は
中二病の気があるのではないだろうか。

2018年11月25日日曜日

アルマジロ

アメリカ大陸に生息する
鎧を着こんだネズミのような動物である。

ネズミと比べれば大きく、
最大のもので人の幼児ほどにもなる。

鎧は毛が鱗状に変質したものであり、
想像以上に堅い。

穴を掘って眠るのだが、
この行為が農地を荒らし、
かつ数を増やしているため駆除の対象となる。

その際にアメリカ人は銃を使うのだが、
丸く湾曲した甲殻は銃弾を弾く場合がある。
傾斜装甲の要領である。

この弾かれた銃弾が人に当たったという
事件が時折起きており、現地警察は
アルマジロを駆除する際には
散弾を使うよう呼び掛けている。

アルマジロの腹部には鱗が無く、
柔らかいため外敵に襲われると
丸まって防御姿勢を取る。

ただし、完全に球状になれるのは
ミツオビアルマジロの仲間だけで、
他の種類には隙がある。

ちなみにアルマジロは南アメリカでは
よく食べられる食材である。
北アメリカでも駆除後に食べる者もいる。

味はとてもジューシーな豚肉といった風情で、
かなり美味い。

もちろん、部位によってその味わいは異なり、
一番美味なのは頬肉だろう。

ただし、鱗と毛の処理が面倒なのが難点である。
鱗が食べられないのはもちろんのこと、
毛は消化に悪すぎて食べれば腹を下すという。

アルマジロを食べるというと
奇抜な印象を受けるが、
数の多い農害獣でかつ美味いのだから
どちらかと言えばポピュラーな部類だろう。

とはいえ、飼育され万全な状態で
加工される豚肉を食べた方が安全で楽である。

人類が積み重ねてきた家畜の飼育技術と
安定供給力を思い返してみるといいだろう。

2018年11月24日土曜日

バレッタ

地中海の中ほどにある島国マルタの首都である。

バレッタの名はマルタ騎士団の総長
ジャン・ド・ヴァレットに由来する。

マルタ騎士団はとにかく地中海の覇権を
オスマン帝国に渡すものかと
戦い続けた存在だが、ほとんど海賊である。

宿敵はオスマン帝国配下の
バルバリア海賊のため、
海賊と海賊が戦っていた構図だ。

マルタ騎士団は元々十字軍の際に
結成された修道騎士団
聖ヨハネ騎士団であった。

聖地巡礼のための宿泊施設を作り、
そこに病院を併設していたことで
ホスピタル騎士団と呼ばれるようになった。

十字軍が敗退するとキプロスへ逃れ、
この頃から実質的な海賊となる。

キプロス王が彼らをひどく疎んじたため、
騎士団はビザンツ帝国のロドス島を
奪ってそこに拠点を移した。
以来、ロドス騎士団と呼ばれるようになる。

島を奪ったこともそうだが、
この頃にはもう完全に海賊であった。

だが、聖地から離れたキリスト教諸国にとっては
サラセン人と戦う唯一の騎士修道会であり、
多くの寄付が集まることになる。

なお、もうひとつ残っていた
テンプル騎士団は邪教崇拝の嫌疑をかけられ
冤罪によって異端審問を受け、
財産の没収に遭い解体されている。

オスマン帝国の大攻勢を受けてロドス島を
撤退した騎士団は、シチリア王から
マルタ島を借り受ける。

以来、マルタ騎士団と呼ばれるようになり、
騎士修道会と海賊のふたつの顔を持ちながら
存続していく。

ただし、宗教改革の時代を迎えると、
徐々に衰退、現在は領地を失い
国土無き準国家として活動している。

さて、マルタ島は地中海の争点として、
古くはカルタゴとローマ、
サラセン人とノルマン人、
フランスとイングランドなどによって争われた。

最終的にイギリス連邦マルタ共和国となり、
現在に至っている。

大聖堂はバレッタではなくイムディーナにあり、
バレッタには聖ヨハネ騎士団、つまりマルタ騎士団の
本拠地とも言える聖ヨハネ准司教座聖堂がある。

聖堂と言うより要塞なのだが、
有名なカラヴァッジオの絵画が複数あり、
それを見るために訪れる者も少なくない。

なお、バレッタの街は世界大戦時に空襲を受け、
その際に破壊されてから修復されずに
廃墟のまま保存されている建物もある。

バレッタの街を訪れるなら
ぜひとも海から船で入港してほしい。
港湾要塞であることがよくわかるからだ。

街並みだけでなく、地中海の青い海が
楽しめる観光地のため、
旅行先の候補としてみるといいだろう。

2018年11月23日金曜日

サンマリーノ

イタリア半島に存在する小さな国
サンマリーノ共和国の首都である。

キリスト教がローマに受容される以前、
皇帝から迫害を受けていた頃に、
キリスト教徒潜伏の地であった。

マリヌスという石工が迫害を逃れ
山中にキリスト教徒の共同体を作った。

この山の隠れ里というものは、
強固な砦のようなもので、
周辺貴族の侵略を独力で撃退した実績を持つ。

中世には教皇から独立を許され、
ウィーン会議でもサンマリーノが独立国家で
あることが再確認されている。

この教皇からの承認をもって、
正式な共和国建国となるのだが、
現存する共和国としては世界最古である。

イタリア統一運動の際に統合されそうなものだが、
むしろその統一に貢献したことから、
却って独立国としての尊重を受けることになる。
立ち回りが上手かったのだろう。

現在欧州連合には加わっていないが、
ユーロが流通し、他の国同様独自デザインの
貨幣を発行している。
やはり、立ち回りが上手い。

チーズ、ワインなどの生産も行っているのだが、
経済の基幹は観光と切手の発行だ。

特に土産物に力を入れており、
伝統的に陶磁器の産地であったことから、
陶磁器店が軒を連ねる。

面白いことに、土産物として、
日本刀ショップと銃ショップが多いことだ。
どちらも模造刀と玩具銃だが、
本物も売っている。

銃はともかくとして日本刀は意外である。
ヨーロッパ人の日本マニアが持っている日本刀は
案外サンマリーノ産が多いのかもしれない。

ちなみに他の武器類も土産物屋の定番である。
多くは刃引きされたなまくらだが、
メイスや斧などは十分殺傷力があるので注意だ。

大聖堂についてだが、
バシリカはあるがカテドラルは無い。
大聖堂としての機能はあるのだが、
ここは割愛しておこう。

イタリア半島である。
大聖堂並の聖堂などごろごろしている。

さて、サンマリーノの観光名所であるが、
是非とも山岳要塞を堪能してほしい。

随所に築かれた要害は、
ティターノ山全体を城と化している。

城と聞くとシャトーや天主閣を
イメージしてしまう方も多いと思うが、
実用の美を堪能してほしい。

ちなみにサンマリーノは山頂の街なので
観光に際してはロープウェーのお世話になる。

なかなかに印象深い旅行となるだろう。

2018年11月22日木曜日

ヘンルーダ

地中海を原産地とする香草である。

本邦ではヘンルーダと呼ばれているが、
実はこの名称は本邦でしか通用しない。

多くの国では単にルー、あるいはルータ、
ルートなどと呼ばれている。

特に品種を指定するような場合には、
英語ならコモンルーのような呼ばれ方をする。
コモンとは一般的な、という意味だ。

本邦へは江戸期にオランダ人が持ち込んだ。
オランダ語ではヴィンルートである。

これが訛っていつの間にか
ヘンルーダとなっていたわけだ。

爽やかな苦みを楽しめるハーブだが、
微量の毒性があることが知られるようになり、
利用は廃れていった。

大した毒ではないのだが、
肌が弱い者が触れればかぶれるし、
妊婦が摂取すれば流産の危険がある。

小さな黄色い花は見応えがあるとは言えず、
その葉は蝶の幼虫の大好物である。

つまるところ、現代では
あまり有用性のない植物なのだ。

だが、昔は薬草として重宝されていた。
主な効能は痙攣を鎮めることである。

製油したルーオイルは、
芸香と書いて うんこう と読まれ、
本の虫食いを防ぐとされた。

また、古代ローマでは視力を高める効能が
あると信じられていたようで、
目をよく使う職業の者が服用していた。

女性の月のものがなかなか来ない際に使う
通経剤としての効能は確認されている。
この効能が前述の流産の危険性に繋がるのだ。

いずれにせよ、現在では
わざわざヘンルーダを栽培し
利用する必要性は薄い。

イタリアの蒸留酒グラッパの香り付けに
使われることがある程度だろうか。

なお、魔術関連の文献に当たっていると、
しばしばヘンルーダを使用した
呪術が登場する。

薬の材料であったり、香として焚いたり、
よくわからないがとりあえず
それらしいものの名前を
列挙する際に加えられたりする。

恐らく、ハーバリストが堕胎薬として
使っていたイメージの名残で
魔女と結び付けられているのだろう。

悔恨という花言葉も由来はきっと
堕胎がらみだろう。
いずれにせよ、気分の良い想像は難しい。

ちなみに、ミカンの仲間の植物である。

2018年11月21日水曜日

パンゴリン

鎧を着込んだアリクイのような生き物である。
本邦ではセンザンコウと呼ばれる。

鎧といえばアルマジロが有名だが、
センザンコウの場合、
大きな鱗が松ぼっくりのように重なり合う。

その姿はまさにスケイルアーマーを着込んだ動物だ。
鱗は尖っており、ハリネズミのように
攻撃的な防御効果を持っている。

なお、センザンコウは穿山甲と書く。
山を穿つ甲殻である。

まるで神話生物だ。

長い舌でアリやシロアリを舐め取って食べるため、
姿が似ていることも併せて
長らくアリクイの仲間だと思われていた。

アフリカから東南アジアにかけて生息しており、
いくつか種類が存在するが、
いずれも絶滅が危惧されている。

古来その鱗が薬として珍重されてきたためだ。
インドではリウマチに効くとされ、
チャイナでは媚薬とされてきた。

サイの角同様、毛が変質したものであるため、
当然そんな効能は無い。

アフリカでは魔除けになると信じられていたが、
媚薬と比べると理解しやすい。
外敵から身を守る護符としてはとても納得がいく。

だが、媚薬は理由が定かではない。
本草綱目に記載があるのだが、
媚薬として書いた李時珍の罪は重い。

というのも、現代でもその媚薬としての効果を
信じている者が多く、密猟されたセンザンコウの
鱗が密輸される事件が発生する。

ワシントン条約で取引が禁じられている動物のため、
剥製を売買するだけでも罪に問われる。

それが、鱗だけでトン単位で密輸されるのだ。
価格にして億単位である。

絶滅危惧種だというのに密猟される数の桁が違う。
ほとんどはアフリカからチャイナへと流れる。

ところで、本草綱目は博物誌のようなものである。
大プリニウスの博物誌もそうだが、
そこに書かれた内容は後世へ大きく影響する。

私も嘘、大袈裟、紛らわしいことを恐れず
記事を書いているが、もし仮に数百年単位で
読み継がれるようなことがあっても、
このセンザンコウの例のようなことには
ならないよう気を使っている。

今の時代に情報過多のインターネットの片隅で
書いているものが後世に影響を与えるとは
思えないが、一応、最低限の配慮はしている。

天が落ちてくるのではないかと憂いた
杞国の人々のような心配ではあるが、
この もどき が後世、歴史的資料と
されてしまったらどうしよう。

などと、妄言を吐くのであった。

2018年11月20日火曜日

ポルダー

水深の浅い入り江や湖沼から水を抜き、
干上がらせて陸地とすることを干拓というが、
ネーデルラントの干拓地をポルダーと呼ぶ。

ネーデルラントは元々氷河によって削られた地形で、
そこに土砂が堆積して海抜の低い土地が形成された。

このため、湿地が多く、海水面が上昇すれば
度々水浸しになる地域であった。

かつてネーデルラントをえぐるように存在した
ゾイデル海はこうした理由から拡大し続け、
かの地を侵食していった。

だが、ネーデルラント人は巨大な入り江と化した
ゾイデル海の出口に大堤防を築き、
長い年月を掛けてその水を抜いてしまった。

堤防には水門が設けられており、
干潮時には門が開けられ海水が出て行き、
潮が満ちる前に締め切ることで
かなりの水を抜くことができる。

その後は風車の動力によって水を汲み上げ、
地道に海水を排出していった。

陸地を増やすこと、それは農地を増やすことであり、
食料生産量を増やし、人口を増やすことができる。

更には数多く建てられた風車は、
様々な労働を機械化し、
ネーデルラントに多くの産物をもたらした。

それだけではない。
風車の羽に使われる帆布や、木工技術の発展は、
そのまま船舶へと応用され、ネーデルラントの
海運立国を下支えすることになったのだ。

土地を広げ、商品を生み出し、交易を強化した
ネーデルラントは、海洋帝国に成長する。

世界は神が造ったが、ネーデルラントは
ネーデルラント人が造ったという言葉がある。

自然への挑戦、自然の管理。
ヨーロッパ人は自然を克服し、
意のままにすべき対象と考えている節があるが、
ネーデルラント人はその気風が特に強い。

そういえばチャイナの歴史も治の歴史である。
彼らも自然とは人の手で
造り変えていくものだと考えている気がする。

ちなみに、本邦でも干拓は埋め立てと並んで
盛んに行われてきた。

神田山を削り取り、日比谷湾を埋め立てて
江戸を造るようなこともしている。

だが、どちらかと言えば、
本邦は自然には逆らわず、
諦めて従う傾向が強いように思う。

その土地土地で自然との向き合い方は違う。
そうした違いが異なる文化を生み出し、
文化と文化の衝突が更なる文明を築き上げる。

こうして、人類の歴史は造られてきた。
世界は神が造ったのかもしれないが、
歴史は人が造るものなのである。

2018年11月19日月曜日

アイセル湖

ネーデルラントに存在する湖である。

ローマ帝国時代には存在せず、
少しずれた位置にフレヴォ湖があった。
フレヴォ湖と海との間は湿地帯だったという。

だが、万聖節の洪水と呼ばれる事件により、
海面が湿地帯を越えてなだれ込み、
フレヴォ湖を海の一部へと変えた。

湿地帯であった場所はワッデン海となり、
ここは現在でも潮の満ち引きによって
海になったり干潟になったりする。

広大な範囲が干潟になるため、
中には島も含まれている。
満潮時に海の中にある島に、
干潮時には歩いて行けるのだ。

一方、フレヴォ湖はゾイデル海となった。
ワッデン海とゾイデル海の間には砂丘があり、
完全には海と繋がっていなかったという。

そして聖ニコラスの洪水によって
ゾイデル海は隣接していた泥炭地を
飲み込んで拡大する。

洪水が発生日の守護聖人の名で呼ばれているのが
なんともエキゾチックだが、
ワッデン海とゾイデル海の間の砂丘を破壊した
洪水にはこの手の名前がついていない。

ワッデン海とゾイデル海が繋がった数年後、
聖ルチア祭の洪水によって、
このふたつの海は更に拡大、
北海と完全に接続した。

アムステル河畔にあった村が
北海へ船を出せるようになり、
後のアムステルダムとなる。

ゾイデル海が拡大し続けることは
人々の目に明らかであったため、
ダイクと呼ばれる堤防が築かれ、
対策が講じられた。

しかし、聖エリーザベトの洪水によって
ダイクは破壊され、
多くの村が海底に沈んだそうだ。

ネーデルラント人が干拓を行い、
海を陸地に変えてやろうと考えたのは、
陸が海になる恐怖を経験したためなのだ。

ゾイデル海とワッデン海の間に巨大堤防
アフシュライトダイクが建設されたのを皮切りに、
ゾイデル海はどんどん陸地へと変えられていく。

大堤防によって淡水化したゾイデル海は、
すべてがポルダーに変えられたわけではない。
アイセル湖の名で一部が残されている。

また、ゾイデル海の南西部分は
ハウトリブダイクという堤防が築かれ、
アイセル湖と分離、マルケル湖となっている。

しっかりとメンテナンスをしていると思うが、
もしも大堤防アフシュライトダイクが
決壊したら、再びゾイデル海が姿を現すだろう。

ゾイデル海だった陸地はフレヴォラント州である。
はじまりの湖、フレヴォ湖の名は
ここに残されているのだ。

2018年11月18日日曜日

ヴァチカン

ローマ教皇庁である。

皇居の半分以下のこの場所を
街として紹介するのは間違っているかも
しれないが細かいことはいいことにしよう。

聖ペテロ大聖堂、ヴァチカン宮殿など
の建物があるが、実質的に
サンピエトロ寺院の境内がすべてである。

ただし、ヴァチカン外にもヴァチカン市国の
治外法権が認められている建物は
複数存在する。

この場所は元々ウァティカヌスの丘と
呼ばれるローマ郊外であり、
死者の埋葬される聖地であった。

そこでキリストの使徒ペテロが殉教し、
埋葬され、その墓の上に教会が建てられた。
ヴァチカンの始まりである。

ヴァチカンがカトリックの本拠地ではあるが、
昔は教皇領は数多く存在し、
教皇自身もヴァチカンではなく
ラテラノ宮殿に住まうのが恒例だった。

だが、ラテラノ宮殿はアヴィニョン捕囚時代に
火災によって失われ、ローマへの帰還を果たした
教皇はヴァチカン宮殿が建設されるまで
聖マリア奉納大聖堂を仮住まいとする。

時代と共に教皇領は失われていき、
イタリア統一によってローマとラティウムのみが
教皇領となってしまう。

結局ヴァチカン以外の教皇領はすべて失われ、
ベニート・ムッソリーニによる
教皇との和解、ヴァチカン市国の成立まで
ヴァチカンの囚人と呼ばれる状態にもなっていた。

ヴァチカンの軍備に関しては
伝統的なスイス人傭兵が存在する。

だが、彼らの武装は近代化されておらず、
近年では催涙スプレーを携行しているようだ。

ヴァチカンについて面白い話がある。
ローマ市民は国際郵便を利用する場合、
ヴァチカンへ行き、ヴァチカンの切手を買い、
ヴァチカンのポストに投函するという。

イタリアの郵便サービスよりも、
ヴァチカンのそれの方が速くて確実なのだそうだ。

全世界のカトリック教会を総括する場所なのだから、
国際郵便の頻度が高いのも頷ける。
当然、その信頼性は強固なものだろう。

2018年11月17日土曜日

セミ

スピーカーのような虫である。

羽をこすり合わせて音を出し、
腹部の空洞によって音を共鳴させ、
大音量で鳴き続ける。

雄の成虫の体は音を出すことに特化しており、
本邦の夏の風物詩となっている。

本邦ではその鳴き声が夏の象徴として、
愛されているかどうかはともかくとして、
一般に認知されている。

だが、海外ではノイズでしかなく、
本邦のアニメ作品で夏を象徴する
音声として起用されていても
あの音は何だと不思議がられるという。

彼らはその生涯のほとんどを
幼虫として地中で過ごす。

太古の昔には一年ごとに成虫となり、
毎年多数のセミが鳴き交わしていたが、
生存競争の激化により、
同じ年に成虫となる数を減らし、
年度をずらすようになっていった。

その結果、現在のセミたちは
七年、十一年、十三年といった
素数の年毎に成虫となり、
同族同士の争いを避けている。

ちなみに鳴くのは雄である。
雌は共鳴機関の代わりに卵巣など
生殖に関わる機能が腹部に詰まっており、
大音量で鳴くことはない。

大陸ではセミの幼虫が羽化し、
成虫となる様を神格化し、
羽化登仙という言葉が示すように、
不老長寿と結び付けて考えられてきた。

対して本邦では成虫となってから
短期間で死んでいく様を重視し、
諸行無常の切なさの象徴とされてきた。

また、幼虫が殻を残して羽化することから、
残った殻を うつせみ と呼び、
様々な文物に影響を与えている。

世界的には食用とする地域が少なくない。
古くはギリシアのアリストテレスが
羽化する前の幼虫のセミの美味を語っており、
昆虫記で知られるファーブルもその味を確かめた。

もっとも、ファーブルは
客人に出せる料理ではない
と評している。

漢方薬の素材としても使われており、
解熱作用があるとされている。

現在の漢方処方にも記載されており、
使われるかどうかはともかくとして、
薬局で取り扱われている。

戦後の食糧難の時期には本邦でも
成虫を味噌につけて食べたと言われており、
私の祖母も食べたことがあると言っていた。

おそらく雄は食べる所が少ないため、
美味いのは雌が幼虫だろう。

ファーブルも調理法を誤ったのでは
ないだろうかと思う。

ちなみにセミに尿をかけられる事例が
枚挙にいとまがないが、
彼らの排泄する尿はほぼ真水である。

2018年11月16日金曜日

アガラス岬

アフリカの真の最南端である。

喜望峰を最南端だと誤って目指す旅人が多く、
喜望峰には観光客が満ち溢れている。

バックパッカーたちの多くも
喜望峰をゴールに定めてアフリカを縦断する。

バルトロメウ・ディアスが喜望峰に
到達したことはまともに歴史を学べば
誰しも知るところである。

なので、喜望峰の知名度は極めて高いが、
アガラス岬のことは学ぶ機会が無いのだろう。

ところで古代ギリシアのヘロドトスが著した
歴史には、エジプトのネカウ二世が
フェニキア人にアフリカ南部の海洋探索を命じ、
最南端を発見したと記されている。

赤道を越えたことが無かった地中海人たちは
星や太陽の運行がおかしいため
この記録は正しくないと判断していたが、
むしろその記述は正しいものである。

つまり、大航海時代より二千年も前に、
アフリカ東岸から船で南下し、
アガラス岬に到達した者たちがいた可能性が
極めて高いということだ。

胸の熱くなる話である。

それはそうと、喜望峰が観光客でいっぱい
なのに対してアガラス岬は穴場的スポットである。

あなたは今アフリカ大陸の最南にいますと
書かれたモニュメントがあるのだが、
そこで記念撮影をすれば右は大西洋
左はインド洋という貴重な写真が撮れる。

殺風景な場所だが、世界の果てを感じるには
むしろ丁度いいのかもしれない。

2018年11月15日木曜日

喜望峰

アフリカの南端として名高い岬である。

実は最南端は別の岬なのだが、
ここが南端としてよく知られている。

名前についても微妙なところで、
英語ではケープ オブ グッドホープなのだが、
岬であるケープが峰と訳されている。

峰とは山の特に高い部分のことなのだが、
何らかの誤訳でもあったのだろうか。

また、グッドホープは良い意味合いでの
希望と訳すことができるのだが、
何故か喜望という造語が当てられている。

そもそも、発見者のバルトロメウ・ディアスは
この岬にカーボ トルメントソと名付けた。

ポルトガル人はアフリカのどこかにあるという
キリスト教徒の大国、プレスタージョンの国を
探してアフリカの探索を続けていた。

ギニア湾からいくら南下しても左手に
見える陸地は途切れる様子が無い。

だが、いつかアフリカの南端を越えて
東岸に至る航路を見つけられるだろうと
信じて冒険を続けていた。

ナミブ砂漠が途切れ、
再び緑の大地が見え始めた辺りで、
ディアスは二週間にも及ぶ大嵐に遭う。

嵐が去った後、完全に陸地を見失っていた。
当時は沿岸航法といって、陸地が見える距離を
陸伝いに進むのが常道であった。

や食料も尽きてしまうのでディアスは
とにかく陸地へ戻ろうと東へ進路を取るが、
どこまでも海が続いていた。

おそらくそのまま東へ進み続けていたら、
ディアスの船団には餓死か嵐での沈没という
悲惨な末路が待ち受けていただろう。

そう、南端を越えるほど
南下してしまっていたのだ。

この可能性を疑ったディアスは、
船団の進路を北に向ける。
素晴らしい判断である。

こうして辿り着いたのが喜望峰であった。

九死に一生を得たディアスは、
悲惨な嵐を思い起こし、この岬に嵐の岬、
カーボ トルメントソと名付けた。

しかし、後にポルトガル王によって
東岸への道が切り開かれたことの喜びを称えて
名前の変更が行われた。

カーボ ダ ボア エスペランサ。
英語でケープ オブ グッドホープである。

なお、その後のディアスはベテランの先達として
ヴァスコ・ダ・ガマをヴェルデ岬へと案内している。

また、ペドロ・アルヴァレス・カブラルの
ブラジル探検にも同行した。

さて、喜望峰に話を戻そう。
この地はしばらく単なる南端の目印として、
航路の際に目視されるだけの場所だった。

アフリカ東岸の探索が進むと、
ルアンダからソファラまでの航路の間に
補給港の必要性が議論されるようになる。

そこで白羽の矢が立ったのが喜望峰であり、
ここにケープタウンが建設された。

ところで、喜望峰にはダチョウとペンギンがいる。
飛べない鳥が好きな私としては
この点だけでも非常に興味をそそられる。

それに加えて上記の歴史的意義があり、
更にはケープタウンという大都市があり、
その背後にはテーブルマウンテンが存在する。

これほど冒険心をかきたてられる場所も
そう多くはないのではないだろうか。

南アフリカの治安の悪さが気になる所だが、
ケープは比較的ましだという話も聞くことだし、
いつかケープペンギンを愛でに行きたいと思う。

2018年11月14日水曜日

プレトリア

南アフリカ共和国は首都機能を
三つの都市に分散している。

司法府のあるブルームフォンテーン。
立法府のあるケープタウン。
そして、行政府のあるプレトリアである。

ブルームフォンテーンは花の泉を意味し、
その名を意識してのことか
随所で薔薇の花が栽培されている。

街中に薔薇が咲き誇ることから
薔薇の都市の別名を持ち、
ローズフェスティバルが開催される。

ネオケープダッチ様式の建物など、
植民地時代の建築を見て回るのがいいだろう。

聖アンデレ聖ミカエル大聖堂は
赤煉瓦のコロニアル様式だ。

ケープタウンは岬の町という意味であり、
有名な喜望峰に臨む街である。
アフリカーンス語ではカープスタッドとなる。

大西洋とインド洋を別つアフリカ南端部を
越えようとする船舶の補給港として
オランダ東インド会社によって建設された。

あくまで補給物資の集積と管理ができれば
良かったため、東インド会社は入植者に
大幅な自由を与えたという。

その結果、ケープタウンはアフリカ有数の
都市へと成長してしまう。
増加する入植者たちが元の住民たちと
動植物を駆逐した結果だ。

なお、街の後背にはこれまた有名な
テーブルマウンテンが鎮座しており、
特徴的な風景を作り出している。

気候が良く、名所に富み、治安も比較的
良いことから観光地として人気で、
何よりペンギンがいる。

聖公会の大聖堂は聖ジョージ大聖堂で、
重厚なゴシック様式だ。
グッドホープ城と共に見所と言えるだろう。

最後にプレトリアだが、
国際的には行政府のあるこの街が
首都として機能している。

この街の名はイングランド支配に抵抗した
ボーア人の名に因むが、都市名を
ンデベレ族首長を指すツワネに変更した、
ようなのだが、なんだかうやむやになっており、
国際的にはプレトリアのままである。

ブルームフォンテーンが薔薇の街なら、
こちらはジャカランダの街である。

街路樹として数多く植えられている
ジャカランダ並木は
さながら紫の桜並木のごとしだ。

この街は元々トランスヴァール共和国の
首都であり、反イギリスの気風が強い。
ボーア人の首都なのだ。

そのため聖公会の力は強くなく、
代表的な大聖堂はカトリックの聖心大聖堂だ。
基本に近いゴシック様式で建てられている。

以上、同時に三都市を紹介したが、
それぞれがそれぞれの地域の首都的な
性質も持っている。

首都機能は無いが大都市であるヨハネスブルクも
くわえて四ヵ国の連邦のような
雰囲気もあるように思う。

南アフリカの歴史の紹介は省いたが、
ご存知のようにとても複雑な経緯を持つ国だ。
そして全体的に治安が悪い。

幸いなことにケープは比較的治安が良いので、
喜望峰とテーブルマウンテン、
そしてペンギンを見に行きたい。

2018年11月13日火曜日

ヘマタイト

赤鉄鉱や鏡鉄鉱と呼ばれる鉱物である。

稀に薔薇状で産出することがあり、
鉄の薔薇、アイアンローズなどという
格好いい呼び名もある。

代表的な鉄鉱石であり、
通常は精錬され鉄材となる。

ヘマタイトの名がギリシア語の
血の石に由来するように
酸化鉄らしい赤い色をしているが、
金属光沢を持つ黒いものも存在する。

黒く光沢の優れたものは磨かれ、
貴石として扱われて装飾品に
用いられるのだが、これがまた美しい。

宝石類の美しさというよりも、
磨き抜かれた鉄としての
質実剛健な美しさを感じる。

私が子供の頃、鉱山見学の土産物に
小さな鉱石が色々と取り付けられた
キーホルダーを買ってもらったことがある。

その中で私を一番魅了したのが
このヘマタイトだ。

面白いのがこの黒一色のヘマタイト、
削ると粉末が赤い。

酸化鉄なので当然とも言えるが、
輝く黒石が鮮やかな血の色になるのは
なかなかに衝撃的である。
血の石と名付けられたのも頷ける。

呪術的にも血液に関する傷病の
治癒を願う護符として用いられていた。

また、鏡鉄鉱の別名が示すように、
鏡として用いられることもあった。

鏡と言っても古代の鏡は黒曜石の鏡のように、
自分の顔を克明に見られるようなものではない。

技術が発達する以前は
自分の顔を見ることすら一苦労だったのだ。

ところで貴石の類はパワーストーンとして
おまじない好きの心を惹きつけてやまないが、
ヘマタイトはそれほど人気が無いようだ。

あまり突飛なことは書かれておらず、
伝統的な説明のみなことが多いのは
不人気が理由かもしれない。

2018年11月12日月曜日

ローマ

ローマである。

それ以上の説明など必要だろうか。
人類史上に燦然と輝くローマである。

もっとも、冷静に見るならば、
長い歴史の中でローマが煌めいていたのは
一時期のことではある。

それでも、過去の栄光は現在も
その名を照らし続けており、
地球上のあらゆる場所から
ローマを一目見ようと人々が集まる。

名所や名物を敢えて挙げるのも野暮だろう。
偉大なるローマ帝国の歴史を語るのも
私の役割ではないように思う。

なので、ローマのはじまりの話をしよう。
ローマは一日にして成らずである。

伝説によればローマが建設されたのは
イリアスやオデュッセイア、
つまりギリシア神話で
語られる時期の少し後である。

愛の女神の息子とされる
トロイア王族の生き残りアイネイアスは
滅亡した国を離れ安住の地を求めて旅をした。

デロス島で祖先の地を目指せとの託宣を受けた彼は
トロイア人の祖テウクロスが生まれたとされる
クレタ島を目指した。

だが、クレタ島で彼は別の始祖
ダルダノスのことを聞かされる。
つまり、託宣のあった祖先の地とは
クレタ島ではなかったということだ。

しかし、始祖の地へは二頭の怪物、
スキュラとカリュブディスの住む
メッシナ海峡を抜けなければ辿り着けない。

オデュッセウスの行く手を阻んだ
あのメッシナ海峡である。

賢明な彼はメッシナ海峡を避けるため、
シチリア島を大きく迂回し、
西からイタリア半島へと到達した。

彼が辿り着いたのは肥沃なラティウム。
平らな土地という意味の名を持つその地に、
現在のローマはある。

だが、事は平和裏には進まなかった。
アイネイアスは現地の政治的軍事的均衡を崩し、
大きな戦争を引き起こす。

だが、この戦いの勝者となったことで、
彼はラティウムの有力者となり、
アルバ王家の始祖となる。

時は流れ、アルバ王家に王位継承争いが勃発した。
弟は王位を継いだ兄を追放し、自らが王になると、
兄の一人娘を神殿の巫女とした。

神に仕える巫女は婚姻を許されないため、
兄の家系の断絶を狙ったのだ。

しかし、巫女は軍神に見初められる。
神との婚姻なのだから誰も咎めることはできない。
こうして、巫女は双子の息子を生んだ。
ロムルスとレムスである。

王がその双子の王位継承権を認めるわけがない。
兵を差し向け殺害を命じた。
だが、兵士は赤子を殺すことを躊躇い、
籠に入れて川へと流す。

双子は岸に流れ着き、河畔に住む狼に育てられた。
成長した双子はやがて人々を率い
悪しき王へと挑むことになる。

双子は共に王となり、新たな都を築こうとしたが、
その場所について兄弟で意見が割れ、
次第にふたりの仲は険悪になっていった。

そして、決裂の時を迎える。
勝利したロムルスはパラティーノの丘に
自身の名に由来する都市ローマを建設したのだった。

ローマの建国神話である。

本当はこのままローマの歴史を書き連ねたいが、
そういうわけにもいかないので
続きが気になる方は先達の名著に当たってほしい。

ところで、ローマ通を自認する知人曰く、
ローマで最も働き者なのは詐欺師であるという。

真偽はともかくとして、
ローマは世界中から訪れる
観光客慣れした大都市である。

旅人を狙った犯罪は枚挙にいとまがないため、
歴史に触れて感動するのも大事だが、
自衛を怠らぬよう注意されたし。

2018年11月11日日曜日

マラカイト

緑色の孔雀石のことである。
青いマカライトではない。

銅に由来する美しい緑の鉱物で、
基本的には緑青そのものである。

実際には他にも色々と混ざっているが、
銅錆であるため脆い。

毒があると言われているが、
緑青自体は人体に対して
ほとんど毒性を持っているとは言えない。

しかし、砒素が混入している
ケースが多いため、
緑青には毒があると言われるのだ。

孔雀石の名は緑の縞模様がクジャクの羽を
彷彿とさせるため付けられた。

古くから貴石として珍重され、
翡翠や瑪瑙ラピスラズリと共に
呪術的な力を持つと考えられてきた。

産出は珍しくなく、
顔料としての利用も盛んである。
本邦では青丹や岩緑青と呼ばれる。

クレオパトラ七世のアイシャドー
としても有名だ。

だが、孔雀石が真価を発揮するのは
工芸品へと加工された時だろう。

特にロシア皇帝が孔雀石の調度品を好み、
サンクトペテルブルクには
これでもかというほど見事な装飾がある。

エルミタージュ宮殿の孔雀石の間は
白と緑と黄金の絢爛たること
天上の如しである。

この至高の空間が宮殿の一部でしかないこと、
この宮殿全体が美で満ち溢れていること、
エルミタージュは離宮に過ぎないこと、
これらのことを考えると皇帝になりたくなる。

あれがすべて自分のものだと想像すると、
物欲のゲージが振り切れてしまいそうだ。

それはそうと、例によってパワーストーンとして
売り文句が色々とあるわけだが、
エネルギー的毒素を吸い取ってくれるそうだ。

毒素を貯め込むのでこまめな浄化が必要らしいぞ。
香草のセージや天然の岩塩、麻やシルク、
月光などで浄化できるとのこと。

何を言っているのだ。

2018年11月10日土曜日

ハボローネ

アフリカ南部の内陸国ボツワナの首都である。
リムポポ川が流れ、降雨量も少なくない。

ボツワナの人口のほとんどはツワナ人である。
ツワナ人は八つの部族に別れていて、
それぞれに首長が存在する。

広大な盆地でもあるカラハリ砂漠の国であり、
手付かずの自然が残され、数多くの野生動物が
生息していることで知られる。

そんなボツワナの首都ハボローネは非常に
現代的な都市である。

独立当初は最貧国の一角であったが、
アフリカの中でも特に民主主義が
機能している国であり、
安定が成長を後押しした。

オラパ鉱山は世界最大級の
ダイヤモンドの産出地であり、
これがボツワナを発展させる原動力となる。

賢明にもダイヤモンドの収益は
教育と医療、インフラに使われ、
現在の発展したボツワナの姿を形作った。

ただし、ボツワナは深刻なエイズ蔓延国である。
一時期に比べるとエイズの流行は抑えられたが、
失われたものは多い。

ハボローネはガボローネと読まれることもあり、
元々はガベロンズと呼ばれていた。
ツワナ語はよくわからないが、
そう悪くはない場所というような意味だろうか。

それをヨーロッパ人が自分たち風に
読み替えたのがガベロンズである。

キリスト王大聖堂は
市民体育館のような見た目をしている。

正面に背の高いオブジェがあり、
その頂に十字架が無ければ
宗教施設だとはわからない雰囲気だ。

モスクは主なものは四つ。
いずれもそれほど規模は大きくないし、
観光向けには作られていない。

ちなみに、モスクは元々アラビア語では
マスジドであるが、スペイン人がメスキータと呼び、
それが英語化してモスクとなった。

ボツワナではアラビア語は外国語なので、
モスクとマスジドの両方の記述がある。

今後モスクではなくマスジドと記載していくが、
大聖堂のようにランク分けはされていないので、
観光地として著名なところだけを
紹介した方が良さそうだ。

アフリカ東部からは
イスラム教の割合がぐっと上がる。

話をハボローネに戻そう。
と思ったが、あまり観光名所は無い。
観光するなら街を出て自然を楽しもう。

ボツワナ料理はボホベというトウモロコシ粥が
主食としてはポピュラーだ。

スイカやメロンはこの地域が原産のため、
粥にメロンが入っていたりする。

飲み物はルイボスティーと
トウモロコシ酒チブクが有名である。
本邦の旅人の口に合うかはわからないが。

さて、エイズ禍で知られるボツワナであるが、
その災厄も終息に向かっている。

病魔さえなければ、サブサハラで最も民主的で
現代的な国家となっていたかと思うと、
やはりアフリカは辛い土地だなと感じてしまう。

2018年11月9日金曜日

フローライト

蛍石のことである。

蛍の火のように緑色をしているため
この名が付いたと思われがちだが、
カラーバリエーションは多い。

蛍石は熱すると発光するため、
この名が付けられた。

ただし、加熱すると割れてはじける。
儚い存在なのだ。

フローライトの名は
灯りが流れるという意味ではない。
フロールアイト、アイトは
ラテン語で石を指す言葉だ。

つまり流れる石という意味合いになる。
何が流れるかというと、
金属精錬の際の不純物だ。

蛍石は鉱石から金属を精錬する際に、
融剤として使われてきた。

蛍石に含まれる弗素化合物が
鉱石の中の不純物の融点を下げ、
精錬したい金属以外の物質を先に溶かす。

こうして浮き上がった鉱滓を除き、
金属の精錬を行ってきたのだ。

レンズの素材としても使われる。
フローライトレンズは軽量でかつ、
色を変化させにくいため、
高級なカメラや顕微鏡、望遠鏡に用いられる。

ただし、蛍石は高価な宝石ではないが、
大きなものは産出し難い。

このため、ごく小さなものを除けば、
フローライトレンズは
値段が高くなってしまう。

宝石としての蛍石は硬度が低く、
さほど珍しくないため
いわゆるジュエリーとしては扱われない。

アクセサリーを作っても
簡単に傷付いたり割れたりしてしまう。

それでもその美しさは人を魅了するため、
脆さを差し引いてでも蛍石で何かを
作りたいという者は少なくない。

近年では結晶体のままインテリアとして
飾られることが多いが、
小さな器や彫刻が古くから伝来している。

なお、パワーストーンショップへ行くと
手頃な値段で買うことができる。
ちなみに人工的に作りだすことも可能だ。

パワーストーンとしての売り文句は、
やはり光を放つことに着目するようで、
天才的な閃きなどと結び付けられている。

古来、貴石や宝石には力が宿るとされ、
魔除けや呪物として珍重されてきたので
その文化自体は素晴らしいものだと思う。

だが、販売のために新しい意味を
でっちあげるのはいかがなものだろうか。

2018年11月8日木曜日

ウィーン

エスタライヒの首都である。

オーストリアと書くとオーストラリアと
紛らわしいのでエスタライヒと記す。

現地語でエスタライヒあるいは
オスタライヒなのだが、
英語ではオーストリアである。

エーとオーの中間の音が
本邦の言語に存在しないため
エスタなのかオスタなのか判然としないが、
英語話者はこれをオーと判断した。

オースターとは東を意味する。
余談になってしまうがオーストラリアは
アウストラリアであり、
アウストラルは南を意味する。

つまりエストとアウストをどちらも
オーストにしてしまった者が悪い。

ただし、エスタライヒのエーストも
ラテン語で書くとアウストである。
本来の意味ではエストなのだが。

ひとしきり混乱したと思うが、
当のエスタライヒ人も気にしているようで、
表記をオーストリーにしてくれと
大使館から要請があったことがある。

当初は政府もオーストリーを使っていたが、
結局はなぁなぁになり定着しなかった。

オーストリーなどと半端なことを言わずに
エスタライヒと言えば良かったものを。

さて、首都のウィーンだが、
今回は歴史を長々と書くつもりはない。
何故なら区切るのが難しいからだ。
端折るのも容易ではないとベルリンで知った。

神聖ローマ帝国やハプスブルクのことを
書き始めるとややこしいのだ。

ならばいっそのこと全省略することにした。
悪しからず。

ちなみに元々はローマ軍の宿営地
ウィントボナである。

観光情報もインターネット上に
あふれかえっているので省略する。
誰もが憧れる観光地なのだから
いくらでも情報が得られる。

では大聖堂のこと以外に
何を書くのだとなったので
無駄に国名の話をした次第である。

シュテファン大聖堂も観光地として
有名すぎるので今更私が
何を書くのかという気がしないでもない。

とりあえず外観はゴシック様式で
尖塔は世界第三位の高さであり、
内装はバロック様式であるとだけ書いておく。

大聖堂以外の教会も相当なものが揃っている。
ヴォティーフ教会は中でも白眉なので
特記しておこう。

ウィーン料理は多民族国家エスタライヒらしく、
様々な地方の美味いものが混然一体となり、
帝都において洗練された結果である。

ウィーンは東西の交易路の目的地であり、
バルト海と地中海を結ぶ
琥珀街道の中間でもある。

街道の交点には東西南北の産品が集う。

ビザンツ帝国との結びつきによって
東方の香辛料が比較的
容易に手に入ったことも大きい。

歴史があり、名所があり、美味い料理がある。
旅行に当たっては、何日間行けるのか、
どこへ行くのか、いくら使うのか、
綿密な計画が求められる。

ところで次回のヨーロッパ枠はローマなのだが、
ウィーン以上の難所である。
むしろいっそのこと歴史の話だけしてみようか。

2018年11月7日水曜日

バニラ

非常に甘い芳香で知られる
蘭の仲間の植物である。

中央アメリカ原産で、一年を通して
暑い気候でなければ花実をつけない。

香料としてのバニラはこの植物の
種子から作りだすが、
そのままでは特に香りはしない。

あの甘い香りを生み出すには
発酵が必要となるのだ。

処理を経て甘い香りを放つようになった種子は
バニラビーンズと呼ばれて流通する。

カスタードクリームの中に混じっている黒い点、
あれがバニラビーンズだ。

発酵はあの小さな粒が沢山詰まった
鞘の状態で行われる。
その技術はトトナコ族の
秘伝だったと言われている。

ちなみに、花は一日で落ちる。

この一日の間に特定の蜂が花粉を媒介しなければ
種子が生ることはないため、
栽培の試みが幾度も失敗に終わった。

しかし、ある奴隷の少年が人工授粉法を編み出し、
以来バニラは大量生産されることになる。

現在我々が安価にバニラを利用できるのは
彼のお陰かもしれない。

もちろん、いつかは他の誰かが
考案していたかもしれないが。

さて、フレーバーテキストライターらしい話をしよう。

大量生産が可能となり、
バニラはアイスクリームの
標準的な味となった。

チョコチップだとかキャラメルリボンだとか、
カラフルなシュガーだとか、
特別なフレーバーの無いやつだ。

ありふれたバニラアイスの中に、
かつての高級香料の面影はない。

ここから転じて、バニラとは特徴や特典の無い、
つまらない凡庸な普通の存在を
指す言葉になってしまった。

トレーディングカードゲーム用語に
バニラカードというものがある。
特別な能力を持たない単純なカードのことだ。

一発逆転とはいかないものの、
低コストで数値上の強さがあるため、
好む者は好むのだが、ハズレ扱いされることが多い。

表現されるのはステータスと、
名前と絵とテキストだけ。

だからこそライターとして燃えるものがある。
何の特徴も無くとも、フレーバーテキストで
印象に残っていれば、凡百の中に埋もれはしない。

バニラフレーバーは元来は高級香料である。
このことを念頭に置いて今後も文字を綴ろうと思う。

ただし、敢えて何の印象も持たせず、
弱そうに見せる必要がある場合もある。

情けなさや小者感を表現するのも
大切なことなのだ。

追記
この記事を書いていた当時は知らなかったが、
どうやらバニラの価格が高騰しているらしい。

サイクロンがマダガスカルを襲った影響で
多くの農園が被害を受けたためだ。

バニラの価格はぐんぐん上がり、
銀よりも高くなったという。

サイクロン被害によるものなので
いずれ落ち着くかもしれないが、
農園自体が立ち直れない場所もあるだろう。

天然バニラのバニラアイスが
高級品になってしまうかもしれない。

なお、合成バニラ香料というものも存在する。

2018年11月6日火曜日

ウィントフック

砂漠の中にドイツ人が建設した都市で
ナミビアの首都である。
とても近代的だ。

ナミビアの名はナミブ砂漠由来だが、
ナミブとは何もないという意味だ。

何もない国と名乗ることに
抵抗はなかったのだろうか。

それとも、ナミブ砂漠を
生き抜いてきた者としての矜持が
この名に込められているのだろうか。

街の名前は風の曲がり角という意味である。

ちなみにこの何もない土地には
ダイヤモンドの鉱床がある。

ナミビアの中心に位置するウィントフックは
その管理を行うための行政の地だったのだ。

ドイツ人はこの地に中世風の建造物を
沢山築いたため、観光地としては
なかなか見ごたえのある場所となっている。

ドイツ領であったナミビアだが、
大戦の結果イングランドの植民地となる。

ただし、残念ながら英語はほぼ通じない。
公用語は英語だが通じない。
ドイツ語もあまり通じない。

元イングランド植民地のイギリス連邦加盟国
なのだが、イギリス統治期間が短く、
独立後はアフリカーンス語が主流となったためだ。

アフリカ南部では比較的豊かな街だが、
貧富の差が大きい。
スラムには近付かないように。

大聖堂はカトリックの聖マリー大聖堂だ。
ドイツ風コロニアル様式、
つまりメルヘンチックな建物である。

ディズニーランドのイッツアスモールワールドに
ありそうな建物と言えばイメージしやすいだろう。

ルター派のクリストゥス教会も
煉瓦造りだがそんなイメージだ。

つまり、メルヘンな建物がちらほらと
存在する街、それがウィントフックなのである。

隕石やウェルウィッチアも見られるし、
街を出ればナミブ砂漠の絶景が待ち受けている。

観光するには十分な目玉が揃っているのだが、
そこで気になるのはやはり食べ物だろう。

なんとドイツ風のソーセージやシュニッツェル、
そしてドイツ仕込みのラガービールが楽しめる。
これは大当たりだ。

ただし、ここはアフリカ南部である
ということを忘れてはいけない。
ぼんやり歩いていると強盗に遭うだろう。

何もないのは
自分の所持品となってしまうかもしれない。

2018年11月5日月曜日

カラハリ砂漠

ボツワナ周辺に広がる砂漠である。
カラハリとは乾いた土地という意味だ。

ただし、砂漠に分類されているが、
どちらかというと砂漠に近いステップである。

一定の降水量があり、
植物がそこそこ存在するためだ。

当然そこに生息する動物も多く、
キリンハイエナ、チーター、ライオン
オリックス、ヌー、ゾウ、サイカバ
アフリカの生き物大集合の様相を呈している。

オカヴァンゴと呼ばれる湿地が存在するのだが、
こうした大型哺乳類たちは
おおむねそこにいる。

カラハリ砂漠は盆地である。
降った雨は最も低いオカヴァンゴに流れ込む。
有名なマカディカディ塩湖もこの地域だ。

カラハリは降雨があるとはいえは貴重だ。
ツワナ人の通貨はプラというのだが、
これは雨を意味する言葉である。

つまり、水は貨幣と同等の
価値を持つということだ。

高価と言えばカラハリはダイヤモンドの産地である。
石炭、銅鉱石、ニッケル鉱石も豊富だ。

不毛の土地と思われがちな砂漠でも
現代の技術であれば様々な資源を
取り出すことが可能なのだ。

ただし、コストをかけて水を調達する必要はある。

2018年11月4日日曜日

プラハ

百の塔のプラハと呼称される
チェコの首都である。

ヴルタヴァ川の流れを中心に発展した
古い都市であり、歴史的な建造物が立ち並ぶ。

元々はスラヴ人の建てたプラハ城と
ヴィシェフラト城の間に形成された城下町であり、
黄金のプラハと呼ばれるほどの発展を見せた。

芸術家、錬金術師、占星術師が集い、
芸術と科学の都として
ヨーロッパの中心であった時期もある。

だが、プラハ窓外投擲事件に端を発する
三十年戦争によって文化の中心地は
ウィーンへと移る。

以来、チェコはハプスブルク家の
支配を受けるようになり、
独自の文化を弾圧されていった。

一次大戦によってオーストリアハンガリー帝国が
解体したことでチェコスロヴァキアとして
独立したのも束の間、二次大戦ではドイツと
ソヴィエトによって再び自由を失う。

冷戦時代は東側陣営に属していたが、
革命により共産党を打倒、
チェコとスロヴァキアは分離した。

近代以降の激動の流れの中にあっても、
プラハの街並みのほとんどは戦火を免れた。

また、社会主義陣営に属していたことで
資本主義的な発展が遅れたことで、
古い建造物が軒並み残されている。

つまり、街全体が建築博物館とでも言うべき
見所満載の最高級の観光地なのだ。

代表的なゴシック建築の聖ヴィート大聖堂は
聖ヴィート聖ヴィーツラフ聖ヴォイテフ大聖堂が
正式な名称であるがそれは置いておこう。

歴代のボヘミア王の墳墓を擁するこの大聖堂は
それはもう素晴らしく、この大聖堂だけに
一日を費やしても良いほどだ。

また、ヤン・フスが説教を行った
ベツレヘム教会もあるのだが、
街中の教会がいちいち芸術作品なので
ぜひとも散策していただきたい。

冒頭で紹介したように尖塔を持つ建築が多く、
また、家々の屋根は赤で統一されているため、
その風景は筆舌に尽くしがたい。

土産物はやはりボヘミアングラスが
いいのではないだろうか。

料理はドイツとスラヴの折衷であり、
香草や香辛料はあまり好まれないため、
わりと素朴な味わいのものが多い。

サワークリームであるスメタナが特徴的で、
ザワークラウトも好まれるため、
アクセントに酸味の利いた料理が多い印象だ。

より田舎っぽくしたドイツ料理などと
言われることもあるが、逆にチェコ本来の料理が
オーストリアなどに与えた影響も大きい。

だが、チェコといえばピルスナーである。
本邦のビールはまずほとんどがピルスナーで
あることを考えると、ビール党はチェコへ行って
本場を飲んでくるべきではないだろうか。

ちなみにバドワイザーはチェコのバドヴァーから
勝手に名前を拝借して世界的に有名になった。
本物のバドワイザーはチェコのビールなのだ。

黄金色のラガー、すなわちピルスナーは
本邦ではそれ以外のビールの存在が珍しいと
思っている者も多いほど人口に膾炙している。

聞くところによると、昔はガラス職人は
水分と栄養の補給を兼ねて、仕事をしながら
ビールを飲むのが普通だったらしい。

もっとも、酒を飲みながら仕事をするなど
普通だった地域も多いので特別な例とは
言えないかもしれないが。

さて、プラハの魅力を伝えきれていないが、
この辺りで締め括ろう。

とにかく、ヨーロッパ旅行で行先に悩んだら
プラハを候補に挙げて損はないだろう。

2018年11月3日土曜日

ナミブ砂漠

ナミビアの海岸沿いに位置する砂漠である。
ナミブとは何もないことを示す。

水蒸気の発生しにくい寒流が原因で
造成されるタイプの砂漠である。

海水温が低いため、海上に水蒸気が
生じにくい状態で、強い風が陸地に
吹き付けるのが原因だ。

ナミブの場合は遮るものの無い大西洋を
吹き抜けてきた偏西風が
乾いた風となって流れ込む。

すると、地上が乾燥するのはもちろんのこと、
雲ができないため日中は炎天下となり、
更に水分を奪っていく。

そして、夜間は温まった空気を地上に
留め置く雲は無く、風が吹き続けるため、
急激に気温が下がる。

乾燥した大地は加熱と冷却を繰り返され、
万物は乾燥と寒暖差によって脆く崩れ去り、
砂と礫と岩の砂漠と化す。

寒流であるベンゲラ海流と偏西風の
コラボレーションで作られた西岸砂漠だ。

それでもナミブ沖は暴風が多いため、
海霧がナミブ砂漠に流れ込む機会は多い。

このため、定期的に水分が供給されることで、
砂漠にしては様々な動植物が生息している。

なお、沖合の暴風の影響で、ナミブ砂漠の
海岸には難破船や鯨の死骸がよく流れ着く。
世に言う骸骨海岸である。

ナミブ砂漠の砂は鉄分が多く、赤い。
また、砂砂漠の割合が多く、
美しい砂丘を見ることができる。

赤い砂丘はまさに絶景。
世界遺産にも登録されている。

砂丘に上ればオムクルバロと呼ばれる
山が見えるだろう。
平らな砂漠の中にそびえ立つこの山は、
神々の山、あるいは炎の山と呼ばれる。

炎、つまり赤く見えるのだが、
これは夕日と赤い砂漠の照り返しによるもので、
山自体は植物の茂る緑のオアシスである。

アフリカの最南端を目指した航海者たちは、
左手に延々と続く赤い砂漠を
どのような面持ちで眺めたのだろうか。

2018年11月2日金曜日

ルサカ

ヴィクトリアの滝ことモシオトゥニャのある
ザンビアの首都である。
高原と渓谷の国として知られている。

ポルトガルによるアフリカ横断計画と
イングランドによる縦断計画との交点に位置し、
両国の争点となった過去を持つ。

争いはイングランドに軍配が上がり、
ポルトガルはこの植民地計画の失敗が一因となり
王制に打撃を受けた経緯がある。

そんなザンビアだが、
アフリカで最も平和な国と呼ばれている。
クーデターや内紛がとりわけ少ないのだ。

産業はやや貧弱で、銅鉱石に依存しているものの、
政情が安定しているというのがどれだけ
人々に平穏をもたらすかという好例だろう。

首都は元々リヴィングストンであったが、
隣国との国境に近すぎることから
ルサカへと遷された。

ルサカの大聖堂はカトリックと聖公会のふたつ。
カトリックのものは幼少のキリスト大聖堂。
聖公会のものは聖なる十字架大聖堂である。

幼少のキリスト大聖堂はちょっと奇抜な
公民館といった雰囲気の建物だ。
十字架が立っていなければ
教会だと思わないかもしれない。

聖なる十字架大聖堂はこちらも教会らしくない。
だが、石造りの重厚な建物で、やや前衛的。
アール・デコ風かなとも思う。

印僑が多いため、
ルサカヒンドゥー寺院が存在する。
比較的新しく、オレンジの塔が印象的だ。

さて、ルサカの観光スポットだが、
せいぜい市場を見るぐらいだろうか。
観光をするなら街を出て自然を見るべき場所だ。

ザンビア料理はトウモロコシ団子のシマが
主食としてよく食べられている。

それに合わせて食べられるおかずの一番人気は
印僑のもたらしたカレーだ。
鶏肉を煮込んだトンカベジというカレーだ。

西アフリカにはカレーに似た料理があったが、
ここにきて本物のカレーである。

カレーというのは凄い食べ物である。
辛さの問題さえ克服できれば、
どんなものでも美味しく食べられてしまう。

得体の知れない材料が使われていても、
カレーならば易々と食べてしまうだろう。

ちなみにザンビアに限らずこの周辺では
大豆から作られたソイミートが
よく食べられている。
日清のカップヌードルに入っているあれだ。

話が逸れたが、ザンビアはモシオトゥニャを
見に行く場所という印象が強い。

最寄りの街は旧首都リヴィングストンのため、
観光でわざわざルサカまで行く必要は
ないかもしれない。

2018年11月1日木曜日

サツマイモ

アサガオの仲間で薄桃色の花を咲かせる植物だ。

ただし、花は咲かせにくいため、
アサガオに接ぎ木するなどして
無理矢理開花させ、人工授粉が行われる。

ペルーが原産地とされ、マガリャネスの
南アメリカ西岸到達以降に世界中に伝播した。

本邦へは大陸経由でもたらされたため、
唐芋とも呼ばれる。

そして、鹿児島で大々的に栽培を開始したため、
薩摩芋の呼び名が定着した。

享保の大飢饉においては、サツマイモを生産していた
地域のみ餓死者が出なかったという。
このことが知られて以来栽培地域が広がって行った。

芋としてのサツマイモにはデンプンが
豊富なわけだが、自前の酵素の中に
デンプンを糖化するものが備わっている。

つまり、日光に晒す、低温で蒸すなど、
ある程度以上の温度でしばらく置くことで、
デンプンが糖へと変わり甘くなる。

食べる以外にも焼酎の原料として著名で、
鹿児島は芋、宮崎は蕎麦、大分は、熊本は米、
などと言い九州を代表する名物である。

サツマイモから作られるアルコールは、
燃料としての研究も行われており、
大戦時には航空機燃料とできないか期待された。

乗組員である鹿屋の薩摩隼人が
芋焼酎で元気になって出撃したという意味では
航空燃料と言えなくもないかもしれない。

冗談ついでにサツマイモにまつわる
昔のジョークも紹介しよう。

サツマイモを栗の美味さに近いものとして
九里までもう少しの八里半と呼ぶことがあった。

この場合、栗の方が上だが、
栗よりも美味いとする言い方もある。
九里四里うまい十三里である。

川越街道が江戸まで十三里であり、
川越がサツマイモの産地であったという
何重にも意味の込められたうまい言い回しだ。

さて、外国でのサツマイモ事情も
少しだけ紹介しよう。

ヤム芋という芋があるのだが、
ソフトスイートポテトと呼ばれる
サツマイモの品種によく似ている。

このことからソフトスイートポテトが
ヤムと呼ばれ、アメリカなどでは流通している。

実際見た目も味も似ているのだが、
植物としての種類は大きく異なる。

ヤムの呼び名が定着した結果、
特定の品種以外のサツマイモもヤムと
呼ばれることが多くなった。

そして本来のヤムイモは生産地域以外では
あまり見ることができなくなったようだ。

そういえば、サツマイモは毒を持つことがある。

普通にしていれば毒は持たないのだが、
虫やカビに襲われると、
抵抗のために毒を作りだす。

この毒は加熱で破壊できないため、
傷んだサツマイモを食べてはいけない。
焼酎の材料として蒸留してさえ、
毒由来の苦味がついてしまうという。

2018年10月31日水曜日

ベルリン

ドイツの首都である。

本邦では一般的ではないが、
標準ドイツ語発音ではベアリーンとなる。

ただし、ドイツ語は方言差の大きな言語である。
地方によって違う方言に対応するために、
統一されたいわゆる標準語が存在する。

この標準ドイツ語での発音がベアリーンであり、
地方によっては異なる発音となる。
ベルリンはベルリン方言での呼び方だ。

ドイツは元々統一された国家ではなかった。
いくつもの諸侯の領土が割拠し、
それぞれが独自の文化を持っていた。

それがプロイセンによってドイツ帝国として
糾合されて現在に至るため、
標準語を無理にでも作らねばならなかった。

ルターの翻訳したドイツ語訳聖書を基に、
舞台ドイツ語と呼ばれる発音を軸に、
標準ドイツ語は生み出された。

その結果、人々の話す言葉と、
テレビやラジオで話される
標準語にずれが生じた。

首都ベルリンで話される方言は標準語ではない。
そもそも標準語を日常語として
使っているのはアナウンサーと外国人である。

ドイツ人は外国人嫌いで有名だが、
そんなものはステレオタイプで、
実際に行ってみれば標準語で話そうとしてくれる。

それでも差は出る。
私を意味するイッヒがイシュに聞こえることも
あると言えばどのぐらい違うか想像できるだろう。

津軽弁と鹿児島弁で会話をするようなものだ。
基本は同じでかつ互いの方言の違いと
標準語を知っていればきちんと会話が成り立つ。
だが、標準語しか知らない外国人ではそうはいかない。

さて、ベルリンの話に戻ろう。
この地はブランデンブルクである。
辺境伯爵領だが、ブランデンブルクという
国があったと考えた方が理解しやすい。

そして、前述のようにプロイセンが統一を果たし、
中心に近いこの地に首都を遷した。
北東部に寄っているように感じるだろうが、
昔のドイツはもっと広かった。

そんなドイツも世界大戦の敗戦国となり、
領地を奪われ莫大な賠償金を背負わされる。
その不満が更に世界大戦を呼び起こした。

二度の大戦の結果、ドイツは東西に分割され、
ベルリンは東ドイツの領域内にありながら、
西部のみ西ドイツの領域とされた。

東ドイツ領内に、西ドイツから西ベルリンへ
直通の道路が用意され、西ドイツ人は
その道路と西ベルリンにのみ立ち入りが許された。

ベルリンは西と東に分かたれていたのだ。
思えば壊されてからもうかなりの年月が経つが、
ベルリンの壁によって東西に分割されていたのだ。

再統一からは右肩上がりの成長を続け、
現在ではヨーロッパ連合の事実上の盟主である。
四度目のドイツ帝国と言う者もいる。

さすがに第四帝国は揶揄した表現だが、
ドイツがヨーロッパ連合を牛耳っていると
感じている者は少なくない。

まったく、しぶとく強い国である。
二度の世界大戦で二度とも敗北した側の主軸であり、
いずれも厳しく叩きのめされたはずなのだが。

三度目の世界大戦が起こるなら、
またドイツが引き起こし、ドイツが負けるだろう
というジョークにもならない定型文句がある。

本邦は一度目は戦勝国で、二度目は敗戦国である。
三度目は再び戦勝国になれることを願っておこう。
そもそも第三次世界大戦など
起きないことを祈るべきだろうとは思うが。

ところで、ベルリンは無神論者の首都と
言われるほど無宗教を自認する者が多い。

相対的に各宗派の割合が近くなっており、
どの宗派が強いとは言い難い。
それでも伝統的にはルター派である。

ネオバロック様式の特徴的なドームを持つ
ベルリン大聖堂はルター派の大聖堂だ。

そして、他の宗派の大聖堂も当然のように存在する。
いくらなんでも全部は紹介していられないので
興味のある方は自身で調べていただきたい。

観光名所も腐るほどある。
破壊されたベルリンの壁ですら、
実は一部にちょっとだけ残っていたりする。

冒頭で方言について触れたが、
ベルリン方言は江戸弁に似ている。
悪口が多いが裏表がなく直截。
ベルリナーシュナウツェである。

観光名所にも数々の悪口雑言による
愛称が付けられている。
そうしたベルリナーシュナウツェを
巡ってみるのも面白いかもしれない。

そして、ベルリンの食べ物と言えば
カレー味のソーセージ、カリーブルストだろう。
あとは今ではドネルケバブやファラフェルも
一般的なファーストフードだ。

ドイツ感は無いが、むしろこれが
今のドイツを象徴していると感じる人もいる。

ちなみに、カリーブルストは実はベルリン発祥である。
ファーストフードスタイルのドネルケバブも
ベルリン発祥という説がある。
国際的な都市ならではといえるだろう。

なんでもある街ベルリン。
その分、旅行の際にベルリンならではを
味わうには少し工夫が必要かもしれない。

何か目的を持って行かなければ
何処へ行って良いか分からなくなるかもしれない。
ロンドンと似たような感覚だ。

ここに行きたいという、強いこだわりを持って
ベルリンを訪れなければ、東京観光をした方が
楽しかったということにもなりかねない。

ベルリン旅行の際には、
ドイツ風の規律正しい計画を立てるのが吉だろう。

2018年10月30日火曜日

タバコ

アンデス山脈原産の毒性の強い植物である。
古くから薬や儀式用として用いられていた。

イスパニア語で薬草を意味する言葉が語源で、
さらに遡るとアラビアのタバクという
薬草に行きつくが、このタバクと
タバコに関連はない。

本邦へ入ってきた当時は
漢字で当て字されていたが、
莨の字を当ててタバコとも読ませてもいた。

莨は本来大陸で別の植物を指す字だったが、
本邦では一般的ではなく、
かつタバコは薬草として入ってきたため、
草冠に良というこの字が使われた。

現在ではタバコは百害あって一利なしと
蛇蝎の如く嫌われているが、
このように珍重されてきた歴史を持つ。

噛みたばこ、嗅ぎたばこ、葉巻煙草、
パイプ煙草、紙巻煙草、水煙草、電子煙草と、
様々あり、人類の文化として定着している。

この中で水煙草と電子煙草以外は
アンデスの時代から存在した。

水煙草はサラセン人の発明で、
複雑な喫煙具は工芸品としても優れている。

パイプやキセルも工芸品として
様々なものがあり、素材も象牙や
メシャムのような高級なものから
トウモロコシの芯まで多種多様だ。

噛みたばこや嗅ぎたばこにも
時代によって新技術が用いられ、
西洋では大きな流行を見せた。

これらのタバコ文化を破壊しようという
動きには色々と思う所もあるのだが、
マナーの悪い者たちがいることも事実である。

健康被害についてだが、
実は喫煙方法によって悪影響が大きく異なる。

断然健康に悪いのが紙巻煙草で、
次いで葉巻となっているが、
それ以外との差はかなり大きい。

現在電子煙草の普及に躍起になっているのは
このような背景があるのだが、
紙巻だけを規制してくれればいいのにと
個人的には思っている。

葉巻やパイプは一度吸い始めると
所要時間が長いという問題がある。

特に水煙草は炭をおこし、
一時間以上かけて吸うことになるため、
忙しい現代人にはかなりの贅沢と言える。

だが、むしろ、そうやって
など飲みながらゆったりとした
時間を過ごすことこそ今必要と
されていることなのかもしれない。

2018年10月29日月曜日

ルアンダ

アンゴラの首都である。
ルワンダという国があるので紛らわしい。

アンゴラの名はかつてこの地に存在した
ンドンゴ王国の王を指す言葉
ンゴラが由来となっている。

ポルトガル人がやってきた当時の
ンドンゴ王国の女王ンジンガの
エピソードを紹介しよう。

ポルトガル人総督は和平交渉の際に
女王を格下扱いし、自分だけ椅子に座り、
女王には椅子を用意しなかった。

すると、女王の側近は自ら四つん這いになり、
女王の椅子となったという。
この機転と献身により、女王は総督と
対等な立場という意思を表明した。

この故事からンジンガ女王はアンゴラ人と
そこから新大陸へ送られた
アフリカ系ブラジル人の間で
白人への抵抗の象徴として扱われている。

独立後のアンゴラは三十年近くにもわたり
内戦が続いていた地域である。
現在も地雷原が数多く残されている。

アンゴラ自体は、豊富な産品に恵まれ、
首都ルアンダは天然の良港である。
近年は油田も発見された。

内戦の傷痕が深く残ってはいるが、
発展していくことが期待されている地域だ。

ただし、ルアンダは世界一物価の高い街と
言われている。おそらく、国内の様々な
バランスが未だ極端に悪いのだろう。

物価の問題もあり観光地としてはいまいちだが、
植民地時代の建築で内戦での破壊を
免れたものが見所となる。

大聖堂はカトリックの聖なる救世主大聖堂だ。
白を基調としたバシリカに近い建築だが、
これはコンゴの教区から分離された際に
大聖堂に昇格したためだと思われる。

外観はなかなかに豪華だが、
内装は意外に質素である。

アンゴラの料理はブラジルのものと似ている。
ポルトガルの植民地として、
大西洋を挟んだブラジルとの行き来が
盛んだったためだ。

その評判は良く、ムアンバと呼ばれる
オクラ、タマネギ、その他の野菜と
肉類をヤシ油で煮たシチューは特に美味い。

今後アンゴラの内政が良い方向に進んだならば、
かなり良好な観光地となるポテンシャルを
十分に秘めていると言えるだろう。

2018年10月28日日曜日

ヒドロゲニウム

を生み出すものである。

ヒドロゲニウムの表記はラテン語で、
語源はギリシア語の水ヒュドールと
生み出すゲネンである。

フランス語ではイドロジェーヌ、
英語ではハイドロジェン。
いずれも水を生み出すものである。

だが、オランダ語ではワーテルストフ、
つまり水物質であり、本邦ではそれが
翻訳され水の素、水素となった。

水素は原子量が最も少ない元素であり、
この宇宙に最も多く存在する物質だ。
なんと、宇宙の質量の四分の三を占める。
ただし、ダークマターは除く。

水素はその原子量の少なさから、
気体として存在している。

凄まじい低温にまで下げれば液体となるのだが、
これは燃料として使用できるため
様々な研究が続けられている。
ちなみに固体化も可能だが非常に難しい。

なお、低温高圧状態では金属としての性質を
持つようになると考えられており、
金属水素というものがあるとされている。

近年その実在の証明が有力となり、
世紀の大発見と言われたが、
残念ながらサンプルが消失してしまったという。

もし金属水素を自在に利用できるようになれば、
燃料や爆薬として従来品より優れたものが
作り出せるだろう。

特に電子励起爆薬と呼ばれるものは凄まじい。
原子爆弾を除けば、爆薬の歴史は
トリニトロトルエンの合成成功以来、
その威力は二倍程度までしか進歩していない。

だが、この金属水素による電子励起爆薬は、
原子爆弾並の威力を持つことになる。
そして、放射性物質は発生しない。

爆薬と聞くと戦争など血生臭いことを
想像しがちだが、ダイナマイトの発明によって
鉱山の採掘効率が上がったように、
その影響力は計り知れない。
宇宙への進出にも更なる進歩をもたらすだろう。

水素の研究に限らないが、
研究者たちには是非頑張っていただき、
昔のように未来の科学に希望を持てる
社会をもたらしてもらいたい。

2018年10月27日土曜日

ヴァルシャヴァ

かつて大国であったが、現在はいまひとつ
存在感の無い国ポーランドの首都である。

本邦ではワルシャワ表記が一般的だ。

ワルシャワはヴィスワ川で魚を獲って
暮らす人々の住む寒村であった。

ポーランドは貴族が王を選出する
選挙王制であったが、貴族の力を弱め
専制君主となろうと頑張った王がいた。

その王は貴族たちの勢力の強い首都
クラクフから、新たな都への
遷都を試みる。

こうした遷都による貴族層の弱体化
を狙う試みというのは平安京のように
古今東西で起きるわりとメジャーな戦略だ。

白羽の矢が立ったのはヴィスワ川による
水上交通が可能で、かつ、平地の広がる
低地に存在したワルシャワである。

ただし、ポーランドはその後動乱の時代を迎え、
周辺国に幾度も分割支配されることになる。

一次大戦ではドイツとオーストリアの領地で
あったため、敗戦国として扱われている。

そして、ドイツとソヴィエトによる分割である。
ポーランド分割と言えば、何度目のものかと
笑いの種にされるほど分割されてきた。

ワルシャワは大戦時に大きく破壊されたが、
戦後、元の姿が再建されている。

そして冷戦時代は東側の軍事同盟、
ワルシャワ条約機構の設立された街である。

ただし、この軍事同盟の本部はモスクワにあり、
ワルシャワは名前を冠しているに過ぎない。
ロシアでは友好協力相互援助条約機構という。

大聖堂は聖マグダラのマリア大聖堂である。
正教会の大聖堂で、メトロポリタン大聖堂
とも呼ばれている。

ネオロシア様式で外壁は黄色、
玉葱型のドームが五つあり、
暗い青緑色をしている。

内部装飾の緻密さと華やかさは特筆に値する。
特に祭壇のイコンは壮麗だ。

ワルシャワの観光名所は数多い。
復興された街並みは美しく、
古き良き時代を再現している。

特にいくつか存在する宮殿は秀麗で、
ワジェンキ宮殿は池に映る白い姿が印象的だ。

ポーランド料理は固有のものが少ない。
フランス、ドイツ、ハンガリー、スラヴの
影響が強く、様々な料理を食べることができる。

強いて挙げるならハーブで長時間煮込んだ
肉料理が多い点が楽しむポイントだろうか。
酒はウォッカが人気だ。

ワルシャワは観光に向いた都市である。
様々な時代の歴史的建造物の数々が、
旅行者を魅了することだろう。

2018年10月26日金曜日

発泡スチロール

発泡スチロールと聞いて
何のことかわからない者は
本邦にいないと思うので形容は省く。

あれが実際のところ何なのかを
説明していこうと思う。

ポリスチレンという物質がある。
ベンゼン環とビニル基からなる
純粋な炭化水素だ。

もっとわかりやすく言うと、
水素と炭素だけでできたプラスチックである。

スチロール樹脂とも呼ばれ、
ごく一般的なプラスチックだ。

耐久性が悪く、熱にも弱いのだが、
製造コストが安く、加工も容易である。
このため、実に様々なところで使用されている。

中でも最もよく見るのが
発泡スチロールだろう。

発泡スチロールは熱を加えて液状にした
ポリスチレンに細かな気泡を生じさせ、
つまり泡状にして固まらせたものだ。

非常に軽いが、それも当然である。
ぎっしり詰まってるようにも見えるが、
ほとんどが空気なのだから。

脆いが柔らかく、クッションとなるため、
緩衝材としてよく使われる。

また、気泡のお陰で断熱性が高く、
保冷ボックスとしても大活躍だ。

注意すべきは燃えやすいことである。
炭化水素なのでよく燃える。

ただし、その構造のせいで
不完全燃焼を起こしやすく、
煤煙と一酸化炭素が発生する。

煤はともかく一酸化炭素は危険なので
発泡スチロールを燃やすのはやめよう。

自治体によってゴミとしての
分別方法が異なるが、
面倒くさがらずにきちんと分別して出そう。

箱状の発泡スチロールを細かくする際には
破片が飛び散り静電気でくっつくなど
かなり面倒なことになってしまう。

処分の際は、大きな袋に入れてから
体重をかけて砕くといいだろう。

くれぐれも不法投棄や
その辺で燃やしたりはしないように。

2018年10月25日木曜日

キンシャサ

コンゴ民主共和国の首都である。

コンゴ共和国と紛らわしいし、
そちらの首都ブラザヴィル
キンシャサと川を隔てた双子都市である。

コンゴ民主共和国と聞いてピンとこない
人も多いのではないだろうか。
昔はザイールと呼ばれていた。

ただし、ザイールは独裁的な大統領が
在任中に国名をコンゴ民主共和国から
変更した際の名前である。
つまり、元に戻ったのだ。

だが、長いし紛らわしいので
以下本記事ではこの国をザイールと呼ぶ。

ザイールはベルギーの植民地であった
珍しい国である。

ベルギーという国の所有ではなく、
ベルギー国王の私有地であった。

当初国王は私費を投じてインフラ整備するなど、
熱心に領地経営をしていた。
リアルシミュレーションゲームである。

しかし、飽きたのか面倒になったのか
財政破綻したのか詳しくは知らないが
きちんとした経営をやめて
いわゆる植民地の搾取を始める。

失礼な憶測だが、民度の低い
住民に絶望したのかもしれない。
なんとなく想像がつく。

その搾取ぶりは他のろくでもない国と比べても
過酷なもので、ゴムのプランテーションで
働かされていた住民は、ノルマを達成できないと
手足を切断されるなどの刑罰を受けた。

その実態が明らかになると
どの口で言うのかと言いたくなるが
他の国々からの非難を浴びる。

ベルギー政府は植民地に興味が無かったようだが、
この非難を受けて国王からザイールを買い取った。

だが、締め付けが緩くなったためか、
この時点から独立闘争が始まることになる。
ベルギー政府はとんだ貧乏くじを引いたものだ。

独立を果たしたザイールだが、
すぐにクーデターが起こり、
前述の独裁者が立つことになる。

この独裁政権はコンゴ戦争時にアンゴラ軍が
キンシャサを制圧した際に倒れた。

近年には珍しく、紛争でも内紛でもなく
複数の国から侵攻を受ける戦争をしていたのだ。
コンゴ戦争、知名度は低いが大きな出来事である。

さて、そんなザイールは今でも暴力に満ちている。
今の大統領も任期が切れても退陣していない。

つまり、いつ何が起きても不思議ではない。
旅行に行こうなどとは思わないように。

首都キンシャサは国名がザイールになった際に
この名前に改名された。
それ以前はレオポルドヴィルである。
レオポルド二世は前述のベルギー国王だ。

ベルギー政府が経営していた頃には
かなり栄えていたのだが、独立運動以来、
混乱に次ぐ混乱である。

コンゴの聖母大聖堂はカトリックの大聖堂だが、
残念ながらどんな外観なのかも分からない。
それらしき写真はいくつかあったが、
グーグルストリートビューも無力だった。

グーグルマップで聖アンヌ大聖堂を発見したが、
同一のものかは分からない。
こちらもカトリックのようなので
恐らく別名か、建て直されたかだと思われる。

ちなみに聖アンヌ大聖堂は
赤レンガのコロニアル様式のように見える。

そしてキンシャサの観光名所。
もちろん、そんなものはない。

料理はトウモロコシ粥と
辛みのあるシチューが典型的なようだ。

雑な情報で申し訳ないが、
現地に行けない上に資料も乏しい。

疫病も流行している。
旅行をしようなどと呑気なことを
考える場所ではない。

アフリカに救いは無いのだろうか。