タンガニーカ湖やコンゴ川に生息する
巨大な肉食魚である。
成人女性の身長ほどの体の大きさを誇り、
大きいものでは成人男性の身長を超える。
非常に鋭利で大きな牙を持ち、
牙魚の別名もある。
口に入るものなら何にでも噛みつくため、
人間が咬まれて被害を受ける例も多い。
被害を受けた人々はワニに襲われたと思うらしい。
そのぐらいムベンガは大きいのだ。
ワニに噛みついているところを見たという
話もあるが、もっと衝撃的なのが、
水面から飛び跳ね鳥を食らったという話だ。
動画があるため与太話ではない。
底知れぬ恐ろしさを秘めた魚なのだ。
英語圏ではゴライアスタイガーフィッシュと
呼ばれているのだが、虎のような魚の名は
伊達ではないというわけだ。
なお、ゴライアスとはゴリアテのような、
という意味で、ゴリアテとは旧約聖書に
登場する巨人である。
名前だけで強そうである。
もはや怪物の域だ。
恐ろしい存在だが、釣り人に人気の魚である。
巨人狩りのために訪れる外国人によって
コンゴの人々は観光収入を得ている。
被害の出ている獰猛な魚だが、
外貨をもたらす貴重な資源なのだ。
序説
序説
かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...
2019年3月31日日曜日
2019年3月30日土曜日
黄鉄鉱
パイライトと呼ばれる鉱物である。
硫黄によって硫化した鉄なのだが、
綺麗なサイコロ状の金色の物質であり、
大変美しい。
六面体だけでなく、八面体や十二面体と
なる場合もあり、大小のこうした
構造が無造作に重なり合っている様子は
超古代文明の遺産のごとしである。
黄鉄鉱の名は硫黄と鉄の鉱物として
そのままだが、パイライトのパイロとは
ギリシア語の火を意味する。
これは打ち付けると火花が飛ぶことに
由来しており、火打石として
用いられることもあった。
黄金より真鍮に近い色と光沢だが、
古来、金だと勘違いされることが多く、
愚者の黄金の別名を持つ。
黄銅鉱という鉄ではなく銅の鉱物も
同じ色味を持つが、黄鉄鉱ほど
美しい結晶は生まれない。
ただし、黄銅鉱は酸化すると表面が
青くなり、場合によってはとても
美しいものに変化する。
孔雀石や藍銅鉱は黄銅鉱が
変化したものだという。
なお、黄銅鉱はキャルコパイライトであり、
銅を意味するキャルコが冠されている。
私が子供の頃、鉱山見物に行った際に
お土産に買ってもらった小さな鉱物サンプルに
パイライトがあったのだが、今思うと
あれは黄銅鉱だったのではないだろうか。
ちなみに、化石の中には黄鉄鉱に
侵食されたものが存在する。
アンモナイトの甲殻が黄鉄鉱となったものは
インテリアやアクセサリーとして
非常に人気がある。
硫黄によって硫化した鉄なのだが、
綺麗なサイコロ状の金色の物質であり、
大変美しい。
六面体だけでなく、八面体や十二面体と
なる場合もあり、大小のこうした
構造が無造作に重なり合っている様子は
超古代文明の遺産のごとしである。
黄鉄鉱の名は硫黄と鉄の鉱物として
そのままだが、パイライトのパイロとは
ギリシア語の火を意味する。
これは打ち付けると火花が飛ぶことに
由来しており、火打石として
用いられることもあった。
黄金より真鍮に近い色と光沢だが、
古来、金だと勘違いされることが多く、
愚者の黄金の別名を持つ。
黄銅鉱という鉄ではなく銅の鉱物も
同じ色味を持つが、黄鉄鉱ほど
美しい結晶は生まれない。
ただし、黄銅鉱は酸化すると表面が
青くなり、場合によってはとても
美しいものに変化する。
孔雀石や藍銅鉱は黄銅鉱が
変化したものだという。
なお、黄銅鉱はキャルコパイライトであり、
銅を意味するキャルコが冠されている。
私が子供の頃、鉱山見物に行った際に
お土産に買ってもらった小さな鉱物サンプルに
パイライトがあったのだが、今思うと
あれは黄銅鉱だったのではないだろうか。
ちなみに、化石の中には黄鉄鉱に
侵食されたものが存在する。
アンモナイトの甲殻が黄鉄鉱となったものは
インテリアやアクセサリーとして
非常に人気がある。
2019年3月29日金曜日
エアープランツ
特定の種類の植物を指す名前ではなく、
以下のような特徴を持つもののことだ。
根から水や栄養を吸収する必要が無く、
空気中の水分や雨だけで生育可能。
土から生え、地下に根を張るという
植物の概念を揺るがす存在だ。
完全に根を持たないものもあるが、
多くは枝や岩に張り付くために根を伸ばす。
中には葉を巻き付けるものもある。
枝や岩に絡みつく気のないものは、
球根のような姿でその辺に転がっている。
なんともやる気のない植物である。
エアープランツはしばしば銀葉と呼ばれる。
これは、葉が鱗片と呼ばれる細かな毛で覆われ、
白っぽくなっていることに由来する。
鱗片は空気中の水分を捕える役割を持ち、
根が無くとも生きられる理由である。
さて、土が必要ない、空気中の水分で生きると
聞くと、非常に栽培が容易なように感じられる。
しかし、実際には温度と湿度の管理が難しく、
購入して来てもすぐに枯らしてしまう
という例が少なくない。
私も一度栽培を試みたことがあるが、
枯らしてしまった。
本邦の気候では難しいように思う。
インテリアとして人気があるが、
人にとって快適な環境は
この植物にとっては好ましくないものだ。
残念だが、部屋を飾るために購入するのは
良いアイデアではない。
凝った植物の栽培を楽しめない者は
手を出さない方がいいだろう。
以下のような特徴を持つもののことだ。
根から水や栄養を吸収する必要が無く、
空気中の水分や雨だけで生育可能。
土から生え、地下に根を張るという
植物の概念を揺るがす存在だ。
完全に根を持たないものもあるが、
多くは枝や岩に張り付くために根を伸ばす。
中には葉を巻き付けるものもある。
枝や岩に絡みつく気のないものは、
球根のような姿でその辺に転がっている。
なんともやる気のない植物である。
エアープランツはしばしば銀葉と呼ばれる。
これは、葉が鱗片と呼ばれる細かな毛で覆われ、
白っぽくなっていることに由来する。
鱗片は空気中の水分を捕える役割を持ち、
根が無くとも生きられる理由である。
さて、土が必要ない、空気中の水分で生きると
聞くと、非常に栽培が容易なように感じられる。
しかし、実際には温度と湿度の管理が難しく、
購入して来てもすぐに枯らしてしまう
という例が少なくない。
私も一度栽培を試みたことがあるが、
枯らしてしまった。
本邦の気候では難しいように思う。
インテリアとして人気があるが、
人にとって快適な環境は
この植物にとっては好ましくないものだ。
残念だが、部屋を飾るために購入するのは
良いアイデアではない。
凝った植物の栽培を楽しめない者は
手を出さない方がいいだろう。
2019年3月28日木曜日
アマゾンツノガエル
角の生えたカエルである。
といっても、本当の角ではない。
まぶたの上が角のように尖っているために
この名で呼ばれている。
南アメリカ各地に生息するツノガエルの
仲間の中で、アマゾン川流域に住む
このカエルの角が最も目立つ。
見ようによっては目が飛び出している
ようにも見えるが、よく見れば
目の後ろが隆起しているのがわかるだろう。
これは地中に身を隠した際に
目だけを出して周囲を窺うための形状だ。
体の大きさはヒキガエルほどで、
カエルとしてはかなり大きい。
雌の方が体が大きく、滅多に鳴くことが無い。
雄の鳴き声は一般的にイメージされる
カエルらしいものだ。
肉食であり食欲は旺盛、何でも食べる。
昆虫や節足動物が主だが、
他のカエルや小さなトカゲ、
更にはネズミまで食べてしまう。
狩りのやり方は待ち伏せで、
地中に潜んで近付いたものをパクリとやる。
近付いた獲物が同族でもお構いなしである。
あまりに節操が無いため、
到底飲み込めないようなものにも
噛り付いてしまう。
飲み込み切れずに窒息死している個体が
目撃されることもあるという。
口から獲物の一部が飛び出した状態で
死んでいるというのは
なんとも情けない光景だ。
食い意地が張りすぎて死に至る、
これぞ正しい食い倒れかもしれない。
といっても、本当の角ではない。
まぶたの上が角のように尖っているために
この名で呼ばれている。
南アメリカ各地に生息するツノガエルの
仲間の中で、アマゾン川流域に住む
このカエルの角が最も目立つ。
見ようによっては目が飛び出している
ようにも見えるが、よく見れば
目の後ろが隆起しているのがわかるだろう。
これは地中に身を隠した際に
目だけを出して周囲を窺うための形状だ。
体の大きさはヒキガエルほどで、
カエルとしてはかなり大きい。
雌の方が体が大きく、滅多に鳴くことが無い。
雄の鳴き声は一般的にイメージされる
カエルらしいものだ。
肉食であり食欲は旺盛、何でも食べる。
昆虫や節足動物が主だが、
他のカエルや小さなトカゲ、
更にはネズミまで食べてしまう。
狩りのやり方は待ち伏せで、
地中に潜んで近付いたものをパクリとやる。
近付いた獲物が同族でもお構いなしである。
あまりに節操が無いため、
到底飲み込めないようなものにも
噛り付いてしまう。
飲み込み切れずに窒息死している個体が
目撃されることもあるという。
口から獲物の一部が飛び出した状態で
死んでいるというのは
なんとも情けない光景だ。
食い意地が張りすぎて死に至る、
これぞ正しい食い倒れかもしれない。
2019年3月27日水曜日
オトラント海峡
アドリア海とイオニア海の間に
存在する海峡である。
ブーツのかかと部分だ。
ヴェネツィア共和国が強大な力を
持つようになると、ここは彼らにとって
最も重要な軍事的地形となる。
オトラント海峡を封鎖されれば
海運国家ヴェネツィアは
呼吸を止められるようなものだからだ。
実際に、第一次世界大戦では
オーストリア海軍による通商破壊を防ぐため、
オトラント海峡封鎖作戦が実施された。
海軍の活動を制限されたオーストリアは
幾度も夜襲をかけ、封鎖を解こうと努力したが、
いまひとつ成果は挙がらなかった。
封鎖は継続されたわけだが、
当時の技術では潜水艦の通行を
阻止することはできない。
つまり、潜水艦による通商破壊が戦果を挙げ、
連合国側は本来の目的を
達成できなかったと見るべきだろう。
この時の潜水艦の通商破壊能力が、
第二次世界大戦でのドイツ海軍の戦略に
影響を与えたであろうことは想像に難くない。
さて、第二次世界大戦でのオトラント海峡だが、
イタリアは地中海を庭とする海軍国である。
当然、オトラントには厳重な備えがあった。
だが、イタリア海軍の勇気は軍艦の大きさに
反比例するという言葉がある。
小型艦はそれはもう後世に語り継がれる
勇敢な戦いぶりを見せたのだが、
肝心の主力である戦艦や巡洋艦が振るわなかった。
イタリアがヨーロッパの柔らかい下腹部
などという不名誉な呼び方をされたのも
致し方のないことであった。
連合国艦隊が要衝であるはずの
オトラント海峡を通過し、
アドリア海へ侵攻できたのも事実である。
オトラント海峡海戦と呼ばれる戦いは一方的で、
連合国側は巡洋艦三隻、駆逐艦二隻で海峡へ侵入。
対してイタリアが防衛に出せたのは水雷艇一隻と、
仮装巡洋艦一隻であった。
商船に武器を積んだものも四隻あった。
この戦いでの連合国側の損害は無しである。
さもありなん。
なお、仮装巡洋艦というのは、
中立国の商船や客船に偽装した軍艦で、
主に通商破壊に用いられる。
第一次世界大戦において海の悪魔と恐れられた
ゼーアドラーも帆船に偽装した仮装巡洋艦だ。
話が逸れたが、陸側からの視点でも見てみよう。
西ローマと東ローマは蛮族の
闊歩する北側の陸地を避けて、
この海峡を船で渡って連携していた。
幅の狭いオトラント海峡は渡りやすく、
陸の道の通過点として機能していた。
第二次世界大戦ではイタリア軍が
この海峡を渡ってアルバニアに侵攻しているし、
冷戦末期にはアルバニアからの難民が
イタリアへと押し寄せた。
現在もドイツやイギリスを目指す難民たちは
このルートを通り、イタリアを経由して
西ヨーロッパを目指す。
こうした内海の出入り口たる海峡には
様々な歴史の物語が生まれては消えるのだ。
存在する海峡である。
ブーツのかかと部分だ。
ヴェネツィア共和国が強大な力を
持つようになると、ここは彼らにとって
最も重要な軍事的地形となる。
オトラント海峡を封鎖されれば
海運国家ヴェネツィアは
呼吸を止められるようなものだからだ。
実際に、第一次世界大戦では
オーストリア海軍による通商破壊を防ぐため、
オトラント海峡封鎖作戦が実施された。
海軍の活動を制限されたオーストリアは
幾度も夜襲をかけ、封鎖を解こうと努力したが、
いまひとつ成果は挙がらなかった。
封鎖は継続されたわけだが、
当時の技術では潜水艦の通行を
阻止することはできない。
つまり、潜水艦による通商破壊が戦果を挙げ、
連合国側は本来の目的を
達成できなかったと見るべきだろう。
この時の潜水艦の通商破壊能力が、
第二次世界大戦でのドイツ海軍の戦略に
影響を与えたであろうことは想像に難くない。
さて、第二次世界大戦でのオトラント海峡だが、
イタリアは地中海を庭とする海軍国である。
当然、オトラントには厳重な備えがあった。
だが、イタリア海軍の勇気は軍艦の大きさに
反比例するという言葉がある。
小型艦はそれはもう後世に語り継がれる
勇敢な戦いぶりを見せたのだが、
肝心の主力である戦艦や巡洋艦が振るわなかった。
イタリアがヨーロッパの柔らかい下腹部
などという不名誉な呼び方をされたのも
致し方のないことであった。
連合国艦隊が要衝であるはずの
オトラント海峡を通過し、
アドリア海へ侵攻できたのも事実である。
オトラント海峡海戦と呼ばれる戦いは一方的で、
連合国側は巡洋艦三隻、駆逐艦二隻で海峡へ侵入。
対してイタリアが防衛に出せたのは水雷艇一隻と、
仮装巡洋艦一隻であった。
商船に武器を積んだものも四隻あった。
この戦いでの連合国側の損害は無しである。
さもありなん。
なお、仮装巡洋艦というのは、
中立国の商船や客船に偽装した軍艦で、
主に通商破壊に用いられる。
第一次世界大戦において海の悪魔と恐れられた
ゼーアドラーも帆船に偽装した仮装巡洋艦だ。
話が逸れたが、陸側からの視点でも見てみよう。
西ローマと東ローマは蛮族の
闊歩する北側の陸地を避けて、
この海峡を船で渡って連携していた。
幅の狭いオトラント海峡は渡りやすく、
陸の道の通過点として機能していた。
第二次世界大戦ではイタリア軍が
この海峡を渡ってアルバニアに侵攻しているし、
冷戦末期にはアルバニアからの難民が
イタリアへと押し寄せた。
現在もドイツやイギリスを目指す難民たちは
このルートを通り、イタリアを経由して
西ヨーロッパを目指す。
こうした内海の出入り口たる海峡には
様々な歴史の物語が生まれては消えるのだ。
2019年3月26日火曜日
アドリア海
イタリア半島とバルカン半島の間の海域である。
波の穏やかなこの海は古来、
海運と漁業の場として多くの船が
行き交ってきた。
古代ローマにおいてはラヴェンナを中心とし、
ガレー船からなる海軍の本拠地でもあった。
潮流はバルカン半島側を北上し、
イタリア半島側を南下する。
つまり、ガレー船で移動する際には
この潮流を利用することで
省力化できたのだ。
このローマの裏庭とでも言うべき海は
外敵の侵入が容易ではないため、
安全な海域であった。
つまり、人と物の往来が自由に行える。
繁栄しない理由などないのだ。
ローマの衰退後も繁栄は続き、
ヴェネツィア共和国の経済力によって
その安定は維持されていた。
ヴェネツィアはサラセン人との交易により
ヨーロッパに東方の富をもたらす存在だ。
西側のナポリやジェノヴァとの競合にも
打ち克ち、一時期は強大な力を有していた。
オスマントルコの侵攻に際しても、
ヴェネツィア海軍を中心とする
神聖同盟艦隊は大勝を収めている。
さて、そんなヴェネツィアの繁栄の
舞台となったアドリア海だが、
実は近年深刻な危機に晒されている。
地中海自体が水の出入りの少ない
停滞した海なのだが、その中でも
アドリア海は更に閉鎖的だ。
水の循環の少ないアドリア海に
沿岸各国の生活排水が流れ込めばどうなるか、
少し想像すれば理解できるだろう。
また、北アフリカから吹く強い風、
シロッコという強風があるのだが、
これがサハラの砂を運んでくる。
工業地帯の煤煙とサハラの砂によって、
大気もまた汚染されているのだ。
地中海のアドリア海といえば誰もが憧れる
美しい海の代名詞であるが、
これが実情である。
アドリア海の女王と呼ばれたヴェネツィアも
アドリア海の真珠と呼ばれたドゥブロブニクも
現在では観光に頼る都市である。
アドリア海の汚染が進めば、
海の恵みを受けて成長してきた
沿岸の都市の数々は大打撃を受けるだろう。
トリエステなどの貨物港も他人事ではない。
タンカーのバラスト水が
汚染に一役買っているのだ。
近年では石油や天然ガスの海上プラントも作られ、
汚染は更に進んでいくと思われる。
波の穏やかなこの海は古来、
海運と漁業の場として多くの船が
行き交ってきた。
古代ローマにおいてはラヴェンナを中心とし、
ガレー船からなる海軍の本拠地でもあった。
潮流はバルカン半島側を北上し、
イタリア半島側を南下する。
つまり、ガレー船で移動する際には
この潮流を利用することで
省力化できたのだ。
このローマの裏庭とでも言うべき海は
外敵の侵入が容易ではないため、
安全な海域であった。
つまり、人と物の往来が自由に行える。
繁栄しない理由などないのだ。
ローマの衰退後も繁栄は続き、
ヴェネツィア共和国の経済力によって
その安定は維持されていた。
ヴェネツィアはサラセン人との交易により
ヨーロッパに東方の富をもたらす存在だ。
西側のナポリやジェノヴァとの競合にも
打ち克ち、一時期は強大な力を有していた。
オスマントルコの侵攻に際しても、
ヴェネツィア海軍を中心とする
神聖同盟艦隊は大勝を収めている。
さて、そんなヴェネツィアの繁栄の
舞台となったアドリア海だが、
実は近年深刻な危機に晒されている。
地中海自体が水の出入りの少ない
停滞した海なのだが、その中でも
アドリア海は更に閉鎖的だ。
水の循環の少ないアドリア海に
沿岸各国の生活排水が流れ込めばどうなるか、
少し想像すれば理解できるだろう。
また、北アフリカから吹く強い風、
シロッコという強風があるのだが、
これがサハラの砂を運んでくる。
工業地帯の煤煙とサハラの砂によって、
大気もまた汚染されているのだ。
地中海のアドリア海といえば誰もが憧れる
美しい海の代名詞であるが、
これが実情である。
アドリア海の女王と呼ばれたヴェネツィアも
アドリア海の真珠と呼ばれたドゥブロブニクも
現在では観光に頼る都市である。
アドリア海の汚染が進めば、
海の恵みを受けて成長してきた
沿岸の都市の数々は大打撃を受けるだろう。
トリエステなどの貨物港も他人事ではない。
タンカーのバラスト水が
汚染に一役買っているのだ。
近年では石油や天然ガスの海上プラントも作られ、
汚染は更に進んでいくと思われる。
2019年3月25日月曜日
イオニア海
イタリア半島南部とバルカン半島に挟まれ、
西にシチリア島が位置する海域である。
おそらく、普通は地中海の一部という
認識しかされないだろう。
実際のところ、わざわざイオニア海に
限定した話をされることは珍しく、
せいぜいイオニア海を渡るフェリーのことを
語る際に出てくる単語という程度かもしれない。
実際、こうして記事を書こうとして
何を書いたら良いか悩んでいるところだ。
しばし、考えた結果、アクティウムの海戦の
ことを書くしかないような気がしてきた。
この戦いは共和制ローマがローマ帝国へと
変わるに当たっての重要な一戦である。
カエサルの後継者オクタウィアヌスには
多くの敵がいたわけだが、ポンペイウスが敗れ、
レピドゥスが失脚したことで、
強敵はアントニウスだけとなった。
突然、ローマ人の名前を羅列してしまったが、
要するに、最初の皇帝アウグストゥスが
政敵を破っていったという話である。
有名なクレオパトラ七世と結んだアントニウスは
エジプト艦隊を率いて決戦に臨んだ。
この時に活躍したのがアウグストゥスの右腕、
名将アグリッパである。
アウグストゥスには戦いの才能が無かったが、
アグリッパを腹心とすることができたことが
彼の生涯を輝かしいものへと変えた。
歴代のローマ海軍は強大であったはずだが、
戦歴を見る限りいまひとつである。
ローマの将軍たちは海戦が苦手だったようだ。
だが、アグリッパはその難しい海戦で
二度の決定的な勝利を収めている。
特に、イオニア海で行われたアクティウムの海戦は、
相手がエジプト海軍を中心とした東方連合艦隊と
いうこともあり、かなり旗色が悪かったはずだ。
だが、結果はアグリッパの完勝である。
湾の封鎖や補給路の寸断など、
しっかりと下準備をした上での圧勝である。
クレオパトラ艦隊が早々に海域を離脱してしまい、
連合艦隊が統率を失ったことも、
単なる運やエジプト海軍の弱さ故ではないだろう。
戦いの結果アントニウスに与していた勢力は
転向し、アントニウスは自刃、クレオパトラも
毒蛇を使って自殺した。
こうして、政敵のいなくなったオクタウィアヌスは
皇帝アウグストゥスとなるのだ。
なお、アグリッパは陸でも強かった。
もし、アグリッパがアウグストゥスに
忠実でなかったならば彼は早々に戦いに敗れて
皇帝になることはなかったかもしれない。
以上、イオニア海についてほとんど語っていないが、
たまにはこんな日があってもいいだろう。
西にシチリア島が位置する海域である。
おそらく、普通は地中海の一部という
認識しかされないだろう。
実際のところ、わざわざイオニア海に
限定した話をされることは珍しく、
せいぜいイオニア海を渡るフェリーのことを
語る際に出てくる単語という程度かもしれない。
実際、こうして記事を書こうとして
何を書いたら良いか悩んでいるところだ。
しばし、考えた結果、アクティウムの海戦の
ことを書くしかないような気がしてきた。
この戦いは共和制ローマがローマ帝国へと
変わるに当たっての重要な一戦である。
カエサルの後継者オクタウィアヌスには
多くの敵がいたわけだが、ポンペイウスが敗れ、
レピドゥスが失脚したことで、
強敵はアントニウスだけとなった。
突然、ローマ人の名前を羅列してしまったが、
要するに、最初の皇帝アウグストゥスが
政敵を破っていったという話である。
有名なクレオパトラ七世と結んだアントニウスは
エジプト艦隊を率いて決戦に臨んだ。
この時に活躍したのがアウグストゥスの右腕、
名将アグリッパである。
アウグストゥスには戦いの才能が無かったが、
アグリッパを腹心とすることができたことが
彼の生涯を輝かしいものへと変えた。
歴代のローマ海軍は強大であったはずだが、
戦歴を見る限りいまひとつである。
ローマの将軍たちは海戦が苦手だったようだ。
だが、アグリッパはその難しい海戦で
二度の決定的な勝利を収めている。
特に、イオニア海で行われたアクティウムの海戦は、
相手がエジプト海軍を中心とした東方連合艦隊と
いうこともあり、かなり旗色が悪かったはずだ。
だが、結果はアグリッパの完勝である。
湾の封鎖や補給路の寸断など、
しっかりと下準備をした上での圧勝である。
クレオパトラ艦隊が早々に海域を離脱してしまい、
連合艦隊が統率を失ったことも、
単なる運やエジプト海軍の弱さ故ではないだろう。
戦いの結果アントニウスに与していた勢力は
転向し、アントニウスは自刃、クレオパトラも
毒蛇を使って自殺した。
こうして、政敵のいなくなったオクタウィアヌスは
皇帝アウグストゥスとなるのだ。
なお、アグリッパは陸でも強かった。
もし、アグリッパがアウグストゥスに
忠実でなかったならば彼は早々に戦いに敗れて
皇帝になることはなかったかもしれない。
以上、イオニア海についてほとんど語っていないが、
たまにはこんな日があってもいいだろう。
2019年3月24日日曜日
メディテラネア
北はヨーロッパ、東は西アジア、
南は北アフリカに挟まれた
巨大な地中海である。
地中海には小難しい定義があるのだが、
単純に地中海と言った場合、
十中八九この海のことだ。
メディテラネアとは大地の真ん中という意味で、
ヨーロッパとアフリカに版図を持っていた
ローマ帝国にとっては文字通りの意味であった。
トルコ語では白海と呼ばれており、
これは黒海と対を成す名称である。
厳密には黒海も含む範囲が地中海なのだが、
一般的には黒海及びマルマラ海を
除いた部分を指す。
元々はジブラルタル海峡とダーダルネス海峡以外に
出入り口は無かったが、ミディ運河とスエズ運河に
よりビスケー湾と紅海とも繋がっている。
一説によると、遠い昔にはジブラルタル海峡が
閉じていたこともあるらしい。また、カスピ海も
大昔にはこの海に接続していたそうだ。
人類史にとっては、西洋そのものであり、
この海域で起こった出来事の比重は大きい。
地中海の歴史は語り尽くせないだろう。
地中海という性質上、潮流、波、共に穏やかで、
技術的にあまり発展していない船であっても
容易に航行できたことが文明の揺籃と
なったと言っても良いだろう。
一方、風は強さはともかくとして、
向きが変わりやすく、一定しない。
このため、古代においては多くの櫂を持つ
ガレー船が発展した。
ガレー船はまさに地中海のための船であり、
外洋では波の高さ故に容易に沈没してしまう。
だが、労働力さえ確保できれば風向きに
左右されないガレー船はあまりに便利であり、
これが地中海における帆船の発展を
遅れさせてしまった。
ローマ帝国時代には地中海のすべての沿岸部が
ひとつの国家に属する状態が実現していた。
このことは海上交易の活発化に繋がり、
前述のガレー船の有用性もあり、
ローマの繁栄の主要因と言っても
過言ではないかもしれない。
余談だが、精強を謳われたローマ軍は
海戦ではあまり勝てていない。
海で強かった将軍といえば
アグリッパぐらいしかすぐには思い浮かばない。
さて、そんなローマ帝国も崩壊し、
イスラム帝国が伸長してくると、
地中海は北と南で二分されることになる。
ローマとフェニキアのように、
キリスト教諸国とオスマントルコは
制海権を巡って幾度も衝突した。
本邦とはあまり縁の無さそうな海域だが、
第一次大戦時には本邦から第二特務艦隊が
派遣されており、海軍国としての
存在感を示すことになった。
文明、戦争、経済、およそ人という生き物の
あらゆる活動の舞台である地中海だが、
そのすべてを書き記せるものではない。
後ろ髪を引かれる思いだが、
このぐらいの紹介に留めておこうと思う。
南は北アフリカに挟まれた
巨大な地中海である。
地中海には小難しい定義があるのだが、
単純に地中海と言った場合、
十中八九この海のことだ。
メディテラネアとは大地の真ん中という意味で、
ヨーロッパとアフリカに版図を持っていた
ローマ帝国にとっては文字通りの意味であった。
トルコ語では白海と呼ばれており、
これは黒海と対を成す名称である。
厳密には黒海も含む範囲が地中海なのだが、
一般的には黒海及びマルマラ海を
除いた部分を指す。
元々はジブラルタル海峡とダーダルネス海峡以外に
出入り口は無かったが、ミディ運河とスエズ運河に
よりビスケー湾と紅海とも繋がっている。
一説によると、遠い昔にはジブラルタル海峡が
閉じていたこともあるらしい。また、カスピ海も
大昔にはこの海に接続していたそうだ。
人類史にとっては、西洋そのものであり、
この海域で起こった出来事の比重は大きい。
地中海の歴史は語り尽くせないだろう。
地中海という性質上、潮流、波、共に穏やかで、
技術的にあまり発展していない船であっても
容易に航行できたことが文明の揺籃と
なったと言っても良いだろう。
一方、風は強さはともかくとして、
向きが変わりやすく、一定しない。
このため、古代においては多くの櫂を持つ
ガレー船が発展した。
ガレー船はまさに地中海のための船であり、
外洋では波の高さ故に容易に沈没してしまう。
だが、労働力さえ確保できれば風向きに
左右されないガレー船はあまりに便利であり、
これが地中海における帆船の発展を
遅れさせてしまった。
ローマ帝国時代には地中海のすべての沿岸部が
ひとつの国家に属する状態が実現していた。
このことは海上交易の活発化に繋がり、
前述のガレー船の有用性もあり、
ローマの繁栄の主要因と言っても
過言ではないかもしれない。
余談だが、精強を謳われたローマ軍は
海戦ではあまり勝てていない。
海で強かった将軍といえば
アグリッパぐらいしかすぐには思い浮かばない。
さて、そんなローマ帝国も崩壊し、
イスラム帝国が伸長してくると、
地中海は北と南で二分されることになる。
ローマとフェニキアのように、
キリスト教諸国とオスマントルコは
制海権を巡って幾度も衝突した。
本邦とはあまり縁の無さそうな海域だが、
第一次大戦時には本邦から第二特務艦隊が
派遣されており、海軍国としての
存在感を示すことになった。
文明、戦争、経済、およそ人という生き物の
あらゆる活動の舞台である地中海だが、
そのすべてを書き記せるものではない。
後ろ髪を引かれる思いだが、
このぐらいの紹介に留めておこうと思う。
2019年3月23日土曜日
クレタ島
地中海に浮かぶ広島県ほどの大きさの島である。
発音をより厳密にするならクレーテーであり、
現代ギリシア語ではクリティとなる。
アラビア語ではイクリーティシュだが、
クレーテーからの変形であることは明らかだ。
サラセン人がラブル・アル・ハンダクという
街を建設してからは島自体がハンダクスと
呼ばれるようになり、ここから更に
ラテン語で訛ってカンディアとなった。
現在はギリシア領であり
首府はイラクリオン。
このイラクリオンの前身がハンダクである。
クレタ島の代表的な遺跡クノッソス宮殿は
この街の南東に位置する。
クノッソス宮殿といえば迷宮であろう。
テセウスのミノタウロス退治の舞台である。
残念ながら現存していない、
あるいは実在していないが、
迷宮、ラビリンスという言葉の語源が
このクレタの迷宮なのだ。
ちなみに、クレタ式迷宮は一本道である。
道が枝分かれしないことが
実は迷宮の定義なのだ。
ゲームなどの娯楽分野で登場する迷宮が
一本道であることはまず無いのだが、
そこまで厳密にしてはゲーム性が低下する。
なお、枝分かれする道を持つ場合、
それは迷宮ではなく迷路と定義される。
さて、この地で栄えたミノア文明は
ギリシアやエジプトの影に隠れがちだが、
かなり進んだものであり、特に石造建築と
水力装置は特筆すべきものがある。
紀元前の水洗式のトイレなど、
いまひとつ想像しにくいだろう。
数々の遺跡やサマリア渓谷など見所は多く、
気候も、やや暑いが地中海特有の
とても気持ちの良いものである。
素晴らしいリゾート地であるという意見に
挟むべき異論は無い。
発音をより厳密にするならクレーテーであり、
現代ギリシア語ではクリティとなる。
アラビア語ではイクリーティシュだが、
クレーテーからの変形であることは明らかだ。
サラセン人がラブル・アル・ハンダクという
街を建設してからは島自体がハンダクスと
呼ばれるようになり、ここから更に
ラテン語で訛ってカンディアとなった。
現在はギリシア領であり
首府はイラクリオン。
このイラクリオンの前身がハンダクである。
クレタ島の代表的な遺跡クノッソス宮殿は
この街の南東に位置する。
クノッソス宮殿といえば迷宮であろう。
テセウスのミノタウロス退治の舞台である。
残念ながら現存していない、
あるいは実在していないが、
迷宮、ラビリンスという言葉の語源が
このクレタの迷宮なのだ。
ちなみに、クレタ式迷宮は一本道である。
道が枝分かれしないことが
実は迷宮の定義なのだ。
ゲームなどの娯楽分野で登場する迷宮が
一本道であることはまず無いのだが、
そこまで厳密にしてはゲーム性が低下する。
なお、枝分かれする道を持つ場合、
それは迷宮ではなく迷路と定義される。
さて、この地で栄えたミノア文明は
ギリシアやエジプトの影に隠れがちだが、
かなり進んだものであり、特に石造建築と
水力装置は特筆すべきものがある。
紀元前の水洗式のトイレなど、
いまひとつ想像しにくいだろう。
数々の遺跡やサマリア渓谷など見所は多く、
気候も、やや暑いが地中海特有の
とても気持ちの良いものである。
素晴らしいリゾート地であるという意見に
挟むべき異論は無い。
2019年3月22日金曜日
レフコシア
キプロス島に位置するキプロス共和国と
北キプロストルコ共和国の首都である。
地中海の東の奥、トルコのあるアナトリア半島の
南側に位置するキプロス島は、
古い文明の残る土地だ。
首都レフコシアは諸外国からニコシアと呼ばれ、
本邦でもニコシアの方が知名度が高いだろう。
元々はレドラという名の都市国家であったが、
徐々に衰退していった。
そんなレドラを再建したのは、プトレマイオス朝
エジプト創始者プトレマイオスの
息子レフコスであった。
レフコスの名をとってレフコシアと改名した街は、
キプロス島の中心地として栄えるようになる。
海賊の横行によって海岸沿いの港から
この内陸の街に逃げてくる人々が多く、
繁栄は人口増加によるものだ。
オスマントルコが隆盛してからは
帝国に飲み込まれ、後にイギリスに統治される。
反イギリスの闘争を経て、独立国家となるのだが、
ギリシア系住民とトルコ系住民の対立の
根は深く、南北に分断される形になってしまった。
すなわち、南半分はギリシア系のキプロス共和国、
北半分はトルコ系の北キプロストルコ共和国と
なり、現在でも争いの火種がくすぶっている。
分断国家としては珍しいことに、
どちらの国もレフコシアが首都である。
トルコ語ではレフコシャだがほぼ同じだ。
ギリシア軍とトルコ軍の対峙する緊迫した
キプロス情勢だが、そのままではギリシアと
トルコの戦争になってしまうため、
キプロス島には第三者の軍隊が駐留している。
皮肉なことにそれはかつて独立のために
敵として戦ったイギリス軍である。
島の南西と東にアクロティリとデケリアという
街があるのだが、そこがイギリス軍の
駐留基地となっている。
当然住民はイギリスに良い感情を持っていないが、
キプロス紛争再燃の抑止力になっているのは
疑いようもない事実である。
さて、レフコシアの街には面白いことに
ゴシック建築のマスジッドがある。
正教会の聖ソフィア大聖堂がオスマントルコ時代に
セリミエジャーミイというマスジッドに
改築されたもので、二本の塔が追加されている。
なお、ふたつの国の首都であるレフコシアには、
複雑な国境線が敷かれている。
ベルリンの壁のようなものは無く、
入り組んだ建物単位で南北の領域が分かれている。
非常に不思議な光景だ。
キリスト教徒とイスラム教徒、
ギリシア人とトルコ人、
この対立の構図がいつまで続くかはわからない。
イデオロギー対立解消の目途が立たないため、
当面は分断国家として存在し続けるのだろう。
北キプロストルコ共和国の首都である。
地中海の東の奥、トルコのあるアナトリア半島の
南側に位置するキプロス島は、
古い文明の残る土地だ。
首都レフコシアは諸外国からニコシアと呼ばれ、
本邦でもニコシアの方が知名度が高いだろう。
元々はレドラという名の都市国家であったが、
徐々に衰退していった。
そんなレドラを再建したのは、プトレマイオス朝
エジプト創始者プトレマイオスの
息子レフコスであった。
レフコスの名をとってレフコシアと改名した街は、
キプロス島の中心地として栄えるようになる。
海賊の横行によって海岸沿いの港から
この内陸の街に逃げてくる人々が多く、
繁栄は人口増加によるものだ。
オスマントルコが隆盛してからは
帝国に飲み込まれ、後にイギリスに統治される。
反イギリスの闘争を経て、独立国家となるのだが、
ギリシア系住民とトルコ系住民の対立の
根は深く、南北に分断される形になってしまった。
すなわち、南半分はギリシア系のキプロス共和国、
北半分はトルコ系の北キプロストルコ共和国と
なり、現在でも争いの火種がくすぶっている。
分断国家としては珍しいことに、
どちらの国もレフコシアが首都である。
トルコ語ではレフコシャだがほぼ同じだ。
ギリシア軍とトルコ軍の対峙する緊迫した
キプロス情勢だが、そのままではギリシアと
トルコの戦争になってしまうため、
キプロス島には第三者の軍隊が駐留している。
皮肉なことにそれはかつて独立のために
敵として戦ったイギリス軍である。
島の南西と東にアクロティリとデケリアという
街があるのだが、そこがイギリス軍の
駐留基地となっている。
当然住民はイギリスに良い感情を持っていないが、
キプロス紛争再燃の抑止力になっているのは
疑いようもない事実である。
さて、レフコシアの街には面白いことに
ゴシック建築のマスジッドがある。
正教会の聖ソフィア大聖堂がオスマントルコ時代に
セリミエジャーミイというマスジッドに
改築されたもので、二本の塔が追加されている。
なお、ふたつの国の首都であるレフコシアには、
複雑な国境線が敷かれている。
ベルリンの壁のようなものは無く、
入り組んだ建物単位で南北の領域が分かれている。
非常に不思議な光景だ。
キリスト教徒とイスラム教徒、
ギリシア人とトルコ人、
この対立の構図がいつまで続くかはわからない。
イデオロギー対立解消の目途が立たないため、
当面は分断国家として存在し続けるのだろう。
2019年3月21日木曜日
アリヅカコオロギ
アリとキリギリスの話を知っているだろう。
蟻は夏に勤勉に働き、
キリギリスは歌い遊び呆けていたために
冬に両者に差が出るという話だ。
本来はキリギリスは飢え死にする話なのだが、
近代に入ってからは蟻が食べ物を恵んでやる話、
更にはその見返りとしてキリギリスが
音楽で楽しませる話へと時と共に変わっている。
さて、アリヅカコオロギという虫がいる。
この虫は、徘徊中の蟻の体を舐め、
その体の匂いを自分も発するという
特殊な能力を持っている。
蟻は嗅覚で世界を認識しているため、
このアリヅカコオロギを自分の仲間だと
思い込んでしまうのだ。
アリヅカコオロギは図々しくも
匂いを獲得した蟻の巣へと侵入し、
そこで暮らすことになる。
蟻は蟻同士で食べ物を口移しし、
食事の時間のとれないものに
餌を分け与える性質を持つ。
アリヅカコオロギはこの口移しの催促を
蟻へと行い、まんまと餌をせしめるのだ。
完全な穀潰しの居候である。
音楽を奏でて楽しませるようなことは
もちろん無い。
蟻に直接的な危害は与えないが、
一方的に利益を享受する寄生である。
蟻の巣の中は外敵のいない安全地帯だが、
アリヅカコオロギの匂い作戦は完璧ではない。
時折仲間ではないと気付かれてしまう。
しかし、この昆虫の感覚器官は優れており、
更には蟻より敏捷な運動能力を持っている。
穀潰しに気付き排除しようとした蟻の攻撃を
ひらりとかわしてしまうのだ。
そして、蟻を舐め、匂いをまといなおす。
ちなみに、冒頭でしたアリとキリギリスの
話だが、原典はアリとセミである。
セミの生息する地域で生まれた寓話が、
セミの珍しい地域へと伝播し、
キリギリスへと置き換えられた。
本邦へはキリギリス版が伝えられたのだ。
元々の飢え死にする話も、
セミであればよりイメージがしやすい。
蟻に生かされる話にも発展しなかっただろう。
というわけで、無理矢理話を結び付けたが、
アリとキリギリスの話とアリヅカコオロギは
何の関係も無い。
なお、コオロギとは元々鳴く虫全般を指す
言葉であったが、
アリヅカコウロギは鳴かない。
こすり合わせる羽を持たないためだ。
ここで話を締めようと思ったのだが、
念のためアリヅカコオロギのことを調べて
驚きの新事実を知ってしまった。
いや、私が知らなかっただけで
新発見ではないのだが、
なんとこの居候、蟻の卵を食べる。
図々しいだけの輩かと思っていたが、
完全に害を成す存在だったようだ。
蟻の巣の中には他にも様々な生き物が
隠れ潜んでいる。
蟻には蟻の苦労があるようだ。
蟻は夏に勤勉に働き、
キリギリスは歌い遊び呆けていたために
冬に両者に差が出るという話だ。
本来はキリギリスは飢え死にする話なのだが、
近代に入ってからは蟻が食べ物を恵んでやる話、
更にはその見返りとしてキリギリスが
音楽で楽しませる話へと時と共に変わっている。
さて、アリヅカコオロギという虫がいる。
この虫は、徘徊中の蟻の体を舐め、
その体の匂いを自分も発するという
特殊な能力を持っている。
蟻は嗅覚で世界を認識しているため、
このアリヅカコオロギを自分の仲間だと
思い込んでしまうのだ。
アリヅカコオロギは図々しくも
匂いを獲得した蟻の巣へと侵入し、
そこで暮らすことになる。
蟻は蟻同士で食べ物を口移しし、
食事の時間のとれないものに
餌を分け与える性質を持つ。
アリヅカコオロギはこの口移しの催促を
蟻へと行い、まんまと餌をせしめるのだ。
完全な穀潰しの居候である。
音楽を奏でて楽しませるようなことは
もちろん無い。
蟻に直接的な危害は与えないが、
一方的に利益を享受する寄生である。
蟻の巣の中は外敵のいない安全地帯だが、
アリヅカコオロギの匂い作戦は完璧ではない。
時折仲間ではないと気付かれてしまう。
しかし、この昆虫の感覚器官は優れており、
更には蟻より敏捷な運動能力を持っている。
穀潰しに気付き排除しようとした蟻の攻撃を
ひらりとかわしてしまうのだ。
そして、蟻を舐め、匂いをまといなおす。
ちなみに、冒頭でしたアリとキリギリスの
話だが、原典はアリとセミである。
セミの生息する地域で生まれた寓話が、
セミの珍しい地域へと伝播し、
キリギリスへと置き換えられた。
本邦へはキリギリス版が伝えられたのだ。
元々の飢え死にする話も、
セミであればよりイメージがしやすい。
蟻に生かされる話にも発展しなかっただろう。
というわけで、無理矢理話を結び付けたが、
アリとキリギリスの話とアリヅカコオロギは
何の関係も無い。
なお、コオロギとは元々鳴く虫全般を指す
言葉であったが、
アリヅカコウロギは鳴かない。
こすり合わせる羽を持たないためだ。
ここで話を締めようと思ったのだが、
念のためアリヅカコオロギのことを調べて
驚きの新事実を知ってしまった。
いや、私が知らなかっただけで
新発見ではないのだが、
なんとこの居候、蟻の卵を食べる。
図々しいだけの輩かと思っていたが、
完全に害を成す存在だったようだ。
蟻の巣の中には他にも様々な生き物が
隠れ潜んでいる。
蟻には蟻の苦労があるようだ。
2019年3月20日水曜日
クロシジミ
茶色く地味な蝶である。
シジミ貝のように見えるので
シジミチョウと呼ばれる種類の仲間だ。
シジミチョウの仲間は変わったものを
食べるものが多い。
普通、蝶の幼虫といえば葉を食うものだが、
シジミチョウの中にはアリマキを
食べる肉食のものまで存在する。
そんな中でもクロシジミは、
しばらくの間はアリマキの出す
甘露を食べて育つ。
そうして育つうちに、アリマキの甘露に
ひと工夫加えたものを背中から
分泌することができるようになる。
クロシジミの甘露は蟻にとって
魅惑の味がするらしい。
アリマキの出す甘露など霞むほど、
クロシジミの甘露に夢中になる。
そして、しまいにはクロシジミを
自分たちの巣へと運び込んでしまうのだ。
だが、これはクロシジミの作戦である。
幼虫は自分を巣に連れてきた
蟻の雄と同じ匂いを発するようになる。
蟻の雄というものは、次代の女王が
旅立つ時に随伴し、卵を授精させる
ことだけが役割である。
つまり、普段は巣の中ですることもなく、
働き蟻から世話をされるだけ
されて生きている。
クロシジミの幼虫はその雄蟻に化けるのだ。
働き蟻はせっせとクロシジミの世話をする。
安全な蟻の巣の中で、動く必要もなく、
体の掃除もしてもらえ、
食べ物が運ばれてくる暮らしだ。
甘露を出して蟻にご馳走を提供しているので
そのぐらいはしてもらっても
いいのかもしれないが。
それにしても、生まれてすぐの頃も
アリマキから甘露をくすねていたことを
考えると、本当に横着な虫である。
だが、クロシジミの蟻との生活は
ゴマシジミと比べれば共生と言っていいだろう。
クロシジミとよく似たゴマシジミは
やはり蟻の巣へと運ばれる戦略を持つ。
しかし、そこですることは、
ただ運ばれてくる餌を口にするという
怠惰なものではない。
蟻の幼虫を貪り喰らうのだ。
トロイの木馬も真っ青である。
蟻たちは自分たちの幼虫が
食われていることに気付きもせずに
ゴマシジミの幼虫の世話を続ける。
ホラーではないだろうか。
ちなみに甘露は出さなくなる。
自分たちの子供が栄養源の甘露を
口にすることを想像するとホラー感が
増すのでこのぐらいでいいかもしれない。
なお、クロシジミもゴマシジミも、
ある程度成長すると蟻の巣の出口付近まで
自力で移動してから蛹になる。
羽化すると蟻に擬態する匂いが使えなくなるので、
たちまち蟻から食べ物と認識されてしまうのだ。
なので、さっさと飛び立つ。
他のシジミチョウも蟻と関係の深いものが多く、
甘露を出すことのできるものが少なくない。
好蟻性生物という言葉があるほど、
蟻と関わりを持つことにメリットのある
生き物は数多い。
やはり蟻はすごい生き物である。
シジミ貝のように見えるので
シジミチョウと呼ばれる種類の仲間だ。
シジミチョウの仲間は変わったものを
食べるものが多い。
普通、蝶の幼虫といえば葉を食うものだが、
シジミチョウの中にはアリマキを
食べる肉食のものまで存在する。
そんな中でもクロシジミは、
しばらくの間はアリマキの出す
甘露を食べて育つ。
そうして育つうちに、アリマキの甘露に
ひと工夫加えたものを背中から
分泌することができるようになる。
クロシジミの甘露は蟻にとって
魅惑の味がするらしい。
アリマキの出す甘露など霞むほど、
クロシジミの甘露に夢中になる。
そして、しまいにはクロシジミを
自分たちの巣へと運び込んでしまうのだ。
だが、これはクロシジミの作戦である。
幼虫は自分を巣に連れてきた
蟻の雄と同じ匂いを発するようになる。
蟻の雄というものは、次代の女王が
旅立つ時に随伴し、卵を授精させる
ことだけが役割である。
つまり、普段は巣の中ですることもなく、
働き蟻から世話をされるだけ
されて生きている。
クロシジミの幼虫はその雄蟻に化けるのだ。
働き蟻はせっせとクロシジミの世話をする。
安全な蟻の巣の中で、動く必要もなく、
体の掃除もしてもらえ、
食べ物が運ばれてくる暮らしだ。
甘露を出して蟻にご馳走を提供しているので
そのぐらいはしてもらっても
いいのかもしれないが。
それにしても、生まれてすぐの頃も
アリマキから甘露をくすねていたことを
考えると、本当に横着な虫である。
だが、クロシジミの蟻との生活は
ゴマシジミと比べれば共生と言っていいだろう。
クロシジミとよく似たゴマシジミは
やはり蟻の巣へと運ばれる戦略を持つ。
しかし、そこですることは、
ただ運ばれてくる餌を口にするという
怠惰なものではない。
蟻の幼虫を貪り喰らうのだ。
トロイの木馬も真っ青である。
蟻たちは自分たちの幼虫が
食われていることに気付きもせずに
ゴマシジミの幼虫の世話を続ける。
ホラーではないだろうか。
ちなみに甘露は出さなくなる。
自分たちの子供が栄養源の甘露を
口にすることを想像するとホラー感が
増すのでこのぐらいでいいかもしれない。
なお、クロシジミもゴマシジミも、
ある程度成長すると蟻の巣の出口付近まで
自力で移動してから蛹になる。
羽化すると蟻に擬態する匂いが使えなくなるので、
たちまち蟻から食べ物と認識されてしまうのだ。
なので、さっさと飛び立つ。
他のシジミチョウも蟻と関係の深いものが多く、
甘露を出すことのできるものが少なくない。
好蟻性生物という言葉があるほど、
蟻と関わりを持つことにメリットのある
生き物は数多い。
やはり蟻はすごい生き物である。
2019年3月19日火曜日
アリマキ
いわゆるアブラムシである。
蟻牧と書く。
牧とは家畜を飼育することである。
蟻が飼育されているのかアブラムシが
飼育されているのかは不明だが、
蟻とアリマキはそういう関係にある。
アリマキは硬い甲殻も鋭い顎も、
敵を刺す針も、鎌も鋏も羽も無い。
もちろん毒も無い。
ただ、植物の茎に尖った口を刺し、
液を吸い続ける生き物だ。
吸った植物の汁は体内の微生物によって
分解され、糖分となる。
しかし、ゴマ粒大の大きさのアリマキに、
生産されるエネルギー量は多すぎる。
余計な糖分は尻からひり出されるのだが、
これを蟻がいただくことになっている。
蟻はこの食料源を守るため、
アリマキの天敵が近寄ると、
自分たちの巣が攻撃されたかのように
果敢に戦いを挑み撃退する。
つまり、アリマキにしてみれば、
蟻に餌をやって守ってもらっているのだ。
蟻にしてみれば、守ってやる代わりに
甘露をいただくというわけだ。
牧とは言っても、
どちらが飼っているのかわからない。
こういう関係を共生という。
さて、アリマキの力はそれだけではない。
繁殖力が凄まじいのだ。
アリマキには基本的には雌しかいない。
一匹の雌が、自分と同じ遺伝子を持つ
娘たちを大量に生む。
驚くべきは、この子供たちは卵の中に
いるうちから既に自分が産む卵を育んでいる。
ゆえに、たった一匹が爆発的に増える。
植物にびっしりと付いたアリマキを
見たことがあるのではないだろうか。
とても気持ち悪い。
一か所に大量に固まって生息している
何の戦闘力も無いこの虫を捕食する虫は多い。
代表的なものはテントウ虫だろう。
それはもう、食べ放題状態で、
もりもりと食べていく。
それでも壊滅しないほど
アリマキの繁殖力は強いし、
蟻というボディガードもいる。
そんなアリマキも冬が近づくと特別な卵を産む。
雄が生まれる卵だ。
雄には羽があり、他の植物の茎へと飛んでいく。
そこで雌と出会い、新たな遺伝子を生み出すのだ。
種類によっては糖分ではなくワックスをひり出す。
これは蟻ではなく人が大喜びする物質だ。
ワックスや染料を生産するカイガラムシは
人間によって飼われることになる。
また、蟻のように兵隊を生み出す種類もいる。
食事も繁殖もせずに外敵と
戦うだけの個体が育つのだ。
なかなか興味深い昆虫である。
ただし、気持ち悪い。
ちなみに、アリマキはカメムシと近い種類だ。
気持ち悪さを助長する情報である。
蟻牧と書く。
牧とは家畜を飼育することである。
蟻が飼育されているのかアブラムシが
飼育されているのかは不明だが、
蟻とアリマキはそういう関係にある。
アリマキは硬い甲殻も鋭い顎も、
敵を刺す針も、鎌も鋏も羽も無い。
もちろん毒も無い。
ただ、植物の茎に尖った口を刺し、
液を吸い続ける生き物だ。
吸った植物の汁は体内の微生物によって
分解され、糖分となる。
しかし、ゴマ粒大の大きさのアリマキに、
生産されるエネルギー量は多すぎる。
余計な糖分は尻からひり出されるのだが、
これを蟻がいただくことになっている。
蟻はこの食料源を守るため、
アリマキの天敵が近寄ると、
自分たちの巣が攻撃されたかのように
果敢に戦いを挑み撃退する。
つまり、アリマキにしてみれば、
蟻に餌をやって守ってもらっているのだ。
蟻にしてみれば、守ってやる代わりに
甘露をいただくというわけだ。
牧とは言っても、
どちらが飼っているのかわからない。
こういう関係を共生という。
さて、アリマキの力はそれだけではない。
繁殖力が凄まじいのだ。
アリマキには基本的には雌しかいない。
一匹の雌が、自分と同じ遺伝子を持つ
娘たちを大量に生む。
驚くべきは、この子供たちは卵の中に
いるうちから既に自分が産む卵を育んでいる。
ゆえに、たった一匹が爆発的に増える。
植物にびっしりと付いたアリマキを
見たことがあるのではないだろうか。
とても気持ち悪い。
一か所に大量に固まって生息している
何の戦闘力も無いこの虫を捕食する虫は多い。
代表的なものはテントウ虫だろう。
それはもう、食べ放題状態で、
もりもりと食べていく。
それでも壊滅しないほど
アリマキの繁殖力は強いし、
蟻というボディガードもいる。
そんなアリマキも冬が近づくと特別な卵を産む。
雄が生まれる卵だ。
雄には羽があり、他の植物の茎へと飛んでいく。
そこで雌と出会い、新たな遺伝子を生み出すのだ。
種類によっては糖分ではなくワックスをひり出す。
これは蟻ではなく人が大喜びする物質だ。
ワックスや染料を生産するカイガラムシは
人間によって飼われることになる。
また、蟻のように兵隊を生み出す種類もいる。
食事も繁殖もせずに外敵と
戦うだけの個体が育つのだ。
なかなか興味深い昆虫である。
ただし、気持ち悪い。
ちなみに、アリマキはカメムシと近い種類だ。
気持ち悪さを助長する情報である。
2019年3月18日月曜日
ミツバアリ
見掛けることのまずない蟻である。
何故かと言うと巣から出ないからだ。
巣から出ないのにどうして
生きていけるのか不思議に思うだろう。
ハキリアリはキノコを栽培する農業蟻だが、
このミツバアリの仲間は
アリマキを飼育する牧畜蟻なのだ。
アリノタカラと呼ばれる種類の
アリマキ、つまりカイガラムシがいる。
木の根から樹液を吸い、体内の微生物の
助けを得てそれを栄養に変えるのだが、
必要以上の糖分が生産されてしまう。
アリマキはこうした余計な糖分を
尻からひり出すのだが、
それを蟻が食料にするのだ。
このため、蟻はアリマキを保護するのだが、
アリノタカラとミツバアリ、
この種類のアリマキと蟻は筋金入りである。
アリノタカラは自分で移動することができない。
更にはミツバアリに体のメンテナンスを
してもらわなければ死んでしまう。
対して、ミツバアリはアリノタカラの
分泌する糖分だけを食べて生きている。
そして、それらの行為はすべて
ミツバアリの巣の中で行われる。
ヨツバアリやイツツバアリもいて、
それらに対応するアリノタカラもいる。
組み合わせが違うと生きていけないらしい。
さて、巣から出ないミツバアリだが、
一度だけ外に出る機会がある。
新しく女王となる蟻が、雄の羽蟻たちと共に
結婚飛行をする際だ。
他の蟻と同様に、交尾を行った女王蟻は、
新たな巣を掘り、新たな王国を作り出す。
ミツバアリの驚くべき点は、この新女王、
巣から飛び立つ際に、アリノタカラを一匹
口にくわえて出てくるのだ。
結婚飛行を行う間も、新たな巣を作る間も、
アリノタカラをくわえ続ける。
そして、新しい巣の中で、
木の根にアリノタカラを置くのだ。
木にとっては迷惑かもしれないが、
蟻たちの糞が案外栄養になっている
可能性もある。
もの凄いエネルギー循環ではないだろうか。
何故かと言うと巣から出ないからだ。
巣から出ないのにどうして
生きていけるのか不思議に思うだろう。
ハキリアリはキノコを栽培する農業蟻だが、
このミツバアリの仲間は
アリマキを飼育する牧畜蟻なのだ。
アリノタカラと呼ばれる種類の
アリマキ、つまりカイガラムシがいる。
木の根から樹液を吸い、体内の微生物の
助けを得てそれを栄養に変えるのだが、
必要以上の糖分が生産されてしまう。
アリマキはこうした余計な糖分を
尻からひり出すのだが、
それを蟻が食料にするのだ。
このため、蟻はアリマキを保護するのだが、
アリノタカラとミツバアリ、
この種類のアリマキと蟻は筋金入りである。
アリノタカラは自分で移動することができない。
更にはミツバアリに体のメンテナンスを
してもらわなければ死んでしまう。
対して、ミツバアリはアリノタカラの
分泌する糖分だけを食べて生きている。
そして、それらの行為はすべて
ミツバアリの巣の中で行われる。
ヨツバアリやイツツバアリもいて、
それらに対応するアリノタカラもいる。
組み合わせが違うと生きていけないらしい。
さて、巣から出ないミツバアリだが、
一度だけ外に出る機会がある。
新しく女王となる蟻が、雄の羽蟻たちと共に
結婚飛行をする際だ。
他の蟻と同様に、交尾を行った女王蟻は、
新たな巣を掘り、新たな王国を作り出す。
ミツバアリの驚くべき点は、この新女王、
巣から飛び立つ際に、アリノタカラを一匹
口にくわえて出てくるのだ。
結婚飛行を行う間も、新たな巣を作る間も、
アリノタカラをくわえ続ける。
そして、新しい巣の中で、
木の根にアリノタカラを置くのだ。
木にとっては迷惑かもしれないが、
蟻たちの糞が案外栄養になっている
可能性もある。
もの凄いエネルギー循環ではないだろうか。
2019年3月17日日曜日
マタベレアリ
シロアリの天敵とでもいうべき蟻である。
サハラ南部に生息しており、
隊列を組んでシロアリの蟻塚を襲撃し、
自分たちの食料とする。
その鮮やかな戦いぶりは、多くの戦いに
勝利した勇敢な部族マタベレ族に
例えられ、この名で呼ばれている。
斥候蟻はシロアリの蟻塚を発見すると、
最短距離ではなく、最も平坦で通行しやすい
最速距離を探しながら巣へと帰る。
これは襲撃部隊が進軍しやすいルートを
予め用意しておくという周到な行動だ。
また、蟻塚を発見できなかった場合は、
なるべく遠回りをして巣へと帰り、
情報収集を怠らない。
なお、斥候蟻はシロアリとの
接触を極力避けるという。
シロアリにも兵隊蟻がいるため、
攻撃を受けず確実に情報を
持ち帰るためだろう。
こうした斥候蟻の存在は非常に特徴的だが、
マタベレアリにはもっと驚くべき
役割を持った蟻が存在する。
衛生兵蟻である。
シロアリとの戦いで負傷した仲間を救出し、
治療を施すのだ。
治療と言っても蟻である、
傷口を舐めるだけなのだが、
どうやらこれが感染症を防ぐらしい。
治療を受けた蟻の多くは回復し、
後に再び戦線に復帰することが可能だ。
戦場から負傷した仲間を担ぎ出す姿は
英雄的ですらある。
なお、足を何本も失い、治療を受けても
助かる見込みが無い蟻は、自分自身で
それを察し、衛生兵蟻の救護を拒否する。
戦場のドラマが日々繰り返されているのだ。
ところで、攻撃行動の特異なマタベレアリだが、
自分たちの巣の防衛は得意ではないらしい。
だが、グンタイアリのような
放浪するタイプの蟻が巣に近付くと、
彼らの体のメンテナンスを行うという。
脚や触角についた汚れを取り除くわけだが、
放浪蟻はおそらくこうした献身により、
彼らを襲うことが無い。
彼らの巣の周辺を放浪蟻がうろつくことになり、
巣が他の生き物によって襲われる
可能性が低下するのだ。
蟻とひとくちに言っても様々な種類が存在する。
そして、驚くべき不思議な性質
を持つものが少なくない。
まったく、大変興味深い生き物である。
サハラ南部に生息しており、
隊列を組んでシロアリの蟻塚を襲撃し、
自分たちの食料とする。
その鮮やかな戦いぶりは、多くの戦いに
勝利した勇敢な部族マタベレ族に
例えられ、この名で呼ばれている。
斥候蟻はシロアリの蟻塚を発見すると、
最短距離ではなく、最も平坦で通行しやすい
最速距離を探しながら巣へと帰る。
これは襲撃部隊が進軍しやすいルートを
予め用意しておくという周到な行動だ。
また、蟻塚を発見できなかった場合は、
なるべく遠回りをして巣へと帰り、
情報収集を怠らない。
なお、斥候蟻はシロアリとの
接触を極力避けるという。
シロアリにも兵隊蟻がいるため、
攻撃を受けず確実に情報を
持ち帰るためだろう。
こうした斥候蟻の存在は非常に特徴的だが、
マタベレアリにはもっと驚くべき
役割を持った蟻が存在する。
衛生兵蟻である。
シロアリとの戦いで負傷した仲間を救出し、
治療を施すのだ。
治療と言っても蟻である、
傷口を舐めるだけなのだが、
どうやらこれが感染症を防ぐらしい。
治療を受けた蟻の多くは回復し、
後に再び戦線に復帰することが可能だ。
戦場から負傷した仲間を担ぎ出す姿は
英雄的ですらある。
なお、足を何本も失い、治療を受けても
助かる見込みが無い蟻は、自分自身で
それを察し、衛生兵蟻の救護を拒否する。
戦場のドラマが日々繰り返されているのだ。
ところで、攻撃行動の特異なマタベレアリだが、
自分たちの巣の防衛は得意ではないらしい。
だが、グンタイアリのような
放浪するタイプの蟻が巣に近付くと、
彼らの体のメンテナンスを行うという。
脚や触角についた汚れを取り除くわけだが、
放浪蟻はおそらくこうした献身により、
彼らを襲うことが無い。
彼らの巣の周辺を放浪蟻がうろつくことになり、
巣が他の生き物によって襲われる
可能性が低下するのだ。
蟻とひとくちに言っても様々な種類が存在する。
そして、驚くべき不思議な性質
を持つものが少なくない。
まったく、大変興味深い生き物である。
2019年3月16日土曜日
ヒアリ
火蟻と書く。
英語ではファイアアントだ。
体色は赤いが、ファンタジー生物のように
燃えているわけでも火を吹くわけでもない。
尻に堅い針を持ち、そこから毒を注入する
ことができるのだが、毒を受けると
焼けるような痛みに襲われる。
これが火の名の由来だ。
元々は南アメリカに生息する蟻だが、
材木などと共に世界中に広まっている。
アルゼンチンアリほどではないが、
非常に獰猛なため、在来の蟻を駆逐し、
生態系を狂わせてしまう危険な外来種だ。
ハキリアリやグンタイアリのように
働き蟻には役割に応じて様々な
姿の者がいる。
また、雨季には水没する地域に生息するため、
互いにつかまり合ってイカダを作り、
女王や蛹を保護する行動をとる。
巣は小さめの蟻塚を形成するのだが、
本邦の在来蟻にはこのタイプはいない。
蟻塚を見たらそれはヒアリの巣である。
ヒアリに刺されると激しい痛みと共に
痒みを感じ、場合によっては蕁麻疹が出る。
ヒアリの毒で人間が命を落とすことは
ないのだが、アナフィラキシーショックが
起こってしまう場合がある。
アナフィラキシーショックとは、
すでに抗体のできているアレルギー物質が
再び侵入した際に、免疫が過剰反応してしまう
現象のことで、死に至る場合がある。
つまり、結果的にではあるが、
ヒアリの毒で死亡する可能性はあるので、
蟻塚を見たら近寄らずに通報してほしい。
なお、蟻対蟻の戦いではそれほど強い蟻ではない。
しばしば他の蟻との戦いに敗れ、
女王を殺されてしまう。
本邦の在来蟻でも十分太刀打ちできるため、
船荷からの侵入さえ防いでいければ
ヒアリ騒ぎは収束していくだろう。
英語ではファイアアントだ。
体色は赤いが、ファンタジー生物のように
燃えているわけでも火を吹くわけでもない。
尻に堅い針を持ち、そこから毒を注入する
ことができるのだが、毒を受けると
焼けるような痛みに襲われる。
これが火の名の由来だ。
元々は南アメリカに生息する蟻だが、
材木などと共に世界中に広まっている。
アルゼンチンアリほどではないが、
非常に獰猛なため、在来の蟻を駆逐し、
生態系を狂わせてしまう危険な外来種だ。
ハキリアリやグンタイアリのように
働き蟻には役割に応じて様々な
姿の者がいる。
また、雨季には水没する地域に生息するため、
互いにつかまり合ってイカダを作り、
女王や蛹を保護する行動をとる。
巣は小さめの蟻塚を形成するのだが、
本邦の在来蟻にはこのタイプはいない。
蟻塚を見たらそれはヒアリの巣である。
ヒアリに刺されると激しい痛みと共に
痒みを感じ、場合によっては蕁麻疹が出る。
ヒアリの毒で人間が命を落とすことは
ないのだが、アナフィラキシーショックが
起こってしまう場合がある。
アナフィラキシーショックとは、
すでに抗体のできているアレルギー物質が
再び侵入した際に、免疫が過剰反応してしまう
現象のことで、死に至る場合がある。
つまり、結果的にではあるが、
ヒアリの毒で死亡する可能性はあるので、
蟻塚を見たら近寄らずに通報してほしい。
なお、蟻対蟻の戦いではそれほど強い蟻ではない。
しばしば他の蟻との戦いに敗れ、
女王を殺されてしまう。
本邦の在来蟻でも十分太刀打ちできるため、
船荷からの侵入さえ防いでいければ
ヒアリ騒ぎは収束していくだろう。
2019年3月15日金曜日
シロアリ
蟻とよく似た社会性昆虫である。
ただし、蟻が蜂の仲間であるのに対して、
シロアリはゴキブリの仲間である。
枯れ木、地中、蟻塚に住む種類があり、
本邦で害虫として問題になるイエシロアリは
家屋の下、地中に住んでいる。
枯れ木や枯れ葉を消化分解することが
可能な生き物であり、自然界においては、
枯死した植物の清掃を担う存在だ。
蟻が女王蟻、雌の働き蟻、種類によっては
雌の兵隊蟻、そして命の短い雄の羽蟻がいる
のに対して、シロアリは雌雄が揃っている。
シロアリは女王蟻と王蟻、雌雄の働き蟻、
雌雄の兵隊蟻がおり、蟻と異なり兵隊蟻は
必ず存在する。
肉食性の攻撃的な能力を持つ蟻と比べると
枯死植物食のシロアリは戦闘力が低く、
兵隊蟻に守られなければならないのだ。
また、蟻が成虫となって働くのに対し、
シロアリの働き蟻は幼虫である。
必要に応じて、兵隊蟻や女王蟻といった
成虫へと変態する。
副女王蟻と副王蟻がいることも特徴的だ。
何らかの理由で女王や王が死ぬと、
彼らが代わりに女王と王になる。
また、巣が手狭になり拡張もできなくなると、
副女王と王が新たな巣を作るため旅立つ。
もちろん、幼虫である働き蟻が羽蟻に成長し、
巣から飛び立って新たな女王と王にもなる。
蟻と比べると、この幼虫から成虫へという
変化の部分がフレキシブルなのだ。
なお、シロアリは消化しきれなかった食物を
糞として排出し、巣の中に溜め込む。
その糞は発酵が進み、消化しやすくなるため、
再び食べることを繰り返す。こうして、
消化の難しい枯れ木などを完全に食べるのだ。
巣の中に発酵中の枯れ木が存在することから、
ほとんどの場合、シロアリの巣の中には
キノコが生えている。
シロアリタケと呼ばれるキノコは、
彼らの食料ともなるし、人が食べても
とても美味なキノコとして知られている。
シロアリ自体も食用にされるが、
消化管内に枯死植物が存在するため、
繁殖期に現れる何も食べていない
羽蟻だけが集められる。
ちなみに清朝において、倉庫に保管されていた
銀をシロアリが食べてしまったという話がある。
蟻塚ごと炉に入れて焼き殺したところ、
食われた分の銀が出てきたというのだ。
レントゲン室の鉛板を食害する例が
現代でもあるため、おそらくこの話は
多少誇張されているかもしれないが事実だろう。
コンクリートなどを齧ってしまう例もある。
蟻塚を作るタイプのシロアリであれば、
こうした無機物は巣材として使われる。
ところで、某ゲームのシロアリたちは、
女王の身体的特徴と体色が白ということを
除けば、戦闘力や肉食である点などから
シロアリではなく蟻ではないかと思われる。
\アリだー!!/
ただし、蟻が蜂の仲間であるのに対して、
シロアリはゴキブリの仲間である。
枯れ木、地中、蟻塚に住む種類があり、
本邦で害虫として問題になるイエシロアリは
家屋の下、地中に住んでいる。
枯れ木や枯れ葉を消化分解することが
可能な生き物であり、自然界においては、
枯死した植物の清掃を担う存在だ。
蟻が女王蟻、雌の働き蟻、種類によっては
雌の兵隊蟻、そして命の短い雄の羽蟻がいる
のに対して、シロアリは雌雄が揃っている。
シロアリは女王蟻と王蟻、雌雄の働き蟻、
雌雄の兵隊蟻がおり、蟻と異なり兵隊蟻は
必ず存在する。
肉食性の攻撃的な能力を持つ蟻と比べると
枯死植物食のシロアリは戦闘力が低く、
兵隊蟻に守られなければならないのだ。
また、蟻が成虫となって働くのに対し、
シロアリの働き蟻は幼虫である。
必要に応じて、兵隊蟻や女王蟻といった
成虫へと変態する。
副女王蟻と副王蟻がいることも特徴的だ。
何らかの理由で女王や王が死ぬと、
彼らが代わりに女王と王になる。
また、巣が手狭になり拡張もできなくなると、
副女王と王が新たな巣を作るため旅立つ。
もちろん、幼虫である働き蟻が羽蟻に成長し、
巣から飛び立って新たな女王と王にもなる。
蟻と比べると、この幼虫から成虫へという
変化の部分がフレキシブルなのだ。
なお、シロアリは消化しきれなかった食物を
糞として排出し、巣の中に溜め込む。
その糞は発酵が進み、消化しやすくなるため、
再び食べることを繰り返す。こうして、
消化の難しい枯れ木などを完全に食べるのだ。
巣の中に発酵中の枯れ木が存在することから、
ほとんどの場合、シロアリの巣の中には
キノコが生えている。
シロアリタケと呼ばれるキノコは、
彼らの食料ともなるし、人が食べても
とても美味なキノコとして知られている。
シロアリ自体も食用にされるが、
消化管内に枯死植物が存在するため、
繁殖期に現れる何も食べていない
羽蟻だけが集められる。
ちなみに清朝において、倉庫に保管されていた
銀をシロアリが食べてしまったという話がある。
蟻塚ごと炉に入れて焼き殺したところ、
食われた分の銀が出てきたというのだ。
レントゲン室の鉛板を食害する例が
現代でもあるため、おそらくこの話は
多少誇張されているかもしれないが事実だろう。
コンクリートなどを齧ってしまう例もある。
蟻塚を作るタイプのシロアリであれば、
こうした無機物は巣材として使われる。
ところで、某ゲームのシロアリたちは、
女王の身体的特徴と体色が白ということを
除けば、戦闘力や肉食である点などから
シロアリではなく蟻ではないかと思われる。
\アリだー!!/
2019年3月14日木曜日
スエズ運河
アフリカ大陸とユーラシア大陸の接合点、
スエズ地峡が掘削されて造られた運河である。
地中海と紅海を結ぶ運河の間には
アルマラートアルクブラー湖が
取り込まれている。
運河を北上する船と南下する船とは、
この湖の部分で待機することですれ違うのだ。
ちなみに英語ではグレートビター湖という。
元々塩湖なのである。
ふたつの海を結ぶという途方もない構想は、
地中海と紅海の水面高度が同じであることが
判明したことで事業が開始された。
主体となったのはアジア方面への進出に
出遅れたフランスで、インドに利権を持つ
イギリスはこれに反対する立場を取っていた。
当時、スエズ地峡には鉄道が引かれ、
陸上輸送を挟むことでヨーロッパとインドの
間の物流をショートカットしていた。
この鉄道にも利権を持つイギリスは
運河の工事を様々な手段で妨害したのだが、
多くの者が失敗すると考えていた運河建設は
大成することになる。
そして、実際に運用が開始されてみれば、
利用する船のほとんどはイギリス船であった。
当時、運河を運用する会社の株式を最も多く
保持していたのはこの地を治める
エジプト政府である。
しかし、エジプトは財政難の折に、
この株式を売りに出すことにした。
それを全力で買い取ったのがイギリスだ。
筆頭株主となったイギリス政府は、
散々邪魔をしたというのに、
フランス人の造ったこの運河を我が物としたのだ。
なお、バルチック艦隊がスエズ運河を
通れなかったことは、軍艦の大きさだけでなく、
このイギリスの支配が理由として大きい。
ちなみに、明治期に派遣された岩倉使節団は
スエズ運河を通ってヨーロッパを訪れている。
また、運河に架かるスエズ運河橋は
本邦の出資によって建設されたものだ。
さて、スエズ運河の意義であるが、
イギリスから東アジアまで船で移動するとして、
アフリカの喜望峰を周るルートと比べると、
スエズ運河を通るルートは距離にして
だいたい四分の三となる。
喜望峰周りは赤道を二回通らなければいけない
という問題も抱えている。
温度変化が積荷を襲うのだ。
ただし、時代によって拡張されてきたが
スエズ運河の水深と幅には限界がある。
超大型タンカーは現在でもこの運河を
通ることができない。
したがって、こうしたタンカーは今でも
喜望峰を周ることになるのだが、
喜望峰のあるケープタウンに因み、
ケープサイズタンカーと呼ばれている。
なお、近年はソマリア海賊が跋扈しているため、
紅海からインド洋へ抜けることにリスクを
感じる船主も少なくない。
このため、東アフリカ沿岸を避けようと、
わざわざ喜望峰を周るケースも存在する。
ところで、古代の人々もこの地に
運河を築けないか考えていたようだ。
だが、大プリニウスも記しているこの古代運河は、
ナイルとグレートビターを繋ぐものだ。
地中海と紅海を接続させる発想をした者が
いなかったということはないと思うが、
やはり技術的に不可能だったのだろう。
ただ、ピラミッドをも建設した
古代エジプト人ならそのぐらいやってのけて
いたとしても驚きはしないかもしれない。
スエズ地峡が掘削されて造られた運河である。
地中海と紅海を結ぶ運河の間には
アルマラートアルクブラー湖が
取り込まれている。
運河を北上する船と南下する船とは、
この湖の部分で待機することですれ違うのだ。
ちなみに英語ではグレートビター湖という。
元々塩湖なのである。
ふたつの海を結ぶという途方もない構想は、
地中海と紅海の水面高度が同じであることが
判明したことで事業が開始された。
主体となったのはアジア方面への進出に
出遅れたフランスで、インドに利権を持つ
イギリスはこれに反対する立場を取っていた。
当時、スエズ地峡には鉄道が引かれ、
陸上輸送を挟むことでヨーロッパとインドの
間の物流をショートカットしていた。
この鉄道にも利権を持つイギリスは
運河の工事を様々な手段で妨害したのだが、
多くの者が失敗すると考えていた運河建設は
大成することになる。
そして、実際に運用が開始されてみれば、
利用する船のほとんどはイギリス船であった。
当時、運河を運用する会社の株式を最も多く
保持していたのはこの地を治める
エジプト政府である。
しかし、エジプトは財政難の折に、
この株式を売りに出すことにした。
それを全力で買い取ったのがイギリスだ。
筆頭株主となったイギリス政府は、
散々邪魔をしたというのに、
フランス人の造ったこの運河を我が物としたのだ。
なお、バルチック艦隊がスエズ運河を
通れなかったことは、軍艦の大きさだけでなく、
このイギリスの支配が理由として大きい。
ちなみに、明治期に派遣された岩倉使節団は
スエズ運河を通ってヨーロッパを訪れている。
また、運河に架かるスエズ運河橋は
本邦の出資によって建設されたものだ。
さて、スエズ運河の意義であるが、
イギリスから東アジアまで船で移動するとして、
アフリカの喜望峰を周るルートと比べると、
スエズ運河を通るルートは距離にして
だいたい四分の三となる。
喜望峰周りは赤道を二回通らなければいけない
という問題も抱えている。
温度変化が積荷を襲うのだ。
ただし、時代によって拡張されてきたが
スエズ運河の水深と幅には限界がある。
超大型タンカーは現在でもこの運河を
通ることができない。
したがって、こうしたタンカーは今でも
喜望峰を周ることになるのだが、
喜望峰のあるケープタウンに因み、
ケープサイズタンカーと呼ばれている。
なお、近年はソマリア海賊が跋扈しているため、
紅海からインド洋へ抜けることにリスクを
感じる船主も少なくない。
このため、東アフリカ沿岸を避けようと、
わざわざ喜望峰を周るケースも存在する。
ところで、古代の人々もこの地に
運河を築けないか考えていたようだ。
だが、大プリニウスも記しているこの古代運河は、
ナイルとグレートビターを繋ぐものだ。
地中海と紅海を接続させる発想をした者が
いなかったということはないと思うが、
やはり技術的に不可能だったのだろう。
ただ、ピラミッドをも建設した
古代エジプト人ならそのぐらいやってのけて
いたとしても驚きはしないかもしれない。
2019年3月13日水曜日
シナイ半島
アフリカとアジアの間に存在する
三角形の半島である。
北は地中海、西はスエズ湾、東はアカバ湾で、
アフリカ大陸との接続部スエズ地峡は
掘削されてスエズ運河となった。
アフリカ大陸とユーラシア大陸の境目は
スエズであるため、シナイ半島自体は
ユーラシア大陸に属する。
ただし、エジプトに属している期間が長いため、
どちらかといえばアフリカである。
シナイ砂漠が広がり、岩山だらけの場所柄、
人が住むには向いておらず人口は少ないものの、
沿岸部はリゾート地として人気がある。
ユダヤの預言者モーセが十戒を授かったとされる
シナイ山が存在するため、アブラハム系一神教
にとって特別な土地であると言える。
聖地という点を考慮せずとも、
交通の要衝であり、文化の衝突点でも
あることから、戦場になることが多かった。
近年でも繰り返し起きた中東戦争において
イスラエルとエジプトの戦いの場となり、
現在はイスラム過激派の温床であるらしい。
ところで前述のモーセの話だが、
奇妙な点がいくつかある。
出エジプト記と呼ばれるエジプトにいた
ユダヤ人たちがファラオの支配から
脱出するという話なのだが、
シナイ山の位置がどうにも妙なのだ。
というのも、彼らはエジプトを脱出してから
シナイ山に登ったことになっているが、
当時シナイ半島はエジプト領だった。
また、有名な紅海を割ったという話も、
紅海はシナイ半島の南側であり、
アラビア半島に脱出してからわざわざ
エジプト領のシナイ半島に戻ったことになる。
ただ、旧約聖書の出来事にいちいち
ツッコミを入れていたらキリがない。
しかし、こうした理由から本当のシナイ山は
この半島の山ではなく、アラビア半島にある
いずれかの山ではないかと考える学者もいる。
ちなみに、ホレブ山とも呼ばれるシナイ山だと
いうことになっている山には正教会の
顕栄修道院が古くから存在する。
殉教者の聖カタリナの遺体を天使がこの山に運び、
後の世に修道士が発見したとされているため、
聖カタリナ修道院とも呼ばれる。
面白いことにこの修道院、イスラム教の開祖
ムハンマドが政敵から逃れるために
匿われたことがあるという。
こうした縁から、
正教会の修道院であるにも関わらず、
修道院領内にはマスジッドが建てられている。
これが良い建前となり、イスラム圏にありながら、
キリスト教の修道院として存続することができた。
もっとも、このマスジッドはメッカの方角に
向いていないため現在は使われていない。
三角形の半島である。
北は地中海、西はスエズ湾、東はアカバ湾で、
アフリカ大陸との接続部スエズ地峡は
掘削されてスエズ運河となった。
アフリカ大陸とユーラシア大陸の境目は
スエズであるため、シナイ半島自体は
ユーラシア大陸に属する。
ただし、エジプトに属している期間が長いため、
どちらかといえばアフリカである。
シナイ砂漠が広がり、岩山だらけの場所柄、
人が住むには向いておらず人口は少ないものの、
沿岸部はリゾート地として人気がある。
ユダヤの預言者モーセが十戒を授かったとされる
シナイ山が存在するため、アブラハム系一神教
にとって特別な土地であると言える。
聖地という点を考慮せずとも、
交通の要衝であり、文化の衝突点でも
あることから、戦場になることが多かった。
近年でも繰り返し起きた中東戦争において
イスラエルとエジプトの戦いの場となり、
現在はイスラム過激派の温床であるらしい。
ところで前述のモーセの話だが、
奇妙な点がいくつかある。
出エジプト記と呼ばれるエジプトにいた
ユダヤ人たちがファラオの支配から
脱出するという話なのだが、
シナイ山の位置がどうにも妙なのだ。
というのも、彼らはエジプトを脱出してから
シナイ山に登ったことになっているが、
当時シナイ半島はエジプト領だった。
また、有名な紅海を割ったという話も、
紅海はシナイ半島の南側であり、
アラビア半島に脱出してからわざわざ
エジプト領のシナイ半島に戻ったことになる。
ただ、旧約聖書の出来事にいちいち
ツッコミを入れていたらキリがない。
しかし、こうした理由から本当のシナイ山は
この半島の山ではなく、アラビア半島にある
いずれかの山ではないかと考える学者もいる。
ちなみに、ホレブ山とも呼ばれるシナイ山だと
いうことになっている山には正教会の
顕栄修道院が古くから存在する。
殉教者の聖カタリナの遺体を天使がこの山に運び、
後の世に修道士が発見したとされているため、
聖カタリナ修道院とも呼ばれる。
面白いことにこの修道院、イスラム教の開祖
ムハンマドが政敵から逃れるために
匿われたことがあるという。
こうした縁から、
正教会の修道院であるにも関わらず、
修道院領内にはマスジッドが建てられている。
これが良い建前となり、イスラム圏にありながら、
キリスト教の修道院として存続することができた。
もっとも、このマスジッドはメッカの方角に
向いていないため現在は使われていない。
2019年3月12日火曜日
ソコトラ島
アフリカの角と呼ばれるアフリカ北東部の
半島の先に存在する大きな島である。
周辺にいくつも小さな島があるため、
ソコトラ群島や諸島と呼ばれることもある。
アフリカ大陸から分離した陸地だが、
歴史上長らくサラセン人の影響下にあり、
現在もイエメンの領地であるため、
アラビア半島に付属すると思われている。
東西に細長い島であり、太古の昔から
海洋貿易の拠点として活用されてきた。
ギリシア人、サラセン人、インド人の交差した
この島には、独自の産品も存在する。
竜血樹である。
詳細は竜血樹を紹介する際に語るが、
竜血と呼ばれる物質を採取できる樹木がある。
この竜血は洋の東西を問わず珍重され、
特にチャイナにおいては聖薬とまで呼ばれていた。
そんな固有種を擁するソコトラには
インド洋のガラパゴスと呼ばれるほど
独特の生態系が存在する。
竜血樹とアデニウムオベスムの生える荒野は
まるで異星の光景である。
また、貴重な乳香木の森も残されている。
珍しい木本性の瓜や、原始的な柘榴もある、
植物学者の憧れの地だ。
もちろんカメレオンや足の無いトカゲなど、
珍しい動物も数多い。
世界遺産に登録されるまで外国人の入国は
制限されていたため、知名度は低かった。
なお、海岸沿いには固定砲台代わりに利用された
ソヴィエト製の戦車が放置されており、
これはこれで人気がある。
海上貿易港としては衰退したソコトラ島だが、
現在では世界中から注目される観光地である。
半島の先に存在する大きな島である。
周辺にいくつも小さな島があるため、
ソコトラ群島や諸島と呼ばれることもある。
アフリカ大陸から分離した陸地だが、
歴史上長らくサラセン人の影響下にあり、
現在もイエメンの領地であるため、
アラビア半島に付属すると思われている。
東西に細長い島であり、太古の昔から
海洋貿易の拠点として活用されてきた。
ギリシア人、サラセン人、インド人の交差した
この島には、独自の産品も存在する。
竜血樹である。
詳細は竜血樹を紹介する際に語るが、
竜血と呼ばれる物質を採取できる樹木がある。
この竜血は洋の東西を問わず珍重され、
特にチャイナにおいては聖薬とまで呼ばれていた。
そんな固有種を擁するソコトラには
インド洋のガラパゴスと呼ばれるほど
独特の生態系が存在する。
竜血樹とアデニウムオベスムの生える荒野は
まるで異星の光景である。
また、貴重な乳香木の森も残されている。
珍しい木本性の瓜や、原始的な柘榴もある、
植物学者の憧れの地だ。
もちろんカメレオンや足の無いトカゲなど、
珍しい動物も数多い。
世界遺産に登録されるまで外国人の入国は
制限されていたため、知名度は低かった。
なお、海岸沿いには固定砲台代わりに利用された
ソヴィエト製の戦車が放置されており、
これはこれで人気がある。
海上貿易港としては衰退したソコトラ島だが、
現在では世界中から注目される観光地である。
2019年3月11日月曜日
ザイール川
アフリカで二番目に長い大河である。
表題はザイール川としたが、
現在はコンゴ川と呼ばれることの方が多い。
昔、ポルトガル人がこの川の河口で
名前を尋ねたところ、ンザディという
答えが返ってきたという。
ポルトガル人はそれをザイールと聞き取り、
川の名前のみならず、この地域を
ザイールと呼ぶようになった。
しかし、ザイール川中流域の人々は
この川を古来コンゴ川と呼んでいた。
ザイールが植民地支配から脱すると、
ザイール共和国ではオータンティシテ
という政策がとられた。
フランス語で真正化を意味するこの政策は、
ヨーロッパ人が名付けた地名の数々を、
本来の原住民族の言葉に直そうというものだ。
ザイール共和国はコンゴ民主共和国となり、
ザイール川もコンゴ川と改められた。
さて、熱帯雨林地域に流れるザイール川は
世界で二番目に水量の多い川である。
複数の川がひとつにまとまっているのだが、
主流とされる川はふたつある。
タンガニーカ湖に源流を持つ東側の川と、
シャバ高地から流れ出るルアラバ川だ。
タンガニーカ湖の南の高地から南下する
チャンベシ川はバングウェウル湖を経て
ルアプラ川となり北上する。
ルアプラ川はムウェル湖を経てルヴア川となり、
ルアラバ川と合流するのだ。
似たカタカナが続いて目が泳ぐ。
キサンガニという街の近くでボヨマ滝という
滝が形成されているが、この辺りが
ちょうど赤道になっていて、これを越えると
ザイール川あるいはコンゴ川という名になる。
北上していたザイール川は大きく弧を
描くように流れを変え、
やがて南下することになる。
ムバンダカという街の近くで赤道をもう一度
越えると、ウバンギ川とカサイ川という
大きな川と合流して更に水量を増すことになる。
コンゴ民主共和国の首都キンシャサと
コンゴ共和国の首都ブラザヴィルを両岸に
置く地点では大きく広がりマレボ湖と呼ばれる。
ひとつの川を挟んでふたつの国の首都が
存在するのはとても珍しい光景だ。
しかもどちらの国名もコンゴである。
マレボ湖を過ぎると、クリスタル山脈に
差し掛かるため、それまで緩やかだった
流れは激流へと変わる。
現在はインガダムの存在する
リヴィングストン滝は、
偉大な探検家の名前の付けられた滝だ。
多くのヨーロッパ人探検家が河口から
上流を目指して探検を行ったが、
このリヴィングストン滝が越えられず、
コンゴ盆地へ至ることができなかった。
滝壺付近にはマタディという街があり、
ここからは西へと緩やかに流れていく。
そうして、ムアンダで大西洋に至るのだ。
西アフリカの大河ニジェール川は
河口がどこにあるのか分からなかったため、
当初はこのザイール川に繋がっていると
考えられていた。
ナイル川との関連を考える者も多く、
北のナイル川、西のニジェール川、
南のザイール川の三本はアフリカを
三分しているという説まであった。
サラセン人は東から内陸へ入り、
ザイール川中流に到達していたが、
ヨーロッパ人とは逆に
下流へ向かうことができなかった。
もしサラセン人がザイール川の下流まで
到達していたならば、アフリカ西岸の
歴史は大きく変わっていたかもしれない。
もちろん、その場合ヨーロッパ人の
探検史も違ったものになっていただろう。
いずれにせよ、密林に覆われたザイールは
ヨーロッパ人もサラセン人も寄せ付けなかった。
そもそも人間が住むにはあまり向いておらず、
文明が発展しなかった地域ではあるのだが。
なお、現在は水上交通と水力発電によって
コンゴの経済にとって
なくてはならない存在となっている。
表題はザイール川としたが、
現在はコンゴ川と呼ばれることの方が多い。
昔、ポルトガル人がこの川の河口で
名前を尋ねたところ、ンザディという
答えが返ってきたという。
ポルトガル人はそれをザイールと聞き取り、
川の名前のみならず、この地域を
ザイールと呼ぶようになった。
しかし、ザイール川中流域の人々は
この川を古来コンゴ川と呼んでいた。
ザイールが植民地支配から脱すると、
ザイール共和国ではオータンティシテ
という政策がとられた。
フランス語で真正化を意味するこの政策は、
ヨーロッパ人が名付けた地名の数々を、
本来の原住民族の言葉に直そうというものだ。
ザイール共和国はコンゴ民主共和国となり、
ザイール川もコンゴ川と改められた。
さて、熱帯雨林地域に流れるザイール川は
世界で二番目に水量の多い川である。
複数の川がひとつにまとまっているのだが、
主流とされる川はふたつある。
タンガニーカ湖に源流を持つ東側の川と、
シャバ高地から流れ出るルアラバ川だ。
タンガニーカ湖の南の高地から南下する
チャンベシ川はバングウェウル湖を経て
ルアプラ川となり北上する。
ルアプラ川はムウェル湖を経てルヴア川となり、
ルアラバ川と合流するのだ。
似たカタカナが続いて目が泳ぐ。
キサンガニという街の近くでボヨマ滝という
滝が形成されているが、この辺りが
ちょうど赤道になっていて、これを越えると
ザイール川あるいはコンゴ川という名になる。
北上していたザイール川は大きく弧を
描くように流れを変え、
やがて南下することになる。
ムバンダカという街の近くで赤道をもう一度
越えると、ウバンギ川とカサイ川という
大きな川と合流して更に水量を増すことになる。
コンゴ民主共和国の首都キンシャサと
コンゴ共和国の首都ブラザヴィルを両岸に
置く地点では大きく広がりマレボ湖と呼ばれる。
ひとつの川を挟んでふたつの国の首都が
存在するのはとても珍しい光景だ。
しかもどちらの国名もコンゴである。
マレボ湖を過ぎると、クリスタル山脈に
差し掛かるため、それまで緩やかだった
流れは激流へと変わる。
現在はインガダムの存在する
リヴィングストン滝は、
偉大な探検家の名前の付けられた滝だ。
多くのヨーロッパ人探検家が河口から
上流を目指して探検を行ったが、
このリヴィングストン滝が越えられず、
コンゴ盆地へ至ることができなかった。
滝壺付近にはマタディという街があり、
ここからは西へと緩やかに流れていく。
そうして、ムアンダで大西洋に至るのだ。
西アフリカの大河ニジェール川は
河口がどこにあるのか分からなかったため、
当初はこのザイール川に繋がっていると
考えられていた。
ナイル川との関連を考える者も多く、
北のナイル川、西のニジェール川、
南のザイール川の三本はアフリカを
三分しているという説まであった。
サラセン人は東から内陸へ入り、
ザイール川中流に到達していたが、
ヨーロッパ人とは逆に
下流へ向かうことができなかった。
もしサラセン人がザイール川の下流まで
到達していたならば、アフリカ西岸の
歴史は大きく変わっていたかもしれない。
もちろん、その場合ヨーロッパ人の
探検史も違ったものになっていただろう。
いずれにせよ、密林に覆われたザイールは
ヨーロッパ人もサラセン人も寄せ付けなかった。
そもそも人間が住むにはあまり向いておらず、
文明が発展しなかった地域ではあるのだが。
なお、現在は水上交通と水力発電によって
コンゴの経済にとって
なくてはならない存在となっている。
2019年3月10日日曜日
ニジェール川
西アフリカを流れる長大な川だ。
大きな川という意味の名を持ち、
各部族の言語でも概ね同じ意味である。
水源はギニアの山中で、ここは比較的
大西洋に近いのだが、流れはアフリカ内陸部、
北東方向へと続いて行く。
源流は非常に雨の多い地域であり、
ニジェール川上流の水量はとても多い。
だが、マリ国内の乾燥地帯を横断する
間に三分の二が蒸発するという。
マリでは高低差が小さいため、
ニジェール川は網の目のように分岐し、
そこにいわゆるデルタを形成する。
このニジェール中流デルタ地帯は
ナイルデルタ同様に、
肥沃な地域として栄えた。
ガーナ王国やソンガイ帝国など、
ニジェールデルタを基盤とした
大国が存在したのだ。
これらの国の情報から、ニジェール川の
存在はアフリカ以外の人々にも知られており、
イブン・バットゥータも訪れている。
しかし、その流れがどこへ向かうのか
知る者はなく、バットゥータも
ナイル川に繋がっていると考えていた。
ニジェール川の終点を探る試みは
幾度も行われたが、乾燥したアフリカ
内陸部を横断する過酷な旅である。
本邦に黒船が来航するような時代になって
ようやく探検が完了したほどだ。
ニジェール川の出口はナイジェリアである。
ギニア湾に注ぐニジェールデルタを
形成している。
つまり、ニジェール川はマリの中央付近で
北東から南東へと向きを変え、
西アフリカをヘの字型に流れているのだ。
ヨーロッパ人はナイジェリアの沿岸部で
ニジェールデルタを見ていたはずだが、
内陸部のニジェール川の河口だとは
思ってもみなかったということになる。
ギニア湾とは縁のなかったサラセン人に
とってもそこは未踏の地であり、
アフリカ誌を著したレオ・アフリカヌス
ですら予想外のことであった。
なお、アフリカ誌の影響から、
黄金の都トンブクトゥを探す機運が高まり、
ヨーロッパ人がニジェール川と
出会うことになったことを付記しておく。
現代の地図で見れば一目瞭然のことだが、
その地図が完成するまでの物語がある
ということに想いを馳せてみるのもいいだろう。
大きな川という意味の名を持ち、
各部族の言語でも概ね同じ意味である。
水源はギニアの山中で、ここは比較的
大西洋に近いのだが、流れはアフリカ内陸部、
北東方向へと続いて行く。
源流は非常に雨の多い地域であり、
ニジェール川上流の水量はとても多い。
だが、マリ国内の乾燥地帯を横断する
間に三分の二が蒸発するという。
マリでは高低差が小さいため、
ニジェール川は網の目のように分岐し、
そこにいわゆるデルタを形成する。
このニジェール中流デルタ地帯は
ナイルデルタ同様に、
肥沃な地域として栄えた。
ガーナ王国やソンガイ帝国など、
ニジェールデルタを基盤とした
大国が存在したのだ。
これらの国の情報から、ニジェール川の
存在はアフリカ以外の人々にも知られており、
イブン・バットゥータも訪れている。
しかし、その流れがどこへ向かうのか
知る者はなく、バットゥータも
ナイル川に繋がっていると考えていた。
ニジェール川の終点を探る試みは
幾度も行われたが、乾燥したアフリカ
内陸部を横断する過酷な旅である。
本邦に黒船が来航するような時代になって
ようやく探検が完了したほどだ。
ニジェール川の出口はナイジェリアである。
ギニア湾に注ぐニジェールデルタを
形成している。
つまり、ニジェール川はマリの中央付近で
北東から南東へと向きを変え、
西アフリカをヘの字型に流れているのだ。
ヨーロッパ人はナイジェリアの沿岸部で
ニジェールデルタを見ていたはずだが、
内陸部のニジェール川の河口だとは
思ってもみなかったということになる。
ギニア湾とは縁のなかったサラセン人に
とってもそこは未踏の地であり、
アフリカ誌を著したレオ・アフリカヌス
ですら予想外のことであった。
なお、アフリカ誌の影響から、
黄金の都トンブクトゥを探す機運が高まり、
ヨーロッパ人がニジェール川と
出会うことになったことを付記しておく。
現代の地図で見れば一目瞭然のことだが、
その地図が完成するまでの物語がある
ということに想いを馳せてみるのもいいだろう。
2019年3月9日土曜日
ナイル川
言わずと知れたアフリカの大河である。
その長さはアマゾン川に次ぐ第二位であり、
大きな河川が合流して地中海に注ぐ。
青ナイルと白ナイルがカルトゥームで
合流するのだが、青と白ふたつのナイルは
まったく別の所から流れ出している。
ナイル川の源流は長らく謎であった。
ギリシア人もローマ人もサラセン人も
その源を探ったが、発見できなかった。
青ナイルの源流はエチオピアのタナ湖
であることが大航海時代辺りに判明したが、
白ナイルは一筋縄ではいかない。
ヴィクトリア湖がナイル川の源流だと
認識されていることが多いが、
実はこれは誤りである。
ヴィクトリア湖はナイル川の
経過地点に過ぎない。
結論から言うと、白ナイルの源流は
未だに発見されていない。
この現代においてすら、まだ分からないのだ。
ナイル川の源流をめぐる探検の歴史は
かなり長く、紹介しきれるものではない。
なお、プトレマイオスによると、
月の山脈と呼ばれる山々から
流れ出したものとされている。
偉大な探検家イブン・バットゥータですら
ニジェール川と繋がっていると考えていたし、
デイヴィッド・リヴィングストンまでもが
白ナイルの源流探索中に命を失っている。
さて、源流の話はこの辺りにしておくとして、
ナイル川といえばヘロドトスの
「エジプトはナイルの賜物」である。
定期的に洪水を起こすナイル川だが、
その度に上流の栄養豊富な土壌を運んできた。
このため、エジプトではナイル川氾濫の
時期を知るために暦というものが発達する。
古代王朝が失われて後も、
ナイロメーターと呼ばれる水位計が設置され、
洪水のタイミングを見極めていた。
砂漠地域でありながら、ナイル川の流域は
穀倉地帯であり、この食料生産力が
多くの人口を養い文明を花開かせたのだ。
なお、現在のナイルに定期的な洪水は無い。
運河と灌漑によって農業が営まれる
ようになると、洪水は災害でしかなくなった。
そこでアスワンダムが建設されたが、
洪水を完全に阻止するには至らず、
更に南にアスワンハイダムが造られる。
アスワンハイダムはナイル川から
洪水という脅威を消し去ったが、
同時にいくつかの遺物をも消し去っている。
アブ・シンベル神殿やフィラエ島のイシス神殿、
カラブシャ神殿やアマダ神殿など、
多くの遺跡が移築を余儀なくされた。
多額の費用をかけて移築は成功し、
人類の歴史の足跡は湖底に沈むことを免れたが、
知られざる遺跡が地中に埋まっていた
可能性は否定できない。
なお、アスワンハイダムに続き、
近年メロウェダムも建設された。
チャイナ資本によってスーダンに造られた
このダムを巡っては、
多くの問題が取り沙汰された。
湖底に沈んだのは多くの住民の住む地域であり、
そこに眠るクシュ王国の考古学的遺物の調査も
十分になされたか疑わしい。
反対運動は暴力沙汰になり、死者を出したし、
結局、強制的な移住が進められた。
どうにもきな臭い話である。
長くなってしまった。
生態系の話もしたいところだが、
それは個々の生物を紹介する際に
していくことにしよう。
その長さはアマゾン川に次ぐ第二位であり、
大きな河川が合流して地中海に注ぐ。
青ナイルと白ナイルがカルトゥームで
合流するのだが、青と白ふたつのナイルは
まったく別の所から流れ出している。
ナイル川の源流は長らく謎であった。
ギリシア人もローマ人もサラセン人も
その源を探ったが、発見できなかった。
青ナイルの源流はエチオピアのタナ湖
であることが大航海時代辺りに判明したが、
白ナイルは一筋縄ではいかない。
ヴィクトリア湖がナイル川の源流だと
認識されていることが多いが、
実はこれは誤りである。
ヴィクトリア湖はナイル川の
経過地点に過ぎない。
結論から言うと、白ナイルの源流は
未だに発見されていない。
この現代においてすら、まだ分からないのだ。
ナイル川の源流をめぐる探検の歴史は
かなり長く、紹介しきれるものではない。
なお、プトレマイオスによると、
月の山脈と呼ばれる山々から
流れ出したものとされている。
偉大な探検家イブン・バットゥータですら
ニジェール川と繋がっていると考えていたし、
デイヴィッド・リヴィングストンまでもが
白ナイルの源流探索中に命を失っている。
さて、源流の話はこの辺りにしておくとして、
ナイル川といえばヘロドトスの
「エジプトはナイルの賜物」である。
定期的に洪水を起こすナイル川だが、
その度に上流の栄養豊富な土壌を運んできた。
このため、エジプトではナイル川氾濫の
時期を知るために暦というものが発達する。
古代王朝が失われて後も、
ナイロメーターと呼ばれる水位計が設置され、
洪水のタイミングを見極めていた。
砂漠地域でありながら、ナイル川の流域は
穀倉地帯であり、この食料生産力が
多くの人口を養い文明を花開かせたのだ。
なお、現在のナイルに定期的な洪水は無い。
運河と灌漑によって農業が営まれる
ようになると、洪水は災害でしかなくなった。
そこでアスワンダムが建設されたが、
洪水を完全に阻止するには至らず、
更に南にアスワンハイダムが造られる。
アスワンハイダムはナイル川から
洪水という脅威を消し去ったが、
同時にいくつかの遺物をも消し去っている。
アブ・シンベル神殿やフィラエ島のイシス神殿、
カラブシャ神殿やアマダ神殿など、
多くの遺跡が移築を余儀なくされた。
多額の費用をかけて移築は成功し、
人類の歴史の足跡は湖底に沈むことを免れたが、
知られざる遺跡が地中に埋まっていた
可能性は否定できない。
なお、アスワンハイダムに続き、
近年メロウェダムも建設された。
チャイナ資本によってスーダンに造られた
このダムを巡っては、
多くの問題が取り沙汰された。
湖底に沈んだのは多くの住民の住む地域であり、
そこに眠るクシュ王国の考古学的遺物の調査も
十分になされたか疑わしい。
反対運動は暴力沙汰になり、死者を出したし、
結局、強制的な移住が進められた。
どうにもきな臭い話である。
長くなってしまった。
生態系の話もしたいところだが、
それは個々の生物を紹介する際に
していくことにしよう。
2019年3月8日金曜日
ロカノサ
パタゴニアの礫砂漠に咲く
可憐な花である。
花弁の薄い青は空の青と
荒野の間に映え、不毛の地に
一服の清涼感をもたらす。
花弁は五枚、中央は穏やかな黄色、
茎と葉はくすんだ緑色をしている。
葉の形はたんぽぽに似て鋸歯状、
乾期にはロゼッタを形成する。
花が咲くのはかの地では希な
雨の降った後であり、
実物を目にするのは難しい。
伝説によると石を割って花開くというが、
実際には石の間から顔は覗かせるものの、
石を割るというケースは発見されていない。
ロカとはスペイン語で石を指すが、
ノサの語源はわかっていない。
おそらく、イスパニア人が訪れてから
この名で呼ばれるようになったと
思われるが、現地での元々の名は
伝えられていない。
ノサ、あるいはそれに近い
音の名であったのだろう。
なお、毒は無いが、えも言われぬ
苦味があり、特に薬効もないため、
食用にされることはない。
砂漠に生える貴重な植物ではあるが、
特に利用されることはない。
ただ、石を割るという伝説から、
困難に立ち向かう者に贈ると良いと
言われており、雨期になると
探し求める人々もいるらしい。
砂漠に花開く意思の花。
もしパタゴニアに行くことがあれば
探してみるのもいいかもしれない。
可憐な花である。
花弁の薄い青は空の青と
荒野の間に映え、不毛の地に
一服の清涼感をもたらす。
花弁は五枚、中央は穏やかな黄色、
茎と葉はくすんだ緑色をしている。
葉の形はたんぽぽに似て鋸歯状、
乾期にはロゼッタを形成する。
花が咲くのはかの地では希な
雨の降った後であり、
実物を目にするのは難しい。
伝説によると石を割って花開くというが、
実際には石の間から顔は覗かせるものの、
石を割るというケースは発見されていない。
ロカとはスペイン語で石を指すが、
ノサの語源はわかっていない。
おそらく、イスパニア人が訪れてから
この名で呼ばれるようになったと
思われるが、現地での元々の名は
伝えられていない。
ノサ、あるいはそれに近い
音の名であったのだろう。
なお、毒は無いが、えも言われぬ
苦味があり、特に薬効もないため、
食用にされることはない。
砂漠に生える貴重な植物ではあるが、
特に利用されることはない。
ただ、石を割るという伝説から、
困難に立ち向かう者に贈ると良いと
言われており、雨期になると
探し求める人々もいるらしい。
砂漠に花開く意思の花。
もしパタゴニアに行くことがあれば
探してみるのもいいかもしれない。
2019年3月7日木曜日
チーク
南アジアから東南アジアにかけて
生えている樹木である。
木材として利用した場合、強靭で、
水に強く、日焼けに強く、変形しにくい。
このため、船舶や家屋に重宝されてきた。
特に船舶用木材としてのチーク材は
最高級のものであり、木造船の時代が
終わっても、甲板や内装用に需要があった。
ミャンマーの固有種ダハトチークと、
インドネシア産のチークが特に優良だが、
乱伐の結果ダハトチークは絶滅危惧種である。
成長の遅い樹木で、木材として利用できる
までに長い年月が必要となる。
需要に対して供給が少ないため
非常に高価であり、
現在では気軽に使えるものではない。
かつてインド洋交易で活用された
ダウと呼ばれる船はおそらくチークで
建造されていたものと思われる。
ダウによって運ばれたチーク材は遠く
ローマ帝国にまで運ばれ、
地中海でも船となって活躍した。
なお、ローマ衰退後はヨーロッパで
使用されることはなくなったが、
近代に入ってから復活することになる。
マホガニー材が枯渇したことによって、
代替品としてチーク材が求められたのだ。
チーク材も高価ではあるが、
マホガニー材と違い
普通に入手可能な木材だ。
私の木材サンプルコレクションにもある。
美しい木目と深い色合いが素晴らしい。
古材でなくともこれである。
年月を経て深みを増したものは
更に良いものになるのだろう。
生えている樹木である。
木材として利用した場合、強靭で、
水に強く、日焼けに強く、変形しにくい。
このため、船舶や家屋に重宝されてきた。
特に船舶用木材としてのチーク材は
最高級のものであり、木造船の時代が
終わっても、甲板や内装用に需要があった。
ミャンマーの固有種ダハトチークと、
インドネシア産のチークが特に優良だが、
乱伐の結果ダハトチークは絶滅危惧種である。
成長の遅い樹木で、木材として利用できる
までに長い年月が必要となる。
需要に対して供給が少ないため
非常に高価であり、
現在では気軽に使えるものではない。
かつてインド洋交易で活用された
ダウと呼ばれる船はおそらくチークで
建造されていたものと思われる。
ダウによって運ばれたチーク材は遠く
ローマ帝国にまで運ばれ、
地中海でも船となって活躍した。
なお、ローマ衰退後はヨーロッパで
使用されることはなくなったが、
近代に入ってから復活することになる。
マホガニー材が枯渇したことによって、
代替品としてチーク材が求められたのだ。
チーク材も高価ではあるが、
マホガニー材と違い
普通に入手可能な木材だ。
私の木材サンプルコレクションにもある。
美しい木目と深い色合いが素晴らしい。
古材でなくともこれである。
年月を経て深みを増したものは
更に良いものになるのだろう。
2019年3月6日水曜日
マホガニー
家具や楽器に用いられる木材の中でも
最高峰のものがこのマホガニーだ。
その芯材は赤みを帯び、光を浴びれば
黄金のように輝く。
規則正しいリボン木目に重厚な密度、
優れた耐久性と絹のような肌触り。
机や手すりなど、人の手が触れる家具に
使う木材であれば、
間違いなく最高の素材だろう。
もちろん、用途が違えば他の木材の方が
優れているケースは多いため、
無条件に最上のものとまでは言わない。
さて、このマホガニー、実はもう、
まともな価格で手に入れることはできない。
伐採し尽くされ、希少価値が
高くなりすぎてしまったためだ。
フロリダやハワイに植えられたものもあるが、
産地はキューバである。
中央アメリカにもマホガニーと呼ばれる
近い種類の樹木があるが、
本来のマホガニーほどの美しさは無い。
そして、実際に現在マホガニーだと
言われているものは、ほとんどが
キューバンマホガニーではない。
メキシカンマホガニーや
ホンジュラスマホガニーなら
まだ良心的である。
カヤやマトア、サペリなどの似ている木材が
堂々とマホガニーと呼ばれ流通している。
赤みを帯びた木材であれば
それはマホガニーと呼ばれる。
それですらまだ良心的である。
赤く塗装したものをマホガニーと
呼ぶことすらまかり通っているのだ。
しまいには、白く塗られた
マホガニー家具まで売られている。
音に聞こえしマホガニーの家具が
思っていたより大したことが無かった、
という事例は多いが、それも仕方がない。
マホガニーではないのだから。
本物のアンティークでしか
実際のマホガニーには
お目にかかれないだろう。
コルドバのメスキータや
バルセロナのグエル邸へ
行けば間違いない。
本物もわずかに流通しているはずだが、
比べ物にならないほど偽物が多い。
本物もどうせ密輸品だろう。
マホガニー材を入手することは
無理だと思っていた方がいい。
なお、アンティーク家具の通販サイトを
覗いてみたが、トップにあった商品、
これは写真だけでもわかる。
キューバンマホガニーではない。
製作された年代も既に
枯渇していた時期である。
長らくストックされていた材が
使われていない限り、
ホンジュラスマホガニーだろう。
ちなみに、大手通販サイトで検索して
出てきたものは話にならなかった。
確実にマホガニーではない。
イデアのように存在するマホガニー家具を
模したものをマホガニー家具と呼んでいる
という現実を私は受け入れなければ
ならないのかもしれない。
マホガニーは概念になったのだ。
最高峰のものがこのマホガニーだ。
その芯材は赤みを帯び、光を浴びれば
黄金のように輝く。
規則正しいリボン木目に重厚な密度、
優れた耐久性と絹のような肌触り。
机や手すりなど、人の手が触れる家具に
使う木材であれば、
間違いなく最高の素材だろう。
もちろん、用途が違えば他の木材の方が
優れているケースは多いため、
無条件に最上のものとまでは言わない。
さて、このマホガニー、実はもう、
まともな価格で手に入れることはできない。
伐採し尽くされ、希少価値が
高くなりすぎてしまったためだ。
フロリダやハワイに植えられたものもあるが、
産地はキューバである。
中央アメリカにもマホガニーと呼ばれる
近い種類の樹木があるが、
本来のマホガニーほどの美しさは無い。
そして、実際に現在マホガニーだと
言われているものは、ほとんどが
キューバンマホガニーではない。
メキシカンマホガニーや
ホンジュラスマホガニーなら
まだ良心的である。
カヤやマトア、サペリなどの似ている木材が
堂々とマホガニーと呼ばれ流通している。
赤みを帯びた木材であれば
それはマホガニーと呼ばれる。
それですらまだ良心的である。
赤く塗装したものをマホガニーと
呼ぶことすらまかり通っているのだ。
しまいには、白く塗られた
マホガニー家具まで売られている。
音に聞こえしマホガニーの家具が
思っていたより大したことが無かった、
という事例は多いが、それも仕方がない。
マホガニーではないのだから。
本物のアンティークでしか
実際のマホガニーには
お目にかかれないだろう。
コルドバのメスキータや
バルセロナのグエル邸へ
行けば間違いない。
本物もわずかに流通しているはずだが、
比べ物にならないほど偽物が多い。
本物もどうせ密輸品だろう。
マホガニー材を入手することは
無理だと思っていた方がいい。
なお、アンティーク家具の通販サイトを
覗いてみたが、トップにあった商品、
これは写真だけでもわかる。
キューバンマホガニーではない。
製作された年代も既に
枯渇していた時期である。
長らくストックされていた材が
使われていない限り、
ホンジュラスマホガニーだろう。
ちなみに、大手通販サイトで検索して
出てきたものは話にならなかった。
確実にマホガニーではない。
イデアのように存在するマホガニー家具を
模したものをマホガニー家具と呼んでいる
という現実を私は受け入れなければ
ならないのかもしれない。
マホガニーは概念になったのだ。
2019年3月5日火曜日
明礬
硫酸の複塩である。
塩(えん)とはアニオンとカチオンの
結合したものである。
アニオンとはアシッド、酸の陰イオンであり、
カチオンとはアルカリ、塩基の陽イオンである。
複数種類の物質に由来するイオンを含む場合、
複塩と呼ばれることになる。
しかし、そんな化学の話は置いておこう。
私の本分ではない。
わざわざ塩(えん)の説明をしたのは
塩(えん)というものが錬金術において
重要な存在とされてきたためだ。
酸とアルカリを混ぜ合わせると生じる塩(えん)は
世界の仕組みを解き明かす鍵のひとつと
考えられてきたのだ。
そんな塩(えん)の中でも明礬は
古代から人によって利用されてきた。
布の染色において、色を定着させるための媒染剤。
なめし皮の製作の際に使用するなめし剤。
濁った水の不純物を底に沈める沈殿剤。
他にも、止血剤、鎮痛剤、防腐剤、制汗剤、
洗眼剤、防臭剤、うがい薬に灰汁抜き、保存料など、
その用途は多岐にわたる。
錬金術師がその正体を解明しようと
努めたのも頷けるだろう。
明礬自体は火山地域で採取することができるのだが、
錬金術師の中には実験室で作り出した者もいるだろう。
なお、明礬は英語でアルムという。
金属のアルミニウムは明礬から分離されることで
発見されたため、礬素と呼ばれるのだ。
ただし、明礬にもいろいろと種類がある。
アルミニウムだけでなく、カリウムや鉄、
クロムなど様々な金属の硫酸塩が明礬と呼ばれる。
自分で書いていてよくわからなくなってきたが、
とりあえず正八角形の白っぽい透明の結晶である。
様々な薬品として使うことができ、
古代から現在にいたるまで活用されてきた。
硫黄と金属から成るため火山で産出する。
以上。
塩(えん)とはアニオンとカチオンの
結合したものである。
アニオンとはアシッド、酸の陰イオンであり、
カチオンとはアルカリ、塩基の陽イオンである。
複数種類の物質に由来するイオンを含む場合、
複塩と呼ばれることになる。
しかし、そんな化学の話は置いておこう。
私の本分ではない。
わざわざ塩(えん)の説明をしたのは
塩(えん)というものが錬金術において
重要な存在とされてきたためだ。
酸とアルカリを混ぜ合わせると生じる塩(えん)は
世界の仕組みを解き明かす鍵のひとつと
考えられてきたのだ。
そんな塩(えん)の中でも明礬は
古代から人によって利用されてきた。
布の染色において、色を定着させるための媒染剤。
なめし皮の製作の際に使用するなめし剤。
濁った水の不純物を底に沈める沈殿剤。
他にも、止血剤、鎮痛剤、防腐剤、制汗剤、
洗眼剤、防臭剤、うがい薬に灰汁抜き、保存料など、
その用途は多岐にわたる。
錬金術師がその正体を解明しようと
努めたのも頷けるだろう。
明礬自体は火山地域で採取することができるのだが、
錬金術師の中には実験室で作り出した者もいるだろう。
なお、明礬は英語でアルムという。
金属のアルミニウムは明礬から分離されることで
発見されたため、礬素と呼ばれるのだ。
ただし、明礬にもいろいろと種類がある。
アルミニウムだけでなく、カリウムや鉄、
クロムなど様々な金属の硫酸塩が明礬と呼ばれる。
自分で書いていてよくわからなくなってきたが、
とりあえず正八角形の白っぽい透明の結晶である。
様々な薬品として使うことができ、
古代から現在にいたるまで活用されてきた。
硫黄と金属から成るため火山で産出する。
以上。
2019年3月4日月曜日
辰砂
錬金術において最も重要とされる物質、
硫黄と水銀の化合物である。
朱色の結晶体は非常に美しいが、
脆く儚い。
古来、この鉱物は砕かれ赤色顔料として
使われてきた。
神社の鳥居の朱は本来は辰砂の色である。
辰砂の名は現在の湖南省、辰州で採れる
鉱物であったことに由来する。
アラビアの錬金術師たちはこの鉱物を
ペルシア語で竜の血を意味する
ジンジフラーと呼んでいた。
それが訛り、ヨーロッパではキナバーや
シナバーと呼ばれるようになる。
辰砂を加熱すると硫黄は飛び、
水銀が生じる。
赤い結晶体が銀色の液体になるのだ。
神秘を感じるのも当然だろう。
水銀が酸化すると褐色や黒へと色を変える。
硫黄と化合させれば再び赤に戻る。
この化学変化を幾度も繰り返すことを
錬丹と言い、不老不死の霊薬を
作るための工程とされていた。
この錬丹術は恐らく海路あるいは
シルクロードを通じてアラビアの
錬金術師たちに伝えられた。
チャイナの陰陽思想や錬丹術が
錬金術に影響を与えたことは
想像に難くない。
そのアラビア錬金術を継承した
ヨーロッパの錬金術では
硫黄と水銀の力が調和したものこそ
黄金であると考えられた。
すなわち、辰砂とは賢者の石の原型なのだ。
硫黄と水銀の化合物である。
朱色の結晶体は非常に美しいが、
脆く儚い。
古来、この鉱物は砕かれ赤色顔料として
使われてきた。
神社の鳥居の朱は本来は辰砂の色である。
辰砂の名は現在の湖南省、辰州で採れる
鉱物であったことに由来する。
アラビアの錬金術師たちはこの鉱物を
ペルシア語で竜の血を意味する
ジンジフラーと呼んでいた。
それが訛り、ヨーロッパではキナバーや
シナバーと呼ばれるようになる。
辰砂を加熱すると硫黄は飛び、
水銀が生じる。
赤い結晶体が銀色の液体になるのだ。
神秘を感じるのも当然だろう。
水銀が酸化すると褐色や黒へと色を変える。
硫黄と化合させれば再び赤に戻る。
この化学変化を幾度も繰り返すことを
錬丹と言い、不老不死の霊薬を
作るための工程とされていた。
この錬丹術は恐らく海路あるいは
シルクロードを通じてアラビアの
錬金術師たちに伝えられた。
チャイナの陰陽思想や錬丹術が
錬金術に影響を与えたことは
想像に難くない。
そのアラビア錬金術を継承した
ヨーロッパの錬金術では
硫黄と水銀の力が調和したものこそ
黄金であると考えられた。
すなわち、辰砂とは賢者の石の原型なのだ。
2019年3月3日日曜日
硫黄
燃える石、サルファである。
純度の高いものは鮮やかな黄色をしており、
不純物が多くなるにつれて褐色となる。
火山地帯の噴出物として多く産出し、
特に手を加えずとも十分な純度の
ものが得られるのが特徴だ。
よく知られる腐卵臭、いわゆる硫黄の匂いは
硫化水素の匂いで、二酸化硫黄は
強い刺激臭を持つ。
本邦は火山列島のため、古来硫黄に困らず、
比較的容易に採取することができた。
しかし、全国的に空気中の硫黄分が多いため、
銀を硫化させてしまうという問題がある。
他国と比べ銀製品が発達しなかったのは
この硫黄のせいであると言っても過言ではない。
さて、硫黄の利用方法であるが、
昔は痒みなど、皮膚のトラブルに対処する
薬として重用されていた。
アラビアの錬金術師は明礬や緑礬、胆礬から、
ほとんどの金属を溶かすことのできる
硫酸を作り出して研究に勤しんだ。
そして、黒色火薬の登場によって
硫黄の需要は飛躍的に増加する。
硫黄と硝石は入手経路が異なるため、
火薬を作るためには
それなりのコストがかかったのだ。
需要が最大となったのはマッチの発明による。
各地の火山で硫黄の採取が進められた結果、
簡単に手に入る硫黄はなくなってしまった。
だが、硫黄の供給は止まっていない。
石油の精製の際に、その不純物である
硫黄を取り除く必要があるため、
副産物として得られるようになったのだ。
ちなみに、マッチの需要が減った今でも、
ゴムの弾性を高めたり、合成繊維を作ったりと、
その需要は相変わらず高い。
なお、硫黄は錬金術師にとって水銀と並ぶ
神秘の物質であり、世界の謎を紐解く
鍵だと考えられていた。
硫黄から作られる硫酸が金属を溶かす様は、
多くの錬金術師たちに新たな可能性を
感じせたことだろう。
純度の高いものは鮮やかな黄色をしており、
不純物が多くなるにつれて褐色となる。
火山地帯の噴出物として多く産出し、
特に手を加えずとも十分な純度の
ものが得られるのが特徴だ。
よく知られる腐卵臭、いわゆる硫黄の匂いは
硫化水素の匂いで、二酸化硫黄は
強い刺激臭を持つ。
本邦は火山列島のため、古来硫黄に困らず、
比較的容易に採取することができた。
しかし、全国的に空気中の硫黄分が多いため、
銀を硫化させてしまうという問題がある。
他国と比べ銀製品が発達しなかったのは
この硫黄のせいであると言っても過言ではない。
さて、硫黄の利用方法であるが、
昔は痒みなど、皮膚のトラブルに対処する
薬として重用されていた。
アラビアの錬金術師は明礬や緑礬、胆礬から、
ほとんどの金属を溶かすことのできる
硫酸を作り出して研究に勤しんだ。
そして、黒色火薬の登場によって
硫黄の需要は飛躍的に増加する。
硫黄と硝石は入手経路が異なるため、
火薬を作るためには
それなりのコストがかかったのだ。
需要が最大となったのはマッチの発明による。
各地の火山で硫黄の採取が進められた結果、
簡単に手に入る硫黄はなくなってしまった。
だが、硫黄の供給は止まっていない。
石油の精製の際に、その不純物である
硫黄を取り除く必要があるため、
副産物として得られるようになったのだ。
ちなみに、マッチの需要が減った今でも、
ゴムの弾性を高めたり、合成繊維を作ったりと、
その需要は相変わらず高い。
なお、硫黄は錬金術師にとって水銀と並ぶ
神秘の物質であり、世界の謎を紐解く
鍵だと考えられていた。
硫黄から作られる硫酸が金属を溶かす様は、
多くの錬金術師たちに新たな可能性を
感じせたことだろう。
2019年3月2日土曜日
水銀
常温で液体の金属である。
液体でありながら銀色の金属光沢を
持つその姿は一度見たら忘れられない。
昔の人々が水銀に神秘的なものを
感じていたのは当然のことだろう。
元素記号はギリシア語のヒドラルギルムの略で、
これは水の銀という意味だが、
ラテン語ではアルゲントゥムウィウム、
生きている銀と呼ばれていた。
英語の古語ではクイックシルバーであり、
速いを意味するクイックは古語では
生きていることを形容する言葉であった。
現在は英語ではマーキュリーというが、
これは水星と同じ名前である。
マーキュリーとはメルクリウス、
ローマ神話における伝令神の名だ。
世界中を自由に駆け巡るこの神の名は、
不規則に動き回る惑星、水星の名となる。
流動する水銀は、この水星になぞらえて、
マーキュリーと呼ばれるようになったと
言われている。
銀色の水銀は、硫黄と化合することで
鮮やかな緋色の物質へと変わる。
これは丹(に)と呼ばれ、
鳥居の朱色と言えばわかりやすいだろうか。
流れる銀、鮮やかな血のような赤、
この不思議な性質は、身体に取り込めば、
霊験な力が得られるという信仰を生む。
大陸では不老不死の霊薬、仙丹の原料と
信じられ、錬丹術と呼ばれる
化学の前身が発展した。
しかし、水銀化合物は毒である。
水銀中毒で命を落とした皇帝は多い。
古代インド医学では、水銀は最強の金属であり、
固体にすることができれば、
流動する精神を固めることで、
あらゆる病に打ち克つ力が得られるとされた。
アラビアの錬金術においては、
硫黄と並ぶ世界を解き明かすための鍵であり、
世界霊魂を取り出すために必要とされた。
様々な実験が繰り返された結果、
化学の発展に大きく寄与することになる。
なお、錬金術という文脈ではないが、
水銀を使うことで、様々な金属を
精錬することが可能である。
また、水銀中毒の恐れはあるが、
水銀剤は梅毒の特効薬でもあった。
雷酸水銀は雷管の一部に使われていたし、
水銀灯という電灯も存在した。
温度計や気圧計の水銀柱としては
近年まで使われていた。
しかし、人体に悪影響がある、
環境を汚染するなどの理由により、
水銀の利用は減っている。
ちなみに錬金術は卑金属を貴金属に変える
ものと一般には理解されていたが、
実は科学の進歩は水銀を金に
変えることに成功している。
粒子加速器の実験において、
水銀原子に中性子をぶつけたところ、
陽子がひとつ減り、金原子となったのだ。
もちろん、原子単位で水銀を
金に変えたところで、
金儲けなどできはしない。
液体でありながら銀色の金属光沢を
持つその姿は一度見たら忘れられない。
昔の人々が水銀に神秘的なものを
感じていたのは当然のことだろう。
元素記号はギリシア語のヒドラルギルムの略で、
これは水の銀という意味だが、
ラテン語ではアルゲントゥムウィウム、
生きている銀と呼ばれていた。
英語の古語ではクイックシルバーであり、
速いを意味するクイックは古語では
生きていることを形容する言葉であった。
現在は英語ではマーキュリーというが、
これは水星と同じ名前である。
マーキュリーとはメルクリウス、
ローマ神話における伝令神の名だ。
世界中を自由に駆け巡るこの神の名は、
不規則に動き回る惑星、水星の名となる。
流動する水銀は、この水星になぞらえて、
マーキュリーと呼ばれるようになったと
言われている。
銀色の水銀は、硫黄と化合することで
鮮やかな緋色の物質へと変わる。
これは丹(に)と呼ばれ、
鳥居の朱色と言えばわかりやすいだろうか。
流れる銀、鮮やかな血のような赤、
この不思議な性質は、身体に取り込めば、
霊験な力が得られるという信仰を生む。
大陸では不老不死の霊薬、仙丹の原料と
信じられ、錬丹術と呼ばれる
化学の前身が発展した。
しかし、水銀化合物は毒である。
水銀中毒で命を落とした皇帝は多い。
古代インド医学では、水銀は最強の金属であり、
固体にすることができれば、
流動する精神を固めることで、
あらゆる病に打ち克つ力が得られるとされた。
アラビアの錬金術においては、
硫黄と並ぶ世界を解き明かすための鍵であり、
世界霊魂を取り出すために必要とされた。
様々な実験が繰り返された結果、
化学の発展に大きく寄与することになる。
なお、錬金術という文脈ではないが、
水銀を使うことで、様々な金属を
精錬することが可能である。
また、水銀中毒の恐れはあるが、
水銀剤は梅毒の特効薬でもあった。
雷酸水銀は雷管の一部に使われていたし、
水銀灯という電灯も存在した。
温度計や気圧計の水銀柱としては
近年まで使われていた。
しかし、人体に悪影響がある、
環境を汚染するなどの理由により、
水銀の利用は減っている。
ちなみに錬金術は卑金属を貴金属に変える
ものと一般には理解されていたが、
実は科学の進歩は水銀を金に
変えることに成功している。
粒子加速器の実験において、
水銀原子に中性子をぶつけたところ、
陽子がひとつ減り、金原子となったのだ。
もちろん、原子単位で水銀を
金に変えたところで、
金儲けなどできはしない。
2019年3月1日金曜日
カーヒラ
ナイル川下流のデルタ、扇の要に位置する
エジプトの首都アル・カーヒラ。
本邦では英語読みのカイロとして知られる。
下ナイルと上ナイルの境界にも位置する
要地だが、エジプト王朝時代には
小さな集落しか存在しなかった。
イスラム帝国がエジプトを攻略した後、
軍営都市としてこの地にフスタートという
街が建設された。
イスラム帝国では軍隊は既存の街には
駐留させず、新たな都市を
建設するのが恒例である。
軍人相手の商売は儲かるため、
こうした軍営都市には商人が集まり
多くの場合、商業都市へと発展を遂げる。
フスタートもこの例に漏れず、
下エジプトと上エジプトの中継地として、
大いに栄えることになる。
カーヒラはファーティマ朝の将軍が、
エジプトに勝利した記念として
築いたフスタート北部の新都市である。
名前の意味は文字通り勝利の都市だ。
なお、当時はカーヒラとフスタートは
繋がっておらず、別の都市として存在した。
商業都市フスタートは隆盛を極めたが、
十字軍の侵攻を受けた際に、
焦土作戦がとられ、焼き払われた。
以来、フスタートが有していた機能は
カーヒラが受け継ぎ、
この街はエジプトの中心であり続ける。
アラビア語圏最大の都市であり、
文化の中心として繁栄を続けているが、
現在は人口過剰による諸問題が噴出している。
例えば、カーヒラで消費される電力量は
近隣の発電所の能力を超えており、
定期的に停電が発生する。
常態化した問題の解決のために、
エジプト政府は遷都を計画しているという。
遷都といっても、別の街に首都機能を
移すわけではなく、カーヒラ東部に
新都市部を形成するつもりらしい。
本邦で例えるなら、
茨城に新東京を作るようなものである。
なお、西にはピラミッドで有名なギーザ、
南にはエジプト王朝時代の中心都市
メンフィスがあり、北部は既に
新市街が拡張されて久しい。
ちなみに、我々はかの国をエジプトと呼ぶが、
これは英語での呼び方である。
かつてギリシア人はこの地を
アイギュプトスと呼び、
サラセン人は軍営都市を意味するミスルと呼んだ。
軍営都市、ミスルはフスタートのことで、
カーヒラに継承され、カーヒラが
アイギュプトスの首都として機能し続けたことで
地域全体の呼び名となる。
アラビア語圏ではエジプトは
ミスルと呼ばれており、エジプト人も自国を
ミスルと認識している。
イスラム教徒やコプト系キリスト教徒にとって、
アイギュプトスとは遥か昔の
異教の国でしかないのだろう。
エジプトの首都アル・カーヒラ。
本邦では英語読みのカイロとして知られる。
下ナイルと上ナイルの境界にも位置する
要地だが、エジプト王朝時代には
小さな集落しか存在しなかった。
イスラム帝国がエジプトを攻略した後、
軍営都市としてこの地にフスタートという
街が建設された。
イスラム帝国では軍隊は既存の街には
駐留させず、新たな都市を
建設するのが恒例である。
軍人相手の商売は儲かるため、
こうした軍営都市には商人が集まり
多くの場合、商業都市へと発展を遂げる。
フスタートもこの例に漏れず、
下エジプトと上エジプトの中継地として、
大いに栄えることになる。
カーヒラはファーティマ朝の将軍が、
エジプトに勝利した記念として
築いたフスタート北部の新都市である。
名前の意味は文字通り勝利の都市だ。
なお、当時はカーヒラとフスタートは
繋がっておらず、別の都市として存在した。
商業都市フスタートは隆盛を極めたが、
十字軍の侵攻を受けた際に、
焦土作戦がとられ、焼き払われた。
以来、フスタートが有していた機能は
カーヒラが受け継ぎ、
この街はエジプトの中心であり続ける。
アラビア語圏最大の都市であり、
文化の中心として繁栄を続けているが、
現在は人口過剰による諸問題が噴出している。
例えば、カーヒラで消費される電力量は
近隣の発電所の能力を超えており、
定期的に停電が発生する。
常態化した問題の解決のために、
エジプト政府は遷都を計画しているという。
遷都といっても、別の街に首都機能を
移すわけではなく、カーヒラ東部に
新都市部を形成するつもりらしい。
本邦で例えるなら、
茨城に新東京を作るようなものである。
なお、西にはピラミッドで有名なギーザ、
南にはエジプト王朝時代の中心都市
メンフィスがあり、北部は既に
新市街が拡張されて久しい。
ちなみに、我々はかの国をエジプトと呼ぶが、
これは英語での呼び方である。
かつてギリシア人はこの地を
アイギュプトスと呼び、
サラセン人は軍営都市を意味するミスルと呼んだ。
軍営都市、ミスルはフスタートのことで、
カーヒラに継承され、カーヒラが
アイギュプトスの首都として機能し続けたことで
地域全体の呼び名となる。
アラビア語圏ではエジプトは
ミスルと呼ばれており、エジプト人も自国を
ミスルと認識している。
イスラム教徒やコプト系キリスト教徒にとって、
アイギュプトスとは遥か昔の
異教の国でしかないのだろう。
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