燃素と訳される、ものが燃えるために
必要な物質である。
厳密に言うなら、すべてのものは灰であり、
灰とフロギストンが化合してできていて、
ものが燃える際にフロギストンが
分離することで光と熱を放ち灰が残る。
もちろん、この説は誤りである。
学校の理科で習うはずなので、
みんな知っていることだ。
このフロギストンによる、
ものが燃えることについての説明は
一見よくできている。
よく燃える植物などはフロギストンの
含有量が多いというわけだ。
しかし、金属を燃やすと僅かに重くなる。
フロギストンの分、質量が減り
残された金属灰は軽くなるはずが、
実際には質量が増すのだ。
この謎に対して、フロギストンが抜けた分、
金属が濃縮するので重くなるなど、
様々な説明が成されていた。
そんな中、フロギストンを発見したと
発表した科学者がいた。
実際には水素だったのだが、
このようにフロギストンの探求が
化学を進歩させた歴史がある。
フロギストンで満たされた空気内では
燃えるという現象が起きないことも発見され、
フロギストン研究は更に熱を帯びていく。
ちなみに、この時にフロギストン空気と
呼ばれたものは窒素である。
フロギストンについて決定的な見解を出したのは
アントワーヌ・ラヴォアジエである。
彼は従来の、灰と燃素の化合物が通常の物質である
という見方とは違う、通常の物質と何か特別な空気が
化合したものが灰であるという説を打ち出した。
この何か特別な空気こそ酸素である。
フロギストンという架空の存在のせいで
化学の進展が遅れたと考える者は多い。
しかし、逆にフロギストンの性質を真面目に
考え抜いたからこそ、ラヴォアジエの説が
導き出されたのだとも言える。
私は後者を支持したい。
錬金術が現在の化学になる過程で、
様々な錯誤や遠回りをしてきた。
しかし、失敗から学び取ることと、
遠回りをしたことで得られる副産物は、
どんな分野でも非常に大切なものだ。
失敗を恐れず、失敗した原因を探り、
トライアンドエラーを繰り返してこそ、
新たな段階へと進むことができるのだ。
正解への近道を求めすぎてはいけない。
簡単に答えが得られれば、その次を知ろう
という探求心が失われてしまうだろう。
序説
序説
かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...
2018年9月30日日曜日
2018年9月29日土曜日
オスロ
スカンジナビア半島の西側、ノルウェー南の
フィヨルド最奥に位置する首都である。
ノルウェーは英語表記に基づく発音で、
現地の言葉ではノルゲとなる。
ニーノシュクと呼ばれる、
方言を統一しようとして作られた言語があるのだが、
その場合にはノーレーグとなる。
ニーノシュクは無理矢理作られた言語とされており、
ノルウェー人でも意味がわからないと揶揄され、
使っている者は少ないという。
実際に地方で話されているのは
その土地土地の方言であるランスモールである。
お国の言葉という意味だ。
なお、いわゆる標準語はブークモール、
本の言葉と呼ばれ、現在ではほとんどの
ノルウェー人がブークモールを話す。
言語のことはこの辺にしてオスロの話をしよう。
オスロの地名の由来はよくわかっていない。
有力な説では神の牧草地という意味らしいが、
決定的な決め手はないようだ。
一度クリスチャン四世という王によって
クリスチャニアと改名されているが、
近代になってからオスロに戻された経緯を持つ。
オスロ大聖堂は二度焼失している。
現在のものは三代目であり、
建て直される度に場所も変わっている。
赤煉瓦造りの佇まいは大聖堂というよりも
市庁舎のような雰囲気で、
敷地の一部が消防署であったこともある。
塔の先端部は銅で作られており、
現在は錆によって青緑色をしている。
外観がおとなしいのはルター派の
総本山だからだろうか。
内部はネオゴシック様式であったが、
幾度か改築した結果、
古い時代のバロック様式に戻されている。
さて、オスロ観光の目玉は美術館と
博物館になるだろうか。
国立美術館はもちろんだが、
エドヴァルト・ムンクが好きなら
ムンク美術館には絶対に行った方がいい。
例の叫びが見られる。
博物館は船舶関係が多い。
船に興味があるのならはしごしてみよう。
正直に言うとそれ以外はいまひとつ物足りない。
現役の国王の住む宮殿もシンプルだ。
物価も高いのでそれほど
お勧めできる観光地とは言えない。
料理に関しては、チーズ、サワークリーム、鯨、鱈、
鮭、鰊、羊肉、ジュニパーベリー、コケモモ、カブ、
キャベツなどがよく使われる食材である。
ビール醸造も有名で、美味いエールが作られている。
伝統的な蜂蜜酒やアクアビットもお勧めしたい。
高級店ではヘラジカやトナカイの
ジビエ料理が人気らしい。
ノルウェーでは伝統的にクジラ漁を行っており、
髭と油だけを目的に乱獲した他の欧米諸国とは
異なり、クジラを大切にする文化を持つ。
話が逸れそうなのでこの辺りで筆を置こう。
オスロに行くのなら食をメインに据えて
観光すると良いだろう。
フィヨルド最奥に位置する首都である。
ノルウェーは英語表記に基づく発音で、
現地の言葉ではノルゲとなる。
ニーノシュクと呼ばれる、
方言を統一しようとして作られた言語があるのだが、
その場合にはノーレーグとなる。
ニーノシュクは無理矢理作られた言語とされており、
ノルウェー人でも意味がわからないと揶揄され、
使っている者は少ないという。
実際に地方で話されているのは
その土地土地の方言であるランスモールである。
お国の言葉という意味だ。
なお、いわゆる標準語はブークモール、
本の言葉と呼ばれ、現在ではほとんどの
ノルウェー人がブークモールを話す。
言語のことはこの辺にしてオスロの話をしよう。
オスロの地名の由来はよくわかっていない。
有力な説では神の牧草地という意味らしいが、
決定的な決め手はないようだ。
一度クリスチャン四世という王によって
クリスチャニアと改名されているが、
近代になってからオスロに戻された経緯を持つ。
オスロ大聖堂は二度焼失している。
現在のものは三代目であり、
建て直される度に場所も変わっている。
赤煉瓦造りの佇まいは大聖堂というよりも
市庁舎のような雰囲気で、
敷地の一部が消防署であったこともある。
塔の先端部は銅で作られており、
現在は錆によって青緑色をしている。
外観がおとなしいのはルター派の
総本山だからだろうか。
内部はネオゴシック様式であったが、
幾度か改築した結果、
古い時代のバロック様式に戻されている。
さて、オスロ観光の目玉は美術館と
博物館になるだろうか。
国立美術館はもちろんだが、
エドヴァルト・ムンクが好きなら
ムンク美術館には絶対に行った方がいい。
例の叫びが見られる。
博物館は船舶関係が多い。
船に興味があるのならはしごしてみよう。
正直に言うとそれ以外はいまひとつ物足りない。
現役の国王の住む宮殿もシンプルだ。
物価も高いのでそれほど
お勧めできる観光地とは言えない。
料理に関しては、チーズ、サワークリーム、鯨、鱈、
鮭、鰊、羊肉、ジュニパーベリー、コケモモ、カブ、
キャベツなどがよく使われる食材である。
ビール醸造も有名で、美味いエールが作られている。
伝統的な蜂蜜酒やアクアビットもお勧めしたい。
高級店ではヘラジカやトナカイの
ジビエ料理が人気らしい。
ノルウェーでは伝統的にクジラ漁を行っており、
髭と油だけを目的に乱獲した他の欧米諸国とは
異なり、クジラを大切にする文化を持つ。
話が逸れそうなのでこの辺りで筆を置こう。
オスロに行くのなら食をメインに据えて
観光すると良いだろう。
余談2
私がライターとなった時のことを少し書きたい。
当時私はあるゲーム会社で社内報などを作成していた。
この会社は成果物に関する権利について厳しいので
どこであるかヒントになるようなことは書かない。
新規プロジェクトのストーリー面で難航していた
その会社は、ライターの不足という事態に陥っていた。
そこでまず、社内公募という形で、
テキストを書ける者はいないか呼びかけられた。
私は課題を受け、キャラクター設定の作成、
カードのフレーバーテキストの作成を行い、
一定のクオリティで書けることが認められた。
クオリティ面の次は速度が試される。
百あまりの武器のフレーバーテキストの作成が
課題として出された。
文字数は40文字程度とされ、私はほとんどのテキストを
40文字ぴったりで書いて提出した。
ぴったりのもの以外でも39文字あるいは
41文字だったと記憶している。
その結果は合格であり、私は新規プロジェクトの
ライターとして採用された。
しかし、詳細は省くが、私はその会社を去り、
フリーランスのライターとなった。
色々と理由はあるが、新規プロジェクトの製作が難航し、
本来リリースが予定されていた日に間に合わず、
いわゆるデスマーチの続行が確定したこともひとつである。
後日、リリースされたそのゲームをプレイしてみると、
私が課題で提出した武器のフレーバーテキストが
そのまま使われていた。
私が書いた後に追加された分については、
文体と文字数を真似たものも一部には見られたが、
40文字ではなく、文体も異なっている。
限られた文字数の中で情景が浮かぶように文字を手繰り、
音としてのリズムを整え、記憶の片隅に残るようにする。
それが私の考えるフレーバーテキストの肝だ。
40文字というのはなかなかぎりぎりのラインである。
和歌が31音だということを思い出していただければ、
なんとなく想像できるのではないだろうか。
私が書いていない分については、
40文字どころか上限無く書かれている。
かなりスクロールしなければ読めないものすらある。
正直なところ、私はこの件について少々憤っている。
環境依存の不具合だとは思うが、
19文字で改行されて表示されていたことが
一番苛立たしかった。
20文字が2行の想定で書いたものだ。
当然、改行される位置も考慮して書いている。
具体的には21文字目が句点にならないようになど、
行末、行頭の禁則を考え、どう表示されるのかを
考えてフレーバーテキストは書かなければならない。
それが、無様にも3行目に2文字ぶら下がっていたのだ。
目も当てられないとはこのことだ。
ちなみに、このブログは閲覧する環境によって
横幅が変わるので、あまり1行の長さは考慮していない。
あしからず。
今の仕事では基本的に200文字程で依頼されている。
とても楽だ。文字数が多ければ多いほど楽になる。
上限が無いとなれば尚更で、
書こうと思えばいくらでも書ける。
なので、このブログも、
ある程度の所で自重しなくてはならない。
近頃はひとつの記事が長くなっている。
街については仕方ない部分もあるが、
他の記事も明らかに初期のものより長い。
趣味で書いているのだから
好きに書けばいい話ではあるのだが、
自己研鑽などと考えてしまうと少し気になる。
ただし、余計なことは考えず、書くことを楽しみ、
筆に任せるのが、クオリティ面でも良好となることは
これまで220日書いてきてよくわかった。
あとは、週末になると午前6時の定時更新が
できないことが多いのは今後の課題としておこう。
当時私はあるゲーム会社で社内報などを作成していた。
この会社は成果物に関する権利について厳しいので
どこであるかヒントになるようなことは書かない。
新規プロジェクトのストーリー面で難航していた
その会社は、ライターの不足という事態に陥っていた。
そこでまず、社内公募という形で、
テキストを書ける者はいないか呼びかけられた。
私は課題を受け、キャラクター設定の作成、
カードのフレーバーテキストの作成を行い、
一定のクオリティで書けることが認められた。
クオリティ面の次は速度が試される。
百あまりの武器のフレーバーテキストの作成が
課題として出された。
文字数は40文字程度とされ、私はほとんどのテキストを
40文字ぴったりで書いて提出した。
ぴったりのもの以外でも39文字あるいは
41文字だったと記憶している。
その結果は合格であり、私は新規プロジェクトの
ライターとして採用された。
しかし、詳細は省くが、私はその会社を去り、
フリーランスのライターとなった。
色々と理由はあるが、新規プロジェクトの製作が難航し、
本来リリースが予定されていた日に間に合わず、
いわゆるデスマーチの続行が確定したこともひとつである。
後日、リリースされたそのゲームをプレイしてみると、
私が課題で提出した武器のフレーバーテキストが
そのまま使われていた。
私が書いた後に追加された分については、
文体と文字数を真似たものも一部には見られたが、
40文字ではなく、文体も異なっている。
限られた文字数の中で情景が浮かぶように文字を手繰り、
音としてのリズムを整え、記憶の片隅に残るようにする。
それが私の考えるフレーバーテキストの肝だ。
40文字というのはなかなかぎりぎりのラインである。
和歌が31音だということを思い出していただければ、
なんとなく想像できるのではないだろうか。
私が書いていない分については、
40文字どころか上限無く書かれている。
かなりスクロールしなければ読めないものすらある。
正直なところ、私はこの件について少々憤っている。
環境依存の不具合だとは思うが、
19文字で改行されて表示されていたことが
一番苛立たしかった。
20文字が2行の想定で書いたものだ。
当然、改行される位置も考慮して書いている。
具体的には21文字目が句点にならないようになど、
行末、行頭の禁則を考え、どう表示されるのかを
考えてフレーバーテキストは書かなければならない。
それが、無様にも3行目に2文字ぶら下がっていたのだ。
目も当てられないとはこのことだ。
ちなみに、このブログは閲覧する環境によって
横幅が変わるので、あまり1行の長さは考慮していない。
あしからず。
今の仕事では基本的に200文字程で依頼されている。
とても楽だ。文字数が多ければ多いほど楽になる。
上限が無いとなれば尚更で、
書こうと思えばいくらでも書ける。
なので、このブログも、
ある程度の所で自重しなくてはならない。
近頃はひとつの記事が長くなっている。
街については仕方ない部分もあるが、
他の記事も明らかに初期のものより長い。
趣味で書いているのだから
好きに書けばいい話ではあるのだが、
自己研鑽などと考えてしまうと少し気になる。
ただし、余計なことは考えず、書くことを楽しみ、
筆に任せるのが、クオリティ面でも良好となることは
これまで220日書いてきてよくわかった。
あとは、週末になると午前6時の定時更新が
できないことが多いのは今後の課題としておこう。
2018年9月28日金曜日
トラペゾヘドロン
一部の柘榴石が時折見せる鉱物の形状である。
柘榴石はいわゆるガーネットのことで、
様々な組み合わせの組成があり、
結晶の形も多様だ。
その中でもトラペゾヘドロンとは
偏方二十四面体と呼ばれるもので、
ひしゃげた四角形が組み合わさり、
角ばった球体に近い形をとるものである。
二十四面ダイスを思い起こしてみてほしい。
ああいった形の結晶である。
ただし、トラペゾヘドロンという語が指す形は
数学と結晶学で異なるものとなっている。
数学ではねじれ双角錐というまったく違う
形状の立体となる。
数学者や鉱物学者以外がトラペゾヘドロンと
言う場合、おそらく輝くトラペソヘドロンと
呼ばれる物質を指すことがほとんどだろう。
輝くトラペゾヘドロンとして知られる物質は、
ほぼ球形の多面体と形容される。
つまり前述の二十四面体の形をとる。
地色は黒なのだが、
輝くという形容の通り光を放っている。
発光の由来は未だ特定されていない。
なお、トラペゾヘドロンと呼ばれてはいるが、
二十四面と確認されたわけではないため、
球に近い多面体という意味で
便宜上使われた語である可能性がある。
実物を目にした者が少ないため、
残念ながらこの辺りがはっきりとしない。
面が一様ではなく冒涜的な角度である可能性もある。
太陽系外縁軌道上の惑星において
生成されたものが地球にもたらされたとされ、
地球上の物質ではないと言われているが、
該当する惑星は発見されておらず伝説の域を出ない。
常に光に晒しておかなければ恐ろしいことが
起こるという伝承もあるが、
この話が書かれた文献はいずれも支離滅裂であり、
狂人の戯言としか思えないため、単なる迷信だろう。
近代にアメリカ東部の星の智慧派教会が
所有していたのが最後に確認された行方で、
その後誰の所有となりどこにあるのかは不明である。
個人に死蔵され研究の進まない物品というものは
ままあるが、輝くトラペゾヘドロンも
そうしたもののひとつとなっているかもしれない。
問題は、この物質が唯一無二の品なのかということだ。
いくつかの目撃例が同一のものなのか、
それとも複数あるうちのひとつなのか、
それすらも判然としていない。
いずれにせよ希少な品であることに違いない。
もし、蔵の奥に眠っているようなことがあれば、
しかるべき研究機関に持ち込むことをお勧めする。
柘榴石はいわゆるガーネットのことで、
様々な組み合わせの組成があり、
結晶の形も多様だ。
その中でもトラペゾヘドロンとは
偏方二十四面体と呼ばれるもので、
ひしゃげた四角形が組み合わさり、
角ばった球体に近い形をとるものである。
二十四面ダイスを思い起こしてみてほしい。
ああいった形の結晶である。
ただし、トラペゾヘドロンという語が指す形は
数学と結晶学で異なるものとなっている。
数学ではねじれ双角錐というまったく違う
形状の立体となる。
数学者や鉱物学者以外がトラペゾヘドロンと
言う場合、おそらく輝くトラペソヘドロンと
呼ばれる物質を指すことがほとんどだろう。
輝くトラペゾヘドロンとして知られる物質は、
ほぼ球形の多面体と形容される。
つまり前述の二十四面体の形をとる。
地色は黒なのだが、
輝くという形容の通り光を放っている。
発光の由来は未だ特定されていない。
なお、トラペゾヘドロンと呼ばれてはいるが、
二十四面と確認されたわけではないため、
球に近い多面体という意味で
便宜上使われた語である可能性がある。
実物を目にした者が少ないため、
残念ながらこの辺りがはっきりとしない。
面が一様ではなく冒涜的な角度である可能性もある。
太陽系外縁軌道上の惑星において
生成されたものが地球にもたらされたとされ、
地球上の物質ではないと言われているが、
該当する惑星は発見されておらず伝説の域を出ない。
常に光に晒しておかなければ恐ろしいことが
起こるという伝承もあるが、
この話が書かれた文献はいずれも支離滅裂であり、
狂人の戯言としか思えないため、単なる迷信だろう。
近代にアメリカ東部の星の智慧派教会が
所有していたのが最後に確認された行方で、
その後誰の所有となりどこにあるのかは不明である。
個人に死蔵され研究の進まない物品というものは
ままあるが、輝くトラペゾヘドロンも
そうしたもののひとつとなっているかもしれない。
問題は、この物質が唯一無二の品なのかということだ。
いくつかの目撃例が同一のものなのか、
それとも複数あるうちのひとつなのか、
それすらも判然としていない。
いずれにせよ希少な品であることに違いない。
もし、蔵の奥に眠っているようなことがあれば、
しかるべき研究機関に持ち込むことをお勧めする。
2018年9月27日木曜日
ンジャメナ
紛争の絶えないチャドの首都である。
チャドはアフリカの内陸国であり、
サハラ、サヘル、サバナという
厳しい気候の土地である。
このため、ヨーロッパ人の干渉を
受けるようになるのが遅かった。
チャド湖とそこに接続する河川により、
古い時代には交易経路として栄えていた。
北からやってきたサラセン人の影響もそこそこに、
ボルヌ帝国などが興隆、金や象牙をサラセン人に売り、
彼らから購入した馬や銅などを西アフリカに売っていた。
だが、列強のアフリカ分割により
フランス領となってからは
南部での綿花栽培に経済が偏ってしまう。
そして、サハラの拡大の影響により河川は細り、
チャド湖は縮小していく。
独立後は政変と紛争の歴史である。
チャド内戦やダルフール紛争の名は
聞いたことがあるのではないだろうか。
当然国土は荒廃するのだが、
幸か不幸か油田が発見された。
現在のチャドは石油の輸出によって命脈を保っている。
だが、ある機関の調査によると、世界で最も
腐敗した政府を持つ国のひとつであるという。
さて、そんなチャドの首都ンジャメナは
どのような街かというと、
渡航中止勧告と退避勧告が出ているので
正直どうなっているのかよくわからない。
インフラの整備されていない
治安の悪い街であることは想像に難くない。
ついでに言えばフランス軍の基地があるので、
その周辺だけは治安がましだろう。
ちなみに、ンジャメナの街は元々内戦中に
フランス人が築いたラミ要塞である。
ラミはフランス軍指揮官の名だ。
そこが首都となり、近場の村
ニジャーミーナの名が採用された。
アラビア語で休息所の意味である。
本邦と同様にアラビア語でもフランス語でも
英語でも ン で始まる単語は伝統的には無い。
だが、現地語の発音を重視し、
ンジャメナと名付けられた。
本邦ではンジャメナと呼ぶ努力をしているが、
多くの国ではヌジャメナや
ウンジャメナと呼んでいる。
公用語はフランス語とアラビア語なので
ニジャーミーナで良いと思うのだが、
民族主義者が軍事政権のトップに立つなど、
色々あった結果こうなった。
人口の多い首都周辺はキリスト教徒が多いため、
平和の聖母大聖堂という小綺麗で近代的な
大聖堂が存在した。
内戦時に破壊されたが、再建されたとも聞く。
おそらく、今はあるはずだ。
国土全体の割合としてはムスリムの方が多い。
このため立派な大モスクがあり、
写真を見る限りこちらの方が見応えがある。
食べ物はボルと呼ばれる雑穀と
ソルガムと呼ばれる穀物が主食らしい。
北部ではアラビア料理に近いものが、
南部では西アフリカ料理に近いものが
食べられているようだ。
ンジャメナではチャド湖の魚介類が主流だが、
ムスリムが多いにも関わらず
豚肉がよく食べられるという。
だが、チャドは収入に対して物価の高い国だ。
物価のランキングで上位に入るらしい。
ンジャメナで外国人が食事をする分には
美味いものが食べられそうだが、
現地の普通の暮らしをしている人々は
生活が苦しそうである。想像だが。
いかんせん、チャドは情報が少ない。
おおむね推測になってしまったが、
どのみち退避勧告の出ている国である。
行くことはないだろう。
なんでも、国のいたるところに
不発弾が埋まっていたり、
地雷原があったりするそうだ。
本邦の大使館も無い。
繰り返すが退避勧告の出ている国である。
事実上の渡航禁止だ。
生きているうちに実現するかは分からないが、
安全になってから訪れるようにしよう。
チャドはアフリカの内陸国であり、
サハラ、サヘル、サバナという
厳しい気候の土地である。
このため、ヨーロッパ人の干渉を
受けるようになるのが遅かった。
チャド湖とそこに接続する河川により、
古い時代には交易経路として栄えていた。
北からやってきたサラセン人の影響もそこそこに、
ボルヌ帝国などが興隆、金や象牙をサラセン人に売り、
彼らから購入した馬や銅などを西アフリカに売っていた。
だが、列強のアフリカ分割により
フランス領となってからは
南部での綿花栽培に経済が偏ってしまう。
そして、サハラの拡大の影響により河川は細り、
チャド湖は縮小していく。
独立後は政変と紛争の歴史である。
チャド内戦やダルフール紛争の名は
聞いたことがあるのではないだろうか。
当然国土は荒廃するのだが、
幸か不幸か油田が発見された。
現在のチャドは石油の輸出によって命脈を保っている。
だが、ある機関の調査によると、世界で最も
腐敗した政府を持つ国のひとつであるという。
さて、そんなチャドの首都ンジャメナは
どのような街かというと、
渡航中止勧告と退避勧告が出ているので
正直どうなっているのかよくわからない。
インフラの整備されていない
治安の悪い街であることは想像に難くない。
ついでに言えばフランス軍の基地があるので、
その周辺だけは治安がましだろう。
ちなみに、ンジャメナの街は元々内戦中に
フランス人が築いたラミ要塞である。
ラミはフランス軍指揮官の名だ。
そこが首都となり、近場の村
ニジャーミーナの名が採用された。
アラビア語で休息所の意味である。
本邦と同様にアラビア語でもフランス語でも
英語でも ン で始まる単語は伝統的には無い。
だが、現地語の発音を重視し、
ンジャメナと名付けられた。
本邦ではンジャメナと呼ぶ努力をしているが、
多くの国ではヌジャメナや
ウンジャメナと呼んでいる。
公用語はフランス語とアラビア語なので
ニジャーミーナで良いと思うのだが、
民族主義者が軍事政権のトップに立つなど、
色々あった結果こうなった。
人口の多い首都周辺はキリスト教徒が多いため、
平和の聖母大聖堂という小綺麗で近代的な
大聖堂が存在した。
内戦時に破壊されたが、再建されたとも聞く。
おそらく、今はあるはずだ。
国土全体の割合としてはムスリムの方が多い。
このため立派な大モスクがあり、
写真を見る限りこちらの方が見応えがある。
食べ物はボルと呼ばれる雑穀と
ソルガムと呼ばれる穀物が主食らしい。
北部ではアラビア料理に近いものが、
南部では西アフリカ料理に近いものが
食べられているようだ。
ンジャメナではチャド湖の魚介類が主流だが、
ムスリムが多いにも関わらず
豚肉がよく食べられるという。
だが、チャドは収入に対して物価の高い国だ。
物価のランキングで上位に入るらしい。
ンジャメナで外国人が食事をする分には
美味いものが食べられそうだが、
現地の普通の暮らしをしている人々は
生活が苦しそうである。想像だが。
いかんせん、チャドは情報が少ない。
おおむね推測になってしまったが、
どのみち退避勧告の出ている国である。
行くことはないだろう。
なんでも、国のいたるところに
不発弾が埋まっていたり、
地雷原があったりするそうだ。
本邦の大使館も無い。
繰り返すが退避勧告の出ている国である。
事実上の渡航禁止だ。
生きているうちに実現するかは分からないが、
安全になってから訪れるようにしよう。
2018年9月26日水曜日
コックロビン
ヨーロッパコマドリのことである。
本邦のコマドリとは種が違う。
本邦のコマドリはツグミの仲間で、
ヨーロッパのコマドリはヒタキの仲間だ。
西洋より紹介された際に、本邦のコマドリと
見た目がよく似ていたため、
近縁種だと思われたのだ。
文献の翻訳でもコックロビンは
駒鳥と訳されており、混同が進んだ。
コックとは雄のことなのだが、
これはヨーロッパコマドリとミソサザイは
同じ鳥だと考えられており、
それぞれ雄と雌だとされていたことに由来する。
ちなみに雄のコックに対し、
雌はヘンである。
ロビンとはロバートなどの短縮形の人名である。
中世に動物に対して名前を付けることが
流行したことがあり、その名が定着した。
ロビン以外の呼び方としては、赤い胸や赤い小鳥、
喉が赤い小鳥などとそれぞれの言語で呼ばれる。
目の周りから胸にかけてが赤く、
腹が白く背側が灰色のこの鳥には、
その見た目となった由来を語る伝説がいくつもある。
いずれも他者を思いやり、献身的な行いをしたために、
現在の色になったとするものばかりで、
この鳥がいかに人々に愛されてきたかが分かる。
これは、ロビンが人間への警戒心の薄い鳥で、
気安く近寄って来ることで愛着が湧きやすかった
ことが理由だろうと思われる。
鳴き声は独特で、決まったパターンを持たない。
このため、鶏のコケコッコーや鶯の
ホーホケキョのような定まったオノマトペがない。
ちなみにコマドリの鳴き声はヒンカラなどと書かれる。
馬のヒヒンといういななきに似ていることから、
駒鳥と名付けられたのである。
この鳴き声の違いからもヨーロッパコマドリと
本邦のコマドリが別の鳥だとわかるだろう。
何故かコックロビンではなくクックロビンとして
広く知られているなど、本邦においては
なにかと誤認の多い鳥である。
本邦のコマドリとは種が違う。
本邦のコマドリはツグミの仲間で、
ヨーロッパのコマドリはヒタキの仲間だ。
西洋より紹介された際に、本邦のコマドリと
見た目がよく似ていたため、
近縁種だと思われたのだ。
文献の翻訳でもコックロビンは
駒鳥と訳されており、混同が進んだ。
コックとは雄のことなのだが、
これはヨーロッパコマドリとミソサザイは
同じ鳥だと考えられており、
それぞれ雄と雌だとされていたことに由来する。
ちなみに雄のコックに対し、
雌はヘンである。
ロビンとはロバートなどの短縮形の人名である。
中世に動物に対して名前を付けることが
流行したことがあり、その名が定着した。
ロビン以外の呼び方としては、赤い胸や赤い小鳥、
喉が赤い小鳥などとそれぞれの言語で呼ばれる。
目の周りから胸にかけてが赤く、
腹が白く背側が灰色のこの鳥には、
その見た目となった由来を語る伝説がいくつもある。
いずれも他者を思いやり、献身的な行いをしたために、
現在の色になったとするものばかりで、
この鳥がいかに人々に愛されてきたかが分かる。
これは、ロビンが人間への警戒心の薄い鳥で、
気安く近寄って来ることで愛着が湧きやすかった
ことが理由だろうと思われる。
鳴き声は独特で、決まったパターンを持たない。
このため、鶏のコケコッコーや鶯の
ホーホケキョのような定まったオノマトペがない。
ちなみにコマドリの鳴き声はヒンカラなどと書かれる。
馬のヒヒンといういななきに似ていることから、
駒鳥と名付けられたのである。
この鳴き声の違いからもヨーロッパコマドリと
本邦のコマドリが別の鳥だとわかるだろう。
何故かコックロビンではなくクックロビンとして
広く知られているなど、本邦においては
なにかと誤認の多い鳥である。
2018年9月25日火曜日
ケブンハウン
ユトランド半島と周辺の島からなる
デンマークの首都である。
シェラン島の東端に位置する。
街の名は商人の港を意味するのだが、
コペンハーゲンというドイツ語読みが
最も浸透している。
デンマークの名は現地語ではダンマハクと読み、
北欧神話にも登場するダンメルク、
デーン人の土地である。
シェラン島はバルト海と北海の間を
塞ぐように存在する島で、
ローマ人はハフニア、辺境の地と呼んだ。
バルト海と北海を行き来するには
この島の両端どちらかの海峡を通る必要があるが、
そこは海賊の跋扈する狭き門であった。
この地のデーン人はいわゆるヴァイキングである。
シェラン島の海賊とは彼らのことで、
管理者こそが収奪者だったというわけだ。
コペンハーゲンは東側のエーレ海峡に面した街で、
ヴァイキングの大王クヌートによって
見出された良港である。
ロスキレの司教が築いたスロッツホルメン城砦、
現在の国会議事堂であるクリスチャンボー城が
できたことが本格的な都市としてのはじまりだ。
以来商港として順調に発展するかに見えたが、
バルト海の覇者、ハンザ同盟と対立したため、
度重なる攻撃を受けた。
ハンザ同盟はデンマークを抑えつけたが、
イングランドやネーデルラントが台頭すると
勢力が衰え、新教派と旧教派とに分裂し、
大航海時代に活躍することなく消えた。
対してデンマークは、摂政である王女
マルグレーテ一世の手腕により、
ノルウェーとスウェーデンと共にカルマル同盟
を結成し、北欧に覇を唱えることになる。
マルグレーテは事実上、三か国の女王であった。
そんなデンマークも凋落していくのだが、
コペンハーゲンの話に集中しよう。
北欧のパリとも呼ばれるコペンハーゲンの見所は
数え上げればきりがない。
アンデルセン、レゴ、磁器など話題にも事欠かない。
そこでさっそく、大聖堂の話を始めよう。
カトリックに関しては、残念ながら、
コペンハーゲンはロスキレの教区内である。
なのでルター派のコペンハーゲン聖母大聖堂を紹介する。
全体的な外観はいくぶん地味だが、
入り口はまるでギリシアの神殿のようで、
内部は白亜の天井に圧倒される。
コペンハーゲンの礎を築いた司教が造った
礼拝堂が元になっており、教会内各所にある
ベアテル・トーヴァルセンの彫刻が素晴らしい。
旅行サイトなどを見てもあまり紹介されていないが、
コペンハーゲン観光をするなら行くべきだ。
他にもコペンハーゲンには魅力的な教会がいくつもある。
黒と金の螺旋状の尖塔がひと際目立つ救世主教会。
高価な大理石で建てられたフレデリクス教会。
近代の表現主義様式で建てられたグルントヴィークス教会。
教会建築だけでも超が付くほど楽しめる街、
それがコペンハーゲンだ。
個人的には、磁器の街という点も推したいが、
長くなりそうなのでやめておく。
料理についてはコペンハーゲンならでは
というものはあまり聞かない。
スモーブローやフリカデラなどデンマーク料理を味わい、
カールスバーグやツボルグを飲もう。
やたらと苦いドイツ風リキュール、ビターズも
デンマークではよく飲まれているので
面白い体験ができるかもしれない。
コペンハーゲンの魅力の一部分しか紹介できなかったが、
この街は非常にお勧めできる旅行先である。
行く人ごとに違った発見のできる面白い街だ。
デンマークの首都である。
シェラン島の東端に位置する。
街の名は商人の港を意味するのだが、
コペンハーゲンというドイツ語読みが
最も浸透している。
デンマークの名は現地語ではダンマハクと読み、
北欧神話にも登場するダンメルク、
デーン人の土地である。
シェラン島はバルト海と北海の間を
塞ぐように存在する島で、
ローマ人はハフニア、辺境の地と呼んだ。
バルト海と北海を行き来するには
この島の両端どちらかの海峡を通る必要があるが、
そこは海賊の跋扈する狭き門であった。
この地のデーン人はいわゆるヴァイキングである。
シェラン島の海賊とは彼らのことで、
管理者こそが収奪者だったというわけだ。
コペンハーゲンは東側のエーレ海峡に面した街で、
ヴァイキングの大王クヌートによって
見出された良港である。
ロスキレの司教が築いたスロッツホルメン城砦、
現在の国会議事堂であるクリスチャンボー城が
できたことが本格的な都市としてのはじまりだ。
以来商港として順調に発展するかに見えたが、
バルト海の覇者、ハンザ同盟と対立したため、
度重なる攻撃を受けた。
ハンザ同盟はデンマークを抑えつけたが、
イングランドやネーデルラントが台頭すると
勢力が衰え、新教派と旧教派とに分裂し、
大航海時代に活躍することなく消えた。
対してデンマークは、摂政である王女
マルグレーテ一世の手腕により、
ノルウェーとスウェーデンと共にカルマル同盟
を結成し、北欧に覇を唱えることになる。
マルグレーテは事実上、三か国の女王であった。
そんなデンマークも凋落していくのだが、
コペンハーゲンの話に集中しよう。
北欧のパリとも呼ばれるコペンハーゲンの見所は
数え上げればきりがない。
アンデルセン、レゴ、磁器など話題にも事欠かない。
そこでさっそく、大聖堂の話を始めよう。
カトリックに関しては、残念ながら、
コペンハーゲンはロスキレの教区内である。
なのでルター派のコペンハーゲン聖母大聖堂を紹介する。
全体的な外観はいくぶん地味だが、
入り口はまるでギリシアの神殿のようで、
内部は白亜の天井に圧倒される。
コペンハーゲンの礎を築いた司教が造った
礼拝堂が元になっており、教会内各所にある
ベアテル・トーヴァルセンの彫刻が素晴らしい。
旅行サイトなどを見てもあまり紹介されていないが、
コペンハーゲン観光をするなら行くべきだ。
他にもコペンハーゲンには魅力的な教会がいくつもある。
黒と金の螺旋状の尖塔がひと際目立つ救世主教会。
高価な大理石で建てられたフレデリクス教会。
近代の表現主義様式で建てられたグルントヴィークス教会。
教会建築だけでも超が付くほど楽しめる街、
それがコペンハーゲンだ。
個人的には、磁器の街という点も推したいが、
長くなりそうなのでやめておく。
料理についてはコペンハーゲンならでは
というものはあまり聞かない。
スモーブローやフリカデラなどデンマーク料理を味わい、
カールスバーグやツボルグを飲もう。
やたらと苦いドイツ風リキュール、ビターズも
デンマークではよく飲まれているので
面白い体験ができるかもしれない。
コペンハーゲンの魅力の一部分しか紹介できなかったが、
この街は非常にお勧めできる旅行先である。
行く人ごとに違った発見のできる面白い街だ。
2018年9月24日月曜日
ギニア湾
本初子午線と赤道の交わるところ、
アフリカの凹み、広大なるギニア湾。
ここはサラセン人の言うところのギニア、
すなわち黒い人々の住む所だ。
サハラ交易を通じてこの地域と交易を
行っていたサラセン人たちは
ギニアを富の国と呼んでいた。
大航海時代の黎明期、ポルトガル人たちは
西アフリカを回り込み、
このギニア湾へと辿り着いた。
西から東へと進むうちに、
これはもしや胡椒の産するインドへ
辿り着けるのではないかと
希望が湧いたことだろう。
実際に、ギニアペッパーという
この地独自の香辛料も存在した。
ギニアペッパーの産地に面した海岸は
胡椒海岸と呼ばれた。
胡椒海岸は同時に穀倉地帯ともなったため、
穀物海岸とも呼ばれた。
穀物海岸を過ぎると、そこでは住民から
象の牙を買い付けることができた。
サラセン人の手を経て買うよりも遥かに安く。
なのでこの地は象牙海岸と呼ばれた。
象牙海岸を過ぎると、大河の上流から
交易品として黄金が運ばれてきた。
現地の住民はポルトガル人の持つ
他愛もない物と黄金を喜んで交換した。
そこでこの地は黄金海岸と呼ばれた。
黄金海岸を過ぎると、胡椒や象牙や黄金ほど
貴重な産物はあまり見られなくなった。
だが、住民はヨーロッパ人の火器を欲しがり、
対価として奴隷を売却した。
よってこの地は奴隷海岸と呼ばれた。
奴隷海岸の先は陸地だった。
黒人の住むその地がアジアではないことは
明白で、探し求めたキリスト教徒の国も無かった。
陸地は南方へと続いて行く。
そこでは星の配置が異なっていた。
ポルトガル人たちは未知の海域へ進んで行った。
さて、大航海時代当時、この地からヨーロッパや
新大陸に運ばれた産品は数多い。
特に象牙と黄金、宝石の類は王侯貴族や豪商たちに
投資をさせるに十分な魅力であった。
そんな高価な品々を積んだ船はもちろん
海賊の格好の標的でもある。
だが、ギニア湾での海賊被害は少なかった。
何故なら、海賊の補給できる拠点が少なく、
戦利品をヨーロッパまで運ぶ手間もかかるからだ。
もっと、ヨーロッパや新大陸に近い場所で
彼らは商船を狩ったのだ。
しかし、現代では事情が違う。
近代ではない、現代である。今現在である。
この海域は海賊が跳梁跋扈している。
クーデターや内戦の多いアフリカに
武器が数多く流れ込んだ。
最早武器なら売るほどある。
それを使って海賊を行うのだ。
海賊だけではない、海産資源の密漁も問題だ。
厳密には違法操業と言うべきなのだろうが。
自国沿岸の海産資源を枯渇させたチャイナが、
わざわざこんな場所まで船を送り、
相変わらずの根こそぎ漁を行っている。
ダイヤモンドや麻薬の密輸船も少なくない。
まさに無法海域だ。
アフリカはいつになったら豊かになるのか、
あれだけ支援しているのに一向に良くならない。
そんな話をよく聞くが、海に関しては
良くなるどころか悪化している。
アフリカの凹み、広大なるギニア湾。
ここはサラセン人の言うところのギニア、
すなわち黒い人々の住む所だ。
サハラ交易を通じてこの地域と交易を
行っていたサラセン人たちは
ギニアを富の国と呼んでいた。
大航海時代の黎明期、ポルトガル人たちは
西アフリカを回り込み、
このギニア湾へと辿り着いた。
西から東へと進むうちに、
これはもしや胡椒の産するインドへ
辿り着けるのではないかと
希望が湧いたことだろう。
実際に、ギニアペッパーという
この地独自の香辛料も存在した。
ギニアペッパーの産地に面した海岸は
胡椒海岸と呼ばれた。
胡椒海岸は同時に穀倉地帯ともなったため、
穀物海岸とも呼ばれた。
穀物海岸を過ぎると、そこでは住民から
象の牙を買い付けることができた。
サラセン人の手を経て買うよりも遥かに安く。
なのでこの地は象牙海岸と呼ばれた。
象牙海岸を過ぎると、大河の上流から
交易品として黄金が運ばれてきた。
現地の住民はポルトガル人の持つ
他愛もない物と黄金を喜んで交換した。
そこでこの地は黄金海岸と呼ばれた。
黄金海岸を過ぎると、胡椒や象牙や黄金ほど
貴重な産物はあまり見られなくなった。
だが、住民はヨーロッパ人の火器を欲しがり、
対価として奴隷を売却した。
よってこの地は奴隷海岸と呼ばれた。
奴隷海岸の先は陸地だった。
黒人の住むその地がアジアではないことは
明白で、探し求めたキリスト教徒の国も無かった。
陸地は南方へと続いて行く。
そこでは星の配置が異なっていた。
ポルトガル人たちは未知の海域へ進んで行った。
さて、大航海時代当時、この地からヨーロッパや
新大陸に運ばれた産品は数多い。
特に象牙と黄金、宝石の類は王侯貴族や豪商たちに
投資をさせるに十分な魅力であった。
そんな高価な品々を積んだ船はもちろん
海賊の格好の標的でもある。
だが、ギニア湾での海賊被害は少なかった。
何故なら、海賊の補給できる拠点が少なく、
戦利品をヨーロッパまで運ぶ手間もかかるからだ。
もっと、ヨーロッパや新大陸に近い場所で
彼らは商船を狩ったのだ。
しかし、現代では事情が違う。
近代ではない、現代である。今現在である。
この海域は海賊が跳梁跋扈している。
クーデターや内戦の多いアフリカに
武器が数多く流れ込んだ。
最早武器なら売るほどある。
それを使って海賊を行うのだ。
海賊だけではない、海産資源の密漁も問題だ。
厳密には違法操業と言うべきなのだろうが。
自国沿岸の海産資源を枯渇させたチャイナが、
わざわざこんな場所まで船を送り、
相変わらずの根こそぎ漁を行っている。
ダイヤモンドや麻薬の密輸船も少なくない。
まさに無法海域だ。
アフリカはいつになったら豊かになるのか、
あれだけ支援しているのに一向に良くならない。
そんな話をよく聞くが、海に関しては
良くなるどころか悪化している。
2018年9月23日日曜日
アブジャ
人口も多く発展著しいナイジェリアの首都である。
元々はラゴスが首都であったが、
国土の中央に位置するアブジャへ遷された。
ナイジェリアはイギリス連邦加盟国である。
元イングランド植民地であり、
公用語も英語である。
北部はサブサハラの中でも特に古くから
発展していた地域で、イスラム圏の一部として
交易で栄えていた。
南部は密林に覆われ文明から隔絶されていたが、
大航海時代にヨーロッパ人が訪れたことで、
徐々に港湾が発達していった。
とはいえ、当時は奴隷海岸の一部であり、
あくまでラゴス等の港が
ヨーロッパ化されたに過ぎなかった。
列強のアフリカ分割の際にイングランド領と
なったが、この北部と南部がひとつとなり、
サブサハラ屈指の経済大国への道を歩み始める。
なお、こうした経緯から北部ではイスラム教徒が、
南部ではキリスト教徒が多い。
独立後はクーデターと民主化を繰り返したものの、
英語が公用語の産油国というだけでも、
今日の発展は約束されたようなものだった。
食料生産量も多く、カカオやゴムなどの
輸出作物も十全で、金融や電子産業も
よく育っている。
爆発的に増えた人口を食わせていけるだけの
食料生産量というのがポイントで、
多い人口がそのまま国内の生産力に繋がっている。
教育にも力を入れており、電子機器や
インターネットに関する技術者が多い。
と、良いことばかり書いたが、犯罪率の高い国である。
インターネット詐欺の拠点となっていたり、
麻薬密輸やボコハラム等テロリストにも事欠かない。
政府高官も汚職まみれだ。
当然都市部の治安も悪く、ラゴスに至っては
アフリカ三大危険都市のひとつである。
さて、ラゴスではなくアブジャの話をしなければならない。
アブジャは首都だがあまり都会ではない。
そのお陰か治安が比較的良く、
首都であるためインフラも整備されている。
自然を楽しむこともできるし、
観光するならラゴスよりアブジャがいい。
四つの尖塔を持ち、金のドームが輝く
国際モスクは壮麗で、周囲に高層ビルが無いため
その佇まいはとても絵になる。
大聖堂はラゴスにある。
キリスト教徒が大いのは南部だからだ。
ナイジェリア料理はキャッサバやトウモロコシ、米、
ヤムイモなどを搗いてペースト状にしたものを主食に、
唐辛子と胡椒の利いたスープをよく食べる。
蝗害を起こすトビバッタも飛蝗を予防しようと
しているのか、盛んに捕まえて、
からっと素揚げにして食べてしまう。
総合的に見て、辛いものが大丈夫であれば、
ナイジェリア料理は美味いと言えるだろう。
ただし、辛いのが苦手な人にとっては、
食事の辛い国となりそうだ。
仕事で訪れる邦人も多そうだが、
そういう場合は辛くない食べ物の調達方法を
まずは確保することだ。
元々はラゴスが首都であったが、
国土の中央に位置するアブジャへ遷された。
ナイジェリアはイギリス連邦加盟国である。
元イングランド植民地であり、
公用語も英語である。
北部はサブサハラの中でも特に古くから
発展していた地域で、イスラム圏の一部として
交易で栄えていた。
南部は密林に覆われ文明から隔絶されていたが、
大航海時代にヨーロッパ人が訪れたことで、
徐々に港湾が発達していった。
とはいえ、当時は奴隷海岸の一部であり、
あくまでラゴス等の港が
ヨーロッパ化されたに過ぎなかった。
列強のアフリカ分割の際にイングランド領と
なったが、この北部と南部がひとつとなり、
サブサハラ屈指の経済大国への道を歩み始める。
なお、こうした経緯から北部ではイスラム教徒が、
南部ではキリスト教徒が多い。
独立後はクーデターと民主化を繰り返したものの、
英語が公用語の産油国というだけでも、
今日の発展は約束されたようなものだった。
食料生産量も多く、カカオやゴムなどの
輸出作物も十全で、金融や電子産業も
よく育っている。
爆発的に増えた人口を食わせていけるだけの
食料生産量というのがポイントで、
多い人口がそのまま国内の生産力に繋がっている。
教育にも力を入れており、電子機器や
インターネットに関する技術者が多い。
と、良いことばかり書いたが、犯罪率の高い国である。
インターネット詐欺の拠点となっていたり、
麻薬密輸やボコハラム等テロリストにも事欠かない。
政府高官も汚職まみれだ。
当然都市部の治安も悪く、ラゴスに至っては
アフリカ三大危険都市のひとつである。
さて、ラゴスではなくアブジャの話をしなければならない。
アブジャは首都だがあまり都会ではない。
そのお陰か治安が比較的良く、
首都であるためインフラも整備されている。
自然を楽しむこともできるし、
観光するならラゴスよりアブジャがいい。
四つの尖塔を持ち、金のドームが輝く
国際モスクは壮麗で、周囲に高層ビルが無いため
その佇まいはとても絵になる。
大聖堂はラゴスにある。
キリスト教徒が大いのは南部だからだ。
ナイジェリア料理はキャッサバやトウモロコシ、米、
ヤムイモなどを搗いてペースト状にしたものを主食に、
唐辛子と胡椒の利いたスープをよく食べる。
蝗害を起こすトビバッタも飛蝗を予防しようと
しているのか、盛んに捕まえて、
からっと素揚げにして食べてしまう。
総合的に見て、辛いものが大丈夫であれば、
ナイジェリア料理は美味いと言えるだろう。
ただし、辛いのが苦手な人にとっては、
食事の辛い国となりそうだ。
仕事で訪れる邦人も多そうだが、
そういう場合は辛くない食べ物の調達方法を
まずは確保することだ。
2018年9月22日土曜日
ミノガ
いわゆる蓑虫である。
幼虫は周囲の繊維を集め、身にまとうようにして
小さな巣を作り、木の枝や幹にとりついて生活する。
雌は成虫となっても変態せず、
いわゆる蓑虫のまま過ごす。
雄はいわゆる蛾となって飛び立つが、
実は口が無く、何も食べない。
雄は雌を探して飛び、交尾を行った後に死ぬ。
雌は卵を産むと、それが孵化する直前に死ぬ。
じっと動かず蓑に隠れて育ち、
成虫になると役割だけを全うして
この世を去るという壮絶な生き方である。
蓑虫が目立つ秋になると、カネタタキという虫が
ちるる ちるる と鳴く。
昔の人はこの鳴き声を蓑虫の鳴き声と誤認したため、
蓑虫鳴くという季語が存在する。
雄が蛾となって飛び立つということもあり、
この鳴き声は、父よ父よと聞こえるとして、
いなくなった父を呼ぶ悲哀として語られる。
高浜虚子の「蓑虫の父よと鳴きて母もなし」という
俳句のもの悲しさは心に刺さる。
さて、蓑虫の蓑は枯れ葉、木の皮、小枝など、
様々な素材が用いられる。
細かく刻んだ色紙の中に、蓑を剥いた状態で入れ、
カラフルな蓑を作らせる遊びがあるが、
今の子供はそうそうやらないだろう。
というのも、外来生物による被害などにより、
ミノガは大きく数を減らしている。
また、都市部ではまず見られない。
本邦で最も大きな蓑虫オオミノガは
外来種のオオミノガヤドリバエという
寄生蠅に脅かされ絶滅危惧種となっている。
なお、オオミノガヤドリバエに寄生する
キアシブトコバチという蜂が存在する。
寄生していたつもりが自身も寄生されていた
という恐るべき大自然の営みである。
幼虫は周囲の繊維を集め、身にまとうようにして
小さな巣を作り、木の枝や幹にとりついて生活する。
雌は成虫となっても変態せず、
いわゆる蓑虫のまま過ごす。
雄はいわゆる蛾となって飛び立つが、
実は口が無く、何も食べない。
雄は雌を探して飛び、交尾を行った後に死ぬ。
雌は卵を産むと、それが孵化する直前に死ぬ。
じっと動かず蓑に隠れて育ち、
成虫になると役割だけを全うして
この世を去るという壮絶な生き方である。
蓑虫が目立つ秋になると、カネタタキという虫が
ちるる ちるる と鳴く。
昔の人はこの鳴き声を蓑虫の鳴き声と誤認したため、
蓑虫鳴くという季語が存在する。
雄が蛾となって飛び立つということもあり、
この鳴き声は、父よ父よと聞こえるとして、
いなくなった父を呼ぶ悲哀として語られる。
高浜虚子の「蓑虫の父よと鳴きて母もなし」という
俳句のもの悲しさは心に刺さる。
さて、蓑虫の蓑は枯れ葉、木の皮、小枝など、
様々な素材が用いられる。
細かく刻んだ色紙の中に、蓑を剥いた状態で入れ、
カラフルな蓑を作らせる遊びがあるが、
今の子供はそうそうやらないだろう。
というのも、外来生物による被害などにより、
ミノガは大きく数を減らしている。
また、都市部ではまず見られない。
本邦で最も大きな蓑虫オオミノガは
外来種のオオミノガヤドリバエという
寄生蠅に脅かされ絶滅危惧種となっている。
なお、オオミノガヤドリバエに寄生する
キアシブトコバチという蜂が存在する。
寄生していたつもりが自身も寄生されていた
という恐るべき大自然の営みである。
2018年9月21日金曜日
レイキャヴィーク
グリーンランドとフェロー諸島の間に浮かぶ
アイスランドの首都である。
アイスランドとは文字通り氷の島という意味で、
フローキというヴァイキングが流氷を見て名付けた。
現地語ではイースランドゥである。
メルカトル図法の地図を見ると随分と大きいが、
実際には本邦の北海道と四国を
合わせたぐらいの広さである。
首都レイキャヴィークの名は煙のぼる湾
という意味だ。温泉水が海に流れ込み、
湯気が立っていたことに由来する。
そう、温泉が各地に湧いている島なのだ。
つまるところ火山島である。
最も有名な火山はエイヤフィヤトラヨークトルという、
覚えにくいが一度覚えたら忘れられないような
複雑な名前をしている。
ちなみに標高が最も高いのは
エーライヴァヨークトルである。
アイスランドは海洋プレートの境目に存在する島で、
徐々にだが二つに裂かれようとしている。
この大地の裂け目のことをギャオと呼ぶのだが、
本邦の言語感覚で言うと、
なんだかとても想像しやすい。
産業は漁業と製塩である。
海洋資源が豊富で、経済状況は悪くない。
牧畜も盛んで、乳製品をよく食べる。
海産物とチーズを使った料理は食欲をそそる。
レイキャビク大聖堂は青緑色の屋根を持つ
とても質素な建物である。
対して、質素を旨とするはずのルター派の
教会は世界的に有名な大建築である。
ハトルグリムス教会の異容は、
まるで悪の組織の本拠地のようにも見える。
悪の組織っぽさを醸し出している教会は
世界中にあるが、このハトルグリムスキルキャは
間違いなくランキング上位に食い込むことだろう。
レイキャヴィークは本邦の言語感覚では
とても寒そうな印象を受ける。
主に冷の部分で。
だが、同じ高緯度帯の他の国の都市と比べると
驚くほど温かい。
もちろん、温帯と比べれば寒いが。
これは島の周囲を流れる暖流と、
火山島ならではの地熱に由来する。
地熱と言えばレイキャヴィークでは地熱発電と
地熱そのものを活用した暖房給湯が
フル活用されている。
このため、アイスランドの空気は
煤煙に汚されておらず、
クリーンな空気が観光の売りとなっている。
かつては氷の島などに誰が住むかと
言われていたが、なかなかどうして、
かなり住みよい場所ではないだろうか。
アイスランドの首都である。
アイスランドとは文字通り氷の島という意味で、
フローキというヴァイキングが流氷を見て名付けた。
現地語ではイースランドゥである。
メルカトル図法の地図を見ると随分と大きいが、
実際には本邦の北海道と四国を
合わせたぐらいの広さである。
首都レイキャヴィークの名は煙のぼる湾
という意味だ。温泉水が海に流れ込み、
湯気が立っていたことに由来する。
そう、温泉が各地に湧いている島なのだ。
つまるところ火山島である。
最も有名な火山はエイヤフィヤトラヨークトルという、
覚えにくいが一度覚えたら忘れられないような
複雑な名前をしている。
ちなみに標高が最も高いのは
エーライヴァヨークトルである。
アイスランドは海洋プレートの境目に存在する島で、
徐々にだが二つに裂かれようとしている。
この大地の裂け目のことをギャオと呼ぶのだが、
本邦の言語感覚で言うと、
なんだかとても想像しやすい。
産業は漁業と製塩である。
海洋資源が豊富で、経済状況は悪くない。
牧畜も盛んで、乳製品をよく食べる。
海産物とチーズを使った料理は食欲をそそる。
レイキャビク大聖堂は青緑色の屋根を持つ
とても質素な建物である。
対して、質素を旨とするはずのルター派の
教会は世界的に有名な大建築である。
ハトルグリムス教会の異容は、
まるで悪の組織の本拠地のようにも見える。
悪の組織っぽさを醸し出している教会は
世界中にあるが、このハトルグリムスキルキャは
間違いなくランキング上位に食い込むことだろう。
レイキャヴィークは本邦の言語感覚では
とても寒そうな印象を受ける。
主に冷の部分で。
だが、同じ高緯度帯の他の国の都市と比べると
驚くほど温かい。
もちろん、温帯と比べれば寒いが。
これは島の周囲を流れる暖流と、
火山島ならではの地熱に由来する。
地熱と言えばレイキャヴィークでは地熱発電と
地熱そのものを活用した暖房給湯が
フル活用されている。
このため、アイスランドの空気は
煤煙に汚されておらず、
クリーンな空気が観光の売りとなっている。
かつては氷の島などに誰が住むかと
言われていたが、なかなかどうして、
かなり住みよい場所ではないだろうか。
2018年9月20日木曜日
レトバ湖
パリ・ダカール・ラリーのゴールとして名高い
ヴェルデ岬のダカールに存在する湖。
水深の低いこの湖はいわゆる塩湖で、
水面の下がる乾季には塩分濃度が非常に高くなる。
なお、普段の水量でも海水より塩分が濃い。
塩湖として有名な死海同様、浮力の働きが強いため、
泳げない人でも容易に浮くことができる。
ただし、高濃度塩分から肌を守るため、
何らかの処置を施さずに入れば
浸透圧により水分を奪われ大変なことになる。
現地ではシアバターオイルを全身に塗り、
塩湖での遊泳というか浮遊を楽しめる。
さて、このレトバ湖、別名をラックローズと呼ぶ。
薔薇の湖という意味だが、
これは水が薔薇色をしているためである。
赤い湖なのだ。
これは赤い色素を持つ微生物が多量に
生息しているためで、彼らは塩分を好む。
微生物が多い時期ほど湖は赤く、
上空から見れば目を疑うほどの光景だ。
ちなみに、こうした赤い湖はレトバ湖に
限ったことではなく、
世界には他にもいくつか存在する。
ところで、乾季のある地域にあり、
塩分濃度が非常に高いとくれば、
干上がった部分がどうなるか想像できるだろうか。
一面が少しピンクがかった塩で覆われた
干潟が現れるのだ。
岩塩から掘り出すのも、海水を煮て乾かすのも、
かなりの手間と労力のかかる製塩法である。
それが、このレトバ湖ではかき集めるだけで
塩を手に入れることができるのだ。
塩は貨幣の代わりになることもあるほど
重要な交易品である。
このように、観光客の落とすお金だけでなく、
売り物としての塩までもたらしてくれる
レトバ湖は現地の人々にとって
ありがたい存在だろう。
ヴェルデ岬のダカールに存在する湖。
水深の低いこの湖はいわゆる塩湖で、
水面の下がる乾季には塩分濃度が非常に高くなる。
なお、普段の水量でも海水より塩分が濃い。
塩湖として有名な死海同様、浮力の働きが強いため、
泳げない人でも容易に浮くことができる。
ただし、高濃度塩分から肌を守るため、
何らかの処置を施さずに入れば
浸透圧により水分を奪われ大変なことになる。
現地ではシアバターオイルを全身に塗り、
塩湖での遊泳というか浮遊を楽しめる。
さて、このレトバ湖、別名をラックローズと呼ぶ。
薔薇の湖という意味だが、
これは水が薔薇色をしているためである。
赤い湖なのだ。
これは赤い色素を持つ微生物が多量に
生息しているためで、彼らは塩分を好む。
微生物が多い時期ほど湖は赤く、
上空から見れば目を疑うほどの光景だ。
ちなみに、こうした赤い湖はレトバ湖に
限ったことではなく、
世界には他にもいくつか存在する。
ところで、乾季のある地域にあり、
塩分濃度が非常に高いとくれば、
干上がった部分がどうなるか想像できるだろうか。
一面が少しピンクがかった塩で覆われた
干潟が現れるのだ。
岩塩から掘り出すのも、海水を煮て乾かすのも、
かなりの手間と労力のかかる製塩法である。
それが、このレトバ湖ではかき集めるだけで
塩を手に入れることができるのだ。
塩は貨幣の代わりになることもあるほど
重要な交易品である。
このように、観光客の落とすお金だけでなく、
売り物としての塩までもたらしてくれる
レトバ湖は現地の人々にとって
ありがたい存在だろう。
2018年9月19日水曜日
ニアメ
アフリカの内陸国ニジェールの首都である。
長大なニジェール川の中流沿いに位置する
河港であり、サハラ交易の要地である。
ソンガイ帝国やマリ帝国の栄えた
ニジェールだが、当時ニアメは
寒村に過ぎなかった。
フランスがこの地域を植民地とした際、
最大民族のハウサ人を支配するため、
比較的人数の少なかったジェルマ人を優遇し、
間接的な支配を行った。
当初フランスはザンデールを中心に
植民地経営を行っていたが、
そこはハウサ人の多い地域であったため、
ジェルマ人の多い地域へと拠点を移す。
こうして行政機能が整えられたのが
現在ニジェールの首都であるニアメだ。
同じくニジェール川に由来する名を持つ
ナイジェリアはイングランド植民地であった。
さて、ニジェールはクーデターと民主化を
繰り返す政情不安定な土地である。
サバクトビバッタによる蝗害も度々起こり、
旱魃も多いため、飢饉が頻発する。
国土の半分以上が砂漠であり、
ニジェール川以外の水源に乏しい。
その頼みの綱のニジェール川も
時々氾濫を起こし、水害が起こる。
目ぼしい資源はウラン鉱山ぐらいだろうか。
つまるところ、世界最貧国のひとつである。
首都のニアメには飢饉により
農業の立ち行かなくなった者たちが
ぞくぞくと集まり、人口は飽和。
これらの前提から考えると意外なほど
ニアメは都会である。
この街だけ見ている分には
世界最貧国の一角だとはあまり思えない。
もっとも、住民は貧しく、
貧しさは犯罪を生み出す。
つまり治安が悪い。
アルカイダ系やボコハラム系のテロリストも
少なくなく、テロの危険性とも隣り合わせだ。
言葉は悪いが、こんな場所に
何の用があって観光に行くのかと
問い質したくなる場所である。
ちなみに名所は大モスクである。
黄色い壁に緑のドームとかなり高い塔を持つ
この雄大なモスクは、イスラム建築の中でも
かなり完成度の高い建物だ。
もし何かニアメに行かざるを得ない用事が
あるのなら、せめてこの大モスクは
見ておきたい。
ニジェール料理は典型的な西アフリカ料理に
香辛料で辛みをつけたもの、
という認識で間違いはないだろう。
羊や牛の肉と内臓をごった焼きにした
ナマは唐辛子やニンニクのパウダーを
混ぜた塩でいただく。
海が無い分、肉料理率が高いのだ。
ちなみにナマは肉という意味である。
ナマは本邦の家庭でも簡単に作れるわけだが、
それは要するに、食べ物を楽しむために
ニアメを訪れる意味はあまりない
ということでもある。
読み返してみたが、モスクしか褒めていない。
残念ながら旅行先としてはいまいちどころか、
行かない方が良いということだ。
長大なニジェール川の中流沿いに位置する
河港であり、サハラ交易の要地である。
ソンガイ帝国やマリ帝国の栄えた
ニジェールだが、当時ニアメは
寒村に過ぎなかった。
フランスがこの地域を植民地とした際、
最大民族のハウサ人を支配するため、
比較的人数の少なかったジェルマ人を優遇し、
間接的な支配を行った。
当初フランスはザンデールを中心に
植民地経営を行っていたが、
そこはハウサ人の多い地域であったため、
ジェルマ人の多い地域へと拠点を移す。
こうして行政機能が整えられたのが
現在ニジェールの首都であるニアメだ。
同じくニジェール川に由来する名を持つ
ナイジェリアはイングランド植民地であった。
さて、ニジェールはクーデターと民主化を
繰り返す政情不安定な土地である。
サバクトビバッタによる蝗害も度々起こり、
旱魃も多いため、飢饉が頻発する。
国土の半分以上が砂漠であり、
ニジェール川以外の水源に乏しい。
その頼みの綱のニジェール川も
時々氾濫を起こし、水害が起こる。
目ぼしい資源はウラン鉱山ぐらいだろうか。
つまるところ、世界最貧国のひとつである。
首都のニアメには飢饉により
農業の立ち行かなくなった者たちが
ぞくぞくと集まり、人口は飽和。
これらの前提から考えると意外なほど
ニアメは都会である。
この街だけ見ている分には
世界最貧国の一角だとはあまり思えない。
もっとも、住民は貧しく、
貧しさは犯罪を生み出す。
つまり治安が悪い。
アルカイダ系やボコハラム系のテロリストも
少なくなく、テロの危険性とも隣り合わせだ。
言葉は悪いが、こんな場所に
何の用があって観光に行くのかと
問い質したくなる場所である。
ちなみに名所は大モスクである。
黄色い壁に緑のドームとかなり高い塔を持つ
この雄大なモスクは、イスラム建築の中でも
かなり完成度の高い建物だ。
もし何かニアメに行かざるを得ない用事が
あるのなら、せめてこの大モスクは
見ておきたい。
ニジェール料理は典型的な西アフリカ料理に
香辛料で辛みをつけたもの、
という認識で間違いはないだろう。
羊や牛の肉と内臓をごった焼きにした
ナマは唐辛子やニンニクのパウダーを
混ぜた塩でいただく。
海が無い分、肉料理率が高いのだ。
ちなみにナマは肉という意味である。
ナマは本邦の家庭でも簡単に作れるわけだが、
それは要するに、食べ物を楽しむために
ニアメを訪れる意味はあまりない
ということでもある。
読み返してみたが、モスクしか褒めていない。
残念ながら旅行先としてはいまいちどころか、
行かない方が良いということだ。
2018年9月18日火曜日
ヴェルデ岬
アフリカ大陸最西端の岬である。
セネガルの首都ダカールが存在し、
かつて行われていたパリダカール間の
自動車レースの終端であった。
ヴェルデ岬がヨーロッパ人の知るところと
なったのはエンリケ航海王子の
アフリカ南下調査の過程においてである。
世界の果てと信じられていたボジャドール岬を
越えることに成功したポルトガル人は、
ブランコ岬を越え、アルギン湾に至る。
アルギンに要塞を築き、周囲の探索を行った
ポルトガル人はこの頃から
奴隷を調達するようになる。
キリスト教徒でもイスラム教徒でもない
肌の黒い人々を彼らはどういう
目で見ていたのだろうか。
乾燥した西アフリカを南下することしばし、
ディニス・ディアスが樹木に覆われた丘の
存在する岬へと到達した。
緑の岬、カーボヴェルデと名付けられた
この場所は前述の通りアフリカ西端である。
この緑の岬を通過すると、
サラセン人の言う富の国、ギニアだ。
穀物海岸、象牙海岸、黄金海岸、奴隷海岸、
新天地には本国へ持ち帰れば
富となる様々な物品が存在した。
ヴェルデ岬を越えるに従い、
海岸線は大きく東へと回って行き、
ついには完全に船が東進することになる。
どこまで続くかわからぬアフリカの南下行、
それがようやく終わり、アジアへ向かって
進むことができる可能性が高まった。
当時はまだアフリカを回り込みアジアに到達
するということが可能なのかどうかは
未知数であったが、希望は膨れ上がる。
もっとも、この東進は巨大なギニア湾の
内側へ進むだけで、アジアに至るためには
更なる難所が待ち受けていたのだが。
セネガルの首都ダカールが存在し、
かつて行われていたパリダカール間の
自動車レースの終端であった。
ヴェルデ岬がヨーロッパ人の知るところと
なったのはエンリケ航海王子の
アフリカ南下調査の過程においてである。
世界の果てと信じられていたボジャドール岬を
越えることに成功したポルトガル人は、
ブランコ岬を越え、アルギン湾に至る。
アルギンに要塞を築き、周囲の探索を行った
ポルトガル人はこの頃から
奴隷を調達するようになる。
キリスト教徒でもイスラム教徒でもない
肌の黒い人々を彼らはどういう
目で見ていたのだろうか。
乾燥した西アフリカを南下することしばし、
ディニス・ディアスが樹木に覆われた丘の
存在する岬へと到達した。
緑の岬、カーボヴェルデと名付けられた
この場所は前述の通りアフリカ西端である。
この緑の岬を通過すると、
サラセン人の言う富の国、ギニアだ。
穀物海岸、象牙海岸、黄金海岸、奴隷海岸、
新天地には本国へ持ち帰れば
富となる様々な物品が存在した。
ヴェルデ岬を越えるに従い、
海岸線は大きく東へと回って行き、
ついには完全に船が東進することになる。
どこまで続くかわからぬアフリカの南下行、
それがようやく終わり、アジアへ向かって
進むことができる可能性が高まった。
当時はまだアフリカを回り込みアジアに到達
するということが可能なのかどうかは
未知数であったが、希望は膨れ上がる。
もっとも、この東進は巨大なギニア湾の
内側へ進むだけで、アジアに至るためには
更なる難所が待ち受けていたのだが。
2018年9月17日月曜日
トースハウン
グリーンランドと共にデンマーク王国を構成する
フェロー諸島の首都である。
ストレイモイ島南部に位置する。
トースハウンの名は雷神トールの港という意味であり、
政争に敗れたヴァイキングたちがノルウェーから
移り住んで作った街である。
ヴァイキングの末裔たちが貿易をして暮らしていた
この地域はやがて海賊たちの格好の狩場となる。
それだけではない、住民の与り知らぬところで、
フェロー諸島はデンマーク王によって
圧政者に領地として下賜された。
貿易の利益は住民に還元されなくなり、
困窮した人々は蜂起してこれに抵抗する。
自らの力で圧政を打ち破ったトースハウンの
人々だったが、不運にも天然痘の流行によって
ほとんどが死に絶えてしまった。
後に、デンマーク王家直轄地として再建され、
貿易によって再び息を吹き返した。
しかし、第二次大戦の折にはデンマーク本国が
ドイツに攻め込まれたことで、
ブリテン北のこの諸島を敵に抑えられぬよう
イングランドが占領してしまう。
大戦後、デンマーク王国はフェロー諸島に
大幅な自治権を与え、
トースハウンは首都となった。
さて、そんな首都トースハウンの
見所は多くは無い。
市場を散策し、トースハウン大聖堂を見て
フェロー諸島風のデンマーク料理を
楽しむのがいいだろう。
大聖堂は近世に建て直された木造建築で、
白壁に青灰色の屋根を持つ。
大聖堂と号すにはささやかな規模だが、
ルター派教会なのでさもありなん。
料理に使われるのは圧倒的に鮮魚である。
あとは乾燥熟成させた羊肉がメインとなる。
だが、商店ではあまり鮮魚が売られていない。
どういうことかというと、漁師から
直接買うか、貰うのが一般的なのだ。
フェロー諸島といえば、捕鯨が盛んである。
本邦同様に鯨を大切に扱い、
余すところなく利用してきた。
油と髭だけを求めて乱獲し、
絶滅に追いやってきた他の欧米諸国とは違う。
話が逸れそうなのでこの辺りで筆を置こう。
フェロー諸島を観光するなら
自然を楽しむのが一番だが、
とても寒いことを忘れないように。
フェロー諸島の首都である。
ストレイモイ島南部に位置する。
トースハウンの名は雷神トールの港という意味であり、
政争に敗れたヴァイキングたちがノルウェーから
移り住んで作った街である。
ヴァイキングの末裔たちが貿易をして暮らしていた
この地域はやがて海賊たちの格好の狩場となる。
それだけではない、住民の与り知らぬところで、
フェロー諸島はデンマーク王によって
圧政者に領地として下賜された。
貿易の利益は住民に還元されなくなり、
困窮した人々は蜂起してこれに抵抗する。
自らの力で圧政を打ち破ったトースハウンの
人々だったが、不運にも天然痘の流行によって
ほとんどが死に絶えてしまった。
後に、デンマーク王家直轄地として再建され、
貿易によって再び息を吹き返した。
しかし、第二次大戦の折にはデンマーク本国が
ドイツに攻め込まれたことで、
ブリテン北のこの諸島を敵に抑えられぬよう
イングランドが占領してしまう。
大戦後、デンマーク王国はフェロー諸島に
大幅な自治権を与え、
トースハウンは首都となった。
さて、そんな首都トースハウンの
見所は多くは無い。
市場を散策し、トースハウン大聖堂を見て
フェロー諸島風のデンマーク料理を
楽しむのがいいだろう。
大聖堂は近世に建て直された木造建築で、
白壁に青灰色の屋根を持つ。
大聖堂と号すにはささやかな規模だが、
ルター派教会なのでさもありなん。
料理に使われるのは圧倒的に鮮魚である。
あとは乾燥熟成させた羊肉がメインとなる。
だが、商店ではあまり鮮魚が売られていない。
どういうことかというと、漁師から
直接買うか、貰うのが一般的なのだ。
フェロー諸島といえば、捕鯨が盛んである。
本邦同様に鯨を大切に扱い、
余すところなく利用してきた。
油と髭だけを求めて乱獲し、
絶滅に追いやってきた他の欧米諸国とは違う。
話が逸れそうなのでこの辺りで筆を置こう。
フェロー諸島を観光するなら
自然を楽しむのが一番だが、
とても寒いことを忘れないように。
2018年9月16日日曜日
アロエベラ
アロエの中でも茎が非常に短い種類である。
本邦でアロエというとこれを指す。
アロエベラのヴェラとは本物であるという意味で、
薬草として用いられることの多いアロエの中で、
最も薬効が高いものだと言われている。
世界中で栽培されており、原産地は判然としない。
背の高い樹木となるキダチアロエは
鎌倉期に本邦に帰化しており、ろかい と呼ばれる。
アロエベラは多肉植物であり、
堅い外皮を剥くと葉の中身はぷるりとしている。
食感が良いためヨーグルトと共に
食べられることが多く、
刺身とされる例もある。
古くから医者いらずと呼ばれるほど薬草として
珍重されており、大プリニウスも当然のように
アロエについて記載している。
アレクサンドロス大王も軍隊のための医薬品として
常備していたし、クレオパトラ七世も美容のために
愛用した。クリストバル・コロンも
船員の健康のためにアロエベラを用意したという。
効能は傷や火傷の治癒、血糖値や血中脂質の低下、
急性肝炎や潰瘍性大腸炎の症状改善、
ヘルペスの治療、歯肉炎や白癬の予防に、
連鎖球菌や赤痢菌の抑制などなど多岐にわたる。
しかし、こうした効果は過剰に喧伝されている
きらいがあり、言われているような万能薬では
ないことはよく考えればわかることである。
特に美容関係用品は過剰広告が多く、
アロエエキス配合などと謳い
商品の価値を高めようとしている。
効果が無いとは言わないが、
アロエ汁が入っているから何だというのだと
言いたくなるものまで存在する。
なお、家庭で栽培されることが多く、
自家製のアロエゲルを定期的に
食べている者もいる。
そうした民間療法的な健康補助食として
扱うのが一番健全なような気がする。
とりあえず、アロエ入りのヨーグルトは、
健康云々以前に美味しいと私は思う。
本邦でアロエというとこれを指す。
アロエベラのヴェラとは本物であるという意味で、
薬草として用いられることの多いアロエの中で、
最も薬効が高いものだと言われている。
世界中で栽培されており、原産地は判然としない。
背の高い樹木となるキダチアロエは
鎌倉期に本邦に帰化しており、ろかい と呼ばれる。
アロエベラは多肉植物であり、
堅い外皮を剥くと葉の中身はぷるりとしている。
食感が良いためヨーグルトと共に
食べられることが多く、
刺身とされる例もある。
古くから医者いらずと呼ばれるほど薬草として
珍重されており、大プリニウスも当然のように
アロエについて記載している。
アレクサンドロス大王も軍隊のための医薬品として
常備していたし、クレオパトラ七世も美容のために
愛用した。クリストバル・コロンも
船員の健康のためにアロエベラを用意したという。
効能は傷や火傷の治癒、血糖値や血中脂質の低下、
急性肝炎や潰瘍性大腸炎の症状改善、
ヘルペスの治療、歯肉炎や白癬の予防に、
連鎖球菌や赤痢菌の抑制などなど多岐にわたる。
しかし、こうした効果は過剰に喧伝されている
きらいがあり、言われているような万能薬では
ないことはよく考えればわかることである。
特に美容関係用品は過剰広告が多く、
アロエエキス配合などと謳い
商品の価値を高めようとしている。
効果が無いとは言わないが、
アロエ汁が入っているから何だというのだと
言いたくなるものまで存在する。
なお、家庭で栽培されることが多く、
自家製のアロエゲルを定期的に
食べている者もいる。
そうした民間療法的な健康補助食として
扱うのが一番健全なような気がする。
とりあえず、アロエ入りのヨーグルトは、
健康云々以前に美味しいと私は思う。
2018年9月15日土曜日
ポルトノヴォ
奴隷海岸に面するベナンの首都である。
ガーナで栄えたアシャンティ王国のように
ヨーロッパ人から火器を買い、
周辺部族を奴隷として売り払い勢力を
拡大したダホメー王国が存在した。
黄金海岸に面していたアシャンティ王国と違い、
ヨーロッパ人がこの地に求めた産物は奴隷のみ
であったため、列強によるアフリカ分割まで
ダホメー王国は存続していた。
ヨーロッパ人の倫理観が成長し、
奴隷貿易が禁止されるようになると、
ダホメー王国は財政基盤を失う。
元よりこの地域の武力はヨーロッパ諸国に
対抗できるものではなかったが、
経済の弱ったダホメーはフランスの侵攻を受け、
脆くも崩れ去った。
独立後はクーデターにより社会主義国家
となるが、冷戦終結後の社会主義陣営の没落の
あおりを受けて民主化が行われた。
さて、そんなベナンの首都ポルトノヴォだが、
オランダ語で新しい港を意味する名を持つ
この街は、名目上の首都である。
憲法において首都はポルトノヴォと
定められているが、実際の首都機能は
コトヌーに存在する。
ベナンは貧しい農業国で、ポルトノヴォにせよ
コトヌーにせよ、大した見所は無い。
無原罪の御宿りの聖母大聖堂はコロニアル様式で、
南国風の中規模の教会といった風情である。
コトヌーの方の大聖堂は特徴的だが、
ポルトノヴォの方は特筆すべき点がない。
ベナンの宗教事情は少し面白い。
人口はキリスト教徒が多いのだが、
ヴードゥー教が国教に定められている。
教会内にヴードゥーの神殿があるなど、
混沌とした様を見ることが可能だ。
本邦の寺と神社の関係を思えば
珍しいことでもないかもしれないが。
この地域には面白い神話が多い。
いや、どこの地域にも面白い神話があるのだが、
古い信仰が形を変えながらも残っている関係で、
神話の伝承が今でも残されている。
民俗学者らはこの地域の神話の蒐集に熱心だが、
口承で伝えられているため異伝が多い。
中には古老から話を聞いている途中で
他の長老が口を挟み、続きについて
議論が始まることすらある。
彼らと民俗学者にとっては重要なことだ。
余談だが宗教学者としては
話の象徴するところが分かれば十分なため、
枝葉末節はそこまで重視しない。
ベナン料理の話をしよう。
主食はトウモロコシ、ヤムイモ、米などを
蒸して潰して成型したものだ。
いくつかのスパイスを使用した煮込みに、
これらの主食を付けていただく。
お隣ガーナと似ているが、
あちらほどスパイシーではない。
ポルトノヴォは、というかベナンは
見所こそ少ないものの、そこそこ治安が良く、
そこそこ発展しており、そこそこ料理も
美味いため、旅行はしやすい国だ。
西アフリカ諸国では難易度が低めのため、
アフリカ旅行をしたいのならば
立ち寄ってみるのも良いかもしれない。
ガーナで栄えたアシャンティ王国のように
ヨーロッパ人から火器を買い、
周辺部族を奴隷として売り払い勢力を
拡大したダホメー王国が存在した。
黄金海岸に面していたアシャンティ王国と違い、
ヨーロッパ人がこの地に求めた産物は奴隷のみ
であったため、列強によるアフリカ分割まで
ダホメー王国は存続していた。
ヨーロッパ人の倫理観が成長し、
奴隷貿易が禁止されるようになると、
ダホメー王国は財政基盤を失う。
元よりこの地域の武力はヨーロッパ諸国に
対抗できるものではなかったが、
経済の弱ったダホメーはフランスの侵攻を受け、
脆くも崩れ去った。
独立後はクーデターにより社会主義国家
となるが、冷戦終結後の社会主義陣営の没落の
あおりを受けて民主化が行われた。
さて、そんなベナンの首都ポルトノヴォだが、
オランダ語で新しい港を意味する名を持つ
この街は、名目上の首都である。
憲法において首都はポルトノヴォと
定められているが、実際の首都機能は
コトヌーに存在する。
ベナンは貧しい農業国で、ポルトノヴォにせよ
コトヌーにせよ、大した見所は無い。
無原罪の御宿りの聖母大聖堂はコロニアル様式で、
南国風の中規模の教会といった風情である。
コトヌーの方の大聖堂は特徴的だが、
ポルトノヴォの方は特筆すべき点がない。
ベナンの宗教事情は少し面白い。
人口はキリスト教徒が多いのだが、
ヴードゥー教が国教に定められている。
教会内にヴードゥーの神殿があるなど、
混沌とした様を見ることが可能だ。
本邦の寺と神社の関係を思えば
珍しいことでもないかもしれないが。
この地域には面白い神話が多い。
いや、どこの地域にも面白い神話があるのだが、
古い信仰が形を変えながらも残っている関係で、
神話の伝承が今でも残されている。
民俗学者らはこの地域の神話の蒐集に熱心だが、
口承で伝えられているため異伝が多い。
中には古老から話を聞いている途中で
他の長老が口を挟み、続きについて
議論が始まることすらある。
彼らと民俗学者にとっては重要なことだ。
余談だが宗教学者としては
話の象徴するところが分かれば十分なため、
枝葉末節はそこまで重視しない。
ベナン料理の話をしよう。
主食はトウモロコシ、ヤムイモ、米などを
蒸して潰して成型したものだ。
いくつかのスパイスを使用した煮込みに、
これらの主食を付けていただく。
お隣ガーナと似ているが、
あちらほどスパイシーではない。
ポルトノヴォは、というかベナンは
見所こそ少ないものの、そこそこ治安が良く、
そこそこ発展しており、そこそこ料理も
美味いため、旅行はしやすい国だ。
西アフリカ諸国では難易度が低めのため、
アフリカ旅行をしたいのならば
立ち寄ってみるのも良いかもしれない。
2018年9月14日金曜日
ボジャドール岬
現在モロッコが実効支配している
西サハラにある大西洋に面した岬である。
かつて世界の果ての島と言われた
カナリアスより南に位置する。
ポルトガルのエンリケ航海王子は
アフリカの南部の探索を進めるべく
航海事業を開始した。
当時は大西洋とインド洋が繋がっているとは
思われていなかったが、
ポルトガルにはある思惑があった。
キリスト教徒たちはサラセン人と
戦争をしていた。十字軍である。
足を引っ張り合うヨーロッパ人に対して、
サラセン人はイスラムで団結し、
しかも進んだ文明を持っていた。
こうした背景から力関係は明白で、
キリスト教徒はサラセン人との戦いに
敗北を重ねる。
だが、ひとつの希望があった。
プレスタージョンの国である。
サラセン人たちの住む土地の向こう側に、
同じキリスト教徒の強国があるという伝説だ。
ポルトガルは、このプレスタージョンの国と
連絡を取り合い、サラセン人を挟撃するために、
アフリカの探索を始めたのだ。
もちろん、アフリカを迂回できるようなら
胡椒を安価に手に入れるルートが
見つかるかもしれないという動機もあった。
航海王子の事業はマディラを発見し、
アゾレスを発見するという成果を挙げたが、
本来の目的であるアフリカの南下には難儀する。
世界の果て、ボジャドール岬を
なかなか越えることができなかったのだ。
ボジャドール岬を越えると、
海は煮えたぎり、湯気が立ち、
怪物たちが跋扈していると言われていた。
それでも進むとそこは文字通りの世界の果て、
天動説的平面世界の最果て、つまり崖っぷちに
辿り着いてしまうと考えられていたのだ。
ボジャドール岬を越えたら生きては帰れぬ。
それがヨーロッパ人たちの共通認識だった。
この岬の辺りでは風向きが変わる。
熟練した船乗りほど、そうした変化には敏感だ。
前述の迷信に囚われていたのも事実だが、
この先に何かがあると、
経験が警告を発してしまうのだ。
だが、航海王子はアフリカ内陸の地理情報から、
ボジャドール岬より先にも
世界が続いていると確信していた。
王子はジル・エアネスという航海士に、
ボジャドール岬を越えるよう命じた。
しかし、エアネスは水夫たちに説得され、
ボジャドール岬まで辿り着くこともなく、
途中で帰ってしまう。
モロッコ周辺でお土産を沢山用意し、
王子の機嫌を取ろうと必死になったが、
当然待っていたのは厳しい叱責だった。
だが、王子はエアネスにもう一度
チャンスを与える。
二度目の挑戦。
エアネスは迷信と水夫の反乱に怯えながら、
ボジャドール岬を通過した。
だが、そこには煮えたぎる海も
世界の果ても存在しなかった。
岬を再度通過して帰ったエアネスは騎士に
叙されている。ボジャドール岬の迷信に
終止符を打った英雄として。
その後、アフリカ沿岸の探索は一気に進む。
造船技術の発達という後押しもあったが、
迷信を打ち破るということが、
どれだけ偉大な成果であったかがよくわかる。
ところで航海王子と呼ばれているが、
エンリケは自分では船に乗らなかったという。
真偽は定かではないが、
船酔いが酷かったためだと言われている。
西サハラにある大西洋に面した岬である。
かつて世界の果ての島と言われた
カナリアスより南に位置する。
ポルトガルのエンリケ航海王子は
アフリカの南部の探索を進めるべく
航海事業を開始した。
当時は大西洋とインド洋が繋がっているとは
思われていなかったが、
ポルトガルにはある思惑があった。
キリスト教徒たちはサラセン人と
戦争をしていた。十字軍である。
足を引っ張り合うヨーロッパ人に対して、
サラセン人はイスラムで団結し、
しかも進んだ文明を持っていた。
こうした背景から力関係は明白で、
キリスト教徒はサラセン人との戦いに
敗北を重ねる。
だが、ひとつの希望があった。
プレスタージョンの国である。
サラセン人たちの住む土地の向こう側に、
同じキリスト教徒の強国があるという伝説だ。
ポルトガルは、このプレスタージョンの国と
連絡を取り合い、サラセン人を挟撃するために、
アフリカの探索を始めたのだ。
もちろん、アフリカを迂回できるようなら
胡椒を安価に手に入れるルートが
見つかるかもしれないという動機もあった。
航海王子の事業はマディラを発見し、
アゾレスを発見するという成果を挙げたが、
本来の目的であるアフリカの南下には難儀する。
世界の果て、ボジャドール岬を
なかなか越えることができなかったのだ。
ボジャドール岬を越えると、
海は煮えたぎり、湯気が立ち、
怪物たちが跋扈していると言われていた。
それでも進むとそこは文字通りの世界の果て、
天動説的平面世界の最果て、つまり崖っぷちに
辿り着いてしまうと考えられていたのだ。
ボジャドール岬を越えたら生きては帰れぬ。
それがヨーロッパ人たちの共通認識だった。
この岬の辺りでは風向きが変わる。
熟練した船乗りほど、そうした変化には敏感だ。
前述の迷信に囚われていたのも事実だが、
この先に何かがあると、
経験が警告を発してしまうのだ。
だが、航海王子はアフリカ内陸の地理情報から、
ボジャドール岬より先にも
世界が続いていると確信していた。
王子はジル・エアネスという航海士に、
ボジャドール岬を越えるよう命じた。
しかし、エアネスは水夫たちに説得され、
ボジャドール岬まで辿り着くこともなく、
途中で帰ってしまう。
モロッコ周辺でお土産を沢山用意し、
王子の機嫌を取ろうと必死になったが、
当然待っていたのは厳しい叱責だった。
だが、王子はエアネスにもう一度
チャンスを与える。
二度目の挑戦。
エアネスは迷信と水夫の反乱に怯えながら、
ボジャドール岬を通過した。
だが、そこには煮えたぎる海も
世界の果ても存在しなかった。
岬を再度通過して帰ったエアネスは騎士に
叙されている。ボジャドール岬の迷信に
終止符を打った英雄として。
その後、アフリカ沿岸の探索は一気に進む。
造船技術の発達という後押しもあったが、
迷信を打ち破るということが、
どれだけ偉大な成果であったかがよくわかる。
ところで航海王子と呼ばれているが、
エンリケは自分では船に乗らなかったという。
真偽は定かではないが、
船酔いが酷かったためだと言われている。
2018年9月13日木曜日
ヌーク
フェロー諸島と共にデンマーク王国を構成する
カラーリットヌナートの首都である。
カラーリットヌナートは
グリーンランドの現地語呼びだ。
人の住む土地としてのグリーンランドは
意外と歴史が古い。
エイリーク・ソルヴァルズソンという
ヴァイキングが入植したことに始まる。
緑の島と名付けたのは、彼がここより
先に居住地を作ったアイスランドが、
氷の島などに住めるかと言われ
人が集まらなかったためだとされる。
その後いわゆるエスキモーやイヌイットと
呼ばれる人々の一部が住み着き、
この地に住む者はカラーリットと呼ばれた。
カラーリットとは彼らの言葉で人間を意味し、
カラーリットヌナートとは
人間の住む場所という意味になる。
北極圏には人の住めない島が多く存在する。
それに対しての、人の島、なのである。
ヌークはその首都で、半島を意味する。
グリーンランドで最も気候が穏やかな
地域に存在している。
この街を作り上げたのはノルウェーの宣教師なのだが、
彼は赤毛のエイリークのサガを読んで憧れを抱き、
王に嘆願して、グリーンランドへの
宣教と植民の許可を得たという。
宣教師は無事に、エイリークがかつて
人々を定着させようとして果たせなかった
ヌークを街へと変えた。
なお、デンマーク人はこの街を
ゴットホープ、すなわち希望と呼ぶ。
永久凍土のツンドラに造られた街だが、
漁業が発展しており、特にエビの輸出は
世界的なシェアを持つ。
本邦もお世話になっている。
内陸部の氷床の奥には様々な
鉱物資源が眠っているため、
これらが採掘できるようになれば
経済力は高まるだろう。
現状ではコストに見合わないが。
観光に関しては、氷河やオーロラを見るため
訪れる人々も少なくないが、
渡航コストが高く、季節も限定的だ。
このため観光業は振るわない。
食事は魚とアザラシが主食である。
アザラシの脂身を、干した魚と食べるのだ。
脂身と比べると貴重だが、
アザラシ肉も茹でて食べる。
鮪と牛の中間のような味がする。
少し臭い。
変わったところではコヨという植物がある。
この地では植物は貴重品だ。
アザラシの油に花芽をひたして保存する。
味は ふきのとう が近い。
ヌークの街ではシチューやマッシュポテト、
パンといった西洋的な食事もとれる。
カラーリットはこうした料理をダニッシュ、
つまりデンマークのものと呼んでいる。
観光向きの地域ではないが、
もしグリーンランドに行くことがあれば、
とても貴重な体験ができることだろう。
カラーリットヌナートの首都である。
カラーリットヌナートは
グリーンランドの現地語呼びだ。
人の住む土地としてのグリーンランドは
意外と歴史が古い。
エイリーク・ソルヴァルズソンという
ヴァイキングが入植したことに始まる。
緑の島と名付けたのは、彼がここより
先に居住地を作ったアイスランドが、
氷の島などに住めるかと言われ
人が集まらなかったためだとされる。
その後いわゆるエスキモーやイヌイットと
呼ばれる人々の一部が住み着き、
この地に住む者はカラーリットと呼ばれた。
カラーリットとは彼らの言葉で人間を意味し、
カラーリットヌナートとは
人間の住む場所という意味になる。
北極圏には人の住めない島が多く存在する。
それに対しての、人の島、なのである。
ヌークはその首都で、半島を意味する。
グリーンランドで最も気候が穏やかな
地域に存在している。
この街を作り上げたのはノルウェーの宣教師なのだが、
彼は赤毛のエイリークのサガを読んで憧れを抱き、
王に嘆願して、グリーンランドへの
宣教と植民の許可を得たという。
宣教師は無事に、エイリークがかつて
人々を定着させようとして果たせなかった
ヌークを街へと変えた。
なお、デンマーク人はこの街を
ゴットホープ、すなわち希望と呼ぶ。
永久凍土のツンドラに造られた街だが、
漁業が発展しており、特にエビの輸出は
世界的なシェアを持つ。
本邦もお世話になっている。
内陸部の氷床の奥には様々な
鉱物資源が眠っているため、
これらが採掘できるようになれば
経済力は高まるだろう。
現状ではコストに見合わないが。
観光に関しては、氷河やオーロラを見るため
訪れる人々も少なくないが、
渡航コストが高く、季節も限定的だ。
このため観光業は振るわない。
食事は魚とアザラシが主食である。
アザラシの脂身を、干した魚と食べるのだ。
脂身と比べると貴重だが、
アザラシ肉も茹でて食べる。
鮪と牛の中間のような味がする。
少し臭い。
変わったところではコヨという植物がある。
この地では植物は貴重品だ。
アザラシの油に花芽をひたして保存する。
味は ふきのとう が近い。
ヌークの街ではシチューやマッシュポテト、
パンといった西洋的な食事もとれる。
カラーリットはこうした料理をダニッシュ、
つまりデンマークのものと呼んでいる。
観光向きの地域ではないが、
もしグリーンランドに行くことがあれば、
とても貴重な体験ができることだろう。
2018年9月12日水曜日
ホッキョクグマ
シロクマとも呼ばれる体毛の白い大きな熊である。
名前の通り北極圏に生息する。
白い毛や羽を持つ生き物は数多いが、
それらの羽毛は実際に白い。
何を言い出すのかと思うかもしれないが、
シロクマの体毛は実は白くない。
彼らの体毛は内部に空洞のある透明な毛なのだ。
このため、光が散乱し、白く見える。
太陽光は彼らの透明な毛を透過し、
その体を直接暖める。
そして、空間のある毛は
体温を容易には外に逃がさない。
シロクマの白い色には
雪の中の保護色というだけではなく、
このような意味があったのだ。
シロクマは他の熊と比べて鼻と首が長い。
これは海中から海上を、あるいは
海上から海中を覗き込むのに都合がいい。
アザラシなどを捕食するのだが、
北極圏は植物が乏しいため、
シロクマは雑食でありながら肉ばかり食う。
食うといえばシロクマの肉はあまり美味く
ないらしい。イヌイットは貴重な食糧として
シロクマを狩ることがあるが、
実は食用には向いていない。
というのも、シロクマの肉には寄生虫が
多いのだ。それでも過酷な環境においては、
重要な食べ物である。
イヌイットはシロクマの肝臓は頑なに食べない。
寄生虫のためでも、宗教的な禁忌でもない。
ある種のビタミンが高濃度に蓄積されており、
これを食べると過剰摂取となって
死に至る恐れがあるためだ。
体に良い栄養素でも多すぎれば毒になるのである。
そういえば、シロクマの地肌は黒い。
太陽光の熱を効率よく吸収するためだ。
毛を剃るとクロクマになってしまう。
また、動物園の飼育個体の場合、
体毛の間に藻が繁殖し、
緑色になることもある。
シロクマならぬミドリグマである。
名前の通り北極圏に生息する。
白い毛や羽を持つ生き物は数多いが、
それらの羽毛は実際に白い。
何を言い出すのかと思うかもしれないが、
シロクマの体毛は実は白くない。
彼らの体毛は内部に空洞のある透明な毛なのだ。
このため、光が散乱し、白く見える。
太陽光は彼らの透明な毛を透過し、
その体を直接暖める。
そして、空間のある毛は
体温を容易には外に逃がさない。
シロクマの白い色には
雪の中の保護色というだけではなく、
このような意味があったのだ。
シロクマは他の熊と比べて鼻と首が長い。
これは海中から海上を、あるいは
海上から海中を覗き込むのに都合がいい。
アザラシなどを捕食するのだが、
北極圏は植物が乏しいため、
シロクマは雑食でありながら肉ばかり食う。
食うといえばシロクマの肉はあまり美味く
ないらしい。イヌイットは貴重な食糧として
シロクマを狩ることがあるが、
実は食用には向いていない。
というのも、シロクマの肉には寄生虫が
多いのだ。それでも過酷な環境においては、
重要な食べ物である。
イヌイットはシロクマの肝臓は頑なに食べない。
寄生虫のためでも、宗教的な禁忌でもない。
ある種のビタミンが高濃度に蓄積されており、
これを食べると過剰摂取となって
死に至る恐れがあるためだ。
体に良い栄養素でも多すぎれば毒になるのである。
そういえば、シロクマの地肌は黒い。
太陽光の熱を効率よく吸収するためだ。
毛を剃るとクロクマになってしまう。
また、動物園の飼育個体の場合、
体毛の間に藻が繁殖し、
緑色になることもある。
シロクマならぬミドリグマである。
余談1
このブログとは一切関係ない
私の仕事の話をさせていただきたい。
あの手のゲームでは珍しいことに
私の名がしっかりと載っているので
タイトルを言っても恐らく
大丈夫だが、敢えて伏せておく。
足掛け8ヶ月に及ぶ長期コンテンツが
無事に完結し、深い達成感を覚えた。
その喜びを記しておきたい。
まずキャラクターたちの原画があった。
仮称甲さんがそれを元に
難解な必要以上の裏設定を持つ
キャラクター設定を書き上げた。
それはプロデューサーに不評で、
いくつもの制約つきで
リテイクが出されることになる。
そうして出来上がった甲さんの
プロットを元に、私がゲーム内に
表示される200文字のテキストを
計18個とそれぞれのセリフを書いた。
情報量が過多であったため
まとめる作業は普段よりも
難しかったことをよく覚えている。
このキャラクター群はこれで
リリースされ、終わるはずだった。
だが、キャラクターたちの
背景を知ることのできる読物を
ゲーム内に配置することが決まった。
私は書き方を工夫し、パターン化を避け、
それなりに面白いものを
書き上げたつもりだ。
甲さんの裏設定は日の目を見ることなく
このキャラクター群については
今度こそ終わるはずだった。
しかし、キャラクターにスポットを
当てた会話劇と戦闘シーンで
構成されるコンテンツが
追加されることになる。
このキャラクター群の特徴は
同じ事件現場に居合わせながら
互いに出会うことがなかったことにある。
したがって私はそれぞれの視点で
事件を別角度から描き、
すべて読んでようやく
裏設定と全体像がわかるよう
コンテンツを月一追加の
分割とすることを提案した。
これにはグラフィック担当者に
一度に負荷をかけないという狙いもあった。
提案は通り、1キャラクター目
のストーリー製作が始まった。
担当した仮称乙さんはかなり長考し、
プロットを提出するがリテイクされる。
それが何度か続き、締め切りの
デッドラインが迫った。
私はライターだが会話文を書くのは
自分では苦手意識がある。
もちろんプロとして一定クオリティ
のものを出すことはできるが。
そこで、スピードに定評があった私は、
乙さんの代わりにシナリオを
書くよう頼み込まれてしまった。
私の適材適所はフレーバーテキストだが、
やらないわけにはいかない。
一晩で書き上げた。
ついでに攻略報酬アイテムの
フレーバーテキストも書いた。
評判は可もなく不可もなく
たいして話題にもならない
良かったんだか悪かったんだか
よく分からない雰囲気だった。
続いて2キャラクター目の製作が
始まる。月一更新なので
スケジュールは常に押している。
これも乙さんが担当となったのだが、
相変わらずの長考からの
リテイクの繰り返しに
ディレクターが動いた。
プロットの時点から
私にお鉢が回ってきたのだ。
前述のように会話文だけの
シナリオという苦手課題を前に、
私はなんとか書き上げた。
もちろん報酬アイテムの
フレーバーも書いた。
評判は多少好意的なものが見られた。
批判も少なかった。
ということで、3キャラクター目は
はじめから私の担当となる。
そもそも独特の話し方をする
キャラクターに私がしてしまったので、
私以外がその台詞回しを書くのは容易でない。
シナリオの初稿を書き上げたところで、
優先度が最高の別案件がテキストチームに
転がり込む。
私以外が対応し難いものだったため、
私は甲さんに初稿を渡し完成を委ねた。
ただし、報酬アイテムの
フレーバーはやはり私の領分だ。
結果非常に面白いものができる。
評判も上々だ。
まだ私が他に付きっきりだったので
4キャラクター目は甲さん単独となる。
しつこく言うが報酬アイテムの
フレーバーは私だ。
私はできるだけアイテムのフレーバーを
他のメンバーに任せたくない。
評判は良かった。
テキストだけではなく、
システム面をうまく使った
面白いものとなったのだ。
5つ目も甲さんにお願いしたが、
離籍が確定していたため、
リリースを見ずに去ることになる。
だが甲さんは投げやりになることもなく
面白いシナリオを書き上げてくれた。
甲さんの遺作を仮称丙さんが調整し直し、
後日談も丙さんが書き上げる。
私は例によってフレーバーだ。
後日談を含めて無事リリースが完了し、
分割の狙い通りの評価も得た。
ここまで8ヶ月。
プレイヤーにとっては5ヶ月。
長丁場のコンテンツが完結したのだ。
ということで達成感を大きく感じている。
欲を言えば愛着の非常に湧いた
このキャラクター群と関わりのある
新キャラクターを書かせてほしいが、
というか勝手に草案作成済みだが、
さてどうなるのだろうか。
追記
人手不足でまた会話文だけの
シナリオテキストを
書くことになりそうだ。
フレーバー鉱山にこもらせてほしい。
私の仕事の話をさせていただきたい。
あの手のゲームでは珍しいことに
私の名がしっかりと載っているので
タイトルを言っても恐らく
大丈夫だが、敢えて伏せておく。
足掛け8ヶ月に及ぶ長期コンテンツが
無事に完結し、深い達成感を覚えた。
その喜びを記しておきたい。
まずキャラクターたちの原画があった。
仮称甲さんがそれを元に
難解な必要以上の裏設定を持つ
キャラクター設定を書き上げた。
それはプロデューサーに不評で、
いくつもの制約つきで
リテイクが出されることになる。
そうして出来上がった甲さんの
プロットを元に、私がゲーム内に
表示される200文字のテキストを
計18個とそれぞれのセリフを書いた。
情報量が過多であったため
まとめる作業は普段よりも
難しかったことをよく覚えている。
このキャラクター群はこれで
リリースされ、終わるはずだった。
だが、キャラクターたちの
背景を知ることのできる読物を
ゲーム内に配置することが決まった。
私は書き方を工夫し、パターン化を避け、
それなりに面白いものを
書き上げたつもりだ。
甲さんの裏設定は日の目を見ることなく
このキャラクター群については
今度こそ終わるはずだった。
しかし、キャラクターにスポットを
当てた会話劇と戦闘シーンで
構成されるコンテンツが
追加されることになる。
このキャラクター群の特徴は
同じ事件現場に居合わせながら
互いに出会うことがなかったことにある。
したがって私はそれぞれの視点で
事件を別角度から描き、
すべて読んでようやく
裏設定と全体像がわかるよう
コンテンツを月一追加の
分割とすることを提案した。
これにはグラフィック担当者に
一度に負荷をかけないという狙いもあった。
提案は通り、1キャラクター目
のストーリー製作が始まった。
担当した仮称乙さんはかなり長考し、
プロットを提出するがリテイクされる。
それが何度か続き、締め切りの
デッドラインが迫った。
私はライターだが会話文を書くのは
自分では苦手意識がある。
もちろんプロとして一定クオリティ
のものを出すことはできるが。
そこで、スピードに定評があった私は、
乙さんの代わりにシナリオを
書くよう頼み込まれてしまった。
私の適材適所はフレーバーテキストだが、
やらないわけにはいかない。
一晩で書き上げた。
ついでに攻略報酬アイテムの
フレーバーテキストも書いた。
評判は可もなく不可もなく
たいして話題にもならない
良かったんだか悪かったんだか
よく分からない雰囲気だった。
続いて2キャラクター目の製作が
始まる。月一更新なので
スケジュールは常に押している。
これも乙さんが担当となったのだが、
相変わらずの長考からの
リテイクの繰り返しに
ディレクターが動いた。
プロットの時点から
私にお鉢が回ってきたのだ。
前述のように会話文だけの
シナリオという苦手課題を前に、
私はなんとか書き上げた。
もちろん報酬アイテムの
フレーバーも書いた。
評判は多少好意的なものが見られた。
批判も少なかった。
ということで、3キャラクター目は
はじめから私の担当となる。
そもそも独特の話し方をする
キャラクターに私がしてしまったので、
私以外がその台詞回しを書くのは容易でない。
シナリオの初稿を書き上げたところで、
優先度が最高の別案件がテキストチームに
転がり込む。
私以外が対応し難いものだったため、
私は甲さんに初稿を渡し完成を委ねた。
ただし、報酬アイテムの
フレーバーはやはり私の領分だ。
結果非常に面白いものができる。
評判も上々だ。
まだ私が他に付きっきりだったので
4キャラクター目は甲さん単独となる。
しつこく言うが報酬アイテムの
フレーバーは私だ。
私はできるだけアイテムのフレーバーを
他のメンバーに任せたくない。
評判は良かった。
テキストだけではなく、
システム面をうまく使った
面白いものとなったのだ。
5つ目も甲さんにお願いしたが、
離籍が確定していたため、
リリースを見ずに去ることになる。
だが甲さんは投げやりになることもなく
面白いシナリオを書き上げてくれた。
甲さんの遺作を仮称丙さんが調整し直し、
後日談も丙さんが書き上げる。
私は例によってフレーバーだ。
後日談を含めて無事リリースが完了し、
分割の狙い通りの評価も得た。
ここまで8ヶ月。
プレイヤーにとっては5ヶ月。
長丁場のコンテンツが完結したのだ。
ということで達成感を大きく感じている。
欲を言えば愛着の非常に湧いた
このキャラクター群と関わりのある
新キャラクターを書かせてほしいが、
というか勝手に草案作成済みだが、
さてどうなるのだろうか。
追記
人手不足でまた会話文だけの
シナリオテキストを
書くことになりそうだ。
フレーバー鉱山にこもらせてほしい。
2018年9月11日火曜日
ロメ
奴隷海岸に面するトーゴの首都である。
奴隷海岸の名の由来は説明するまでもないだろう。
読んで字の如く、奴隷が狩り集められた土地だ。
大航海時代にポルトガル人が訪れた当初、
この地域にろくな産品は無かった。
奴隷となる人々を除いては。
現在ではカカオ、コーヒー、綿花が
輸出されているが、トーゴは
世界最貧国のひとつである。
隣のガーナと何が明暗を分けたのか、
正直な感想を言えば不思議である。
ここは西アフリカでは珍しい
ドイツの植民地であった。
そのため、トーゴ料理はドイツの影響を
受けており、なかなかのビールを醸す。
だが、第一次世界大戦の結果、
この地域はフランス領となっている。
そこから独立し、トーゴ共和国となってからの
歴史は、周辺諸国とそう差があるとは思えない。
強いて挙げれば、クーデターからの軍事政権、
その流れが未だ続いていると言えなくもない。
とはいえ、経済的に差がついた理由としては弱い。
何が原因で世界最貧国の一角を
占めているのだろう。
というのも、首都ロメは
世界でも稀に見る良港である。
かつて世界規模の港であったにも関わらず、
土砂の堆積によって使えなくなった港は多い。
広い湾に面していても、水深が浅いため、
大型船の寄港が難しい街も多い。
ロメの港は、水深が非常に深い。
アフリカ随一と言っても良いほどだ。
しかも海流の影響で土砂が堆積し難い。
更に言えば海岸線は平坦で、東西の都市と
幹線道路で繋がっている。
まさに扇の要である。
何故発展できないのか、不思議で仕方がない。
首都ロメ自体はそれなりに近代化した
立派な街である。
インフラの未整備は目立つが。
もしかすると、内陸部は顧みられず、
首都一極集中となっているのかもしれない。
となると、やはり政治が
悪いということになるのだろうか。
トーゴ人は、というかロメの人々は、
政治に関心が強くデモをよく行うという。
だが、頻繁にデモが行われるということは、
彼らの主張が通っていない
ということでもあるのではないだろうか。
とりあえず、そういう事柄については
宗教学者崩れの私の興味の範疇外である。
大聖堂の話をしよう。
聖心大聖堂はドイツ風のコロニアル様式で
建てられたカトリックのカテドラルである。
赤茶色の縁取りを持った白壁の建物で、
屋根は薄緑色。ゴシック様式を意図している
ことが明らかな形をしている。
その佇まいはどこか童話的で、
おかしな言い分だが、
作り物めいた違和感を覚える。
ロメ最大の市場に面しているのだが、
正直に言って風景に溶け込んでいない。
非常に美しい建物で、
外観と内装の統一感も素晴らしい。
だが、繰り返しになって申し訳ないが、
作り物めいた違和感を覚える。
ディズニーランドにあれば、
何の違和感もないかもしれない。
市場で売られているブードゥーグッズたる
猿の頭の干物と、かけ離れていながらも
親和性を感じるのは私だけだろうか。
トーゴの現実と、ロメの街の乖離。
そんな言葉が浮かんだ。
奴隷海岸の名の由来は説明するまでもないだろう。
読んで字の如く、奴隷が狩り集められた土地だ。
大航海時代にポルトガル人が訪れた当初、
この地域にろくな産品は無かった。
奴隷となる人々を除いては。
現在ではカカオ、コーヒー、綿花が
輸出されているが、トーゴは
世界最貧国のひとつである。
隣のガーナと何が明暗を分けたのか、
正直な感想を言えば不思議である。
ここは西アフリカでは珍しい
ドイツの植民地であった。
そのため、トーゴ料理はドイツの影響を
受けており、なかなかのビールを醸す。
だが、第一次世界大戦の結果、
この地域はフランス領となっている。
そこから独立し、トーゴ共和国となってからの
歴史は、周辺諸国とそう差があるとは思えない。
強いて挙げれば、クーデターからの軍事政権、
その流れが未だ続いていると言えなくもない。
とはいえ、経済的に差がついた理由としては弱い。
何が原因で世界最貧国の一角を
占めているのだろう。
というのも、首都ロメは
世界でも稀に見る良港である。
かつて世界規模の港であったにも関わらず、
土砂の堆積によって使えなくなった港は多い。
広い湾に面していても、水深が浅いため、
大型船の寄港が難しい街も多い。
ロメの港は、水深が非常に深い。
アフリカ随一と言っても良いほどだ。
しかも海流の影響で土砂が堆積し難い。
更に言えば海岸線は平坦で、東西の都市と
幹線道路で繋がっている。
まさに扇の要である。
何故発展できないのか、不思議で仕方がない。
首都ロメ自体はそれなりに近代化した
立派な街である。
インフラの未整備は目立つが。
もしかすると、内陸部は顧みられず、
首都一極集中となっているのかもしれない。
となると、やはり政治が
悪いということになるのだろうか。
トーゴ人は、というかロメの人々は、
政治に関心が強くデモをよく行うという。
だが、頻繁にデモが行われるということは、
彼らの主張が通っていない
ということでもあるのではないだろうか。
とりあえず、そういう事柄については
宗教学者崩れの私の興味の範疇外である。
大聖堂の話をしよう。
聖心大聖堂はドイツ風のコロニアル様式で
建てられたカトリックのカテドラルである。
赤茶色の縁取りを持った白壁の建物で、
屋根は薄緑色。ゴシック様式を意図している
ことが明らかな形をしている。
その佇まいはどこか童話的で、
おかしな言い分だが、
作り物めいた違和感を覚える。
ロメ最大の市場に面しているのだが、
正直に言って風景に溶け込んでいない。
非常に美しい建物で、
外観と内装の統一感も素晴らしい。
だが、繰り返しになって申し訳ないが、
作り物めいた違和感を覚える。
ディズニーランドにあれば、
何の違和感もないかもしれない。
市場で売られているブードゥーグッズたる
猿の頭の干物と、かけ離れていながらも
親和性を感じるのは私だけだろうか。
トーゴの現実と、ロメの街の乖離。
そんな言葉が浮かんだ。
2018年9月10日月曜日
ギンピ・ギンピ
背の高いイラクサの仲間の植物である。
果実は薄桃色をしていて可愛らしい。
だが、イラクサと聞いて
ぴんときた方もいるだろう。
この植物、非常に細かな産毛のようなものが
葉だけではなく様々な場所に生えているのだが、
柔らかそうに見えて実は刺さる。
刺毛は細さと鋭さが凄まじいため、
優しく触れただけで刺さる。
そんな細かい毛が刺さったところで、
普通なら痛みもなく気付きもしないのだが、
困ったことに毒がある。
イラクサの毒は一日ぐらい痛い思いを
するだけで済むのだが、
ギンピ・ギンピの場合は冗談で済まない。
三日間、耐えられぬほどの痛みが続く。
多少収まるが、二週間更に痛みが続く。
少し弱くなるが、二年間は痛みが続く。
その後も刺激を受ける度に痛むという。
体験談によると、酸を浴び、火傷をし、
電流を流されるような激しい痛みらしい。
この植物に関しては本当に洒落にならない。
終わらない痛みに絶望し、
命を絶つ者もいたという。
何も知らずにトイレットペーパー代わりに
この植物の葉を使った者が、苦痛のあまり
拳銃自殺したという与太話まである。
噂では軍事利用しようと
研究されたこともあるらしいが、
取り扱いが難しすぎて中止されたようだ。
使う側まで被害を受ける恐れがあったのだろう。
なお、触れてしまった場合の治療法だが、
薄めた塩酸を塗り、刺毛を溶かした後、
刺さってしまった部分を取り除くため、
ワックスを使いひっぺがすそうだ。
治療法まで痛そうである。
生息域はオーストラリア北東部だ。
旅行の際にはそういう植物もあるという
ことを念頭に置いて行動した方がいい。
そもそもあの大陸には危険な
生き物が多すぎる気がする。
果実は薄桃色をしていて可愛らしい。
だが、イラクサと聞いて
ぴんときた方もいるだろう。
この植物、非常に細かな産毛のようなものが
葉だけではなく様々な場所に生えているのだが、
柔らかそうに見えて実は刺さる。
刺毛は細さと鋭さが凄まじいため、
優しく触れただけで刺さる。
そんな細かい毛が刺さったところで、
普通なら痛みもなく気付きもしないのだが、
困ったことに毒がある。
イラクサの毒は一日ぐらい痛い思いを
するだけで済むのだが、
ギンピ・ギンピの場合は冗談で済まない。
三日間、耐えられぬほどの痛みが続く。
多少収まるが、二週間更に痛みが続く。
少し弱くなるが、二年間は痛みが続く。
その後も刺激を受ける度に痛むという。
体験談によると、酸を浴び、火傷をし、
電流を流されるような激しい痛みらしい。
この植物に関しては本当に洒落にならない。
終わらない痛みに絶望し、
命を絶つ者もいたという。
何も知らずにトイレットペーパー代わりに
この植物の葉を使った者が、苦痛のあまり
拳銃自殺したという与太話まである。
噂では軍事利用しようと
研究されたこともあるらしいが、
取り扱いが難しすぎて中止されたようだ。
使う側まで被害を受ける恐れがあったのだろう。
なお、触れてしまった場合の治療法だが、
薄めた塩酸を塗り、刺毛を溶かした後、
刺さってしまった部分を取り除くため、
ワックスを使いひっぺがすそうだ。
治療法まで痛そうである。
生息域はオーストラリア北東部だ。
旅行の際にはそういう植物もあるという
ことを念頭に置いて行動した方がいい。
そもそもあの大陸には危険な
生き物が多すぎる気がする。
2018年9月9日日曜日
ラフス
シーランド公国の首都である。
あれを首都と呼んで良いならば。
そもそも街ですらない。
マンセル要塞群のひとつ、
ラフス塔が唯一の領土のため、
便宜上ラフスの名で紹介する。
ただし、公国はシーランドとしか自称しておらず、
元の名前であるラフス塔を使用していないため、
厳密には首都ラフスと呼ぶのはおかしい。
しかし、そもそもシーランド公国自体が、
いずれの国も承認していない自称国家なので
どう呼ぼうが勝手だと私は判断した。
北海の洋上に世界大戦時ブリテンが
ドイツに対抗するため海上に築いた
人工島要塞群があった。
大戦終結後、ブリテンは公海上にある要塞群を
放棄し、放置していた。
そんな中、元イングランド陸軍少佐が、
マンセル要塞群のひとつ、ノックジョン塔を
占拠していた海賊放送局を追い払い、
自身が海賊放送を開始する。
イングランドは無線電信法違反でこの元少佐を
訴追したが、彼は拠点をラフス塔へと移し、
あろうことかシーランド公国として
独立宣言を行った。
その後、別の海賊放送局がこのシーランド公国の
占拠を目論み接近した際に、
公国側は領海侵犯とみなし警告射撃を行っている。
イングランドはこの事件を受けて
大公及び公太子を逮捕し、
要塞の不法占拠の廉で裁こうとした。
しかし、イングランドはシーランドの独立宣言を
無視していたため異議申し立てをしておらず、
ラフス塔はイングランドの領海外に存在し、
かつイングランドによる要塞の領有権主張は
されてこなかった。
このため、裁判所は彼らの占拠が不法なものという
判決を下すことができなかった。
司法とは常に公正を旨とするものなのだ。
大公は、この一件をもって、イングランドが
シーランド公国の主権を認めたと主張している。
ただし、人工島は国家の領土として認められないため、
シーランド公国は領土を保有するという
国家の要件を満たしていない。
なお、シーランドは一度、
首相によるクーデターを経験している。
公太子を人質に取られ追放された大公は
義勇軍を募り、ラフスを襲撃、奪回に成功した。
これを契機にシーランド騎士団が創設されている。
反逆罪で禁錮を受けた元首相は
彼の祖国である西ドイツに救援を求めた。
西ドイツ政府はイングランド政府に解放を依頼したが、
イングランドの解答はラフス塔は自国の
司法の管轄外であるというものだった。
このため、西ドイツ政府は駐ロンドン外交官を
ラフスに派遣し元シーランド首相の解放を要求した。
外交官の来訪を、西ドイツからの国家承認だと
定義した大公は、元首相に恩赦を与えている。
そして、元首相はドイツで亡命政府を立ち上げた。
彼らが本気なのかお遊びなのかは
本人たちに聞いてみなければ分からないだろう。
シーランドの産業は、雑貨の販売で
成り立っていると思われる。
前述の元首相はカジノ建設を推進していたが、
クーデター失敗によって立ち消えた。
ちなみに、公国に財政上の貢献をした外国人に対し、
大公は爵位を授与している。
このため、本邦でもシーランドの爵位を持つ者が
少なからず存在する。
騎士団員も公募しているようだ。
なお、ドイツ等、一部の国では貴族を僭称することを
法律で禁止しているため、国家として承認されて
いないシーランドの爵位を名乗ると罰せられる。
注意されたし。
私も面白半分で公国に献金し、泉井伯爵を
名乗ってみようかと以前より思っていたが、
今のところまだ重い腰は上がっていない。
あれを首都と呼んで良いならば。
そもそも街ですらない。
マンセル要塞群のひとつ、
ラフス塔が唯一の領土のため、
便宜上ラフスの名で紹介する。
ただし、公国はシーランドとしか自称しておらず、
元の名前であるラフス塔を使用していないため、
厳密には首都ラフスと呼ぶのはおかしい。
しかし、そもそもシーランド公国自体が、
いずれの国も承認していない自称国家なので
どう呼ぼうが勝手だと私は判断した。
北海の洋上に世界大戦時ブリテンが
ドイツに対抗するため海上に築いた
人工島要塞群があった。
大戦終結後、ブリテンは公海上にある要塞群を
放棄し、放置していた。
そんな中、元イングランド陸軍少佐が、
マンセル要塞群のひとつ、ノックジョン塔を
占拠していた海賊放送局を追い払い、
自身が海賊放送を開始する。
イングランドは無線電信法違反でこの元少佐を
訴追したが、彼は拠点をラフス塔へと移し、
あろうことかシーランド公国として
独立宣言を行った。
その後、別の海賊放送局がこのシーランド公国の
占拠を目論み接近した際に、
公国側は領海侵犯とみなし警告射撃を行っている。
イングランドはこの事件を受けて
大公及び公太子を逮捕し、
要塞の不法占拠の廉で裁こうとした。
しかし、イングランドはシーランドの独立宣言を
無視していたため異議申し立てをしておらず、
ラフス塔はイングランドの領海外に存在し、
かつイングランドによる要塞の領有権主張は
されてこなかった。
このため、裁判所は彼らの占拠が不法なものという
判決を下すことができなかった。
司法とは常に公正を旨とするものなのだ。
大公は、この一件をもって、イングランドが
シーランド公国の主権を認めたと主張している。
ただし、人工島は国家の領土として認められないため、
シーランド公国は領土を保有するという
国家の要件を満たしていない。
なお、シーランドは一度、
首相によるクーデターを経験している。
公太子を人質に取られ追放された大公は
義勇軍を募り、ラフスを襲撃、奪回に成功した。
これを契機にシーランド騎士団が創設されている。
反逆罪で禁錮を受けた元首相は
彼の祖国である西ドイツに救援を求めた。
西ドイツ政府はイングランド政府に解放を依頼したが、
イングランドの解答はラフス塔は自国の
司法の管轄外であるというものだった。
このため、西ドイツ政府は駐ロンドン外交官を
ラフスに派遣し元シーランド首相の解放を要求した。
外交官の来訪を、西ドイツからの国家承認だと
定義した大公は、元首相に恩赦を与えている。
そして、元首相はドイツで亡命政府を立ち上げた。
彼らが本気なのかお遊びなのかは
本人たちに聞いてみなければ分からないだろう。
シーランドの産業は、雑貨の販売で
成り立っていると思われる。
前述の元首相はカジノ建設を推進していたが、
クーデター失敗によって立ち消えた。
ちなみに、公国に財政上の貢献をした外国人に対し、
大公は爵位を授与している。
このため、本邦でもシーランドの爵位を持つ者が
少なからず存在する。
騎士団員も公募しているようだ。
なお、ドイツ等、一部の国では貴族を僭称することを
法律で禁止しているため、国家として承認されて
いないシーランドの爵位を名乗ると罰せられる。
注意されたし。
私も面白半分で公国に献金し、泉井伯爵を
名乗ってみようかと以前より思っていたが、
今のところまだ重い腰は上がっていない。
2018年9月8日土曜日
コルク
西地中海沿岸で生育する樹木である。
樫の仲間だが、樹皮が非常に柔らかい。
樹皮は厚く、強い弾力があり、
保温性や撥水性に優れている。
このため、ゴムや合成樹脂が大々的に
利用されるようになるまでは、
隙間を埋めたり緩衝材にしたりと、
文化的な生活に欠かせない素材であった。
ゴムや合成樹脂の登場以降も、
やや通気性のある点や、
成分の滲出や変質がほぼ無い点が
優れており、需要は安定している。
とくに有名な利用法はワインの栓だが、
実はコルクの用途の中では
多い方ではない。
ただし、コルク産業で一番金になるのは
ワインの栓である。
木管楽器の接合部や、球技用ボールの芯、
コルクボードや断熱材、防音材として、
様々な分野で活用されている。
コルク樹皮の収穫には長い年月を要する。
また、樹幹に傷をつけないよう、
収穫は手作業によって慎重に行われる。
樫なのでドングリが実るのだが、
イスパニアではブランド豚である
イベリコ豚の飼料として利用されている。
地中海沿岸諸国で最も生産量が多いのも
イスパニアであるため、
無駄のない活用法だと言える。
なお、合成樹脂で作られたコルクに似せた
ワイン栓も存在する。
安物のワインに使われるのだが、
カビや澱の対策になるため、
一概に悪いものとは言いきれない。
栓を抜いた際に、コルクの状態を見ることで、
ワインの状態を予測できることから、
ワインマニアや特別感を求める層からは
こうした合成コルクは不評である。
ちなみに、本邦のアベマキというクヌギにも
弾力のある樹皮が形成され、流通量は少ないが
コルクとして利用されている。
樫の仲間だが、樹皮が非常に柔らかい。
樹皮は厚く、強い弾力があり、
保温性や撥水性に優れている。
このため、ゴムや合成樹脂が大々的に
利用されるようになるまでは、
隙間を埋めたり緩衝材にしたりと、
文化的な生活に欠かせない素材であった。
ゴムや合成樹脂の登場以降も、
やや通気性のある点や、
成分の滲出や変質がほぼ無い点が
優れており、需要は安定している。
とくに有名な利用法はワインの栓だが、
実はコルクの用途の中では
多い方ではない。
ただし、コルク産業で一番金になるのは
ワインの栓である。
木管楽器の接合部や、球技用ボールの芯、
コルクボードや断熱材、防音材として、
様々な分野で活用されている。
コルク樹皮の収穫には長い年月を要する。
また、樹幹に傷をつけないよう、
収穫は手作業によって慎重に行われる。
樫なのでドングリが実るのだが、
イスパニアではブランド豚である
イベリコ豚の飼料として利用されている。
地中海沿岸諸国で最も生産量が多いのも
イスパニアであるため、
無駄のない活用法だと言える。
なお、合成樹脂で作られたコルクに似せた
ワイン栓も存在する。
安物のワインに使われるのだが、
カビや澱の対策になるため、
一概に悪いものとは言いきれない。
栓を抜いた際に、コルクの状態を見ることで、
ワインの状態を予測できることから、
ワインマニアや特別感を求める層からは
こうした合成コルクは不評である。
ちなみに、本邦のアベマキというクヌギにも
弾力のある樹皮が形成され、流通量は少ないが
コルクとして利用されている。
2018年9月7日金曜日
アクラ
黄金海岸に面するガーナの首都である。
ガーナの名はかつて西アフリカに存在した
ガーナ帝国にあやかり拝借したものである。
位置的にはかなりずれている。
ガーナもまたこの地域の例に漏れず、
ポルトガル人の奴隷貿易の拠点であった。
だが二点、特異な部分がある。
ひとつめは金が多く産出したことだ。
これにより、黄金海岸と呼ばれるようになった。
ただし、現在の主要な産品ではない。
ふたつめは、奴隷貿易華やかなりし頃に、
この地にはアシャンティ王国という
現地人の国が隆盛を極めていたことである。
アシャンティ王国はヨーロッパ人から
銃火器を購入し、その武力で以って
周辺部族を圧倒した。
戦いで敗れた周辺部族の者たちは
奴隷として連行され、
ヨーロッパ人に売られていった。
だが、アシャンティ王国はイングランドに滅ぼされ、
黄金海岸はイングランド植民地となる。
おそらくイングランド人が奴隷よりも
黄金を求めるようになったためだろう。
独立後、幾度かクーデターはあったものの、
民主化が進み、政情は安定している。
経済的にもカカオの輸出が安定しており、
近年では沖合に大規模な油田が発見された。
油田開発が軌道に乗れば発展が見込めるだろう。
さて、首都のアクラだが、近代的な都市である。
清潔で文化的で、それでいて
良い意味で猥雑さが活力を感じさせる。
マコラ市場を歩いてみれば、
人々のバイタリティに自然と心も浮き立つだろう。
近隣のコートディボワールやリベリアや
シエラレオネと何故ここまで差がついたのか。
詮無い比較は置いておいて、
大聖堂の話をしよう。
なんと、アクラの街には三つも大聖堂がある。
カトリックの聖霊大聖堂と、
聖公会の聖三位一体大聖堂と、
メソジストのウェスレー大聖堂だ。
まず聖霊大聖堂なのだが。
アールデコ様式、ということで、いいのだろうか。
建設された時代を考えると少し遅いが、
おそらくアールデコだろう。
資料が乏しいためはっきりとしたことが言えない。
かなり独特な外観をしており、
カトリックの教会とは思えない。
もっとも、そういう教会は世界中にあるが。
アクラに行くのであれば見ておいた方がいいだろう。
わざわざこの建物を見るためにアクラに行くのは
よっぽどの建築マニアだと思うが。
続いて、聖三位一体大聖堂を紹介しよう。
イングランドの面影を感じる煉瓦造りの
コロニアル様式のこの大聖堂は、
ちょっとお洒落な田舎の教会という風情である。
観光するには地味だが、緑の屋根と
赤茶色の煉瓦のコントラストは絵になる。
そして、ウェスレー大聖堂だが、
これまた煉瓦造りのコロニアル様式だ。
聖公会のものよりも立派に見える。
塔の印象の違いだろう。
さて、大聖堂の紹介で紙面を圧迫しているが、
他の名所として独立広場についても書いておこう。
だだっ広く、黒い星をあしらった
モニュメントのあるこの場所からは
少し共産主義的な匂いを感じる。
冷戦時代に東寄りだった名残だろう。
最後にガーナ料理について記載しよう。
ガーナ料理といえば、唐辛子とトマトである。
美味いが、基本的に辛いので覚悟した方がいい。
トウモロコシの甘みの少ない品種と、
キャッサバを発酵させ、
バンクーと呼ばれる団子状の主食を作る。
発酵由来の酸味があるためクセが強いが、
これが辛いソースと相性がいい。
この組み合わせはなんとなく
香りこそまったく違うものの、
インドカレーを思い出させる。
スパイシーな料理が好きなら気に入るだろう。
ちなみに、多くの場合オクラでとろみが
つけられており、魚介類か鶏肉が入っている。
ピーナッツベースのスープも好まれ、
鶏肉はこちらに使われることの方が多い。
いずれにせよ、香辛料が苦手でなければ、
ガーナ料理はお勧めである。
と、アクラの良い所を書いてきたが、
本邦の感覚で見て歩こうとすると
住民の適当さ加減に衝撃を受けるだろう。
特に酷いのがゴミの廃棄である。
川べりにうずたかく積まれたゴミ山と
黒く染まった川。
そんな負の側面も見ておくといいかもしれない。
追記
どこの街でもそうだが、
飛び抜けて治安の悪い地域というものがある。
アクラにも漏れなくあるので、訪れるなら
しっかりと現地情報を確認されたし。
ガーナの名はかつて西アフリカに存在した
ガーナ帝国にあやかり拝借したものである。
位置的にはかなりずれている。
ガーナもまたこの地域の例に漏れず、
ポルトガル人の奴隷貿易の拠点であった。
だが二点、特異な部分がある。
ひとつめは金が多く産出したことだ。
これにより、黄金海岸と呼ばれるようになった。
ただし、現在の主要な産品ではない。
ふたつめは、奴隷貿易華やかなりし頃に、
この地にはアシャンティ王国という
現地人の国が隆盛を極めていたことである。
アシャンティ王国はヨーロッパ人から
銃火器を購入し、その武力で以って
周辺部族を圧倒した。
戦いで敗れた周辺部族の者たちは
奴隷として連行され、
ヨーロッパ人に売られていった。
だが、アシャンティ王国はイングランドに滅ぼされ、
黄金海岸はイングランド植民地となる。
おそらくイングランド人が奴隷よりも
黄金を求めるようになったためだろう。
独立後、幾度かクーデターはあったものの、
民主化が進み、政情は安定している。
経済的にもカカオの輸出が安定しており、
近年では沖合に大規模な油田が発見された。
油田開発が軌道に乗れば発展が見込めるだろう。
さて、首都のアクラだが、近代的な都市である。
清潔で文化的で、それでいて
良い意味で猥雑さが活力を感じさせる。
マコラ市場を歩いてみれば、
人々のバイタリティに自然と心も浮き立つだろう。
近隣のコートディボワールやリベリアや
シエラレオネと何故ここまで差がついたのか。
詮無い比較は置いておいて、
大聖堂の話をしよう。
なんと、アクラの街には三つも大聖堂がある。
カトリックの聖霊大聖堂と、
聖公会の聖三位一体大聖堂と、
メソジストのウェスレー大聖堂だ。
まず聖霊大聖堂なのだが。
アールデコ様式、ということで、いいのだろうか。
建設された時代を考えると少し遅いが、
おそらくアールデコだろう。
資料が乏しいためはっきりとしたことが言えない。
かなり独特な外観をしており、
カトリックの教会とは思えない。
もっとも、そういう教会は世界中にあるが。
アクラに行くのであれば見ておいた方がいいだろう。
わざわざこの建物を見るためにアクラに行くのは
よっぽどの建築マニアだと思うが。
続いて、聖三位一体大聖堂を紹介しよう。
イングランドの面影を感じる煉瓦造りの
コロニアル様式のこの大聖堂は、
ちょっとお洒落な田舎の教会という風情である。
観光するには地味だが、緑の屋根と
赤茶色の煉瓦のコントラストは絵になる。
そして、ウェスレー大聖堂だが、
これまた煉瓦造りのコロニアル様式だ。
聖公会のものよりも立派に見える。
塔の印象の違いだろう。
さて、大聖堂の紹介で紙面を圧迫しているが、
他の名所として独立広場についても書いておこう。
だだっ広く、黒い星をあしらった
モニュメントのあるこの場所からは
少し共産主義的な匂いを感じる。
冷戦時代に東寄りだった名残だろう。
最後にガーナ料理について記載しよう。
ガーナ料理といえば、唐辛子とトマトである。
美味いが、基本的に辛いので覚悟した方がいい。
トウモロコシの甘みの少ない品種と、
キャッサバを発酵させ、
バンクーと呼ばれる団子状の主食を作る。
発酵由来の酸味があるためクセが強いが、
これが辛いソースと相性がいい。
この組み合わせはなんとなく
香りこそまったく違うものの、
インドカレーを思い出させる。
スパイシーな料理が好きなら気に入るだろう。
ちなみに、多くの場合オクラでとろみが
つけられており、魚介類か鶏肉が入っている。
ピーナッツベースのスープも好まれ、
鶏肉はこちらに使われることの方が多い。
いずれにせよ、香辛料が苦手でなければ、
ガーナ料理はお勧めである。
と、アクラの良い所を書いてきたが、
本邦の感覚で見て歩こうとすると
住民の適当さ加減に衝撃を受けるだろう。
特に酷いのがゴミの廃棄である。
川べりにうずたかく積まれたゴミ山と
黒く染まった川。
そんな負の側面も見ておくといいかもしれない。
追記
どこの街でもそうだが、
飛び抜けて治安の悪い地域というものがある。
アクラにも漏れなくあるので、訪れるなら
しっかりと現地情報を確認されたし。
2018年9月6日木曜日
マンチニール
林檎によく似た樹木である。
果実も林檎に似ている。
マンチニールという名前も、
スペイン語で小さな林檎を意味する
言葉に由来している。
カリブ海沿岸周辺のマングローブ林に
生えるこの木には猛毒がある。
果実に毒があるというだけならば
そういう植物は沢山ある。
だが、この樹木は触るだけでも危険だ。
果実だけでなく樹液にも毒があるのだが、
恐ろしいことにその毒は雨水に溶け出す。
雨宿りのつもりでこの木の陰に入ると、
毒を含んだ水滴が降りかかる恐れがある。
したたった水に触れた肌には激痛が走る。
また、この木の枝や幹を火にくべると、
毒煙が立ち上ることになる。
雨水や煙は死に至るほどの毒性はないが、
もしも誤って果実を食べてしまった場合には、
即座に病院へ行くべきだ。
現代の医療であれば、命は助かる。
古くはこの樹液を用いて毒矢が
作られていたのだが、
驚くべきことに木材としても利用されてきた。
どうやら樹液が完全に乾ききるまで
太陽光に当てれば幹や枝の毒性は消えるらしい。
なお、危険性を危惧した人々が駆除をしたり
したわけではないが、マンチニールは
数を減らしている。
おそらくマングローブ林の
減少と関係があるのだろう。
恐ろしい植物だが絶滅が危惧されている。
果実も林檎に似ている。
マンチニールという名前も、
スペイン語で小さな林檎を意味する
言葉に由来している。
カリブ海沿岸周辺のマングローブ林に
生えるこの木には猛毒がある。
果実に毒があるというだけならば
そういう植物は沢山ある。
だが、この樹木は触るだけでも危険だ。
果実だけでなく樹液にも毒があるのだが、
恐ろしいことにその毒は雨水に溶け出す。
雨宿りのつもりでこの木の陰に入ると、
毒を含んだ水滴が降りかかる恐れがある。
したたった水に触れた肌には激痛が走る。
また、この木の枝や幹を火にくべると、
毒煙が立ち上ることになる。
雨水や煙は死に至るほどの毒性はないが、
もしも誤って果実を食べてしまった場合には、
即座に病院へ行くべきだ。
現代の医療であれば、命は助かる。
古くはこの樹液を用いて毒矢が
作られていたのだが、
驚くべきことに木材としても利用されてきた。
どうやら樹液が完全に乾ききるまで
太陽光に当てれば幹や枝の毒性は消えるらしい。
なお、危険性を危惧した人々が駆除をしたり
したわけではないが、マンチニールは
数を減らしている。
おそらくマングローブ林の
減少と関係があるのだろう。
恐ろしい植物だが絶滅が危惧されている。
2018年9月5日水曜日
モナコ
フランスの南東コードダジュールに位置する
モナコ公国の首都である。
モナコには首都であるこの街しか無いので
首都であるという言い方は
もしかしたらおかしいかもしれない。
この街を建設したのは
ジェノヴァ共和国である。
ヨーロッパでよくある複雑な経緯を経て、
モナコは大公の治める都市国家となった。
この経緯を真面目に語れば本が書けてしまう。
歴史マニアしか面白いと
感じないと思われるので、
思い切って省略しよう。
紆余曲折を経て、モナコ公国は
フランスの保護を受ける独立国家となった。
いわゆるタックス・ヘイヴンであり、
所得税を納めたくない世界各地の
富豪が移り住んでいる。
ただし、フランス人は例外で、
この恩恵にあずかれない。
フランスに保護されているモナコは、
フランス国籍を持つ者からは所得税を
徴収し、フランスに納めているのだ。
公用語はもちろんフランス語である。
ラテン語から派生したモナコ語
というものもあるが、使われていない。
モナコ観光については様々なサイトで
とても詳しく書かれているので割愛する。
ただ、大聖堂についてだけは言及しておこう。
聖ニコラス大聖堂はロマネスクとビザンチン、
ふたつの様式が組み合わされており、
歴史ある金持ち国家に相応しい
優雅で美しく荘厳な建物である。
モナコは世界的な観光地であり、
しかも富裕層が集まる場所である。
当然、モナコで食べられるものは
世界各国の高級料理である。
しかし、人の住む場所に食文化あり。
郷土料理がきちんと存在する。
モナコ料理は概ねフランス南東部料理と
イタリア北西部料理の折衷である。
海の幸と、ほうれん草に似た
チャードという野菜がよく使われる。
独特なものとしては、南瓜、牛肉、
香草などを詰めた焼き餃子のような料理
バルバジュアンがある。
これはモンテカルロのカジノでも
供されており、人気が高い。
ところで、モナコ旅行をするなら
予算をけちってはいけない。
おそらく格安ツアーで行ったとしても、
金持ちたちの暮らしを
指をくわえて眺めるだけで終わるだろう。
ただ見に行って侮られるのは癪である。
富豪になって移住するぐらいの
気概を持ちたいところだ。
モナコ公国の首都である。
モナコには首都であるこの街しか無いので
首都であるという言い方は
もしかしたらおかしいかもしれない。
この街を建設したのは
ジェノヴァ共和国である。
ヨーロッパでよくある複雑な経緯を経て、
モナコは大公の治める都市国家となった。
この経緯を真面目に語れば本が書けてしまう。
歴史マニアしか面白いと
感じないと思われるので、
思い切って省略しよう。
紆余曲折を経て、モナコ公国は
フランスの保護を受ける独立国家となった。
いわゆるタックス・ヘイヴンであり、
所得税を納めたくない世界各地の
富豪が移り住んでいる。
ただし、フランス人は例外で、
この恩恵にあずかれない。
フランスに保護されているモナコは、
フランス国籍を持つ者からは所得税を
徴収し、フランスに納めているのだ。
公用語はもちろんフランス語である。
ラテン語から派生したモナコ語
というものもあるが、使われていない。
モナコ観光については様々なサイトで
とても詳しく書かれているので割愛する。
ただ、大聖堂についてだけは言及しておこう。
聖ニコラス大聖堂はロマネスクとビザンチン、
ふたつの様式が組み合わされており、
歴史ある金持ち国家に相応しい
優雅で美しく荘厳な建物である。
モナコは世界的な観光地であり、
しかも富裕層が集まる場所である。
当然、モナコで食べられるものは
世界各国の高級料理である。
しかし、人の住む場所に食文化あり。
郷土料理がきちんと存在する。
モナコ料理は概ねフランス南東部料理と
イタリア北西部料理の折衷である。
海の幸と、ほうれん草に似た
チャードという野菜がよく使われる。
独特なものとしては、南瓜、牛肉、
香草などを詰めた焼き餃子のような料理
バルバジュアンがある。
これはモンテカルロのカジノでも
供されており、人気が高い。
ところで、モナコ旅行をするなら
予算をけちってはいけない。
おそらく格安ツアーで行ったとしても、
金持ちたちの暮らしを
指をくわえて眺めるだけで終わるだろう。
ただ見に行って侮られるのは癪である。
富豪になって移住するぐらいの
気概を持ちたいところだ。
2018年9月4日火曜日
クマムシ
苔の森の中をゆっくりと歩き回る
とても小さな生き物である。
緩歩動物に分類される。
八本の足でゆったり歩く丸っこい姿が
熊を想起させたためこの名が付いた。
苔は水分が得られなくなると
乾燥状態となり休眠することが可能な植物だ。
長く乾燥が続いても水分を得れば復活する。
苔と共に生きるクマムシもまた、
同じように休眠するのだが、
生物として破格の能力を持っている。
クマムシは乾燥を察知すると、
自身の体内の水分を徐々に排出し、
乾眠と呼ばれる状態になる。
乾眠状態のクマムシは
高温に耐え、絶対零度でも死なず、
真空に耐え、高圧に晒されても死なず、
放射線の照射にすら耐え抜く。
人工衛星を使った実験では、
乾眠状態のクマムシを十日間
宇宙空間に浮遊させてみたという。
真空、絶対零度、太陽光、宇宙線。
生物が生きていける環境ではない。
だが、宇宙空間から戻されたクマムシは、
水分を得るや見事甦ったという。
ただし、太陽光を直接浴び続けた者は、
半数が死んでしまったらしい。
耐熱性は他の耐性と比べると
弱いということだろう。
しかし、クマムシの乾眠という能力が
凄まじいという事実は変わらない。
残念ながら人間に応用できそうではないが、
未来の新技術の開発に何かしらの
影響を与えてくれるかもしれない。
追記
令和の時代になってから、ある国の実験用人工衛星が
月に墜落したというニュースが報じられた。
人工衛星にはクマムシが搭載されていたため、
月面にクマムシが降り立ったことになる。
果たして、クマムシは月面で乾眠を続けるのだろうか、
それとも、適応し、活動を開始してしまうのだろうか。
とても小さな生き物である。
緩歩動物に分類される。
八本の足でゆったり歩く丸っこい姿が
熊を想起させたためこの名が付いた。
苔は水分が得られなくなると
乾燥状態となり休眠することが可能な植物だ。
長く乾燥が続いても水分を得れば復活する。
苔と共に生きるクマムシもまた、
同じように休眠するのだが、
生物として破格の能力を持っている。
クマムシは乾燥を察知すると、
自身の体内の水分を徐々に排出し、
乾眠と呼ばれる状態になる。
乾眠状態のクマムシは
高温に耐え、絶対零度でも死なず、
真空に耐え、高圧に晒されても死なず、
放射線の照射にすら耐え抜く。
人工衛星を使った実験では、
乾眠状態のクマムシを十日間
宇宙空間に浮遊させてみたという。
真空、絶対零度、太陽光、宇宙線。
生物が生きていける環境ではない。
だが、宇宙空間から戻されたクマムシは、
水分を得るや見事甦ったという。
ただし、太陽光を直接浴び続けた者は、
半数が死んでしまったらしい。
耐熱性は他の耐性と比べると
弱いということだろう。
しかし、クマムシの乾眠という能力が
凄まじいという事実は変わらない。
残念ながら人間に応用できそうではないが、
未来の新技術の開発に何かしらの
影響を与えてくれるかもしれない。
追記
令和の時代になってから、ある国の実験用人工衛星が
月に墜落したというニュースが報じられた。
人工衛星にはクマムシが搭載されていたため、
月面にクマムシが降り立ったことになる。
果たして、クマムシは月面で乾眠を続けるのだろうか、
それとも、適応し、活動を開始してしまうのだろうか。
2018年9月3日月曜日
ワガドゥーグー
西アフリカの内陸国ブルキナファソの首都である。
元はオート・ヴォルタ共和国という名であり、
これはヴォルタ川上流という意味であった。
幾度もクーデターを繰り返し、
社会主義寄りの勢力が実権を握った際に、
高潔なる者の祖国という意味の
ブルキナ・ファソに改名された。
ブルキナファソはクーデターの頻発する
あまり観光をお勧めできる国ではない。
しかし、その首都ワガドゥーグーは
思いの外治安が良い。
ワガドゥーグーはいわゆる都会ではなく、
のどかな街なのだが、おそらく
こののどかさが治安を良くしているのだろう。
人々の表情には余裕と笑顔があり、
暖かな人情に触れることができる。
もちろん、本邦の治安と比べてはいけないが。
ワガドゥーグーに観光名所と呼べる場所は少ない。
ブルキナファソには泥のモスクと呼ばれる
有名かつ一見の価値あるモスクがあるが、
ワガドゥーグーからは遠い。
ワガドゥーグーのモスクはいまひとつ
面白みに欠ける。
対してワガドゥーグー大聖堂はぜひ見ておきたい。
ネオゴシック様式なのだが、
赤茶色の姿が非常に美しい。
ただし、左右の尖塔は欠けており、
欠け具合も異なるためアシンメトリーとなっている。
この壊れかけているというところがまた、
見る者の心に訴えかけるものがある。
ブルキナファソ料理は素朴だが悪くない。
トーと呼ばれる米粒を潰して作った
おにぎりは本邦人なら気に入るだろう。
ダクヌというトウモロコシ粉を練って
蒸したものも主食として人気だ。
トーやダクヌを野菜たっぷりのソースや
スープでいただくのだ。
そして新鮮な果物に関して言えば最高だ。
ブルキナファソは農業国である。
産業構造としては貧弱であり、
相次ぐクーデターにより貧困国である。
農産物を輸出しては赤字を出しながら
必要なものを輸入している。
だが、人々は自分たちが食べるものを
作れるため、余裕がある。
アフリカ内陸の政情不安定な国にしては、
人々がのどかに暮らせているのは、
この食べ物に関する余裕のお陰だろう。
人口過密な都市ではないというのも
人々の心が荒みにくい理由だろう。
ということで、クーデターの恐れ
というものを度外視するのであれば、
是非訪れてみたい国である。
元はオート・ヴォルタ共和国という名であり、
これはヴォルタ川上流という意味であった。
幾度もクーデターを繰り返し、
社会主義寄りの勢力が実権を握った際に、
高潔なる者の祖国という意味の
ブルキナ・ファソに改名された。
ブルキナファソはクーデターの頻発する
あまり観光をお勧めできる国ではない。
しかし、その首都ワガドゥーグーは
思いの外治安が良い。
ワガドゥーグーはいわゆる都会ではなく、
のどかな街なのだが、おそらく
こののどかさが治安を良くしているのだろう。
人々の表情には余裕と笑顔があり、
暖かな人情に触れることができる。
もちろん、本邦の治安と比べてはいけないが。
ワガドゥーグーに観光名所と呼べる場所は少ない。
ブルキナファソには泥のモスクと呼ばれる
有名かつ一見の価値あるモスクがあるが、
ワガドゥーグーからは遠い。
ワガドゥーグーのモスクはいまひとつ
面白みに欠ける。
対してワガドゥーグー大聖堂はぜひ見ておきたい。
ネオゴシック様式なのだが、
赤茶色の姿が非常に美しい。
ただし、左右の尖塔は欠けており、
欠け具合も異なるためアシンメトリーとなっている。
この壊れかけているというところがまた、
見る者の心に訴えかけるものがある。
ブルキナファソ料理は素朴だが悪くない。
トーと呼ばれる米粒を潰して作った
おにぎりは本邦人なら気に入るだろう。
ダクヌというトウモロコシ粉を練って
蒸したものも主食として人気だ。
トーやダクヌを野菜たっぷりのソースや
スープでいただくのだ。
そして新鮮な果物に関して言えば最高だ。
ブルキナファソは農業国である。
産業構造としては貧弱であり、
相次ぐクーデターにより貧困国である。
農産物を輸出しては赤字を出しながら
必要なものを輸入している。
だが、人々は自分たちが食べるものを
作れるため、余裕がある。
アフリカ内陸の政情不安定な国にしては、
人々がのどかに暮らせているのは、
この食べ物に関する余裕のお陰だろう。
人口過密な都市ではないというのも
人々の心が荒みにくい理由だろう。
ということで、クーデターの恐れ
というものを度外視するのであれば、
是非訪れてみたい国である。
2018年9月2日日曜日
タンブルウィード
アメリカの荒野でカサカサと転がる
枯草の塊を映画などで見たことがあるだろう。
タンブルウィードとはあれのことだ。
厳密に言えばいくつかの種類の植物が
あの形態になるのであって、
タンブルウィードという名の植物が
あるわけではない。
また、アメリカの荒野にしか
存在しないわけではない。
司馬遷の記した史記には転蓬の名で登場する。
オーストラリアの荒野でも
よく見られるようだ。
ころがり草と訳されることもあるが、
本邦では滅多に見られない。
最もよく知られているタンブルウィードは
オカヒジキと呼ばれる植物だ。
秋に種子が成熟すると、乾燥した強い風に煽られ、
茎が折れて塊となって吹かれていく。
風に流される過程で種子が撒き散らされ、
様々な場所で芽吹くことによって
生息域を拡大していくのだ。
折れた茎より下、つまり根などは地中に残り、
次の春にはそこから新たに茎が伸びてくる。
根はかなり深くまで伸びており、
乾燥した大地でもよく育つ。
タンブルウィードの発生は天候に左右され、
多い年には家屋が埋もれてしまった例もある。
除去に労力が掛かるという実害があるのだが、
乾燥した草であるため燃えやすいという
危険性も秘めている。
また、車道に突然転がり入ることで、
ドライバーが飛び出しに驚き、
ハンドル操作を誤って事故を起こすことがある。
柔らかそうに見えるが、意外と固く、
棘もあるためなかなかに厄介だ。
家畜の飼料とできないか研究されてきた
らしいが、成果が上がったという話を聞かない。
夏には白から桃色にかけての花を沢山咲かせ、
ミニチュア桜林のようにもなる。
オカヒジキに関して言うならば、
本邦の種は食用となる。
若葉や茎をおひたしなどにして食べるのだが、
海岸沿いに生えているものは
潮風を取り込み塩味がついている。
もちろん、タンブルウィードとなるオカヒジキと
本邦の食用となるオカヒジキは別物である。
また、繰り返しになるが、オカヒジキだけが
タンブルウィードになるわけではない。
強い風の吹く乾燥地帯の植物の
適応の結果なのだろう。
枯草の塊を映画などで見たことがあるだろう。
タンブルウィードとはあれのことだ。
厳密に言えばいくつかの種類の植物が
あの形態になるのであって、
タンブルウィードという名の植物が
あるわけではない。
また、アメリカの荒野にしか
存在しないわけではない。
司馬遷の記した史記には転蓬の名で登場する。
オーストラリアの荒野でも
よく見られるようだ。
ころがり草と訳されることもあるが、
本邦では滅多に見られない。
最もよく知られているタンブルウィードは
オカヒジキと呼ばれる植物だ。
秋に種子が成熟すると、乾燥した強い風に煽られ、
茎が折れて塊となって吹かれていく。
風に流される過程で種子が撒き散らされ、
様々な場所で芽吹くことによって
生息域を拡大していくのだ。
折れた茎より下、つまり根などは地中に残り、
次の春にはそこから新たに茎が伸びてくる。
根はかなり深くまで伸びており、
乾燥した大地でもよく育つ。
タンブルウィードの発生は天候に左右され、
多い年には家屋が埋もれてしまった例もある。
除去に労力が掛かるという実害があるのだが、
乾燥した草であるため燃えやすいという
危険性も秘めている。
また、車道に突然転がり入ることで、
ドライバーが飛び出しに驚き、
ハンドル操作を誤って事故を起こすことがある。
柔らかそうに見えるが、意外と固く、
棘もあるためなかなかに厄介だ。
家畜の飼料とできないか研究されてきた
らしいが、成果が上がったという話を聞かない。
夏には白から桃色にかけての花を沢山咲かせ、
ミニチュア桜林のようにもなる。
オカヒジキに関して言うならば、
本邦の種は食用となる。
若葉や茎をおひたしなどにして食べるのだが、
海岸沿いに生えているものは
潮風を取り込み塩味がついている。
もちろん、タンブルウィードとなるオカヒジキと
本邦の食用となるオカヒジキは別物である。
また、繰り返しになるが、オカヒジキだけが
タンブルウィードになるわけではない。
強い風の吹く乾燥地帯の植物の
適応の結果なのだろう。
2018年9月1日土曜日
アムスタダム
海洋国家として華々しい経歴を持つ
ネーデルラントの首都である。
本邦ではアムステルダム表記が通例だ。
いきなりだが、私はネーデルラントに対して
良い感情を抱いていない。
自国の植民地への搾取を棚に上げ、
繰り返し本邦への賠償を
求め続けているためだ。
賠償のおかわりなど言語道断である。
インドネシアはネーデルラントから
賠償を受けるどころか、
残されたインフラ施設の
補償費用を払わされている。
そのインドネシアを失う原因となった
本邦に対するネーデルラント人の
憎しみは根強く、連合国の中で最も強く
懲罰を主張した国である。
昭和帝が訪問した折には
卵を投げつけられている。
他国の元首にして良い仕打ちではない。
とりあえず、ネーデルラントへの
憤懣は置いておこう。
知っての通りネーデルラントは
江戸期に本邦と通商していた
数少ない外国のひとつである。
これにはネーデルラントが商売を重視する
カルヴァン派プロテスタントが
主流の国であったという背景がある。
とにかく金を稼ぐことが
ネーデルラント人の道徳だ。
現地の宗教に干渉しない。
この辺りの寛容さは他のヨーロッパ諸国にも
見習ってほしい点ではある。
そんなネーデルラントの首都アムステルダムは
周辺地域のマイノリティを
受け入れ続けて発展した街である。
自由と寛容。
裏を返せば自己責任と無関心でもあるのだが、
このふたつが世界有数の大都市を
作り上げた基礎である。
アムステルダムに限らず、ネーデルラントの
多くの地域は干拓によって
海から作られた土地である。
この辺りの経緯は有名な話なので
敢えて割愛しよう。
アムステルダムはネーデルラント最大の
都市であり、経済の中心であり、
首都ではあるが、省庁や王宮、
大使館などはほぼハーグに存在する。
大聖堂も存在しない。
宗教的な中心地はユトレヒトだ。
アムステルダムは商業と人文の街である。
異端の恐れのある研究も、
この街でなら自由に行うことができた。
大麻と売春が合法であることも
自由の街の印象を強めている。
飾り窓と呼ばれる公娼街は非常に有名だ。
誤解を避けるために表明しておくが、
娼婦とは傭兵と並ぶ最古の職業であり、
歴史上極めて重要な存在である。
職業に貴賤は無い。
公に管理することによって
犯罪抑止や防疫にもなっている。
私娼を野放しにするよりずっと良い。
話題を変えよう。
アムステルダムで食べられる料理は
チーズとバターが豊富に使われている。
また、港湾都市らしく海の幸が豊富で、
特にニシンはネーデルラントが
海洋国家となった源泉である。
どういうことかというと、
かつてこの地域はニシン貿易に
非常に力を入れていた。
造船所では大量の漁船が作られ、
北海から遠くバルト海まで
ニシンを追って船が行き交った。
ニシンが不漁になると大量の船は
そのまま貿易船へと姿を変えた。
これが、海運立国の基礎である。
ネーデルラントについてはベネルクス、
イスパニアからの独立など、
書きたいことがまだまだある。
しかし、アムステルダムに関しては
この辺りで筆を置こうと思う。
ネーデルラントの首都である。
本邦ではアムステルダム表記が通例だ。
いきなりだが、私はネーデルラントに対して
良い感情を抱いていない。
自国の植民地への搾取を棚に上げ、
繰り返し本邦への賠償を
求め続けているためだ。
賠償のおかわりなど言語道断である。
インドネシアはネーデルラントから
賠償を受けるどころか、
残されたインフラ施設の
補償費用を払わされている。
そのインドネシアを失う原因となった
本邦に対するネーデルラント人の
憎しみは根強く、連合国の中で最も強く
懲罰を主張した国である。
昭和帝が訪問した折には
卵を投げつけられている。
他国の元首にして良い仕打ちではない。
とりあえず、ネーデルラントへの
憤懣は置いておこう。
知っての通りネーデルラントは
江戸期に本邦と通商していた
数少ない外国のひとつである。
これにはネーデルラントが商売を重視する
カルヴァン派プロテスタントが
主流の国であったという背景がある。
とにかく金を稼ぐことが
ネーデルラント人の道徳だ。
現地の宗教に干渉しない。
この辺りの寛容さは他のヨーロッパ諸国にも
見習ってほしい点ではある。
そんなネーデルラントの首都アムステルダムは
周辺地域のマイノリティを
受け入れ続けて発展した街である。
自由と寛容。
裏を返せば自己責任と無関心でもあるのだが、
このふたつが世界有数の大都市を
作り上げた基礎である。
アムステルダムに限らず、ネーデルラントの
多くの地域は干拓によって
海から作られた土地である。
この辺りの経緯は有名な話なので
敢えて割愛しよう。
アムステルダムはネーデルラント最大の
都市であり、経済の中心であり、
首都ではあるが、省庁や王宮、
大使館などはほぼハーグに存在する。
大聖堂も存在しない。
宗教的な中心地はユトレヒトだ。
アムステルダムは商業と人文の街である。
異端の恐れのある研究も、
この街でなら自由に行うことができた。
大麻と売春が合法であることも
自由の街の印象を強めている。
飾り窓と呼ばれる公娼街は非常に有名だ。
誤解を避けるために表明しておくが、
娼婦とは傭兵と並ぶ最古の職業であり、
歴史上極めて重要な存在である。
職業に貴賤は無い。
公に管理することによって
犯罪抑止や防疫にもなっている。
私娼を野放しにするよりずっと良い。
話題を変えよう。
アムステルダムで食べられる料理は
チーズとバターが豊富に使われている。
また、港湾都市らしく海の幸が豊富で、
特にニシンはネーデルラントが
海洋国家となった源泉である。
どういうことかというと、
かつてこの地域はニシン貿易に
非常に力を入れていた。
造船所では大量の漁船が作られ、
北海から遠くバルト海まで
ニシンを追って船が行き交った。
ニシンが不漁になると大量の船は
そのまま貿易船へと姿を変えた。
これが、海運立国の基礎である。
ネーデルラントについてはベネルクス、
イスパニアからの独立など、
書きたいことがまだまだある。
しかし、アムステルダムに関しては
この辺りで筆を置こうと思う。
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