序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2020年1月11日土曜日

ホタテガイ

非常に発達した貝柱を持つ
大きな二枚貝である。

カムチャッカ半島から
本邦の東北地方にかけて生息する。

扇貝や海扇とも呼ばれ、板屋貝の名もあるが、
イタヤガイはよく似た別の貝である。

ヨーロッパやアメリカのものは
このイタヤガイであり、
スキャロップと呼ばれている。

帆立の名は、扇のような貝殻を
船の帆のように立てて海上を
移動するという伝説が元になっている。

もちろん、そんなことはできないが、
貝には珍しく、素早く泳ぐことができる。

発達した貝柱は貝殻を開け閉めする筋肉だ。
この力により水を噴出し、泳ぐ。

この特別な能力によって、ヒトデなどの
捕食者から逃げることができるのだ。

また、非常に沢山の目を持つ貝でもある。
目と言っても明るさを感知する器官だが、
敵の接近を察知するのに役立つ。

さて、ホタテの美味さは
わざわざ説明せずとも良いだろう。

昨今は寿司の国際化によって
輸出の需要がある。

加えて、大陸では調味素材として重宝され、
ヨーロッパでもイタヤガイの
上位互換品として求められる。

その結果、本邦から輸出される水産物の
実に半数以上をホタテが占めている

もちろん国内消費量もとても多い。
養殖が盛んに行われている理由だ。

養殖と言っても、保護しているだけなので
天然物と味に違いはない。

大量に消費されるホタテだが、
困ったことに大きな貝殻が
ゴミとなってしまう。

利用できないかと
様々な工夫が凝らされているが、
コスト面の問題が付きまとう。

水を通すタイルなど、
面白いものもあるのだが、
高価になってしまうのだ。

ホタテのことを考えていたら
ホタテが食べたくなってきた。

2020年1月10日金曜日

ティラナ

バルカン半島、ギリシアの北西にアルバニアという、
本邦での知名度の低い国がある。
ティラナはその首都だ。

ティラナについて書こうと思ったのだが、
アルバニアの予備知識が無い前提では、
旧共産圏のよくある都市程度の紹介になってしまう。

記事の長さの都合上、大変難しい試みではあるが、
アルバニアの概要を説明することになりそうだ。

ここは思い切って古代を飛ばそう。
アドリア海沿岸のオトラント海峡付近なので、
交易上重要な場所だが、割愛する。

中世も大きく省いてしまおう。
ティラナはオスマントルコの
版図となってから発展した街だ。

イスラム教徒が住民の多数を占め、
アルバニアは現在、ヨーロッパで唯一の
イスラム協力機構の加盟国である。

そう、バルカン半島という疑う余地もなく
ヨーロッパであるこの地に、
イスラム系国家が残っているのだ。
この点だけでも面白いのではないだろうか。

ただし、かなり緩いイスラム教国である。
偶像崇拝めいたものや、飲酒や豚肉食が
認められており、とても世俗的である。

だが、時系列が前後して申し訳ないが、
社会主義国家時代に、無神国家宣言という
かなり尖った宣言を世界に発信した。

共産主義においては、宗教は否定される。
だが、人々の伝統である宗教を消し去るのは
並大抵のことでは不可能だ。

ソヴィエトですら、
正教会や仏教を弾圧しきれなかった。

もちろん、無神国家と宣言したからといって、
アルバニアから宗教が無くなったわけではない。

ただ、ソヴィエトですらできなかった宣言を
アルバニアという国はやってのけた。

むしろ、キリスト教ではなくイスラム教が
優勢だったからこそ、強行したのかもしれない。

さらっと書いたが、無神国家とは、
いわば無神論を国教としたような国のことだ。

そもそも、本邦では誤解されがちだが、無神論とは、
私は宗教を信じていませんというような
生ぬるいことではない。

神などいない、私の信じる神がいないだけではない、
お前の信じる神も存在しないのだ、という立場である。
これがどれだけ攻撃的なことか分かるだろうか。

海外旅行中に何の宗教を信じているか尋ねられても、
嘘でもいいから無神論者ですとは言わない方がいい。

相手もそれに近い立場でない限り、
分かり合えない相手だとみなされ、
扱いが悪くなる可能性がある。

しまった、ただでさえ長くなるというのに、
無神論の説明で紙面を食ってしまった。

オスマントルコに時代を戻そう。
古代イリュリア人の子孫を名乗る
アルバニアの人々だったが、自分たちは
オスマン帝国の一員であるという意識が強かった。

それを変えたのは近代の民族主義である。
アルバニア人は自分たちの国家を
持ちたいと考えるようになった。

現在のアルバニア共和国とコソボ共和国、
モンテネグロ、セルビア、マケドニア、ギリシアの一部。
これらの地域をアルバニアとして独立しようと頑張った。

第一次バルカン戦争の結果、帝国からの独立を宣言したが、
ヨーロッパの列強は、上記の大アルバニアを認めなかった。

現在のアルバニア共和国領は
予定していた国土の半分に過ぎない。

しかも、ドイツの貴族を公爵として
迎え入れての独立である。

ちなみに、この公爵、第一次世界大戦時の内戦を受けて
ドイツに亡命し、そのまま帰ってこなかった。
君主がいなくなってしまったのだ。

その後、大統領を立てて共和国になるが、
この大統領、王位に就いてしまった。

そして、この王も逃げた。
イタリアに簡単に攻め取られたためである。

第二次世界大戦では両陣営の入り乱れる混沌を見せ、
結局はパルチザン、つまり共産主義勢力によって
全土の「解放」が行われた。

社会主義国家となったアルバニアだが、
前述のように非常に先鋭的な国家であった。

スターリンのソヴィエトを修正主義と批判し、
仮想敵国とするほどである。
ワルシャワ条約機構も脱退した。

周囲を敵に回したアルバニアは、
特産品の石灰石を活用して国中にトーチカを設置、
首都ティラナ近郊には巨大な核シェルターを建設した。

これだけ尖ったことをしていながら、
食料自給の達成と識字率の超大幅向上もやり遂げた。
識字率の改善度合いは凄まじいものがある。

そして、しまいには鎖国に近い状態になる。
自称「唯一のマルクス・レーニン主義国家」だ。

専門用語が頻出しているが
今回は敢えて解説しない方向でいこう。

なお、中華人民共和国とは良好な関係を築いていたが、
文化大革命が終息すると、これを日和ったと判断し、
中国共産党にも敵対的な態度をとる。

結果的に、ヨーロッパ最貧国になるのだが、
二十世紀もそろそろ終わろうかという頃になって、
ようやく社会主義国家をやめた。

その後も政府が転覆したり、
大統領の立候補者がいなかったりと面白い、
失礼、特異な事例に事欠かない。

一番の特筆事項はネズミ講の蔓延だろう。
社会主義国家をやめてすぐの頃のアルバニアの人々は、
ネズミ講をいわゆる投資活動だと信じてしまった。

そして、斜め上の展開をする。
アルバニアのネズミ講は破綻しなかった。

講の上位の儲けた層が、集めた資金で武器を仕入れ、
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に裏から介入、
武器を売却して得た利益を配当としていたのだ。
もちろん、紛争が終結したところで破綻したが。

裏の武器売買はアルバニアマフィアを伸張させ、
今度は麻薬取引が活発になる。

しかも、社会主義時代に築き上げた集団農業を
放棄したために、せっかく引き上げた
食料自給率は急落した。

とはいえ、アドリア海沿岸である。
鉱物資源も眠っている。
伸びしろは大きい。

政治的混乱、混乱という言葉が可愛く感じるほどの
大混乱を経て現在に至るわけだが、
もし、これが落ち着けば、良好な国勢となるだろう。

まあ、近隣の国家を見る限り、
落ち着くところがあまり想像できないのだが。

随分と長くなってしまった。

そうそう、首都ティラナに観光に行くのは
あまりお勧めしない。

理由は色々あるが、旧共産圏を楽しむなら
もっと良い場所は沢山あるし、
アドリア海を楽しむのなら言わずもがなである。

ただ、料理は良い。実に良い。
古代ギリシア、ローマ帝国、ビザンツ帝国、
オスマン帝国の遺産である。

2020年1月9日木曜日

サルヨキ

非常に硬いキノコである。
俗に言う猿の腰掛けタイプであり、
サルヨキのサルは猿のことだ。

ではヨキとは何かというと斧である。
今ではあまり聞かれないが、
伐採用の斧を よき という。

伐採用の斧には片面に三本の筋が入れられ、
逆の面には四本の筋が入れられている。

三本の筋は、幹や神酒を意味する三であり、
四本の筋は、四気や善きを意味する四である。

四気とは樹木を生育させる日光と空気、
土と水のことを指す。
斧をヨキと呼ぶのは、この四気に由来する。

また、三を四ける。身を避けると掛けてあり、
切り倒した木の下敷きにならぬようにという
願掛けが込められている。

さて、話をサルヨキに戻そう。
このキノコは半月状ではなく、
少しせり出し、斧頭のようになっている。

極めて硬いため、確かに研げば
斧として使えそうにも見えるが、
さすがにそれは難しい。

そして、残念ながらこのキノコには
三本の筋も四本の筋も無い。

お猿の斧には霊験あらたかな
加護はないようだ。

とはいえ、猿とは身軽なものである。
地方によってはこれを携帯し、
身を避けるお守りとしていた。

猿避きと考えて、猿による農作物の
食害を防ごうというまじないもある。

なお、硬くて食べられないのは
言うまでもないが、出汁も良くない。
木の味しかしない。

霊芝同様に、薬効も期待できないため、
結局のところ、まじないものでしかない。
人の役にも猿の役にも立たないようだ。

もっとも、当のサルヨキにとっては
人間が勝手に付けた名前など
どうでもいいだろうが。

2020年1月8日水曜日

ピレネー山脈

フランスとスペインの境界線となっている山脈である。

イベリア半島の付け根を東西に走るこの山脈は、
古来、半島をヨーロッパと分断し、
別の文化圏を形成する一因となってきた。

ナポレオンも、ピレネーの向こう側は
アフリカだと言っており、
イベリア半島を非ヨーロッパと考える者もある。

他にも要因は多々あるが、世界大戦において
スペインが存在感を見せないのは、
この山脈によって分断されていたからでもある。

いや、書いていて思ったが、スペインの存在感が
無いのは大航海時代後半以降ずっとなので、
ピレネーの影響は小さいかもしれない。

ピレネー地域が歴史の舞台で最も注目されたのは
ウマイヤ朝イスラム帝国の時代である。

北アフリカを西進し、イベリア半島までも
支配下に置いた帝国は、当然のように
ピレネー山脈を越えてフランスへ侵攻した。

それを食い止めたのはカール大帝こと
シャルルマーニュである。

シャルルマーニュの伝説は数多いが、
やはり彼の配下である聖騎士、パラディンたちの
物語が有名であろう。

筆頭の勇士であるオルランド、あるいはローランは
騎士物語の花形で、本邦での知名度はあまりないが、
ヨーロッパでは非常に高い人気を誇る。

余談だが、某ゲームのオルランドが持つ聖剣は、
エクスカリバーではなく、
デュランダルであるべきではなかっただろうか。

史実のローランはイスラム帝国との戦いではなく、
その帰還中にバスク人との戦いで没しているようだが、
物語では異教徒相手に獅子奮迅の活躍を、
していたりしていなかったりする。

というのも、お話によっては色恋沙汰にかまけて
あまり前線に出ていなかったりもするのだ。

いずれにせよ、ピレネーで戦死するローランだが、
聖剣デュランダルが敵の手に渡らぬよう
破壊しようと岩に叩きつけたが刃こぼれひとつせず、
岩の方が両断されるというのが、伝説の中で
最も有名な場面ではないだろうか。

どうもヨーロッパ人は
武器に超常的な力を持たせるのが
好きなように感じられる。

アジアでは英雄は得物を選ばない傾向にあるが、
この辺りの文化の違いを考えてみるのも
面白いし有意義だろう。

今はその場ではないが。
そうだ、今はピレネー山脈の話であった。

まあ、これはこれでいいとしよう。
ピレネーはフランスとイベリアの境界。
あと、アンドラ公国がある。
以上である。

2020年1月7日火曜日

水を知らない者がいるだろうか。
ヘレン・ケラーが最初に理解した言葉も水だった。

物質としては最も軽い原子である水素と、
エネルギーという観点において最も重要な原子である
酸素の結合した安定した分子である。

人体の約六割は水である。
地表の約七割は海である。
地表の物質の約六割は水である。
宇宙の約七割は水素である。

古代ギリシアの哲学者タレースは、
万物の根源は水であると考えた。

およそ原始から続く信仰において、
水を重要な存在としていない地域を私は知らない。

狩猟民は飲料水の確保を第一に考えて住居を構える。
遊牧民は家畜に飲ませる水を求めて移動する。

海洋民は言わずもがな海水の上を移動し、
船上で真水が尽きることは死を意味する。

農耕民にとっての水は最大の関心事だ。
雨が降らなければ耕作はできないし、
定住すれば洪水との戦いが発生する。

治水は権力者の義務であり、
水をコントロールできない為政者はその地位を失う。

水を得る方法としては、川から引くか、
地下水を組み上げるか、雨水を溜めるか、
といったものが主流である。

大河の流域で文明が栄えるのは当然の帰結であり、
砂漠や荒野では水は何よりも大切なものだ。

カラハリ砂漠に住むツワナ人は雨を意味するプラを
通貨の単位にしている。

水の豊富な地域ですら、水路の利用権などを
巡って争いを繰り返してきた。

命と関連すると考えられる水だが、
死とも容易に結びつく。

水死の割合は事故死の中で最も多い。
現代の本邦においてすら、交通事故死よりも
溺死の方が件数が多いほどだ。

人は膝下程度の水量でも溺死する。

冥界に繋がるのは海や川であるのが定番であり、
いちいち列挙しきれないほどである。
おそらく、知る限りの文化圏の冥府を語るはめになる。

清浄な水と不浄な水というものもある。
別段、呪術的な話などせずとも、
単に病原菌の有無だけでも納得いくだろう。

飲用に適さない水を飲むために、
濾過や蒸留、酒やなどが発展した。

その点、本邦は水資源に恵まれた国である。
湯水のごとく使う、などという慣用句、
乾燥地帯の人々には理解しがたいだろう。

水を資源として考えた場合、
人間ひとりが一生の間に消費する水、
ある産業が一年間に必要とする水など、
水を単位として物事を考えることもできる。

地表の水のほとんどは海水であり、
淡水はごくわずかである。
しかも、そのうち七割は氷として存在する。
残りの三割も多くは地下水だ。

その地下水も、汲み上げ過ぎれば枯渇し、
地盤沈下などの災害をもたらすし、
山林が減り、禿山ばかりになれば
そもそも地下に水が溜まらなくなる。

水は循環こそするものの、
限りある資源なのだ。

なるべく駆け足で水について語ってみたが、
これほど根源的なものについて、
語り切れるわけもない。

ここらで筆を置くことにしよう。

2020年1月6日月曜日

トウゾクサギ

盗賊鷺と書く。
鷺という鳥の仲間である。

大きさは丹頂鶴と同程度と大きく、
羽の色は一面青みがかった灰色、
羽以外は白と、青鷺に似ている。

トウゾクサギが他のサギと異なるのは、
体の大きさを活かして他の動物から
餌を横取りする点にある。

これが名前の盗賊の由来であることは
言うまでもない。

だが、近年の研究では餌の横取りは
頻繁に見られることではないという。

考えてみれば他の動物も餌の横取りなど
珍しいことではなく、
弱肉強食の自然界の掟のようなものだ。

では、なぜこの鳥がわざわざ盗賊と
名付けられたかというと、
どうも文化的な背景がありそうだ。

犯罪者が悪事から手を引くことを
足を洗うと言う。

これは元々、仏僧が裸足で出歩き、
寺に帰った時に、俗界の煩悩と共に
足の泥を洗い流すことに由来する。

煩悩を悪事に見立てて足を洗い、
悪党の世界、俗界との縁を絶つということだ。

さて、本題のトウゾクサギだが、
サギの仲間は通常、水辺で暮らし、
水の中に立って魚などを捕る。

だが、トウゾクサギは滅多に水に入らず、
陸棲の昆虫などを食べている。

それが時折、青鷺などから魚を奪うわけだ。
つまり、足を洗うことなく、
強盗を働くと見ることができる。

つまり言葉遊びではないかと思う次第である。
どうだろうか。

詐欺とも掛けられていそうではあるが、
残念ながらそうした説は聞かれない。

盗賊、詐欺ときたら何か関連付けられた
伝承でもありそうなものではあるが。

なお、同じように盗賊の名を冠した鳥に、
トウゾクカモメというものがいる。

こちらは空中で獲物を拐うように
狩ることからこの名が付いている。

強盗、というよりも誘拐である。

2020年1月5日日曜日

ギヨタン

フルール・ド・ギヨタン。
フランス語でギロチンの花という意味だ。
血のように赤いマーガレットの品種である。

まずはギロチンについて解説したいと思う。
本邦の歴史には無いものだからだ。

ヨーロッパにおいて斬首刑は
火刑や絞首刑より軽い刑罰であった。
苦しむ時間が短いからである。

異端は火炙り、海賊は縛り首といった
極刑のイメージがあると思う。
じわじわと苦しみながら死ぬのだ。

とはいえ、斬首には技術が必要だ。
一撃で首を落とせなければそれはもう苦しい。

それゆえに、死刑執行人は世襲の技術職で、
いくつかの特権も持っていた。

腕の良い執行人は罪人を
苦しませずにあの世に送る。
フランス王家に仕えたサンソン家が有名だ。

フランス革命が起こると、
多くの者が処刑された。
執行人大忙しである。

ジョゼフ・ギヨタンという医者がいたのだが、
彼は人道的観点から、罪人の苦痛を
少なくしてやりたいと考えた。

そこで持ち出したのが古い時代に発明された
断頭台、いわゆるギロチンである。
ギロチンの名はギヨタン医師の名だ。

なお、彼自身ギロチンで処刑されたというのは
誤って流布された俗説であり、
実際には病没している。

さて、処刑は娯楽である。

何を言っていると思われるかもしれないが、
昔は憎むべき罪人が惨たらしく殺される様は、
人々の数少ない娯楽だった。

革命時の死刑の乱発は
熱狂した民衆の望んだものである。

苦しみの少ないギロチンは目新しさと、
首がごろんと落ちる様子から人気を博した。
だが、執行時間がとにかく短い。

八つ裂きや車裂きに慣れた民衆には
少々物足りなかったのだ。

そこで、様々な演出が工夫されるようになる。
話がやっと戻ってきたが、
血に見立てた赤い花を沢山用意するのも
そうした演出のひとつだ。

断頭台の周囲に植えられた血の色の花。
革命の熱狂を今に伝える赤である。

ちなみに、この花がギヨタンと
呼ばれるようになる前の名前は血の花である。

大して変わりない気もするが、
月経痛を和らげるという民間療法薬であった。
残念ながら効果はない。

革命の熱狂が去ってもこの花の名は
変わることはなかったが、
ギヨタン医師の子孫は改名している。

2020年1月4日土曜日

酒虫

サカムシと読む。

シュチュウと読む場合、清代の短編小説集
『聊斎志異』に登場する酒の精のことを指す。
芥川龍之介もその話の翻案を書いている。

サカムシの話に戻ろう。
この虫は、姿はホタルに似ているが
完全に別物の昆虫である。

酒、つまりアルコールはほとんどの生き物にとって
毒であり、忌避すべき物質である。

しかし、この酒虫はアルコールを独自の酵素で分解し、
炭水化物として栄養にすることができる。

もちろん、アルコールが主食なわけではない。
酵母菌やコウジカビなどを好んで食べる。

必然的にアルコールを摂取してしまう機会が増えるため、
これを分解できるよう進化したのだろう。

当然、酒造りの過程で悪さをする害虫である。
だが、酒虫が出るのは美味い酒を
造る蔵だけだという迷信もある。

杜氏や麹屋は、酒虫が出てしまったと、
内心自慢げに愚痴を言うものだ。

中には自尊心を保つために、
出たことにして話を盛る者もいたことだろう。

さて、そんな酒虫だが、死骸を乾燥させたものが、
二日酔いの特効薬になると信じられていた。

アルコールを分解する酵素を持つのだから
一見もっともらしいが、そんな効果は無い。

なぜなら、二日酔いは、アルコールを人間の酵素で
アセトアルデヒドに一旦分解することで起こるからだ。

酒虫の酵素はアルコールを分解するが、
アセトアルデヒドには作用しない。

そもそも人間とは体のサイズが違いすぎる。
仮に効果があったとしても、
かなりの量を食べるはめになる。

小説の酒虫のように大酒飲みにはしてくれないのだ。

酒虫の持つ酵素を研究し、
アルコールに酔わなくなる薬を
開発しようとしている学者もいるらしいが、
酒好きからするとナンセンスな話である。

2020年1月3日金曜日

モンドリダケ

白い軸と黒いけば立ったような笠を持つ毒キノコである。

名前の由来は、その毒の強烈さにより、
もんどり打って倒れるから、というのは後付けで、
死に至るほどの猛毒は無い。

本来はモンドリダケではなく、
モトドリダケという名であった。

髻、もとどり とは、いわゆる ちょんまげである。
それも、鎌倉時代以前の烏帽子の下に隠された、
ただ、束ねただけのものである。

もんどりを打つとは、翻筋斗を打つと書くのだが、
これは宙返りをして、頭から地面に落ちることを言う。
思いっきり失敗している。

つまり、もとどりを打つから変化した言葉だ。
ひっくり返れば、髷を地面に打ってしまうわけだ。

ちなみに、翻筋斗は本来もどりと読み、
宙返りそのものを指す。

もとどり と もどり が混ざって、
もんどりを打つという言葉が生まれたということになる。

俗説かもしれないが、モンドリダケに関して言うなら、
その姿かたちは もとどり によく似ているため、
モトドリダケが、モンドリダケとなり、
もんどりを打って倒れるほどの毒がある
という話に繋がったのは間違いない。

モンドリダケの毒は少々腹を壊す程度で、
そんなアクロテバティックな動きを
強いるほどの激烈さは無い。

ただ、味はのけぞるほど美味いという説がある。

確かめる気にならないため真相は不明だが、
これも、もんどりを打つ理由として
後付けされたことではないかと疑っている。

いずれにせよ、山里付近の雑木林に生えるという生態上、
確実に数を減らしているため、
見る機会すらないかもしれない。

2020年1月2日木曜日

ノゾキグサ

覗き草と書く雑草である。

硬い茎は垂直に伸び、
柔らかな葉は規則正しく
螺旋階段のように脇から出る。

この草の特徴はなんと言っても
茎が中空になっていることだろう。

切断すると完全な筒状となるため、
子供たちがこれを目に当てて
覗き込んで遊ぶことからこの名が付いた。

花は葉の付け根に
小さな目立たない白いものが咲く。

若葉は山菜として食べる地方もあるが、
特に変わった味も香りもない。
茎は繊維が強すぎて食用に適さない。

根を煎じたものがものもらいに
効くという民間療法もあるが、
覗き草という名からくる迷信だ。

どこをとっても特に薬効はない。
もちろん毒性もない。

繊維に活用法が見出だせそうな気もするが、
寡聞にしてそういう話は知らない。

生える場所は雑木林の中で、
比較的日の光が当たりやすい場所である。
庭や空き地に繁茂して困るようなことはない。

虫媒花のため、花粉も飛ばない。
つまるところ、人の利にも害にもならない
本当に単なる雑草である。

こんな植物の知識を得ても、
活用のしどころも無いだろう。

2020年1月1日水曜日

令和二年賀正

あけましておめでとう。

去年の後半はあまり記事を書けなかった当ブログだが、
今年は復活できるよう努めていきたいと思う。

さて、令和二年である。
年号が変わってしまった。

昭和生まれの身としては、
平成という時代を駆け抜けた感がある。

平成時代に何があったかと振り返るには
三十年はあまりにも長い。

去年一年間に関して言うのであれば、
プライベートでは実に苦い年であった。

令和二年は去年の厄を払い、
良い年になることを切に願っている。

世の中を見てみると、
隣国との関係悪化が一番印象に残っている。

時事に乗ってフッ化水素の記事まで書いてしまった。
あまり反響は無かったが。

反響と言えば、当ブログのアクセス記事が
不思議なことになっている。

何かを検索すると比較的上位に出てくるのだろうか、
ライオンの記事が圧倒的に閲覧されている。

次いで、だいぶ離されてはいるが、
ミルメコディアカカポが多い。

このふたつはツイッターで発信した覚えがあるので、
なんとなく閲覧数が多いのも理解できる。

更新が滞っているにも関わらず、
安定して閲覧数があることには驚きと感謝がある。

期待して見てくれている人がいるというのは、
嬉しいことである。

新たな年、令和二年は、
再び頻繁な更新が行えるよう努力する。
これを今年の抱負としたい。