序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年2月28日木曜日

カルトゥーム

アフリカ北東部に位置するスーダンの首都である。

白ナイルと青ナイルの合流点に位置し、
いわゆる狭義のナイル川はここから始まる。

本邦ではハルツームと記載されることが多いが、
象の鼻を意味するアル・カルトゥームが
アラビア語での名前である。

ただし、それは後付けで、
川が出会う場所という意味の古語が
訛ったものだという説もある。

近代にムハンマドアリー朝エジプトの
前哨基地として築かれたこの街は急速に発展し、
奴隷貿易の拠点として栄えた。

イスラームでは古来、軍隊を街には駐留させず、
近くに新たな軍事都市を築くことが多かった。

軍人を相手に商売をしようと人々が集まるため、
そうした都市の発展はいつの時代も速い。
カルトゥームもそうした街のひとつだ。

現在ではアフリカやエジプトと聞いて
イメージするような街ではなく、
現代的な都会となっている。

スーダンは近年、ダルフール紛争や南スーダンの
独立といった争乱が続いている。

また、イラクのサッダーム・フセインや、
アルカーイダのウサーマ・ビンラッディーンを
支援したとしてアメリカ合衆国から
テロ支援国家に指定、経済制裁を受けている。

当然、経済状態はよくないが、
ナイル川流域はアフリカのパン籠と呼ばれるほど
肥沃な穀倉地帯である。

南スーダンに所有する石油利権や、
膨大な水量を誇るナイル川に建設された
ダムの数々による水力発電も侮れない。

世界失敗国家ランキングの上位にあり、
一人当たり国内総生産も低いが、
国としては資金が潤沢にあるのではないだろうか。

情勢が安定しさえすれば、
エジプト文明の遺跡の数々を目当てに
観光客が集まるだろう。

2019年2月27日水曜日

ジュバ

近年分離独立したばかりの
南スーダンの首都である。

ナイル川上流のスーダンと呼ばれる地域は、
エジプトとイギリスに
分割統治されるようになった。

イスラム教徒の多い北部はエジプト領、
キリスト教徒の多い南部はイギリス領だ。

やがて、イギリスはスーダン南部を
イギリス領ウガンダと併合しようとしたが、
反乱が起こり、南北統一による独立となった。

だが、政治と経済は北部が掌握していたため、
南部の住民に不満が募っていく。

結果的に、二度の内戦を経て、
南部は南スーダンとして独立を果たした。

この内戦中に要塞として機能した
戦略的に重要な場所が首都ジュバである。

古い街ではなく、ヨーロッパ人の貿易商が
拠点とするために築いたものだ。

ところで、南スーダンには油田が多い。
産油国なのだ。
しかし、世界最貧国である。

理由としては、採掘から輸送にかかる
インフラ設備は北部のスーダンが所有権を
持っており、パイプラインの行きつく先も
北部のポートスーダンであるためだ。

南スーダンがどれだけ石油を産出しようと、
利益はほぼ北部のスーダンに入ってしまう。

新たなインフラを構築する資金は
南スーダンには無いし、外貨を獲得しようにも、
北部のスーダンがいくらでも邪魔をできる。

北部のスーダンが管理している
パイプラインに事故が起これば
南スーダンは原油を売れないのだ。

実際、北部のスーダンは
南スーダンに幾度も圧力をかけた。

その結果、南スーダンは石油の採掘そのものを
やめ、供給を断つ作戦に出た。
もちろん、南スーダンが受ける
ダメージの方が大きい。

だが、鉱業や農業のポテンシャルもあるので、
内戦の傷痕が癒え、新たなインフラが
完成しさえすれば、南スーダンは見違えるだろう。

しかし、まあ、とりあえず、今現在は
旅行に行くべき場所ではないだろう。
紛争もいつ再発するか分からない。

2019年2月26日火曜日

アディスアベバ

エチオピアの首都である。

現在のエチオピア連邦の前身である
エチオピア帝国は世界でも有数の
長い歴史を持つ国だった。

初代皇帝はソロモン王とシバの女王の
血を引くアクスム王家の血筋であるとされ、
ソロモン朝エチオピア帝国を築いた。

なお、建国はモンゴル帝国が国号を
元と定めた一年前の出来事である。

そして、クーデターによって最後の皇帝が
廃位されたのは長嶋茂雄が引退した年だ。

もっとも、ずっとソロモン朝であった
わけではないし、帝位が空席の時代もあった。

本邦でも南北朝時代はあったし、
実権が将軍にある期間が長いので
長寿の王朝とはそういうものなのだろう。

さて、イスラム諸国に囲まれながら
正教会の国家であり続け、
ヨーロッパ列強の支配にも抵抗した
エチオピアには独自の暦がある。

救世主の生誕年の解釈の違いから、
グレゴリオ暦との間に数年のずれがあり、
かつ、元日が我々の言うところの九月にある。

このように他のアフリカ諸国とは異なる
大変ユニークな歴史と文化を持つのが
エチオピアという国だ。

その首都アディスアベバは
国土のほぼ中央に存在する。

近代に遷都されたのだが、気候と温泉、
防衛のしやすさが決め手であったらしい。

その名は新しい花を意味する。
アディスアベバ以前は
北部にあるゴンダルが首都であった。

エチオピアの大部分はエチオピア高原という
高地なのだが、降雨による浸食が激しく、
断崖絶壁や深い渓谷が多い。

このため交通網を敷くのが難しく、
首都アディスアベバも接続が悪い。

防衛のしやすさとはこのことであり、
ヨーロッパ人が植民地化に手こずったのは
この地形によるところも大きいだろう。

第一次エチオピア戦争では
イタリアを相手にこれを退けている。

もっとも、再度やってきたイタリアに敗れ、
五年間ほど植民地とされている。

何故イタリアが五年で手放したかというと、
第二次世界大戦が勃発し、
周囲のイギリス領から攻撃を受け
撤退したためだ。

そして、亡命していた皇帝が
アディスアベバに帰還し、
この街の再建を始める。

ちなみに現在のアディスアベバは
中華人民共和国の介入によって
インフラ整備が進んでいる。

このことから、アディスアベバという街は、
メイドインチャイナと
揶揄されることもあるようだ。

もちろん古い建物も残されている。
正教会の聖三位一体大聖堂はこの街一番の
観光名所だろう。

エチオピア正教会独自の雰囲気が
ギリシア系の正教会とは違った味を出している。

イタリアとの戦勝記念に建造された
聖ギオギルス大聖堂も見所だ。
正八角形の大聖堂というのが面白い。

なお、観光に際しては治安はかなり良い方である。
スリや物乞い、詐欺師はいるが、
パリローマにもいるのだからいて当然だ。

ただ、ひとつ気を付けた方がいいことがある。
現地の人々はチャイニーズにネガティブな
感情を抱いており、東アジア人の見分けはつかない。

もっとも、ジャパニーズだとわかれば
お人好しの金持ちだと思い詐欺師が寄って来るので
チャイニーズへの野次はスルー推奨である。

2019年2月25日月曜日

クズリ

カナダからアラスカ、
シベリアからスカンジナビア半島にかけて、
北部地域一帯に生息する動物である。

イタチの仲間だが、その大きさは
人の子供ほどもあり、ずんぐりとしている。

そして非常に獰猛である。

英語ではウルヴァリンと呼ばれ、
アメリカンコミックのキャラクターは
実はこの動物がモデルだ。

タイガやツンドラで暮らすクズリは
木登りや泳ぎが達者で、
嗅覚が非常に発達している。

足は底が厚く広く、
雪上を走り回るのに適しており、
冬場の狩りで本領を発揮する。

基本的には小型の獲物を狙うが、
時にはヒツジやトナカイなどの
大型の動物を狩ることがある。

もちろん、体格差があるため、
真っ向勝負というわけにはいかない。

樹上からの奇襲、
背に乗って延髄に噛り付く。

顎の力は尋常ではなく強く、
骨も噛み砕くそうだ。

クリティカルヒットの即死攻撃である。

2019年2月24日日曜日

サフラン

最も高級と言われる香辛料である。

クロッカスの変種の雌しべを乾燥させたものが
いわゆる香辛料のサフランである。

その栽培の歴史は古く、
少なくとも青銅器時代には
薬品として重宝されていたことが
壁画などから分かっている。

サフランは種子を実らせることができない。
雌しべが大きく長くなるよう改良を
繰り返した結果誕生した品種だ。

球根で増やさなければならないこの花が、
古代クレタ文明では、
すでに栽培されていたというわけだ。

古代のクレタ人やペルシア人は
サフランを主に薬品として扱った。

やがてギリシア、ローマの時代になると、
香料としての利用が主になり、
やがて香辛料として料理に使われるようになる。

臭みを消すこと、美しい黄色に染めること、
このふたつがサフランに求められることだ。

ヨーロッパではローマ帝国の崩壊により
サフランの栽培は行われなくなり、
後にイベリア半島でサラセン人が
栽培していたものがフランスへ流入する。

インドではペルシアから伝えられ、
カシミールのサフランといえば
最高級品を指すまでになった。

サフランの価値が最も高まったのは
ヨーロッパでのペスト流行の時期である。

ペストは当時、悪い空気によって発病すると
考えられていたため、香料や香辛料が
予防や治療に用いられた。

ローズマリーやセージなどが使われたが、
古代から続く伝統もあり、
サフランが最高のものだと考えられたのだ。

そして、インドやペルシアから運ばれてくる
サフランを狙い、海賊が横行する。

金塊輸送船よりもサフランを積んだ商船の方が
はるかに狙われやすかったほどだ。

海賊だけではない。
偽装サフランも古代から横行してきた。

偽物の混入、油によるかさ増し、
高級品と低級品の混合、産地の偽装。
こうした問題は現代でも続いている。

ただ、高品位のものを求めないのであれば、
昔と比べると容易に入手できるようになった。
サフランライスやパエリアを気軽に食べられる。

それでも、香辛料売り場に行けば
他の香辛料とサフランの価格の差は一目瞭然だろう。
同じぐらいの値段で売っていても、
明らかに量が少ないのだから。

とはいえ、歴史的にサフランとあまり縁の
無かった本邦ではサフランでなければならない、
というようなものは無い。

ターメリックライスで構わないし、
パエリアが黄色くなくたっていい。

サフランの香りと言われてもぴんとこないだろう。
ワサビが本物かどうかのほうが重要である。

サフランの文化が無いのだ。

2019年2月23日土曜日

ヒアリノバトラチウム

内臓が透けて見えるカエルである。

グラスフロッグと呼ばれる内臓の透けた
カエルはいくつかの種類がいるが、
このヒアリノバトラチウムは
真のグラスフロッグと呼ばれている。

体の色は明るい緑色で、
アマガエルなど本邦で一般的に
イメージされるものより蛍光色に近い。

特徴的なのはやはり腹部が
透明であることだが、
その理由は分かっていない。

白い眼球がかなりせり出している
ことも印象的だ。
まるで戯画化されたキャラクターである。

アメリカ大陸の熱帯雨林に生息する
このカエルは、普段は樹上で生活している。

また、鳴き声は口笛のような音色で、
カエルというより虫の声である。

このふたつの点から、発見が遅れ、
近年の新種発見と相成った。

ちなみに、オスは葉に産み付けられた卵を
じっと守り続ける。

卵から産まれたオタマジャクシは、
葉からこぼれ落ち、
川や池へ飛び込んでいく。
こうした性質もなかなか珍しい。

なお、他のグラスフロッグは
より色の濃いセントロレン、
白い体色のキメレラ、斑点のあるコクラネラ、
褐色のニンパルガスなどがいる。

本邦では透明なカエルとして
センセーショナルに語られるが、
その実態はあまり知られていない。

アマガエルモドキの仲間ではあるが、
和名すら無い状態だ。

ただし、カエルに特化した一部の動物園では
展示されているので興味があれば
探してみるといいだろう。

2019年2月22日金曜日

胡椒

ヨーロッパ人が恋焦がれた
香辛料の中の香辛料である。

インドで栽培されていたこの植物の果実は、
爽やかな辛みがあり、
防腐効果も持ち合わせる。

冷凍庫の無い時代、肉の保存には
この胡椒が欠かせなかった。

だが、ヨーロッパでは栽培できず、
アジアから交易によって
手に入れるしかなかった。

ギリシアで文化が花開いていた頃から、
ヨーロッパ人にとって胡椒は
東方よりもたらされる重要な品であった。

大プリニウスも胡椒について、
その価値の高さを書き記している。

ローマ帝国が衰退、崩壊し、イスラム帝国が
勃興してからはインドとヨーロッパを結ぶ
交易路は弱いものとなった。

胡椒はサラセン商人からヴェネチア商人へと
売り捌かれ、多くの商人の手を経る中で
値段は釣り上がっていく。

ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマは
喜望峰を回り、アフリカ東岸で現地の商人の
協力を得て、サラセン商人に先導されて
インドに到達した。

西アフリカの人々が喜んで物々交換に応じた
装飾品などを持ち込んだが、悠久の文明を誇る
インドではそれはガラクタに過ぎなかった。

それでもいくばくかの金になり、
ガマはそのなけなしの金で
買えるだけの胡椒を購入した。

大した量ではなかったが、
ポルトガルに持ち帰ったそれは
一財産と呼べるほどの高値となる。

一方、インドから東方へは栽培技術と共に伝播した。
胡人の椒。椒とは山椒などの香辛料のことだ。

本邦にも胡椒の名で伝えられ、
聖武帝の御代には既に存在した。
東大寺に薬品として胡椒が保管されている。

胡椒の実は丸いが、ロングペッパーと呼ばれる
細長いものがある。これは別の植物ヒハツの
果実であり、似ているがより辛みが強い。

ヒハツは本邦での発音で、
インドではピパーリという。
ペッパーの語源である。

ヨーロッパ人は長いこと胡椒とヒハツを
区別していなかった。
同じ植物に由来すると思っていたのだ。

ヒハツについては別の機会に書くとして、
胡椒についてもそろそろ長くなってきた。

胡椒の文化について真面目に書いたなら、
こんな記事ひとつで足りるわけがない。

残念だが、さわりだけの紹介に留め、
ここいらで筆を置くことにしよう。

余談5

ブログ開設からちょうど一年が経つ。

少しあやしい日もあったが、
毎日更新を続けられたことに
自分で驚いている。

そして、先ほど、
数年間続けてきた仕事に一区切りついた。

明日の朝、推敲しなおす予定だが、
これでひとつのプロジェクトの仕事が終わる。
感慨深い。

もうひとつ、大きな締切を先日迎えた。
雑誌『甕星』に寄稿する小説を入稿したのだ。
https://twitter.com/mikaboshi01

ツイッターでも書いたが、
普通の体裁の小説を書くのは
学生の時分以来である。

先達の小説のオマージュという形ではあるが、
久々に短編をひとつ書き上げたのだ。
精神的な疲労感はかなりのものだった。

だが、ゲームのライターとしての仕事が
畳み掛けるようにして襲い掛かる。

それが終わった。
ようやく心を軽くして眠れそうだ。

ところで、一周年記念日の記事は
一体何を書けば良いだろう。

2019年2月21日木曜日

ダナキル砂漠

ダナキル砂漠はエリトリアと
エチオピアにまたがる砂漠だ。

気温がおかしなほど高く、
人類の住めるぎりぎりだと言われている。

紛争地域でもあり、
そういう意味でも危険なのだが、
人が住んでいるのだから不思議である。

ダナキル砂漠にはふたつの名物がある。
塩と溶岩だ。

塩湖と塩砂漠、そして死海のように
体が浮いてしまうほどの塩分濃度の池。

この地に住む人々は塩を採掘して
生計を立てている。

ソルトマウンテンと呼ばれる
塩でできた奇岩群も存在する。

とにかく塩が多いのだが、
ダナキル砂漠のアファール盆地は
海面より低い場所にある。

かつて海だった場所が、
高温と乾燥によって塩砂漠となったのが
このダナキル砂漠なのだ。

そしてもうひとつの見所は火山だ。
平地のダロール火山と
標高の低いエルタ・アレ火山がある。

ダロール火山周辺には塩のマッシュルーム、
あるいは悪魔のテーブルと呼ばれる
奇岩がごろごろ転がっている。

そして中心部には硫黄と各種軽金属による
黄色と緑のカラフルな絶景が存在する。

地下の溶岩により熱せられた各種物質が
噴出している小さな穴が無数にあり、
異星のような光景を生み出しているのだ。

ただし、あまり広い範囲ではないので
辺り一面の絶景を想像して行くと
少しがっかりするかもしれない。

近くには猛毒の温泉も存在する。
飲むと死ぬが、傷口に塗ると薬になるという。

そしてエルタ・アレ火山だが、
こちらは溶岩が噴出している。

火口に容易に近付けるため、
間近で溶岩を観察することができるのだ。

なお、ダナキル砂漠の観光は制限されている。
紛争地帯であるためだ。

個人での旅行はできず、
エチオピア軍の兵士が付き添う
ツアーに申し込むしかない。

色々な意味で特別な体験になるだろう。

2019年2月20日水曜日

アスマラ

紅海出口付近西岸の国エリトリアの首都である。

エリトリアはエチオピアの沿海部が
独立戦争を経て建国に至った国だ。

シンガポールを手本に国作りをしているとされるが、
毛沢東思想にアレンジを加えた党是を持つ
民主正義人民戦線の一党独裁体制が続いているため、
アフリカのノースコリアと揶揄されている。

事実、国外へ脱出し難民となる国民が相次ぎ、
この国が歪んでいることを物語っている。

歴史的にはアクスム王国の栄えた
伝統ある地域である。

アクスムの王家は
ソロモン王とシバの女王の子孫だという。

シバの女王の伝説は様々であり、
その実態は分からないが、
そのうちのひとつをかいつまんで語ろう。

女王はエルサレムにソロモンを訪ねた際、
メネリクという息子をもうけることになる。

成長したメネリクが父ソロモンに会いに行くと、
父は彼がイスラエルの王位を継ぐことを望んだ。
しかし、彼はこれを断っている。

するとソロモンはシバの地に
第二のエルサレムを建設することを提案した。
こうしてメネリクは新イスラエルの王となる。

その際、神官の息子が十戒の納められた聖櫃を
盗み出し、新エルサレムへと運んだという。

以来、神の恩寵はソロモンからメネリクへと移り、
ソロモン王はその叡智を失いイスラエルは衰退、
メネリクの新イスラエルが隆盛を極めたという。

紅海の貿易路を抑えたアクスム王国は事実栄え、
アフリカで初めて独自の硬貨を発行した
国だとも言われている。

東西南北の文化の交差点であったアクスムには
様々な人種と宗教が混在していたが、
周辺諸国がイスラム帝国に組み込まれていくに従い、
交易の独自性を失い衰退していった。

なお、アクスム王国はイスラム帝国と友好関係に
ありながら改宗はしておらず、オスマン帝国に
飲み込まれるまで独自の文化を守り続けた。

紅海にスエズ運河が開通すると、
ヨーロッパ人の進出が盛んになる。

この地はイタリアの植民地とされ、
紅海のラテン語での古名にちなんで
エリトリアと名付けられた。

ムッソリーニはエリトリアに第二のローマ
建設しようと、前衛的な建築物を
多数建設していく。

その都市こそがアスマラである。

第二のローマを目指しながら未来志向であったのは
少々不思議だが、このモダニズム建築群は
近年、世界遺産に登録された。

アスマラを観光するのであれば、
イタリアの前衛建築家たちのデザインした
様々な建築物を見て回ることになるだろう。

もっとも、冒頭で書いたように
エリトリアはノースコリアと比較されるような
独裁国家であることを忘れてはいけない。

見所はたくさんあるが、旅行をするとなると、
今はまだ様子見をした方がいいだろう。

2019年2月19日火曜日

ンゴロンゴロ火口原

タンザニア北部に位置する大カルデラである。

火山活動によって生じた盆地のことを
カルデラと言うのだが、このンゴロンゴロは
その規模が非常に大きく世界最大級だという。

遥か昔は火口であったこの地は
雨季には緑あふれる平原が広がる。

火口の縁に当たる部分によって外界から
隔絶されているため、この地に生きる
動物たちはほとんど外に出ることはない。

しかし、ガラパゴス化しているわけではなく、
クロサイ、ゾウ、ライオンバッファローなど、
他の地でも見られる大型哺乳類が多い。

まさに野生動物の楽園である。

なお、遊牧で暮らすマサイ族の人々も
この地で動物たちと共存している。

彼らは昔ながらの生活を営むと共に、
密猟者に目を光らせ、ンゴロンゴロの
平和を守っているのだ。

ちなみに、ンゴロンゴロの西には
オルドヴァイと呼ばれる小さな渓谷がある。

この谷はヒトの発祥の地ではないかと
言われているが、真相究明は
まだまだ先になりそうだ。

現在繁栄を謳歌する我々ホモサピエンスだが、
この渓谷で見つかった化石はサピエンスではない。

猿人と原人の中間に位置する存在だと
考えられているが、我々サピエンスが
その子孫であるかどうかは分からない。

もし、彼らホモハビリスが我々の祖先であるならば、
このオルドヴァイ渓谷はすべての人類の故郷
ということになるだろう。

ただし、ホモハビリスが本当に
ホモ属であるかどうかすら
はっきりしていないのが現状だ。

些末なことだが、オルドヴァイとは本来
この渓谷の名前ではない。
この地に生える植物オルドパイの聞き間違えである。

2019年2月18日月曜日

キリマンジャロ

アフリカ東部に存在する山である。

アフリカ大陸最高峰であり、
山脈ではない山としては
世界最高峰である。

キリマとは山を意味し、ンジャロは白だ。
白い山、つまり山頂に雪を冠している。

ンガジェンガ、神の家という名もあり、
信仰の対象となってきたことがうかがえる。

噴火により生じた山、つまり火山であるが、
最後の噴火は我々人類が文明を持つ
はるか以前のことだ。

とはいえ、死火山ではないようで、
いずれまた噴火する可能性も秘めている。

なお、非常に高い山であるため、
山頂部には氷河が存在する。

ただし、現在の地球の平均気温の上昇の
影響を受けて氷河は縮小しているようだ。
近い将来なくなると言われている。

ヨーロッパ人でこの山を発見したのは
ドイツ人の三人の宣教師である。

山頂が銀で覆われた山の噂を聞き、
探検に向かったのだという。
もちろん、この銀とは雪のことであった。

最も高いキボ峰の登頂に
初めて成功したのは
ドイツ人の地質学者だ。

一度目は雪と氷に阻まれ失敗し、
二度目は戦乱に巻き込まれ失敗し、
三度目にようやく事を成し遂げる。

ちなみにキリマンジャロ山麓では
良いコーヒー豆が生産されてきた。

本邦ではキリマンジャロといえば
コーヒーというほどよく知られている。

甘い香りと強い酸味を持つ
キリマンジャロコーヒーの
生産量はさほど多くない。

主な輸出先はドイツと本邦だ。
ドイツは元々この地域を植民地にしており、
コーヒー栽培を始めたのも彼らである。

本邦で人気ブランドとなったのは
ヘミングウェイの小説を映画化したものが
上映されたことがきっかけであるという。

2019年2月17日日曜日

オデドア

ギニア湾の周辺に生育する灌木である。

細い幹に、細い枝、申し訳程度の葉。
一年に二回ほど咲かせる小さな白い花。
花と同程度の大きさの黒く乾いた果実。

いずれも特に目を引くものではなく、
そうと知らなければ気にも止めない
いわゆるモブのような植物である。

だが、このオデドアには
変わった特徴がある。

根が異様に太く、縦だけでなく横にも
伸びていく性質があるのだ。

太い根にはたっぷりと水分が蓄えられており、
根を掘り返して折れば滴り落ちる。

このことから、砂漠やサバンナにおいて、
飲み水を手に入れる手段となる。

それもただの水ではない。
かすかに甘く、喉ごしが良いうえに、
不足しがちなミネラルを栄養として
摂ることが可能だ。

栄養に関してはおまけ程度だが、
掘り返す労力さえかければ、
美味い水にありつけるのだ。

厳しい自然の中の小さなオアシス。
炎天下の救世主オデドア。

2019年2月16日土曜日

アンスリウム

まるでプラスチックの造花のような植物である。

鮮やかな赤が印象的な観葉植物で、
中央アメリカが原産地だ。

花と思われがちな赤く色づいた部分は葉であり、
こうした花のような葉を仏炎苞という。

仏像の背景の炎型の飾りに似ているという事で
こんな特徴的な名前になっている。

本邦ではミズバショウやザゼンソウが
仏炎苞を持つ花としてよく知られている。

さて、アンスリウムだが、品種改良の結果
様々な色のものが存在する。

基本的には赤だが、ピンクや白、
紫や緑のものもあるのだ。

緑は元々の葉の色のため、
本末転倒ではないかという気もする。

なお、花は中心に立つ柱状の部分で、
こうした形式を肉穂花序と呼ぶ。
特に知らなくても良い情報だ。

アンスリウムの仏炎苞は見ようによっては
ハート型といえるため、
恋と絡めてマーケティングされている。

ちなみに葉もハート型だ。
そもそも仏炎苞は葉なので
同じ形をしていても不思議ではない。

和名は大紅団扇、赤い大きなうちわだ。
ハートとは打って変わって
ロマンチックさに欠ける名前である。

ハートはヨーロッパにおける
心臓を表したシンボルだが、
その歴史は意外と古い。

医学が未発達だった頃、
心臓は感情を司る臓器だと考えられていた。
心は文字通り心臓にあったのだ。

感情が高ぶるとドキドキと心臓の鼓動が増すが、
こうした経験からも心の臓器という考えは
疑われることなく受け入れられていた。

そして、心臓を体から取り出すという
比喩的表現が多用されるようになり、
やがてそれは心を奪われる恋愛と結び付けられる。

もちろん、色恋だけではなく、
信仰の愛の表現にも使われている。

有名なフランシスコ・ザビエルの肖像では
彼は自身の心臓を手に持ち、
そこから救世主の磔にされた十字架が伸びている。

ハートの形をしたアンスリウム。
それを贈るというのは
愛の表明ということになるのだろう。

2019年2月15日金曜日

カリフラワー

蕾となる部分を食べる
ケールの変種の野菜である。

ブロッコリーと似ているが、
カリフロワーとブロッコリーは
それぞれ違う変化を遂げた植物だ。
ブロッコリーは蕾を食べる。

本邦では白いものばかり見るが、
世界的には様々な色のものがある。

白さを追求するために中心が
日光に晒されないようにする手間などが
無駄に掛けられているが、
コストが嵩むだけである。

農作物の見た目を重視するあまり、
本質を見失うのは本邦では
よくあることだ。

美しいものを作ろうと努力するのは
とても良いことだが、
本末転倒となる例は少なくない。

見た目のために味と栄養を
疎かにするのは間違っている。

栄養といえば、カリフラワーは
そこまで栄養価の高い野菜ではない。

しかし、含まれるビタミンは
加熱しても失われにくいという。

ある実験結果では生のブロッコリーと
カリフラワーではブロッコリーの方が
ビタミンが多いが、
加熱調理後はほぼ同じになったそうだ。

カリフラワーには花甘藍という別名がある。
甘藍とはキャベツのことだ。

また、木立花葉牡丹という呼び方もある。
葉を牡丹の花に見立てた葉牡丹の
花のあるバージョンの木本性のものということだ。

さて、食べ方の話をしよう。

まずは生で齧ってみるといい。
カリフラワーは茹でなくても食べられる。

加熱した場合より多少クセはあるが、
栄養をより多く摂ることができる。

もちろん、茹でたてのほくほくも捨てがたい。
焼いて焦げ目をつけても美味いだろう。

ピクルスも最高だ。
あの食感は他の野菜では得難い。
良く染みた酢と香辛料を楽しめる。

スープ類の具として煮るのも悪くない。
煮崩れし難いので食感がアクセントとなる。

串揚げにしたっていいし、
カレーの具にしてもいい。
和風の味付けだって問題ない。

美味いぞ、カリフラワーは。

2019年2月14日木曜日

オカピ

足だけにシマウマのような模様のある
茶色い哺乳類である。

頭は鹿のようで体つきは馬のような
生き物だがキリンの仲間だそうだ。

昔はその模様からシマウマの仲間だと
思われていたというが、
キリン同様に二本の角を持つ。

また、キリンと同じ特徴としては他に
青白く長い舌を持つ。

なんと面長の顔でありながら、
自身の耳まで舌が届く。
この舌で木の葉や草をむしって食べるのだ。

生息地はアフリカ中央部コンゴの密林で、
足の模様は草木に紛れ込む
カモフラージュだと思われる。

一説によると森林地帯から出て
草原で生きるようになったオカピの先祖が
キリンに進化したらしい。

英語ではフォレストジラフ、
つまり森キリンと呼ばれることがあるが、
絶滅していないキリンの仲間は
キリンとオカピしかいないためだろう。

世界三大珍獣の一角であり、
森の貴婦人の異名を持つが、
珍獣と呼ぶにはやや地味な気がする。

世界的に珍しい動物なので
珍獣といえば珍獣なのだが、
特徴的なのは足の模様ぐらいである。

それもシマウマと比べれば中途半端で、
クアッガの珍妙さには負ける。

そもそもキリンのような首が長いという
他に類を見ない個性的な特徴がない。

とはいえ、鹿のような頭に馬のような体、
短い二本の角と青白く長い舌を持ち、
足だけがシマウマである。

こう書けばなんだか合成獣の如き
怪しげな雰囲気も出るというものか。

かつて秦代に権勢を振るった宦官が、
自身の敵を判断するために
珍しい馬と称して鹿を献上した。

二世皇帝が鹿ではないのかと尋ねると、
宦官を恐れる者は馬だと言い、
気骨のある者は鹿だと言った。

鹿と言い放った者たちは
後に暗殺されたという。

オカピを見たら何と言うのだろうか。

ちなみに、上記の指鹿為馬という故事から
馬鹿という言葉が生まれたわけではない。

バカという本邦の言葉に
当て字されて馬鹿となったのだという。
鹿をカと読むのは訓読みである。

オカピと関係のない話をしていたら
長くなってしまった。
特にオチはない。

2019年2月13日水曜日

ジブチ

ジブチの首都である。

ジブチがどこか分からないかもしれない。
紅海の入り口に位置するアフリカの国だ。

念のため、紅海はアフリカとアラビア半島の
間にあると書いておこう。

狭い国土の多くは砂漠で、
農地には向かず、鉱物資源も乏しい。

酷暑に悩まされ、水は乏しく、
国民はふたつの民族が対立している。

そんな厳しい環境下にあるが、
周辺の他のアフリカの国より裕福である。

何故なら紅海の出口にあるからだ。
ジブチは貿易の中継港なのである。

この近辺は帝国主義時代、
列強が海上交易を有利にするため
しのぎを削った衢地である。

その結果、ジブチは緩衝地帯となり、
フランス領ではあるが
ゆるやかな支配下にあった。

民族対立が激しかったため独立は遅れ、
その後内戦もあったが、
ジブチ港は機能し続けた。

ジブチの国民とは無関係に、
国際社会の中で中継港の役割を
全うしなければならなかったためだ。

少し前はソマリア海賊の跳梁跋扈により、
海上の安全が脅かされた結果
少々衰退気味であった。

しかし、各国が海賊対策に乗り出し、
ジブチを拠点として活動しはじめたことで
息を吹き返す。

海上輸送だけではない。
アフリカ内陸、特にエチオピアとの
鉄道による輸送路はこのジブチが終点である。

とにかく、右から左へ貨物を流すこと、
それがジブチの役割であり、収入源だ。

各国の軍隊が駐留していることもあり、
治安は抜群。大自然の観光名所も数多い。
ここでは酷暑体験ですら観光の醍醐味である。

ただ交通の要衝にあるというだけで
他の国々とは違った運命を辿ったジブチ。

しかし、もしも流通が止まるような
事態が起きたなら、ジブチの人々は
自給自足もままならない。

外交が彼らの命を支えているのだ。

2019年2月12日火曜日

玉虫

美しい羽で知られる甲虫である。

その名の玉は球のことではなく、
美しい宝石を指すギョクである。

木の皮の間に卵が産み付けられ、
孵化した幼虫は木を食べて育つ。

果樹園や庭園の木に住み着けば、
それらをダメにしてしまうため、
害虫として駆除の対象ともなる。

しかし、構造色による羽の美しさは
珍重されており、宝物として
扱われてきた歴史を持つ。

構造色とは物質そのものの持つ色ではなく、
微細な構造が光に干渉することで
発色しているように見えるものである。

玉虫の羽は通常、緑色に見えるが、
見る角度によっては様々な色に見える。

死後も色彩が劣化するということはないため、
玉虫の羽を集め、服飾や工芸などにおいて
素材として用いられてきた。

なぜ玉虫はこのような目立つ色を
しているのだろうか。

鳥は色が変化するものを嫌うという。

金属光沢を持つ紙片を風になびかせることで
鳥害を防ぐ方法があるが、
あれと同じことだろう。

ただし、防鳥グッズは玉虫のように
自由には動かないため、鳥たちが
危険がないことを学習すれば効果はなくなる。

つまるところ、得体の知れない色によって
鳥に警戒心を抱かせ、
その隙に逃げ隠れするための構造色なのだ。

人間のようにその色に興味を持って
寄って来る生き物には逆効果であるが、
玉虫が絶滅していないということは
天敵を避けることに成功しているのだろう。

ちなみに玉虫色という言葉がある。
はっきりとしない特定できない色のことだ。

詩情を感じさせる美しい言葉だが、
良い意味では使われない。

どうとでもとれる曖昧な表現に
対して否定的に使われる言葉であるためだ。

何事も白黒つけなければならないわけではないが、
はっきりしないまま有耶無耶にするのが
常に良いというわけでもない。

婉曲表現は人と人の間の潤滑剤となるが、
すれ違いの原因ともなり得る。

玉虫色が良いものか悪いものかは
結局見た者が各々判断するしかないのだろう。

2019年2月11日月曜日

林檎

アップルとは本来、果実を意味する言葉である。
かつてはリンゴだけを指す言葉ではなかった。

たとえばパイナップルはパインアップル、
松の果実という意味で、リンゴとは関係ない。

また、旧約聖書に登場する知恵の木の実は
リンゴであると認識されていることが多いが、
英語において果実という意味でアップルと
訳されたため林檎とは限らない。

むしろ当時のイスラエル周辺で
食用のリンゴがイメージされたとは思えず、
別の果実であろうと思われる。

ヨーロッパの各種神話や伝説に登場する
黄金のリンゴや常若のリンゴも同様に、
林檎であるとは限らない。

名前といえば、本邦においても、
林檎とは本来リンキンと読む。

檎とは禽、つまり鳥が多くとまるほど
良い果実の生る木ということである。

さて、リンゴはコーカサスが原産だと言われている。
そこからヨーロッパ方面と東アジア方面へと
伝播したわけだが、暑い地域では生育が難しい。

我々が普段目にするのはヨーロッパのリンゴであり、
東アジアの林檎はかなり小さい。

江戸後期にアメリカよりセイヨウリンゴが
やってくるまでは、本邦では小さな果実を
林檎と認識していたのだ。

古い文献において登場する林檎を
セイヨウリンゴの大きさだと思ってはいけない。

ヨーロッパにおいては、寒い地域でも得られる
甘くて栄養豊富なこの果実を珍重してきた。

ゲルマン人が果実全般を意味する言葉で
リンゴを呼んでいたほど、
果実と言えばリンゴだったのである。

黄金のリンゴや常若のリンゴが林檎とは
限らないと前述したが、北欧神話の場合は
こういった理由から林檎であった可能性は高い。

リンゴといえば、本邦では一般的ではないが、
ブドウのように酒に加工される果物である。

リンゴのワイン、サイダー、あるいはシードルと
呼ばれる林檎酒は、の悪い地域での
飲用水として重要であった。

しかし、アメリカでは禁酒法によって
アルコール飲料が禁止された時期がある。

その際に、発泡性のリンゴジュースのことを
サイダーと呼ぶようになった。

だが、本邦では甘味をつけた炭酸水がサイダーだ。
その由来は複雑で面倒なので省く。

簡単に言えば最初に本邦で売られた炭酸甘味飲料が
リンゴのフレーバーがついていたために
商品名の一部にサイダーと付けられていたことで、
サイダーとはそういうものだと思われたためだ。

これは元を辿ればイギリスで飲まれていた
炭酸水入りレモネードなのだが、
そちらはラムネとして本邦に伝わった。

つまりサイダーとラムネは同じものなのだ。
現在ではラムネ瓶に入っているかどうかが
サイダーかラムネかの違いである。

リンゴと関係のない話になってきたので
ここらで終わらせておこう。

2019年2月10日日曜日

家畜化される前の豚の原種である。

牙と剛毛を持つ豚と言えば、
外見的特徴は説明できるだろう。

丸っこい胴体と短い足を見る限り、
鈍重そうな印象を受けるが、
運動性能は極めて高い。

具体的には疾走する猪に追突されれば、
最悪死亡する可能性まである
衝撃を受けることになる。

顎の力が強いため、
噛まれれば骨を砕かれかねない。

また、雄は非常に鋭い牙を突き上げる。
成人であれば丁度太ももに刺さる高さであり、
大動脈が損傷して失血死する例多々である。

鼻先でものを押す力がとても強く、
岩をどかして食べ物を探すほどだ。
そんな力で牙を突き上げられては
ひとたまりもない。

水を嫌う性質ではあるが、
必要に応じて泳ぐこともできる。

食料を求めて瀬戸内を渡っている例もあるため、
その水泳能力はかなり高いと見ていいだろう。

普段はドングリやタケノコを中心とした
植物を食べているが、雑食のため
動物の肉を食べることもある。

問題は人里に現れ田畑の作物を
食害することである。

これは古代から変わらぬ問題であり、
三重の伊我理神社の祭神は、
猪を狩る女神である。

イノシシのシシは肉を意味する。
元々はヰ一文字でこの動物を示し、
ヰの肉でイノシシとなるのだ。

その名が示す通り古代から食料として
狩猟されてきた生き物で、
馴化させ半ば家畜として扱うこともできた。

完全に家畜化された豚は
チャイナで生まれている。

あちらでは猪という字は豚のことを指し、
本邦でいうところのイノシシは
野猪と呼び分けている。

本邦では仏教的観念から肉食を忌避する
習慣があったが、猪肉に関しては
こっそりと、あるいは滋養強壮の薬
ということにして公然と食べられてきた。

絵の構図で獅子に牡丹という堂々とした
王道の描き方がある。

獅子は肉(しし)と音が同じため、
イノシシに牡丹ということで、
猪肉の隠語は牡丹となった。

ぼたん鍋や牡丹肉という呼び名は
こうした由来がある。

イノシシ本来の生息域は東アジアから
ヨーロッパにかけてである。

しかし、新大陸に持ち込まれ、
そこで繁殖したため、
アメリカやオーストラリアの
一部にも生息している。

人が被害を受けることはどの地域でも変わらず、
それぞれの地域で対策に頭を悩ませている。

まだまだ猪にまつわる話は尽きないが、
きりがないのでこの辺りで筆を置こう。

追記
犬の項でも書いたが、
干支の動物は身近な生き物を当てはめたもので、
特に意味は無い。

2019年2月9日土曜日

ハルゲイサ

アフリカの角の北部に位置する
ソマリランドの首都である。

ソマリランドは内戦中のソマリアの
分裂した国家のひとつだ。

元々ソマリアはイギリス、フランス、
イタリアそれぞれの植民地であり、
ソマリランドはイギリス領であった。

独立後、ソマリア連邦政府は
南部優遇の政策をとっていた。

そのため北部のソマリランドの人々は
不満を募らせ独立を宣言、
ソマリア内戦を戦うことになる。

隣ではプントランドが独立し、
現在ではこのプントランドとの
領土紛争を戦っている。

しかし、戦闘は国境地域の一進一退であり、
国土の多くの部分には戦火は及んでいない。

また、ソマリアといえば海賊だが、
ソマリランドの面するアデン湾は
紅海とインド洋の接続部である。

多くの国々の影響下にあるため
海賊の活動する余地は無い。

つまり、混迷を極める内戦中のソマリアにおいて、
ソマリランドだけは平常運転に近い状態だ。

ソマリランド人もそのことを誇りに思い、
憎き南部の連中と自分たちは違うと
考えているようだ。

プントランド、南西ソマリアと異なり、
ソマリランドにソマリア連邦参加の
意志は皆無である。

世界的に見ればソマリランドは貧困国だが、
ソマリアの中では政治経済共に
まともに動いている地域である。

つまり、仮に父祖の代からの憎しみが
無くとも、統一する旨みは無いのだ。

今のところソマリランドは国際的に
国家承認されていないが、
ソマリアとは別の国と
考えた方がいいかもしれない。

さて、長くなったがそんなソマリランドの首都
ハルゲイサは内陸の街である。

内戦中は空爆を受け被害を受けたが、
現在は復興している。

特筆すべきは、社会が
キャッシュレス化していることだろう。

インターネットカフェも多く、
いわゆる非常に現代的な都市である。

ソマリア南部が無法地帯であることを
考えると、やはり別の国とした方が
自然であるように思う。

2019年2月8日金曜日

ガローウェ

プントランドの首都である。

プントランドとはどこかというと、
内戦中のソマリア北東部、
アフリカの角の先端である。

ソマリアは分裂状態にあり、
プントランドはソマリア連邦政府から
独立した国として存在している。

ただし、連邦制での統一には意欲的で、
ソマリア連邦とは交戦中ではない。

北のソマリランドや
南のイスラム武装組織と戦っている。

更には領内に国家を名乗る組織も
いくつかあり、統制はとれていない。

また、南部同様プントランド沿岸にも
海賊は多く、海賊たちの収入は
プントランドの税収より多いという。

ソマリア海賊の元締めはプントランド
という噂もあるが、現在のところ
確かめる術はないだろう。

そんなプントランドの首都ガローウェは
内陸部の標高の高い地域に位置する。

経済的には沿岸部のバサソや
南部のガルカッキョの方が発展しており、
ここは行政上の首都といった雰囲気である。

戦禍は及んでいないようだが、
内戦中のソマリアの情報は乏しい。
街の詳細は分かりにくい。

写真で確認する限りにおいては、
やはり物資が十分ではないのだろう、
活気が無さそうに見える。

ソマリア南部と比べれば平和であるが、
戦いの終わりは未だ兆しが無い。

2019年2月7日木曜日

ムクディショ

モガディシュやモガディシオとも呼ばれる
ソマリアの首都である。

ソマリア連邦共和国はアフリカの角と呼ばれる
アフリカ北東部の海岸沿いを国土としているが、
内戦中であり分裂状態にある。

プントランド、ソマリランド、南西ソマリアと
このソマリア連邦の四つに分かれていたが、
南西ソマリアとは連邦統一に成功している。

残るプントランドとソマリランドだけが敵ではない。
イスラム過激派など、様々な勢力が入り乱れ、
ソマリアの地は安寧からは程遠い状態だ。

そんなソマリア連邦の首都ムクディショは
サラセン商人の拠点として成長した
古い商港である。

おおまかな歴史で言うとブラヴァ同様
ポルトガルやザンジバルのスルタンの影響を経て、
イタリア領となった経緯を持つ。

独立後に勃発したソマリア内戦では
反政府勢力である統一ソマリ会議によって
攻め落とされ、その拠点となった。

しかし、統一ソマリ会議は
ソマリ国民同盟とソマリ救国同盟に別れ分裂。
部族間、派閥間の統制が取れなくなる。

その結果、ムクディショの街は破壊され、
積み重ねられた歴史の多くが失われてしまった。

その後も国際連合の平和維持軍が介入したり、
イスラム勢力が実効支配したりと
混迷を深めていく。

要するに、この街は戦争中なのである。
驚くべきは、それでもこの街の経済が
回っていることだ。

無政府状態のこの街で、
企業は私設軍隊を用意して自己防衛しながら、
商活動を行っている。

たくましいことだ。
もちろん、税金を取られない、取る者がいない、
という利点も無いわけではない。

無法の地には無法の地の
ルールというものがあるのだろう。

しかし、鉄道はすべて破壊され、
海路は海賊が跋扈する中、
ムクディショの人々はどのように
生活物資を手に入れているのだろうか。

なお、この街へ向かう人道支援団体は
いずれかの武装組織に襲われる
覚悟が必要である。

2019年2月6日水曜日

ブラヴァ

南西ソマリアの首都である。

ソマリアとして承認されている国は
ソマリア連邦共和国であるが、
その実態は分裂状態である。

四つに分裂したソマリアのうち、
南西部分のベイ、バコール、下部シェベリの
三州が南西ソマリアの版図となっている。

ただし、他のソマリランド、プントランドと異なり、
南西ソマリアはソマリア連邦へ合流している。

さて、そんな南西ソマリアの首都ブラヴァは
歴史の古い港町である。

明代の鄭和艦隊が辿り着いた不刺哇という港は
おそらくこのブラヴァであろうと言われている。

アフリカ東海岸の海上交易路の重要港であり、
ポルトガル艦隊やザンジバルのスルタンの
影響を受けながら興亡を繰り返した。

後にイタリア領ソマリランドとなったが、
イギリスとのエチオピア戦争の結果
イギリス領となり、ソマリアとして独立する。

だが、ソマリアはひとつにまとまることができず、
ソマリア内戦が勃発し、
ブラヴァにも戦火が及んだ。

以来、長らく無法地帯と呼んでいい状態が続いている。

密輸船を海賊が襲うという事例が
どのような状態かを物語っているだろう。

また、イスラム過激派のひとつに数えられる
アル・シャバブに支配されていたことでも知られる。

アル・シャバブとソマリア政府軍との戦いは
政府軍に軍配が上がったが、
アル・シャバブは壊滅したわけではなく、
つい先月もナイロビを襲撃している。

話が逸れたが、ソマリア内戦は終わっていない。
ブラヴァはアル・シャバブの撤退により
小康状態となっているが、
観光に行ける状態でないことは明白である。

おそらくソマリア海賊の拠点のひとつでもあり、
アフリカの角と呼ばれる地域の
安寧を脅かし続けている。

今の時代に海賊が跋扈しているという事実は
本邦で暮らしているとにわかには
信じがたいことだが、
そういう地域もあるということは忘れてはならない。

2019年2月5日火曜日

チンアナゴ

温かい海に生息する変わった魚である。

どのあたりが変わっているかというと、
まず海蛇のように体が細長い。

頭から尾までは成人男性の
腕ぐらいの長さがある。

尾で砂地に穴を掘り、
半分ほど埋まった状態で過ごす。

英語ではガーデンイールと呼ばれており、
これは庭のウナギという意味だが、
庭園の植物のように海底から
生えているために付けられた名だ。

通常は群れを成して海底から生えており、
海流に顔を向けているため、
皆が皆同じ方を向いている。

流れてくるプランクトンをよく発達した
目で見分けて食べているのだ。

ただし、詳細な判別は口に入れてから
しているようで、泡や仲間の糞にも食いつく。
糞だった場合はすぐに吐き出す。

肛門は腹の中ほどにあり、
砂地から にょきっと出た
いつものポーズのまま排泄を行う。

時には穴から出て泳ぐこともあるが、
珍しいことで水族館でも
なかなか見ることはできない。

尾で穴を掘る際は螺旋状に掘り進み、
容易には抜けないようにしているほか、
体から染み出す粘液で砂を固めている。

なお、チンアナゴのチンとは犬種の狆のことで、
正面から見た時の顔つきが
似ているため命名されたそうだ。

六年程前から特に人気が高くなっており、
今ではチンアナゴ目的に水族館へ
行く客も少なくないという。

水族館側もチンアナゴの展示に力を入れ、
同じガーデンイール族を複数種
用意したりもしている。

面白いのは同種族でまとまって
穴に入って群れている点で、
やはり群れの意識があるようだ。

水族館はとても良い場所である。
ペンギンもいるし、
私は大好きだ。

ゆらゆら揺れるチンアナゴを眺め
忙しい日々を束の間忘れるのも
いいのではないだろうか。

2019年2月4日月曜日

ウニアンガ湖群

サハラに存在する砂漠にあるにも関わらず
枯れることのない十八の湖である。

上空から見ると絵具の飛沫のようにも見える
独特の形をした湖群は、
湖によって微妙に色が異なるのが特徴だ。

塩分濃度もそれぞれ異なっており、
淡水湖と塩湖が混在している。

通常、乾燥地帯にある湖というものは、
凄まじい勢いで蒸発が発生し、
枯れてしまうかもしくは塩湖となる。

しかし、ウニアンガの場合、
膨大な量の地下水脈と接続しており、
枯れることが無い。

また、十八ある湖の間を隔てるものは
浸透性の高い砂地であり、
湖間での水の移動が存在する。

砂地を挟むために水質は共有しておらず、
塩分濃度がそれぞれ異なる
湖が形成されているのだ。

砂漠の大きな淡水湖というのは
非常に珍しいものである。

当然多くの生き物が生息し、
周辺はオアシスとなっている。

太古の昔には人も住んでいたようだが、
サハラの拡大と共に居住地は打ち捨てられた。

現在はいくつも村があるが、
この地に行くことは簡単ではなく、
砂漠を越えて向かわなければならない。

チャドの首都ンジャメナから乗り合いバスを
利用して訪れることになるため、
砂漠の旅の準備を怠らぬように。

2019年2月3日日曜日

カピバラ

ネコより大きなネズミである。

鬼天竺鼠の名もあるが、
カピバラという呼び方が有名である。

カピバラの名は現地語の呼び名が
スペイン語で訛ったもので、
国によって呼び方が大きく違う。

アマゾン川流域に生息する生き物で、
雨季には周辺が水没するため
泳ぎが達者である。

温暖な気候を好むため、
本邦の冬は彼らにとっては辛いもので、
北海道の動物園では冬季は展示されていない。

水中に入ることを厭わないことと、
温かい場所を好むことから、
本邦の動物園においては
温泉に入れられていることが多い。

元々の生息地に温泉は無いが、
とても気持ちよさそうに入っており、
幸せな雰囲気を醸し出す。

非常に温和な性格をしており、
ペットとして人気がある。

ネコやその他、他のペットとも
仲良くすることができ、
寄り添って寝ている様子がよく見られる。

なお、テンジクネズミであるため、
生息地では人に狩猟され、
食肉とされていたこともある。

ところで、カピバラが本邦で知名度を得る以前、
あるアメリカの名作ゲームに
敵モンスターとして登場していた。

毒を持つ熊のような生き物として描かれた
カピバラを、本邦のほとんどのプレイヤーは
実在の温和な動物がモデルだとは
思わなかった。

私も、どこかの神話に登場する
怪物か何かだと思っていたものだ。

とても呑気な癒し系動物であると知った時は
狐につままれたような気分だった。

2019年2月2日土曜日

モウセンゴケ

名前にコケとついているが苔ではない。
種子植物である。

だが、実際のところ根はほとんど退化しており、
勘違いされたのも致し方ない。

モウセンとはフェルトのことであり、
フェルトとは繊維を叩いて縮ませ、
絡み合わせて圧縮、板状にしたものである。

正倉院の宝物の中にも毛氈があり、
長らく山羊毛だと思われていたが
どうやら毛だったようである。

話が逸れたが、モウセンゴケは
いわゆる食虫植物である。

葉には無数の毛のようなものがあり、
その先には粘液が滲出、
水玉となってくっついている。

この粘液からは甘い香りがし、
昆虫が誘い寄せられていく。

粘液は粘性が高く、くっついた虫は
容易に離れることができない。

そこで虫は呼吸器に粘液が入り込んで
窒息死し、微生物に分解されて
モウセンゴケが利用できる栄養となる。

根が退化していても
このようにしてモウセンゴケは
栄養を得ることができるのだ。

なお、モウセンゴケは冷帯全域と
本邦のほとんどの地域の
湿地帯に生育する。

しかし、湿地帯ならどこでも良いわけでなく、
生育条件は限られており、
分布域を広げるような進化は起こっていない。

このため湿地帯の減少と共に
数を減らしており、現在は
絶滅が危惧されているようだ。

なお、苔ではないので立派な花を咲かせる。
食虫植物とは思えない
穏やかで可憐な白い花だ。
種類によってはピンク色の花を咲かせる。

モウセンゴケは虫媒花である。
花粉を虫に運んでもらうのだ。

そのために花は葉よりかなり高い位置に咲き、
花粉の付いた虫が葉の粘液に
絡め取られないようになっている。

進化とは不思議なもので、
どのような過程を経て、
このような形になったのか大変興味深い。

私はインテリジェンスデザインは信じない。
こうした不思議な生き物は
自然のカオスの中でこそ生み出されるもの、
そう考えている。

2019年2月1日金曜日

テンジクネズミ

天竺の鼠だがインドにはいない。
ではどこにいるかというと南アメリカである。

特にペルーのテンジクネズミは家畜化され、
食肉用として重宝されていた。
今でも一般的に食されている。

かつてアメリカ大陸には家畜化できる
哺乳類が非常に少なかった。

家畜化にはいくつか条件がある。
餌が容易に手に入ること、
成長が早いこと、人の手で繁殖できること、
群れの中で生活できることなどだ。

アメリカ大陸でこの条件を満たせる
大型哺乳類は犬とリャマと
アルパカぐらいのものである。
狩猟しなければほとんど肉を食えないのだ。

そんな中、ペルーテンジクネズミは
大きさこそ十分ではないが、
家畜化の要件を満たしていた。

狩りに頼らず肉を食べることができる。
これは人の文化の中で大きなことだ。

ちなみに、家畜化された
ペルーテンジクネズミは
モルモットと呼ばれている。

実験動物として有名なあのモルモットだ。
だが、モルモットの名は本邦独自のものである。

英語ではギニーピッグという。
ギニアの豚という意味だ。
ギニアはアメリカではなく西アフリカにある。

持ち込まれた当時のイングランド人が
海を越えた遠くの地を漠然とギニア
と呼んでいたことに由来する。

ドイツ語では海の小さな豚となるが、
これは航海中に食べることのできる
新鮮な肉であったことが理由だ。

本邦へはオランダ人商人によって
もたらされたが、
オランダ語ではカヴィアである。

アンデス地方ではクイやクウェと
呼ばれていたため、
そこから訛ったのだろう。

ではどうして本邦でモルモットと
呼ばれているのかというと、
オランダ商人の勘違いが原因である。

マーモットというリスの仲間と
間違えてもたらされたのだ。

マーモットをモルモットと聞き取ったことで
この名が本邦では定着した。

そして、ポルトガル語やフランス語では
インドの小さな豚を意味する名前になる。
新大陸をインドと誤認した名残だろうか。

その訳語として天竺鼠と相成ったわけだが、
みな適当にすぎるだろう。

本来であればギアナネズミあたりが
妥当な名前なのではないだろうか。
ギニアではない、ギアナである。

さて、モルモットが実験動物とされる理由は
家畜化できることで飼育と繁殖が容易であり、
かつ、他のネズミよりヒトに近い性質を持つためだ。

実験台にされることを
モルモットにされると本邦では言うが、
英語でも実験対象の比喩として使われる。

ソヴィエトでは宇宙開発競争時代に
ロケットに乗せられ地球外に連れ出されている。

なかなか興味深い歴史を持つ生き物である。