序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年9月24日月曜日

ギニア湾

本初子午線と赤道の交わるところ、
アフリカの凹み、広大なるギニア湾。

ここはサラセン人の言うところのギニア、
すなわち黒い人々の住む所だ。

サハラ交易を通じてこの地域と交易を
行っていたサラセン人たちは
ギニアを富の国と呼んでいた。

大航海時代の黎明期、ポルトガル人たちは
西アフリカを回り込み、
このギニア湾へと辿り着いた。

西から東へと進むうちに、
これはもしや胡椒の産するインドへ
辿り着けるのではないかと
希望が湧いたことだろう。

実際に、ギニアペッパーという
この地独自の香辛料も存在した。
ギニアペッパーの産地に面した海岸は
胡椒海岸と呼ばれた。

胡椒海岸は同時に穀倉地帯ともなったため、
穀物海岸とも呼ばれた。

穀物海岸を過ぎると、そこでは住民から
象の牙を買い付けることができた。
サラセン人の手を経て買うよりも遥かに安く。
なのでこの地は象牙海岸と呼ばれた。

象牙海岸を過ぎると、大河の上流から
交易品として黄金が運ばれてきた。
現地の住民はポルトガル人の持つ
他愛もない物と黄金を喜んで交換した。
そこでこの地は黄金海岸と呼ばれた。

黄金海岸を過ぎると、胡椒や象牙や黄金ほど
貴重な産物はあまり見られなくなった。
だが、住民はヨーロッパ人の火器を欲しがり、
対価として奴隷を売却した。
よってこの地は奴隷海岸と呼ばれた。

奴隷海岸の先は陸地だった。
黒人の住むその地がアジアではないことは
明白で、探し求めたキリスト教徒の国も無かった。

陸地は南方へと続いて行く。
そこでは星の配置が異なっていた。
ポルトガル人たちは未知の海域へ進んで行った。

さて、大航海時代当時、この地からヨーロッパや
新大陸に運ばれた産品は数多い。

特に象牙と黄金、宝石の類は王侯貴族や豪商たちに
投資をさせるに十分な魅力であった。

そんな高価な品々を積んだ船はもちろん
海賊の格好の標的でもある。

だが、ギニア湾での海賊被害は少なかった。
何故なら、海賊の補給できる拠点が少なく、
戦利品をヨーロッパまで運ぶ手間もかかるからだ。

もっと、ヨーロッパや新大陸に近い場所で
彼らは商船を狩ったのだ。

しかし、現代では事情が違う。
近代ではない、現代である。今現在である。
この海域は海賊が跳梁跋扈している。

クーデターや内戦の多いアフリカに
武器が数多く流れ込んだ。
最早武器なら売るほどある。
それを使って海賊を行うのだ。

海賊だけではない、海産資源の密漁も問題だ。
厳密には違法操業と言うべきなのだろうが。

自国沿岸の海産資源を枯渇させたチャイナが、
わざわざこんな場所まで船を送り、
相変わらずの根こそぎ漁を行っている。

ダイヤモンドや麻薬の密輸船も少なくない。
まさに無法海域だ。

アフリカはいつになったら豊かになるのか、
あれだけ支援しているのに一向に良くならない。
そんな話をよく聞くが、海に関しては
良くなるどころか悪化している。