序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年10月31日水曜日

ベルリン

ドイツの首都である。

本邦では一般的ではないが、
標準ドイツ語発音ではベアリーンとなる。

ただし、ドイツ語は方言差の大きな言語である。
地方によって違う方言に対応するために、
統一されたいわゆる標準語が存在する。

この標準ドイツ語での発音がベアリーンであり、
地方によっては異なる発音となる。
ベルリンはベルリン方言での呼び方だ。

ドイツは元々統一された国家ではなかった。
いくつもの諸侯の領土が割拠し、
それぞれが独自の文化を持っていた。

それがプロイセンによってドイツ帝国として
糾合されて現在に至るため、
標準語を無理にでも作らねばならなかった。

ルターの翻訳したドイツ語訳聖書を基に、
舞台ドイツ語と呼ばれる発音を軸に、
標準ドイツ語は生み出された。

その結果、人々の話す言葉と、
テレビやラジオで話される
標準語にずれが生じた。

首都ベルリンで話される方言は標準語ではない。
そもそも標準語を日常語として
使っているのはアナウンサーと外国人である。

ドイツ人は外国人嫌いで有名だが、
そんなものはステレオタイプで、
実際に行ってみれば標準語で話そうとしてくれる。

それでも差は出る。
私を意味するイッヒがイシュに聞こえることも
あると言えばどのぐらい違うか想像できるだろう。

津軽弁と鹿児島弁で会話をするようなものだ。
基本は同じでかつ互いの方言の違いと
標準語を知っていればきちんと会話が成り立つ。
だが、標準語しか知らない外国人ではそうはいかない。

さて、ベルリンの話に戻ろう。
この地はブランデンブルクである。
辺境伯爵領だが、ブランデンブルクという
国があったと考えた方が理解しやすい。

そして、前述のようにプロイセンが統一を果たし、
中心に近いこの地に首都を遷した。
北東部に寄っているように感じるだろうが、
昔のドイツはもっと広かった。

そんなドイツも世界大戦の敗戦国となり、
領地を奪われ莫大な賠償金を背負わされる。
その不満が更に世界大戦を呼び起こした。

二度の大戦の結果、ドイツは東西に分割され、
ベルリンは東ドイツの領域内にありながら、
西部のみ西ドイツの領域とされた。

東ドイツ領内に、西ドイツから西ベルリンへ
直通の道路が用意され、西ドイツ人は
その道路と西ベルリンにのみ立ち入りが許された。

ベルリンは西と東に分かたれていたのだ。
思えば壊されてからもうかなりの年月が経つが、
ベルリンの壁によって東西に分割されていたのだ。

再統一からは右肩上がりの成長を続け、
現在ではヨーロッパ連合の事実上の盟主である。
四度目のドイツ帝国と言う者もいる。

さすがに第四帝国は揶揄した表現だが、
ドイツがヨーロッパ連合を牛耳っていると
感じている者は少なくない。

まったく、しぶとく強い国である。
二度の世界大戦で二度とも敗北した側の主軸であり、
いずれも厳しく叩きのめされたはずなのだが。

三度目の世界大戦が起こるなら、
またドイツが引き起こし、ドイツが負けるだろう
というジョークにもならない定型文句がある。

本邦は一度目は戦勝国で、二度目は敗戦国である。
三度目は再び戦勝国になれることを願っておこう。
そもそも第三次世界大戦など
起きないことを祈るべきだろうとは思うが。

ところで、ベルリンは無神論者の首都と
言われるほど無宗教を自認する者が多い。

相対的に各宗派の割合が近くなっており、
どの宗派が強いとは言い難い。
それでも伝統的にはルター派である。

ネオバロック様式の特徴的なドームを持つ
ベルリン大聖堂はルター派の大聖堂だ。

そして、他の宗派の大聖堂も当然のように存在する。
いくらなんでも全部は紹介していられないので
興味のある方は自身で調べていただきたい。

観光名所も腐るほどある。
破壊されたベルリンの壁ですら、
実は一部にちょっとだけ残っていたりする。

冒頭で方言について触れたが、
ベルリン方言は江戸弁に似ている。
悪口が多いが裏表がなく直截。
ベルリナーシュナウツェである。

観光名所にも数々の悪口雑言による
愛称が付けられている。
そうしたベルリナーシュナウツェを
巡ってみるのも面白いかもしれない。

そして、ベルリンの食べ物と言えば
カレー味のソーセージ、カリーブルストだろう。
あとは今ではドネルケバブやファラフェルも
一般的なファーストフードだ。

ドイツ感は無いが、むしろこれが
今のドイツを象徴していると感じる人もいる。

ちなみに、カリーブルストは実はベルリン発祥である。
ファーストフードスタイルのドネルケバブも
ベルリン発祥という説がある。
国際的な都市ならではといえるだろう。

なんでもある街ベルリン。
その分、旅行の際にベルリンならではを
味わうには少し工夫が必要かもしれない。

何か目的を持って行かなければ
何処へ行って良いか分からなくなるかもしれない。
ロンドンと似たような感覚だ。

ここに行きたいという、強いこだわりを持って
ベルリンを訪れなければ、東京観光をした方が
楽しかったということにもなりかねない。

ベルリン旅行の際には、
ドイツ風の規律正しい計画を立てるのが吉だろう。

2018年10月30日火曜日

タバコ

アンデス山脈原産の毒性の強い植物である。
古くから薬や儀式用として用いられていた。

イスパニア語で薬草を意味する言葉が語源で、
さらに遡るとアラビアのタバクという
薬草に行きつくが、このタバクと
タバコに関連はない。

本邦へ入ってきた当時は
漢字で当て字されていたが、
莨の字を当ててタバコとも読ませてもいた。

莨は本来大陸で別の植物を指す字だったが、
本邦では一般的ではなく、
かつタバコは薬草として入ってきたため、
草冠に良というこの字が使われた。

現在ではタバコは百害あって一利なしと
蛇蝎の如く嫌われているが、
このように珍重されてきた歴史を持つ。

噛みたばこ、嗅ぎたばこ、葉巻煙草、
パイプ煙草、紙巻煙草、水煙草、電子煙草と、
様々あり、人類の文化として定着している。

この中で水煙草と電子煙草以外は
アンデスの時代から存在した。

水煙草はサラセン人の発明で、
複雑な喫煙具は工芸品としても優れている。

パイプやキセルも工芸品として
様々なものがあり、素材も象牙や
メシャムのような高級なものから
トウモロコシの芯まで多種多様だ。

噛みたばこや嗅ぎたばこにも
時代によって新技術が用いられ、
西洋では大きな流行を見せた。

これらのタバコ文化を破壊しようという
動きには色々と思う所もあるのだが、
マナーの悪い者たちがいることも事実である。

健康被害についてだが、
実は喫煙方法によって悪影響が大きく異なる。

断然健康に悪いのが紙巻煙草で、
次いで葉巻となっているが、
それ以外との差はかなり大きい。

現在電子煙草の普及に躍起になっているのは
このような背景があるのだが、
紙巻だけを規制してくれればいいのにと
個人的には思っている。

葉巻やパイプは一度吸い始めると
所要時間が長いという問題がある。

特に水煙草は炭をおこし、
一時間以上かけて吸うことになるため、
忙しい現代人にはかなりの贅沢と言える。

だが、むしろ、そうやって
など飲みながらゆったりとした
時間を過ごすことこそ今必要と
されていることなのかもしれない。

2018年10月29日月曜日

ルアンダ

アンゴラの首都である。
ルワンダという国があるので紛らわしい。

アンゴラの名はかつてこの地に存在した
ンドンゴ王国の王を指す言葉
ンゴラが由来となっている。

ポルトガル人がやってきた当時の
ンドンゴ王国の女王ンジンガの
エピソードを紹介しよう。

ポルトガル人総督は和平交渉の際に
女王を格下扱いし、自分だけ椅子に座り、
女王には椅子を用意しなかった。

すると、女王の側近は自ら四つん這いになり、
女王の椅子となったという。
この機転と献身により、女王は総督と
対等な立場という意思を表明した。

この故事からンジンガ女王はアンゴラ人と
そこから新大陸へ送られた
アフリカ系ブラジル人の間で
白人への抵抗の象徴として扱われている。

独立後のアンゴラは三十年近くにもわたり
内戦が続いていた地域である。
現在も地雷原が数多く残されている。

アンゴラ自体は、豊富な産品に恵まれ、
首都ルアンダは天然の良港である。
近年は油田も発見された。

内戦の傷痕が深く残ってはいるが、
発展していくことが期待されている地域だ。

ただし、ルアンダは世界一物価の高い街と
言われている。おそらく、国内の様々な
バランスが未だ極端に悪いのだろう。

物価の問題もあり観光地としてはいまいちだが、
植民地時代の建築で内戦での破壊を
免れたものが見所となる。

大聖堂はカトリックの聖なる救世主大聖堂だ。
白を基調としたバシリカに近い建築だが、
これはコンゴの教区から分離された際に
大聖堂に昇格したためだと思われる。

外観はなかなかに豪華だが、
内装は意外に質素である。

アンゴラの料理はブラジルのものと似ている。
ポルトガルの植民地として、
大西洋を挟んだブラジルとの行き来が
盛んだったためだ。

その評判は良く、ムアンバと呼ばれる
オクラ、タマネギ、その他の野菜と
肉類をヤシ油で煮たシチューは特に美味い。

今後アンゴラの内政が良い方向に進んだならば、
かなり良好な観光地となるポテンシャルを
十分に秘めていると言えるだろう。

2018年10月28日日曜日

ヒドロゲニウム

を生み出すものである。

ヒドロゲニウムの表記はラテン語で、
語源はギリシア語の水ヒュドールと
生み出すゲネンである。

フランス語ではイドロジェーヌ、
英語ではハイドロジェン。
いずれも水を生み出すものである。

だが、オランダ語ではワーテルストフ、
つまり水物質であり、本邦ではそれが
翻訳され水の素、水素となった。

水素は原子量が最も少ない元素であり、
この宇宙に最も多く存在する物質だ。
なんと、宇宙の質量の四分の三を占める。
ただし、ダークマターは除く。

水素はその原子量の少なさから、
気体として存在している。

凄まじい低温にまで下げれば液体となるのだが、
これは燃料として使用できるため
様々な研究が続けられている。
ちなみに固体化も可能だが非常に難しい。

なお、低温高圧状態では金属としての性質を
持つようになると考えられており、
金属水素というものがあるとされている。

近年その実在の証明が有力となり、
世紀の大発見と言われたが、
残念ながらサンプルが消失してしまったという。

もし金属水素を自在に利用できるようになれば、
燃料や爆薬として従来品より優れたものが
作り出せるだろう。

特に電子励起爆薬と呼ばれるものは凄まじい。
原子爆弾を除けば、爆薬の歴史は
トリニトロトルエンの合成成功以来、
その威力は二倍程度までしか進歩していない。

だが、この金属水素による電子励起爆薬は、
原子爆弾並の威力を持つことになる。
そして、放射性物質は発生しない。

爆薬と聞くと戦争など血生臭いことを
想像しがちだが、ダイナマイトの発明によって
鉱山の採掘効率が上がったように、
その影響力は計り知れない。
宇宙への進出にも更なる進歩をもたらすだろう。

水素の研究に限らないが、
研究者たちには是非頑張っていただき、
昔のように未来の科学に希望を持てる
社会をもたらしてもらいたい。

2018年10月27日土曜日

ヴァルシャヴァ

かつて大国であったが、現在はいまひとつ
存在感の無い国ポーランドの首都である。

本邦ではワルシャワ表記が一般的だ。

ワルシャワはヴィスワ川で魚を獲って
暮らす人々の住む寒村であった。

ポーランドは貴族が王を選出する
選挙王制であったが、貴族の力を弱め
専制君主となろうと頑張った王がいた。

その王は貴族たちの勢力の強い首都
クラクフから、新たな都への
遷都を試みる。

こうした遷都による貴族層の弱体化
を狙う試みというのは平安京のように
古今東西で起きるわりとメジャーな戦略だ。

白羽の矢が立ったのはヴィスワ川による
水上交通が可能で、かつ、平地の広がる
低地に存在したワルシャワである。

ただし、ポーランドはその後動乱の時代を迎え、
周辺国に幾度も分割支配されることになる。

一次大戦ではドイツとオーストリアの領地で
あったため、敗戦国として扱われている。

そして、ドイツとソヴィエトによる分割である。
ポーランド分割と言えば、何度目のものかと
笑いの種にされるほど分割されてきた。

ワルシャワは大戦時に大きく破壊されたが、
戦後、元の姿が再建されている。

そして冷戦時代は東側の軍事同盟、
ワルシャワ条約機構の設立された街である。

ただし、この軍事同盟の本部はモスクワにあり、
ワルシャワは名前を冠しているに過ぎない。
ロシアでは友好協力相互援助条約機構という。

大聖堂は聖マグダラのマリア大聖堂である。
正教会の大聖堂で、メトロポリタン大聖堂
とも呼ばれている。

ネオロシア様式で外壁は黄色、
玉葱型のドームが五つあり、
暗い青緑色をしている。

内部装飾の緻密さと華やかさは特筆に値する。
特に祭壇のイコンは壮麗だ。

ワルシャワの観光名所は数多い。
復興された街並みは美しく、
古き良き時代を再現している。

特にいくつか存在する宮殿は秀麗で、
ワジェンキ宮殿は池に映る白い姿が印象的だ。

ポーランド料理は固有のものが少ない。
フランス、ドイツ、ハンガリー、スラヴの
影響が強く、様々な料理を食べることができる。

強いて挙げるならハーブで長時間煮込んだ
肉料理が多い点が楽しむポイントだろうか。
酒はウォッカが人気だ。

ワルシャワは観光に向いた都市である。
様々な時代の歴史的建造物の数々が、
旅行者を魅了することだろう。

2018年10月26日金曜日

発泡スチロール

発泡スチロールと聞いて
何のことかわからない者は
本邦にいないと思うので形容は省く。

あれが実際のところ何なのかを
説明していこうと思う。

ポリスチレンという物質がある。
ベンゼン環とビニル基からなる
純粋な炭化水素だ。

もっとわかりやすく言うと、
水素と炭素だけでできたプラスチックである。

スチロール樹脂とも呼ばれ、
ごく一般的なプラスチックだ。

耐久性が悪く、熱にも弱いのだが、
製造コストが安く、加工も容易である。
このため、実に様々なところで使用されている。

中でも最もよく見るのが
発泡スチロールだろう。

発泡スチロールは熱を加えて液状にした
ポリスチレンに細かな気泡を生じさせ、
つまり泡状にして固まらせたものだ。

非常に軽いが、それも当然である。
ぎっしり詰まってるようにも見えるが、
ほとんどが空気なのだから。

脆いが柔らかく、クッションとなるため、
緩衝材としてよく使われる。

また、気泡のお陰で断熱性が高く、
保冷ボックスとしても大活躍だ。

注意すべきは燃えやすいことである。
炭化水素なのでよく燃える。

ただし、その構造のせいで
不完全燃焼を起こしやすく、
煤煙と一酸化炭素が発生する。

煤はともかく一酸化炭素は危険なので
発泡スチロールを燃やすのはやめよう。

自治体によってゴミとしての
分別方法が異なるが、
面倒くさがらずにきちんと分別して出そう。

箱状の発泡スチロールを細かくする際には
破片が飛び散り静電気でくっつくなど
かなり面倒なことになってしまう。

処分の際は、大きな袋に入れてから
体重をかけて砕くといいだろう。

くれぐれも不法投棄や
その辺で燃やしたりはしないように。

2018年10月25日木曜日

キンシャサ

コンゴ民主共和国の首都である。

コンゴ共和国と紛らわしいし、
そちらの首都ブラザヴィル
キンシャサと川を隔てた双子都市である。

コンゴ民主共和国と聞いてピンとこない
人も多いのではないだろうか。
昔はザイールと呼ばれていた。

ただし、ザイールは独裁的な大統領が
在任中に国名をコンゴ民主共和国から
変更した際の名前である。
つまり、元に戻ったのだ。

だが、長いし紛らわしいので
以下本記事ではこの国をザイールと呼ぶ。

ザイールはベルギーの植民地であった
珍しい国である。

ベルギーという国の所有ではなく、
ベルギー国王の私有地であった。

当初国王は私費を投じてインフラ整備するなど、
熱心に領地経営をしていた。
リアルシミュレーションゲームである。

しかし、飽きたのか面倒になったのか
財政破綻したのか詳しくは知らないが
きちんとした経営をやめて
いわゆる植民地の搾取を始める。

失礼な憶測だが、民度の低い
住民に絶望したのかもしれない。
なんとなく想像がつく。

その搾取ぶりは他のろくでもない国と比べても
過酷なもので、ゴムのプランテーションで
働かされていた住民は、ノルマを達成できないと
手足を切断されるなどの刑罰を受けた。

その実態が明らかになると
どの口で言うのかと言いたくなるが
他の国々からの非難を浴びる。

ベルギー政府は植民地に興味が無かったようだが、
この非難を受けて国王からザイールを買い取った。

だが、締め付けが緩くなったためか、
この時点から独立闘争が始まることになる。
ベルギー政府はとんだ貧乏くじを引いたものだ。

独立を果たしたザイールだが、
すぐにクーデターが起こり、
前述の独裁者が立つことになる。

この独裁政権はコンゴ戦争時にアンゴラ軍が
キンシャサを制圧した際に倒れた。

近年には珍しく、紛争でも内紛でもなく
複数の国から侵攻を受ける戦争をしていたのだ。
コンゴ戦争、知名度は低いが大きな出来事である。

さて、そんなザイールは今でも暴力に満ちている。
今の大統領も任期が切れても退陣していない。

つまり、いつ何が起きても不思議ではない。
旅行に行こうなどとは思わないように。

首都キンシャサは国名がザイールになった際に
この名前に改名された。
それ以前はレオポルドヴィルである。
レオポルド二世は前述のベルギー国王だ。

ベルギー政府が経営していた頃には
かなり栄えていたのだが、独立運動以来、
混乱に次ぐ混乱である。

コンゴの聖母大聖堂はカトリックの大聖堂だが、
残念ながらどんな外観なのかも分からない。
それらしき写真はいくつかあったが、
グーグルストリートビューも無力だった。

グーグルマップで聖アンヌ大聖堂を発見したが、
同一のものかは分からない。
こちらもカトリックのようなので
恐らく別名か、建て直されたかだと思われる。

ちなみに聖アンヌ大聖堂は
赤レンガのコロニアル様式のように見える。

そしてキンシャサの観光名所。
もちろん、そんなものはない。

料理はトウモロコシ粥と
辛みのあるシチューが典型的なようだ。

雑な情報で申し訳ないが、
現地に行けない上に資料も乏しい。

疫病も流行している。
旅行をしようなどと呑気なことを
考える場所ではない。

アフリカに救いは無いのだろうか。

2018年10月24日水曜日

ストロンチウム

かっこいい名前だがストロンティーアンという
地名が由来であり、この地名は
妖精の鼻の丘が語源だと言われている。

ここで言う妖精とは透けた羽の生えた
小さな可愛いやつではなく、いぼのある
尖った鼻を持つ小人のようなやつである。

ストロンティーアンはスコットランドの鉱山村だ。
ストロンチウムはここで発見されたため、
この名前が付いた。

カルシウムと似た性質を持ち、
我々の骨にも含まれている。

単体の金属としては水と激しく反応し、
空気中ではすぐに酸化する。

このため水や空気に触れないよう
保管する必要がある。

主な使い道は特殊な密閉空間内の
不要な酸素を吸収することと、
赤い色を出すための花火の材料である。

あとは磁石やガラスに混ぜられるようだが、
全体的に地味な用途である。

骨を構成する重要なミネラルではあるが、
あまり役に立つ物質ではないようだ。

それどころか厄介な放射性同位体が存在する。

ストロンチウムの放射性同位体は、
生物の体内に入ると通常のストロンチウムと
同じように骨を作る材料とされる。

骨の一部となっても放射線を出し続けるため、
深刻な内部被曝が発生してしまうわけだ。

といっても、自然界には存在しないので
安心してほしい。原子力発電所に
事故があっても発生するのは微量である。

ただし、原子力爆弾が生み出す
死の灰には多く含まれる。

ちなみに、このストロンチウムの
放射性同位体は原子力電池への
応用が研究されている。

実はストロンチウムには上述とは別の原子量を
持つ放射性同位体が存在する。

そちらは半減期が短いため、
骨腫瘍の治療に用いられる。
役に立つストロンチウムもあるのだ。

そういえば模造ダイヤモンドには
ストロンチウムを使用したものもある。

見た目はよく似ているのだが、
硬度はかなり低い。
偽物を掴まされないよう注意だ。

かっこいい名前からスタートして、
なんだか悪いイメージで終わってしまったが、
ストロンチウムとはこのような物質である。

2018年10月23日火曜日

カリーニングラード

国ではないが、誰でも一度は
なにここ、と感じたことがあると思うので
せっかくだから取り上げる。

ロシアのカリーニングラード州の州都である。
しかし、ここは元々東プロイセンという
非常にドイツ的な場所だ。

チュートン騎士団が占領し、
王の山を意味するケーニヒスベルクという
要塞を建設したのがこの港街のはじまりである。

琥珀の産地であり、ハンザ同盟にも加わった。
陸路でもプロイセン、ポーランド、
リトアニアを繋ぐ重要な交易都市であった。

ポーランドリトアニア連合王国との戦いに
敗れたチュートン騎士団は
本拠地であったマリエンブルクから撤退し、
ケーニヒスベルクに根城を移すことになる。

結局チュートン騎士団はポーランドの
傘下に入ることになるのだが、
カトリック公認騎士修道会であった彼らが
ルター派に改宗したのが面白い。

そして、カルヴァン派との争いの中で
中心的な都市となっていく。
ルター派とカルヴァン派の争いを書き始めると
趣旨が変わるので残念ながら省こう。

すでに眠くなってしまった
読者もいるかもしれないので
もう少し色々と省こう。

ケーニヒスベルクはプロイセン王国の
初代国王が戴冠を行った
ドイツ始まりの地であるとも言える。

ちなみにチュートン騎士団はナポレオンに
解体されるまでなんとか頑張っていた。

ドイツの歴史を長々書いても仕方が無いので
また省くが、一次大戦の結果西プロイセンは
ポーランド領となってしまい、東プロイセン、
つまりケーニヒスベルクは飛び地となる。

二次大戦におけるドイツのポーランド侵攻は、
飛び地と本国を繋ぐ目的もあったのだ。
そして敗北し、ポーランドの国境は元に戻る。

ドイツは東西に分割され、飛び地であった
ケーニヒスベルクはカリーニングラード
としてソヴィエトに吸収された。

歴史はこのぐらいでいいだろう。
むしろ長く書きすぎた。

ドイツ人はこの地から追放され
ロシア人が移住したため、
現在では文化的にもロシアである。

重厚なゴシック様式のケーニヒスベルク
大聖堂は大戦中、イギリス軍の空襲によって
破壊され、無神論を奉ずるソヴィエトは
これを修復しなかった。

近年ようやく修復され、
時計塔はベートーヴェンの
交響曲第五の冒頭四音を鳴らすという。

「このように運命は扉を叩く」と言われた
あの有名な最初の四音である。

だが、残念ながら実際に
鳴ってる様子は確認できなかった。
鐘であれをやられたら
恐ろしいのではないだろうか。

正教会の大聖堂は救世主ハリストス大聖堂だ。
現代的にアレンジされたネオビザンチン様式
のこの大聖堂はごく近年に完成した。

完成まではケーニヒスベルク大聖堂が
ルター派と正教会の共同大聖堂であった。

ところでロシアは邦人が観光し難い国である。

ロシアからベラルーシに、
ベラルーシからリトアニアに、
リトアニアから再びロシアにという形になる
カリーニングラード入りは
個人では困難を極める。

旅行会社を通じて団体ツアーが
できないことはないのだが、
やはり自由に歩き回りたい。

ロシアを邦人が自由に歩き回るのが
まず難しいのだが、こればかりは
冷戦の遺物として根強く残っている。

いっそ独立でもしてくれれば
観光もしやすいのだが、
ロシアの秘蔵の工業地かつ不凍港なので
大きな戦争でもなければあり得ないだろう。

ロシア自体が変革する方が
早いかもしれない。

さて、長々と書き過ぎたので
このあたりで記事を終えよう。

2018年10月22日月曜日

コアラ

袋熊や子守熊とも呼ばれる
オーストラリアの珍獣である。

よく知られているように有袋類であり、
袋の中で子を育てるが、カンガルーと違い、
袋の出口は尻側に向いている。

基本的に木から降りずに暮らし、
休息も樹上でとる。
巣は作らない。

ユーカリの葉を食べることで知られているが、
アカシアやティーツリーも食べるため、
ユーカリだけを食べるというわけではない。

毒を持つユーカリの葉を食べるわけだが、
彼らは食べる前によく匂いを嗅ぎ、
なるべく毒性の少ない葉を選ぶという。

葉は盲腸に送られ、そこで発酵によって
毒素を抜いてから消化される。

幼獣はまだその能力が弱いため、
母コアラが吐き戻した毒素の抜けた
粥状のユーカリの葉を食べている。

本来はグーラという名であったが、
訛ってクーラとなり、表記ミスで
コアラとなったという経緯を持つ。

なお、私の妹は昔オーストラリア旅行を
した際に、コアラを抱いて写真を撮る
サービスを受けたことがある。

その際に、手の上に糞をされ、
微妙な表情で撮影された。

自分より大きな動物に抱えられるという
ストレスフルな環境下で
糞をするとは肝の据わったコアラである。

2018年10月21日日曜日

ブラザヴィル

コンゴ共和国の首都である。
コンゴは共和国と民主共和国があるので紛らわしい。

ブラザヴィルが首都なのは単にコンゴと
書かれることの多いコンゴ共和国の方である。
ザイールじゃない方と言った方が
通りが良いかもしれない。

この地にはコンゴ王国という立派な国家が存在した。
コンゴ王国は交易で栄え、広い版図を持ち、
しっかりとした組織を持っていた。

このため、大航海時代に訪れたポルトガル人も、
この王国と対等な条件で交易を行ったとされる。

コンゴ王はキリスト教に改宗し、王子を
ポルトガルに留学させ、ポルトガル風に名を
変えた王子は帰国後即位、国名も救世主を
意味するサン・サルヴァドールへと変えた。

ポルトガルに傾倒していくコンゴを
ポルトガル人は徐々に蝕んでいき、
ここでも奴隷貿易を開始する。

事態に気付いたコンゴ王はポルトガル王に
書簡を送り、奴隷貿易の停止を求めるが、
既にポルトガルの侵食は止められなかった。

王の没後は反乱が相次ぎ、ポルトガル人の
目論み通りコンゴはポルトガルに援軍を要請、
コンゴは自らポルトガル軍を招き入れ属国化した。

だが、再び賢君が立つ。
オランダとポルトガルの反目を利用し、
再び自主独立の道を歩み出す。
もっとも賢君の没後は同じ轍を踏むことになる。

アフリカ分割の際に北西部はフランス領となり、
公用語もフランス語となった。

ブラザヴィルはコンゴ川を挟んだキンシャサ
双子の都市と呼ばれており、
この地域の重要な都市として成長した。
キンシャサは隣国コンゴ民主共和国の首都である。

なお、かつてのコンゴ王国の首都ンバンザは
現在のアンゴラの領土内に位置する。

さて、ブラザヴィルの大聖堂であるが、
聖心大聖堂はアフリカでも特に古い大聖堂で、
入り口にあるペテロとパウロの大理石像が見事だ。

だが、観光をするなら聖アンヌ聖堂の方が
お勧めである。緻密に建築された聖堂内は、
あらゆる角度から美を見つけ出すことができる。

ブラザヴィルは現代的な都市である。
だがその分観光地としては面白みに欠ける上に、
賄賂天国が過ぎて息苦しい。

おそらく入出国に際しては、
管理官からの執拗な賄賂要求と
粗探しに直面するだろう。

彼らと交渉することを専門とした
案内人を雇った方が安くあがる。

これは対岸のキンシャサとの行き来の際に顕著で、
恐ろしいことにキンシャサでも同じ憂き目にあう。

危険度こそ低めの国ではあるが、
悪いことは言わない、もっと楽しめる場所を
旅行先に選ぶべきだろう。

2018年10月20日土曜日

水と混じり合い液状化した土のことである。

大粒の礫、小粒の砂、細かな泥、微細な沈泥、
更に微細な粘土と、粒の大きさによって
分類されている。

ぐにゃぐにゃとしたもの全般を指す言葉でもあり、
泥のように眠るや、泥酔という慣用表現もある。

なお、詩人の杜甫が、酔いは泥の如し、と
歌っているのだが、この泥とは
ある虫のことを指すという。

大陸の古い書物に記された骨のないその虫は、
海底に住まい、水中では活き活きと泳ぎ回るが、
陸地に上がれば思うように動けないとされる。

ちなみに虫というのは小さな生き物全般を指し、
必ずしも昆虫の類とは限らないので
注意が必要だ。

泥という漢字の本来持つ意味は様々で、
漢語辞書を見るに、必ずしもドロを
指すとは限らないようだ。

紙や絹のことを指すこともあるあたり、
やわらかいことが第一義なのかもしれない。

汚れのことも意味し、
顔に泥を塗るなどの慣用表現は
ここからきていると思われる。

なお、泥棒の語源は一見上記の汚いから派生し、
汚れた仕事と通ずるようにも見えるが、
押し取り坊や取り奪うが訛った言葉に
当て字したという説が有力である。

汚さとは程遠い、貴金属粉を使用した
絵具も泥と呼ばれる。
金であれば金泥というように。

そういえば子供たちは泥団子を
作るのが好きだが、ぴかぴかにする派と
そこまで拘らない派がいると思う。

拘るというのも泥の文字に含まれる意味で、
拘泥という言葉があるが、いずれにせよ
本邦では良い印象を与える文字ではない。

泥をかぶれば悪にすらなるのである。

2018年10月19日金曜日

ヴィルニュス

リエトゥヴァの首都である。

ロシア風のヴィリニュス表記が多いが、
現在では現地語発音のヴィルニュスが
徐々に標準となりつつある。

バルト三国の一番南の国リエトゥヴァは
本邦ではリトアニアと呼ばれている。

リエトゥヴァの名の由来は古いスラブ語の
流れる水に関係しているらしいが
確かなことはわからない。

首都ヴィルニュスの名の由来は
ヴィルナ川とネリス川である。

最初のリエトゥヴァ王ミンダウガスが
城を建てたことで街の歴史は始まった。

一時はポーランドと合併し、広大な版図を
誇ったこともあるリエトゥヴァだが、
次第にポーランドに吸収されていく。
そしてスウェーデンによって止めを刺される。

以降はロシア、プロイセン、オーストリアの
都合で土地をいいようにいじくり回され、
ドイツとソヴィエトに交互に占領される。

結局ソヴィエトの構成国とされたが、
連邦の弱体化によって独立を果たした。

独立に際しては激しい闘争があった。
血の日曜日事件をニュースで聞いた時には
ヨーロッパで戦争が始まるのかと
ドギマギしたものである。

ところで首都ヴィルニュスには
かつてユダヤ人が多く住んでいた。

これは古い時代に迫害を受けていたユダヤ人を
多く受け入れていた名残である。
このため、北のエルサレムという呼称も存在する。

ただし、現在のリトアニアにユダヤ人は少ない。
第二次世界大戦時にドイツの占領下にあったことと、
本物のエルサレムにユダヤ人国家が
建設されたことが主な理由だ。

宗教的にはほぼカトリックなのだが、
スラヴ人が支配していた期間も長いため
正教会の大聖堂も存在する。

生神女就寝大聖堂がそれで、
リトアニアがキリスト教を受容する以前に
建てられた教会が基礎となっている。

ネオクラッシック様式であったが、
近代にグルジア風に改修され、
白を基調とした大変優美で幻想的な
おとぎ話に出てきそうな建築となった。

カトリックの大聖堂はヴィルニュス大聖堂だ。
正式には聖スタニスラウス聖ウラジスラフ大聖堂
だが、おそらく詳しく書くと後悔するので省く。

雷神の神殿があった場所にキリスト教に
改宗した王が建てた教会が元になっており、
近代にネオクラッシック様式へと改築された。

その姿はギリシアの神殿そのもので、
雷神の神殿が復活したかのようだ。
もちろん、この雷神はゼウスではなく、
スラヴ神話のペルクナスではあるが。

幾度も増改築されたため、
ゴシック、ルネッサンス、バロックと、
様々な様式の痕跡も見られる。

ヴィルニュスには他にも独特な教会が数多く、
教会建築を見て歩くだけで
観光として成り立つほどだ。

そもそも旧市街は世界遺産に登録されている。
この街並みを見るためだけに
観光客が訪れるのだから本物だ。

つまり、名所を列挙していられない。
興味を持ったのなら
観光サイトを調べてみてほしい。

リトアニア料理はバルト海沿岸らしい料理と
スラヴ系料理の混淆である。

ただ、それらの諸国の中では比較的
南に位置するため、香辛料や野菜、
キノコにベリーが豊富である。
つまり、バリエーションが豊かなのだ。

あとはあまり知られていないがリトアニアの
クラフトビールは独自性が高く、
伝統的な製法が今も続けられている。

リトアニアの水道は飲むのに向いていないので、
せっかくの旅行でもあることだし、
喉が渇いたらビールを飲もう。

ただし、リトアニア人は酔うと
喧嘩っぱやくなることで知られている。
トラブルを避けるためにも
飲み過ぎないように注意されたし。

2018年10月18日木曜日

ナック

ナトリウムとカリウムの合金である。

どちらも栄養素のイメージが強く、
単体を想像しにくいかもしれないが、
れっきとした金属である。

このナトリウムとカリウムの合金、
ナック合金と略されてはいるが、
正式名称はナトリウムカリウム合金である。
そのままだ。

単体のナトリウムは水と激しく反応し、
空気中においては容易に酸化する。

対して単体のカリウムは
水や塩素と反応し、発熱する。
酸素との反応でも発熱する。

さて、そんな二種類の金属を
合金としたらどうなるのだろうか。

まず融点だが、ナトリウムもカリウムも
決して高くないのだが、合金にすると、
なんと常温で液体となる。
液体合金だ。

そして熱伝導率が非常に高く、
気化しないため、原子炉や人工衛星の
冷却媒体として利用されていた。

だが、致命的な問題を有している。

水、あるいは空気に触れると、発熱する。
発火するほど発熱する。
そして燃え上がれば爆発する。
水素爆発だ。

しかも、水や酸素との反応で
できる化合物は毒性を持つ。
最終的には二酸化炭素となり無毒化するが、
その過程では腐食性も高い。

燃えているからといって
水をかけてはいけないのは
容易に想像できると思うが、
二酸化炭素ガスでも消化できない。

なんと、還元燃焼するのだ。
分かりやすく言うと二酸化炭素を
酸素と炭素に分解しながら燃える。

火を消すには砂を盛るなどして
空気に触れないようにするしかない。

ちなみにソヴィエトの人工衛星に搭載された
プルトニウム電池の冷却材として
使用されていたナック合金は、
漏洩事故を起こし地球の上空を漂っている。

スペースデブリの危険性が指摘されて
久しいが、こんなものまでデブリに
なっているのである。

なお、ナック合金は化学合成の分野では
有益に使われている。
特に水への反応を利用して
脱水剤として活用されているようだ。

性質だけ聞くと酷く危険な
何の役に立つのか分からない物質だが、
きちんと活用方法があるのである。

2018年10月17日水曜日

リーブルヴィル

アフリカ中部西岸の国ガボンの首都である。

この街は元々ガボンという名前であった。
ポルトガル語で水夫用の外套の意味である。
どうやら山の形が似ていたらしい。

奴隷と象牙の集積港として利用されていたが、
ポルトガル人のコルコワ砦は
ンポンゲ人によって破壊された。

その後、フランスの植民地となった際に、
シエラレオネのフリータウンのように、
解放奴隷が集い街を形成する。

その際に改名されたのがリーブルヴィルである。
自由の町という意味だ。
つまりフリータウンである。

ガボンは国土のほとんどが森林である。
人口は少なく、沿岸部に集中している。

ガボンには様々な鉱物資源が眠っており、
現在では石油も採掘されているため、
経済的には比較的豊かである。

そのためか治安は良いのだが、
いかんせんビジネスでもなければ
あまり訪れることはないだろう。

本邦とはあまり縁がなく、
世界的に見ても存在感は薄い方だ。

大聖堂は聖マリー大聖堂である。
実はこの聖堂、リーブルヴィルの街を守る
オマール砦の一部となるよう建造された。

したがって、教会建築としての美しさよりも、
耐久性や収容人数を重視して造られている。
なので、面白みに欠ける四角い教会なのだ。

せめて要塞らしい佇まいであれば
むしろ私の大好物なのだが
その点でもいまひとつである。

海賊の襲撃に備える詰め所だったのだろう。
教会の尖塔というよりも、純粋に見張り台
とでも言うべき塔が傍らに存在する。

それでもこの大聖堂はガボンの歴史上重要で、
現地のランドマークとして愛されている。

もうひとつ、大聖堂ではないが重要な教会がある。
ンケンボの聖ミシェル教会である。

木造の非常に大きな集会場といった風情で、
正直な感想を述べるならば、
教会建築としての見応えはいまいちである。

しかし、敬虔なキリスト教徒の多いガボンの
人々の精神的な拠り所であり、生活に根差した
信仰という言葉がしっくりくる場所だ。

他の観光名所は博物館の類ぐらいだろうか。
ラララという面白い地名の住宅街があるらしい。

密林の聖者ことアルベルト・シュヴァイツァーは
近くの街ランバレネで活動していたため、
リーブルヴィルには特に縁の場所なども
少なくとも有名なものはない。

とりあえず観光をするなら
都市を出て大自然を堪能してほしい。

料理は中部アフリカ西岸の他の国と大差ない。
森林の野生動物が食べられるぐらいか。

なんだか雑な記事になってしまったが、
ンポンゲ人の歴史を書いても無駄に
長くなるだけなのでこれでいいことにしよう。

2018年10月16日火曜日

トンボ

細長い腹部と折りたたむことのできない羽、
そして大きな複眼を持つ昆虫である。

本邦に住んでいてトンボを見たことがない
というのは非常に珍しい。
それだけ一般的な虫である。

本邦の古称に秋津洲というものがあるが、
この秋津とはトンボのことだ。

といっても、トンボが多いためではない。
神武帝が山頂から見た国土がトンボの
ようだったのだと日本書紀に書かれている。

トンボは益虫である。
古事記にもそう書いてある。

雄略帝の腕を刺そうとした虻を
さっと食い殺したのだという。

実際のところ、
水棲の幼虫は水質を維持し、
成虫になると害虫を食らうため、
特に水田と相性が良い。

地に這いつくばることなく、
後ろに進むこともないため、
不退転の戦士として武士たちにも好まれた。

あまり必要はないが、実際には
その気になれば後退もできる。

トンボの飛行能力は凄まじく、
前後左右上下動が思いのままなのはもちろん、
空中停止が可能というヘリコプター並の
細かな機動が可能だ。

また、飛行速度、飛行距離にも優れており、
四枚ある羽のうち一枚ぐらいであれば
失っても飛ぶことが可能である。

動体視力も素晴らしく、恐らく彼らの目には
蠅など止まって見えているのではないだろうか。

肉食性のトンボは空中で他の虫を捕獲する。
足は歩くのには適さず、
獲物を抱え込むことに特化した形状を持つ。

ここまでトンボの凄い点を挙げてきたが、
残念な部分もある。

動体視力は凄いのだが、ものの識別能力は低い。
このため、高速で動くものをすべて
羽ばたくものだと認識し、獲物、ライバル、
天敵、異性のいずれかと誤認する。

このため、扇風機のファンや
電動のこぎりに突撃し、
バラバラになることがある。

小石を結び付けた紐を振り回して上空へ投げると
獲物だと思って飛びかかり、
紐に絡まって落ちてくる。
昔はこの方法で子供たちがトンボ獲りをしていた。

なお、トンボは漢字で蜻蛉と書くが、
同じ字でカゲロウとも読む。
トンボとカゲロウは別の虫だが、
昔は同じ虫だと思われていたのだ。

ヨーロッパではドラゴンフライと呼ばれている。
改めて言うまでもなくドラゴンは
キリスト教では敵対者の象徴である。
魔女の針という呼び名もある。

キリスト教以前からの俗信として、
その剃刀のような羽によって切り裂かれる、
その針のような胴体によって刺される、
あるいは口を縫い付けられると思われていた。

他には悪魔の乗り物であったり、
目をくり抜いたり、邪悪な蛇の治療をしたり、
耳を切り裂いたりする。

とにかく不吉な虫として嫌われていたのだ。
未だにトンボが刺す虫だと
思っている者は少なくないらしい。

ちなみに、漢方薬の材料にもなる。
黒焼きにしたものが精力剤となるとされる。
もちろん、そんな効果はない。

食用とする地域もある。
本邦では冒頭に挙げたように敬愛されているため
食べる文化は無い。西洋では前述の通り
恐れられているため食べる文化は無い。

華南や東南アジアではトンボ食文化がある。
もっとも、可食部や集めやすさの点で、
珍味の域を出ないようだが。

成虫は胸部以外は食べる価値がないが、
胸部は甘みのあるエビのようで美味だと聞く。
塩茹でがいいらしい。

幼虫であるヤゴはエビより美味いと
言う者すらいる。
素揚げがいいらしい。

唐突に思い出したが、
露草という青い小さな花がある。

子供の頃、どういうわけか
トンボがこの花を食うという
常識がまかり通っていた。

私もトンボを捕まえては露草の花を
トンボの顔に押し付けたものだが、
実際にがしがしと食らう。
抵抗のために噛り付いていただけのようだが。

調べてみると、やはり昔の子供は
トンボが露草を食うと信じていたようだ。
今考えると不思議である。

2018年10月15日月曜日

リーガ

バルト海に面するラトビアの首都である

ラトビアは本邦での知名度が低い。
バルト三国の真ん中のやつである。

北のエストニア同様に公共の場での広告などに
ロシア語を使用することを規制しているが、
エストニアとは少しだけ事情が違う。

ソヴィエト時代に民族のアイデンティティを
抑圧された反動という部分も確かに大きいのだが、
最大の理由は帰化もロシアへの移住もしない
ロシア語を話す住民の存在にある。

在ラトビアロシア人問題というわけだ。
ただ、この話をすると長くなるので省く。

首都リーガに話を移そう。
この街はバルト海の真珠と呼ばれる
風光明媚な美しい都市である。
アールヌーヴォー様式の建物が目立つ。

リガ湾に注ぎ込むダウガヴァ川の河口に
発展したリーガは天然の良港である。

チュートン騎士団領であったことや
ハンザ同盟の加盟都市であったことは
エストニアの首都タリンと似ている。

支配者が入れ替わり、最終的にドイツと
ソヴィエトの取り合いとなり、ソヴィエトの
衰退によって独立を果たしたことも同じ流れだ。

ならばエストニアと合同で国を作れば
良いのではと思うかもしれないが、
民族と言語が違う。

本邦に住んでいると肌感覚での理解が難しいが、
民族と言語の違いというのは大きい。

小難しい話はこのぐらいにして、
大聖堂を紹介しよう。

もしかしたら大聖堂の話こそ
読み飛ばされているかもしれないが、
もはやこのブログのアイデンティティなので書く。

中心的なものはルター派のリーガ大聖堂である。
幾度も改築され、その度に様々な様式が
取り入れられてきたため、
外観に統一的な美しさは求めにくい。

だが、実際に見ることで各様式の特徴を
発見していく楽しみがあり、中に入れば
素晴らしい装飾のパイプオルガンが出迎えてくれる。

正教会の大聖堂はハリストス生誕大聖堂である。
ネオビザンチン様式の少しメルヘンチックな建物で、
ソヴィエト時代にはプラネタリウムに改装された。

復帰後はドームに金メッキを施し、
破壊されていた壁画も新調されている。

さて、リガは前述の通りバルト海の真珠と
呼ばれるほど美しい街である。
観光名所には事欠かない。

アールヌーヴォーの美しい装飾を見ながら
街を散策するのが最適解だろう。

個人的にはソヴィエト軍侵攻の際に
抵抗の拠点の一つとなった火薬塔をお勧めしたい。
その外壁には今も多数の銃弾がめり込んでいる。

食べ物はエストニアとあまり変わらない。
ソーセージとジャガイモを食べて
ジャガイモから作ったウォッカを飲むといい。

ジャガイモに飽きたらライ麦パンと
灰色豆のスープだ。

灰色豆とはラトビア特有のエンドウ豆なのだが、
名前がなんとも食欲をそそらない。

ラトビア料理はまあまあ美味いが
華やかさには欠けるきらいがある。

2018年10月14日日曜日

キャッサバ

アフリカの重要な食物とされているイモである。
マニオクなど、地域によって呼び名は違う。

だが、実は南アメリカが原産であり、
アフリカには大航海時代に船内での
奴隷用食料として持ち込まれた。

乾燥地、痩せた土地、酸性の土でもよく育ち、
収穫量が多く、栽培方法もごく簡単である。

茎を地面に刺すだけで増え、
最大級の澱粉生成量を誇る。

農業技術の発展していない地域でも
容易に食料を生産することができるのだ。
ただし、寒さは苦手のようである。

もしかするとアフリカの人口爆発の
理由のひとつかもしれない。

さて、気になるお味だが、
甘味の少ないサツマイモといった風である。

実は毒があり、調理にはひと手間かかる。
具体的には水に晒して毒を抜くか、
発酵させて毒を分解する方法が一般的だ。

東アジアで大人気のタピオカの原料でもあり、
タイやベトナムで盛んに栽培されている。

また、バイオマス燃料の原料としても
注目が集まっており、キャッサバ由来の
エタノールがチャイナから多く輸出されている。

食糧問題を解決する可能性を秘めた
植物であったが、近年では工業用栽培が増え、
需要に対して供給が追い付いていない。

もしかするとキャッサバアルコール燃料で
自動車を走らせるのが普通になる時代も
来るかもしれないし来ないかもしれない。

2018年10月13日土曜日

マラボ

ギネアエクアトリアルの首都である。
いわゆる赤道ギニアの首都だ。
名前がギニアとエクアドルと被っている。

といっても、そもそも赤道ギニアと聞いても
ぴんとこないかもしれない。
そもそも赤道上に無い。

赤道ギニアはギニア湾に面した
アフリカにしては小さい国である。

しかし、本体はギニア湾に浮かぶ島の方で、
リオムニと呼ばれる大陸側領土とは
結構な距離がある。

首都マラボはビオコ島に存在する。

ビオコもリオムニもポルトガルの植民地であったが、
ブラジルを巡ってイスパニアと争った際に、
ビオコとリオムニを差し出すことで、
ブラジルの利権を認めさせた経緯がある。

故に、赤道ギニアはイスパニアの植民地であった。
アフリカで唯一スペイン語が公用語の国である。

さて、マラボについてだが、実はこの街を建設したのは
ポルトガル人でもイスパニア人でもない。
イングランド人だ。

アフリカに植民地を欲していたイスパニアだが、
新大陸との往来を重視していたため、
ギニア湾のこの地を持て余していた形跡がある。

もちろん、プランテーションを作り、
収益を上げていたのだが、
ビオコ島をイングランドに貸与した。

ポート・クラレンスという港町がマラボの前身なのだが、
解放奴隷たちが集まり、都市が形成される。
シエラレオネのフリータウンのノリだ。

独立後はいわゆる独裁者が大統領となったのだが、
彼はヨーロッパ式の地名をすべてアフリカ式に
改名するという政策を行った。
マラボもその流れで今の名前になったのだ。

恐怖政治を敷いていた件の大統領は
自分の甥にクーデターを起こされ処刑された。
その甥は大統領となり、再選を繰り返し、
現在も大統領である。

ビオコ島沖では石油が採掘可能だ。
そのお陰で赤道ギニアの経済はうなぎ登りである。

さて、大聖堂の話をしよう。
なんといっても元イスパニア領である。
聖イサベル大聖堂という素晴らしい大聖堂が存在する。

ネオゴシック様式だが威圧的ではなく、
優美で典雅で洗練された佇まいである。

ちなみに聖イサベルとはテューリンゲンに嫁いだ
ハンガリー王女のエルジェーベトのことだが、
何故この聖女の名を冠することになったのかは
寡聞にして知らない。

マラボの観光地といえばこの大聖堂で、
他に特筆すべきものはない。
観光をするなら街を出て自然を楽しむことになる。

あとは、スラムには近付かないことだ。
独裁的な大統領が治める石油成金国家の庶民が
良い暮らしをしていると思ったら大間違いだ。

そもそも、入国が難しいので
気軽に観光できる国でもないのだが。

もちろん賄賂の要求も激しい。
逆に言えば気前よく賄賂を渡せば
簡単に入国できるのかもしれない。

食べ物はクレオール系の料理で魚介類が主体だ。
スープ類は魚介の出汁がよく出ていて
美味いと評判である。

しかし、アフリカの国の大統領というものは
一部だとは思うがどうしてこうも大統領とは
何かと問いたくなるような人物が多いのだろう。

2018年10月12日金曜日

ひよこ豆

ガルバンゾやチャナと呼ばれる小粒の豆である。

インドから地中海沿岸にかけて広く愛好され、
近年では本邦でも輸入品を見ることができる。

ラテン語ではキケルと呼ばれているが、
これが訛り、英語でチックとなった。
ひよこのことである。

チックピーの邦訳としてひよこ豆という
可愛らしい名前が生まれた。

個人的にはスペイン語のガルバンゾも
頑張るぞと気合を入れているようで楽しい。

ところで、マルクス・トゥッリウス・キケロの
家名キケロはひよこ豆に由来する。

彼の家系はそれまで政治家を輩出したことが無く、
家名はとても庶民らしい食物の名だった。
友人たちはキケロに改名を勧めたという。

しかし、彼は重要な食糧たる
ひよこ豆の名を恥じることなく活躍し、
その名を後世に残すことに成功した。

ところで、ひよこ豆は湿気が苦手である。
本邦の気候では豆にカビが生え、
うまく栽培することができないらしい。

食べ方は色々だ。
茹でられたパウチや缶詰の品をサラダに
乗せるのが本邦ではポピュラーかもしれない。

他にはカレーのダール、エジプトのコシャリ、
潰して揚げたファラフェル、ミャンマーの豆腐、
香辛料と共にペーストにしたフムスなど、
様々な地域で色々な調理法で食されている。

煮込み料理などは各地に存在し、
それぞれの地域らしい味付けがなされる。

このように、本邦での知名度は低いが、
世界的には大変メジャーな豆である。

栄養価も高いので是非食べたいところだが、
本邦では入手が割高になってしまう。
残念だ。

2018年10月11日木曜日

タリン

フィンランド湾南岸に位置する
エストニアの首都である。

エストニアは本邦で知名度の低い国だと思われる。
バルト三国と聞けば思い出すかもしれないが、
並び順まではなかなか記憶できない。

エストニアは現地語ではエースティというのだが、
これは元々エースティ人と呼ばれる人々が
住んでいたためだといわれている。
民族名のエースティの語源は不明である。

その首都であるタリンは北方十字軍の際に
建造された砦が原型だ。

トームペア砦周辺に徐々に人が住みつき、
街になっていったのだと思われる。

スラヴ人がコリヴァンと呼んでいたため、
サラセン人は世界地図にクルワンの名で
この街を記録していた。

後に砦はデンマーク王によって
トームペア城として築き直され、
街としての格が上がる。

ハンザ同盟に加わり、名をレバルと改め、
デンマークの植民地として発展するのだが、
チュートン騎士団に売り払われてしまった。

この騎士団領であった時代の名残で、
エストニアはドイツ風の気性を持つ。

その後スウェーデン、ロシアと支配者は変わり、
近代に入ってようやく独立を果たすのだが、
すぐにドイツに占領され、ソヴィエトに占領され、
再びドイツに占領され、ソヴィエトに飲み込まれた。

ソヴィエトの凋落によりバルト三国は独立、
エストニアはようやく国家となった。
独立の経緯は「歌による革命」や「バルトの道」
といったキーワードを調べてみてほしい。

なお、レバルからタリンへの改名は
最初の独立の際にトームペア城を指して
デンマーク人の城という意味で行われた。

もっとも、ドイツ人はレーファルと呼び、
ロシア人はレーヴェリと呼んでいたが。

さて、そんなタリンの街には未だロシアの影が残る。
公用語はエストニア語なのだが、
人口の半分はロシア語を話すのだ。

エストニアの民族としてのアイデンティティを
ソヴィエトに押さえつけられていた反動で、
タリンには街中の看板等にロシア語を
使うことを制限する法が存在する。

エストニア人のロシア嫌いはフィンランド人や
トルコ人と並んで特に顕著だ。

街に話を戻そう。
タリンは高度に電子化の進んだ都市である。
インターネットに接続可能な端末と
政府が発行する身分証さえあれば
大抵のことが完結する。

具体的には役所でするような手続きは、
スマートフォンで身分証を読み込めば
どこにいても可能だ。

この身分証は運転免許証や
買い物のポイントカードも兼ねている。

当然電子マネー化も進んでおり、
現金を持ち歩く者は珍しい。

極めつけは本邦で言うところの国会において、
インターネットを介した通信での
出席が許可されている。
さすがはスカイプを生んだ国である。

そんな電子都市にも当然大聖堂はある。
中心的なものは正教会の
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂だ。

正教会において列聖されている
ウラジミール大公の名を冠したこの大聖堂は
玉葱状の尖塔を持つネオビザンチン様式だ。
本邦の感覚では非常にエキゾチックである。

続いてカトリックの大聖堂は
聖ペーター聖パウル大聖堂だ。
分かりにくいかもしれないが、
ペテロとパウロの名が並列している。

北方十字軍の際に聖堂として建てられた
ゴシック様式であったが、
新教派のスウェーデンによって廃止された。

その後信教の自由を得た際に
ネオクラッシック様式で大聖堂として
再建された経緯を持つ。

元々バシリカであったため
建物の形としては四角い。

最後にスウェーデン時代に根付いた
ルター派プロテスタントの大聖堂だが、
これは聖マリー大聖堂である。

デンマーク人の造ったカトリックの
大聖堂だったが、ルター派に改宗された。

前述のペテロパウロ大聖堂が
カテドラルとして建築されていないのは、
本来はこちらが大聖堂だったためだ。

ただし、古いゴシック様式のため、
あまり洗練されておらず、
白が眩しい素晴らしい建築だが、
凡庸な教会といった印象を受ける。

ゴシックとは本来野蛮人たる
ゴート人のものを指す言葉である。

話が逸れそうだ、
タリンの観光名所の紹介をしよう。

大聖堂以外にも目ぼしい教会があるのだが、
文字数がすでにえらいことになっているので
お勧めのひとつだけを挙げさせてもらう。

太ましいマルガレータである。

タリン旧市街北端に位置する
要塞砲塔のことなのだが、
兵舎や監獄としても利用された。

マルガレータは監獄時代に
そこで働いていた女性の名前らしい。
随分と豊満な方だったのだろう。

太るといえば料理である。
エストニア料理にはイワシ、豚肉、牛乳、
そしてジャガイモが欠かせない。

豚肉は余すところなく丁寧に食べる。
特に大麦を混ぜた豚のブラッドソーセージは
国民食と言われている。

あとは酒だ。
ビールとウォッカをやたらと飲む。
いや、ビールは酒だと
認識していないかもしれない。

冗談で言っているのではない。
酒飲みだらけの国ではどこも
ビールは代わりに飲まれている。

飲み水の質が悪い国では特に。
エストニアの水も煮沸せずに
飲むのはお勧めしない。

硬度も高いのでミネラルウォーターを買おう。
炭酸入りの硬水ばかり売っている気もするが。

別の機会に詳しく書くが、海外旅行の際は
とにかく飲み物の確保に気を使った方がいい。
特に甘くなくて冷たいお茶を
常飲しているのなら対策が必要だ。

今回の記事はもしかすると過去最長かもしれない。

2018年10月10日水曜日

余談3

また自分語りとなってしまうが、
ライターとして少し成長できた話をしたいと思う。

私はフレーバーテキストを書きたくて
ライターになった身だが、
時にはシナリオも書かなくてはならない。

ソーシャルゲームのシナリオは多くの場合、
地の文もなく会話だけで進行する。

以前にも書いたが私はこのセリフ劇というものに
苦手意識を持っている。

そもそもセリフというものが苦手なのだ。

というのも、物語上の会話というのは
現実に即して考えるならば
非常に不自然だと思わないだろうか。

現実においてそんな会話をするわけがない。
どうしてもそういう意識が抜けず、
過去に小説などを書いてもセリフ回しに難儀し、
セリフ無しで書くことも多くなってしまった。

ライターとなって初期の頃に書いたセリフ劇を
倦怠期の夫婦の会話のようだと評され
リテイクを受けた時は色々と反省したものだ。

以来、好きなゲームのセリフ回しを意識し、
演劇の台本のつもりで書いてきたが、
それなりに評価はされていたものの、
どうにも自分の中ではしっくりこなかった。

外連味たっぷりの、明らかに普通ではない口調の
キャラクターは活き活きと喋らせることが
できていたと思うのだが、これはリアリティ
というものを意識せずに済んだからだと思う。

そんな中、またシナリオを書くことになった。
そろそろ苦手意識を払拭しなければならない。

構想を練る中で、ふと思い出したことがあった。
国民的アニメともいうべき某ロボットアニメ、
ロボットと呼ぶと怒られるあのアニメシリーズの
独特なセリフ回しを思い出したのだ。

会話をしているキャラクター同士が、
明らかに相手の話を聞いていない。
自分の言いたいことだけをぶつけ合う。
それなのに会話が成立している。

それに気付いたのはお互いの声が聞こえるはずの
ない宇宙空間での戦闘シーンにおいて、
会話が成立しているのを思い出したためだ。

互いの独り言がリンクし、
会話が成立しているように見える。

そう思って見返してみると、対面のシーンですら、
彼らの耳には相手の言葉が入っていないとしか
思えないところが頻繁にある。

そして、そういうシーンほど面白く、
記憶に残っている。

つまり。
物語上のセリフは対話である必要はないのだ。
もしかしたら文章書きの学校に行けば
授業で教えられる基礎なのかもしれない。

だが、私はフレーバーテキストや学術書が好きで
ライターになった身である。
独学には限界があるのかもしれない。

ただ、今回は天啓の如く
この会話の手法に気付くことができた。

さっそく新たなシナリオを書くに当たって、
このことを強く意識してセリフ劇を書いてみた。
これまで苦労して書いていたのが嘘のように、
すらすらと書けてしまった。

もっとも、今回は登場人物のほぼ全員が狂人で、
かつ独特の喋り方をするので
元々書きやすいものではあったのだが。

しかし、自画自賛ではあるが、このうまくいった
という感覚はおそらく今後セリフ劇を書く際に
大きな力となるだろう。

いわゆるエゴサーチをしてみるに、
今回のシナリオはなかなか評判が良いようだ。

自分で実際にプレイしてみた所感としては、
この部分はこうすべきだったと思う個所も
少なからずあったが、
すでに世に出てしまったものは仕方がない。

今後より良いものを作りだせるよう精進しよう。

トウモロコシ

小麦、米と並ぶ世界三大穀物である。

結実した状態の見た目からは思いもよらないが、
イネ科の植物だ。

花を見ればなんとなく納得できるのだが、
そこからあの形になるまでの変化に驚く。

非常に古い時代からアメリカ大陸の人々の
食を支えてきた存在であり、
トウモロコシに関する神話は多い。

人間を生かすための存在だと語られ、
本邦における米のように、
明確に他の食料と差別化されている。

クリストバル・コロンが旧大陸へと持ち帰った
他の作物と比べ明らかに栽培開始が早いのだが、
イベリアにはその時すでにトウモロコシが
あったという説がある。

実はコロンの新大陸到達以前の
明代にすでに玉米や玉麦、玉黍などの
名前でトウモロコシが存在していた。

つまり、太平洋を越えてもたらされたか、
新大陸からアフリカへ、そして東南アジアへ、
どちらかのルートで大航海時代以前に
伝播があったということである。

ヨーロッパでトルコ小麦の名前で
流通したこともあるため、
新大陸からイベリアへ、ではなく、
中東から地中海へ伝播した可能性が高い。

伝播の不思議についてはこのぐらいにして、
通常の食料として以外の利用の話をしたい。

トウモロコシは澱粉の宝庫である。
そこからコーンシロップやアルコール、
糊や生分解性プラスチックが精製される。

特にアルコールはバイオマス燃料として
注目されたため、生産量が増加した。

粒を取った後の軸にも利用価値があり、
合成樹脂や合成甘味料の材料となる。

あの特徴的なひげはトウモロコシ茶として
人気が出ているし、古くは南蛮毛の名で
利尿作用を持つ漢方薬とされていた。

ところでトウモロコシという名前は妙だ。
トウは唐であり、モロコシもまた唐なのだ。

トウキビという穀物がある。
コーリャンと呼ばれるもので、
本邦ではモロコシと呼ばれる。

大陸から本邦に渡ってきたため、
唐黍と呼ばれたのだが、
モロコシの名が定着して歳月が流れて後に、
よく似た植物がポルトガル人の手で伝来した。

当時は舶来品に南蛮や唐の名を付けて
既存のものと区別していたのだが、
南蛮唐黍ではなく唐唐黍となった。
しかし、漢字で書くととても座りが悪い。

このため、大陸での呼び名、
玉蜀黍の字が当てられるようになった。
このように聞いたが他にも説があるようだ。

ちなみに英語のコーンは本来は
穀物全般を指す言葉であるが、
知っての通り合衆国ではトウモロコシを指す。

だが、イギリス英語では
トウモロコシはメイズである。
他の国でもマイスが圧倒的に多い。

これは大航海時代当時に新大陸で
マイズと呼ばれていたことに由来する。

本邦でもコーンという呼び名が定着しているが、
アナナスのパイナップルと同じように、
実は特殊な呼び方であった。

もっとも、アメリカ英語が席捲している現在、
ヨーロッパ人にもコーンで通じるかもしれない。

そして、理解した上で何の穀物だよと
ジョークのネタにされるかもしれない。

2018年10月9日火曜日

サントメ

ギニア湾に浮かぶサントメイプリンシプの首都である。

サントメイプリンシプはサントメ島とプリンシペ島、
及びその周辺の島々で構成されている。

サントメの名は発見日が守護聖人として崇敬される
聖トマスの日であったことにちなむ。

プリンシペ島はサントメに倣い聖人の名が付けられ、
サンアントニオ島と呼ばれていたが、
王子を意味するプリンシペに改名された。

この島は当初、ユダヤ人の流刑地として使われた。
その後は奴隷貿易の中継港となり、
奴隷によるサトウキビ栽培が行われた。

後に商品作物はカカオへと切り替えられ、
現在でも主要な輸出品となっている。
とはいえ、旱魃も多く、貧困国である。

公用語はポルトガル語だが、
都市部以外ではあまり通じない。

サントメ観光をする際には事前に十分な額の
通貨ドブラを用意しておいた方がいい。

現地で両替するには怪しげな両替商と
路上で取引する羽目になる。

タクシーが止まると、物売りや両替商が
わらわらと集まって来るのだが、
窓越しにやり取りをする。

車外で取引をすると、警官がやってきて
賄賂を要求されるのでやめておこう。

タクシーの扉を勝手に開けて、
手荷物を奪っていく強盗も発生しているので、
自衛意識を強く持つ必要がある。

なお、警官は当てにならない。
盗られたものを返してもらう際に
謝礼を要求されると聞いた。

つまるところ、治安がかなり悪いということだ。

大聖堂は優美なる聖母大聖堂がある。
コロニアル様式の白い教会で、
規模は地域を考慮するとそこそこだ。

なお、近代に行われた改修で
外観は大きく変わっている。

料理はポルトガル風である。
甘くない調理用バナナを使ったオムレツが
ユニークで人気の軽食だ。

トマトもよく使われるが、
魚介類以外の食材は輸入品が多い。

サントメに大した観光名所は無い。
海が綺麗かもしれないが、
それが目的ならもっと安全な所へ行こう。

そもそも離島なので交通アクセスも悪い。
わざわざ行くような島ではないと思う。

2018年10月8日月曜日

テトロドトキシン

フグの毒として知られる有名な毒である。
だが、未だに解明されていない部分の多い物質だ。

まずはこの毒で何故死に至るのかを説明したい。

テトロドトキシンは神経伝達を遮断する効果を持つ。
このため、脳から各組織への信号が送られず、
身体は麻痺することになる。

この時に最も影響を受けるのが呼吸器である。
息を吸って吐く、普段意識もせずに行っている
この動作が行えなくなり、酸欠となるのだ。

したがって、人工呼吸などによって毒が抜けるまで
肺に空気を送り続けることができれば、
理論上は救命することが可能だ。

ちなみに有効な解毒剤は現在のところ存在しない。

神経伝達を活性化するトリカブトの毒を摂取すれば、
テトロドトキシンの効果を中和することができるが、
今度は心臓が止まるので結局は酸欠となる。

この毒を持つ生き物はフグだけではない。
そもそもこの毒はフグが生成しているわけではない。
テトロドトキシンを生成する細菌がいるのだ。

一説によると、この細菌は腸内細菌として存在し、
フグや一部のタコ、カニなどに毒をもたらす。

また、そうした有毒生物を食べ、かつ
それらの生物と同様にテトロドトキシンの
影響を受けない生物もこの毒を持っている。

なお、この毒を微量使うことによって、
鎮痛剤とする場合があるらしい。
耐性が付いたり依存症になったりしない
という利点があるそうだ。

テトロドトキシンは蛋白質ではないため、
熱での破壊が難しい。

だが、そんな猛毒が溜め込まれた
フグの卵巣を食べる文化が
本邦の石川県には存在する。

正気の沙汰ではないのだが、
卵巣を長期間糠漬けにすると、
卵巣中の毒が減少するのだ。

実はこの減少する理由が未だ分かっていない。
発酵による分解ではないことは確認済みで、
糠への析出ではないかと言われている。

河豚の子糠漬けと呼ばれるこの料理が
どのようにして誕生したのかは不明だが、
完成までにどれだけの犠牲が出たのだろうか。

似た料理は本邦の他の地域にもあるのだが、
新潟県や富山県なので、おそらくは
製法が伝播したものだろう。

狂気すら感じるフグの卵巣を食ってやろう
という執念を持った人間が各地に多数いたと
すれば、いかれた民族と形容するほかない。

なので、ひとつの製法が伝播してから
各地でアレンジされたのだと思いたい。

本邦の食文化には少なからず、
わざわざ食わずとも良いものを
なんとかして食ってやろうという傾向がある。

それも、他に食うものがなく、
飢えから逃れるために創意工夫したというより、
美食や珍奇性を求めてというケースが多い。

外国人から異常なものを見る目を向けられるのも
致し方ないことかもしれない。

しかし、例えば食中毒の危険性の高い生卵を、
何の心配もなく食べられるようにした執念は、
様々な技術や知識と直結している。

本邦の高い水準の食品衛生を享受できるのは、
飽くなき美食への執念があったからこそ
なのかもしれない。

話が逸れたが、素人がフグを捌いてはいけない。
良く知らない貝やカニも食べてはいけない。

それでも本邦には今後も新しい珍味が
誕生していくのだろうなとは思う。

2018年10月7日日曜日

ヘルシンキ

北欧の国、ムーミンで知られる国スオミの首都である。

知名度は高いと思うが、
スオミはフィンランドの現地語での呼び方である。

スオミの語源ははっきりしないが、
恐らく元々の民族名と関係しているのだろう。

フィンランドに関しては、
ローマ人がこの地域の人々を
フェンニ人と呼んでいた記録がある。

さて、その首都ヘルシンキだが、
フィンランド湾に面する大都市で、
同じ湾にはロシアのサンクトペテルブルクが存在する。

ヘルシンキの名の由来は川の急流だと言われている。
北欧全体で見れば、ヘルシンゲルやヘルシンボルなど、
そうした地形で似た地名が散見される。

元々はヘルシングフォシュの名でハンザ同盟との
バルト海の覇権争いの拠点として建設された。
しかし、目論み通りには発展しなかった。

ヘルシンキの転機はフィンランドの領有権が
スウェーデンからロシアへと変わったことで訪れる。
ロシアはこの地域にフィンランド公国として自治権を与えた。

その際に、スウェーデンから距離を置くため、
首都をサンクトペテルブルクに近い
ヘルシンキに定めたのだ。

フィンランドは係争地として戦乱に次ぐ戦乱を
重ねていくが、ヘルシンキの街は発展を続けた。

ヘルシンキは大変美しい街である。
近代にネオクラッシック様式を基盤に都市計画が行われ、
その後アールヌーヴォー様式の建物が続々と建てられた。
北の白い都市と称えられる芸術作品のような街なのだ。

街の中心に位置するヘルシンキ大聖堂は、
ネオクラッシックの極致で、
ギリシアの神殿の如き白い姿は
北の白い都市の象徴と言えるだろう。

ヘルシンキ大聖堂はルター派である。
そして正教会の大聖堂はロシア時代に建てられた
生神女就寝大聖堂だ。

聖母マリアの昇天を記念する名である。
ロシア語ではウスペンスキーと言う。

こちらの建物は赤茶の壁と緑の屋根を持つ
スラブビザンチン様式であり、
ヘルシンキ大聖堂の華麗さと
対になっていると言っても良い荘厳さを持つ。

カトリックの聖ヘンリキン大聖堂もある。
街に滞在するカトリック派外国人のための教会だ。
見事な彫刻はあるが、他の二か所と比べてしまうと
こじんまりとした普通の教会という印象を受けるだろう。

大聖堂ではないが、岩盤をくりぬいて造られた
テンッペリアウキオ教会も面白い。
カンッピ礼拝堂もかなり前衛的だ。

さて、ヘルシンキはのんびりと街並みを楽しむのに
向いた観光地と言える。

歩いて回った後は料理を楽しみたいところだが、
実はフィンランド料理の評判は悪い。

ヨーロッパ人はイギリス料理を馬鹿にするが、
イギリス料理がまずさの一位だとすると、
フィンランド料理は二位にランクインする。

寒い気候風土のせいで野菜や穀物が限られ、
地形的に交易ルートも弱く、香草や香辛料に
乏しいことが理由ではないかと思われる。
が貴重だったことに由来する薄味も不評だ。

劣化ロシア料理と言われることもあるが、
ロシア嫌いのフィンランド人に言えば、
おそらく本気で気分を害する。

もっとも、ステレオタイプは
あくまでステレオタイプである。
美味い料理を探し出すのも旅の醍醐味だろう。

2018年10月6日土曜日

法螺貝

本邦近海で見られる貝の中では
ひと際大きな巻貝である。

一抱えもあるその大きな貝殻は、
楽器として非常に有名だ。

楽器の原理としては金管楽器である。
唇の振動音を増幅する。
ラッパと同じ理屈なのだ。

ギリシア神話の海神の息子トリートーンは
法螺貝を吹く役割を担っている。

ちなみに、海から採ってきたものが
そのまま楽器にできるわけではなく、
加工が必要なことは念のため書いておこう。

大きな音を鳴らすことができるため、
広い範囲に音色を響かせることができる。

インドの古い書物にも、
人を集める際の合図に使われたと書かれている。

本邦でも合戦時の合図に使われている
イメージが人口に膾炙している。

山伏の所持品としても知られているだろう。
彼らは山奥を歩き回るため、
やはり合図のために法螺貝を吹き鳴らす。
獣を威嚇する効果も期待できる。

法螺貝の名の法の字は仏法のことである。
古来、法螺貝の音色は魔除けの効果があると
考えられてきたことも山伏が持つ理由のひとつだ。
実際、危険な獣を追い払えるので理に適っている。

ところで、法螺を吹くという慣用表現がある。
これは予想外に大きな音が出ることに由来するが、
山伏という存在が胡散臭いと思われていたことも
多少は理由としてありそうだ。

さて、法螺貝は食べることができる。
通常は刺身か茹でによって
シンプルにいただく。
もちろん網焼きにしたっていい。

甘みがあり、生ならこりこりとした食感で、
貝好きなら気に入るに違いない。
なによりそのボリュームが魅力だ。

ただし、肝には毒がある。

オニヒトデなどの毒を持つ生き物を
食べているためだ。

元はと言えばオニヒトデも
毒を持つ生き物を食べているせいで
毒があるわけだが。

その毒はフグ毒として知られる猛毒
テトロドトキシンなので、
ちょっとぐらいならいいかと思わないように。

貝は意外と力が強い。
二枚貝をこじ開けられないように、
巻貝を引っ張り出すことも難しい。

法螺貝は一般的にふたつの方法で殻から出される。
ひとつめは軽く茹でる方法。
ふたつめは吊り下げて徐々に引き出す方法だ。

吊り下げるやり方は面倒くさく、
時間もかかるのだが、完全な生食が可能となる。

もっとも、殻が不要であれば
ハンマーで割ってしまえばいいのだが。

購入しようと思った場合、法螺貝はお高い。
小さなものなら食べられる身の量を考えれば
まだ分からなくもない値段である。

だが、サイズが大きくなればなるほど、
価格はつり上がっていく。
殻に価値があるためだろう。

ちなみに楽器に加工された法螺貝は
金管楽器らしい値段で売られている。

2018年10月5日金曜日

バンギ

サントラフリケーヌの首都である。

聞き慣れない国名だろう。
本邦では中央アフリカ共和国と呼ばれている。

だが、中央アフリカと呼んでは
地域を示しているのか国を示しているのか
判別ができない。

サントラフリケーヌの公用語は
フランス語である。

したがって、中央アフリカを指すフランス語、
サントラフリケーヌが正式な呼称だと判断した。

話は逸れるが、アフリカと聞くと
色々なイメージが湧くと思うが、
イフリーキヤとアラビア語で言うと
また違ったアトモスフィアがある。

なぜアラビア語など持ち出したかというと、
奴隷貿易の話をするためである。

ヨーロッパ人による大航海時代の奴隷貿易ではない。
サラセン人による奴隷貿易のことだ。

新世界ではなくイスラム世界へと
運ばれた奴隷たちの境遇は
いくぶんましなものであった。

才覚や身体技能や何か技術がある者なら
ムスリムに改宗することで厚待遇が得られたためだ。
運でも構わない。

兵士とされる場合もあり、
戦功を上げれば出世も夢ではない。
奴隷身分出身の権力者ですら珍しくない。
もっとも、ほとんどは苦境の中死んでいったのだが。

話をサントラフリケーヌに戻そう。
ここは名前が示す通りアフリカのど真ん中だ。
アフリカの分割を行った列強にとっても
比較的どうでもいい場所だったことだろう。

フランスの植民地時代に特別なトピックは無いのだが、
独立後の歴史は目も当てられない。
一周回って面白いので列記したいぐらいだ。

そんな失敗国家と呼ばれるサントラフリケーヌの
首都バンギはウバンギ川の河港である。

サラセン人の交易ルートの要地だったが、
イスラム帝国の縮退と共に重要性を失っていった。

現在はというと、フランス軍と
アフリカ連合軍が駐留し、
辛うじて街の体裁を保っている。

無政府状態、時はまさに世紀末というやつである。

旅行など間違っても行ける場所ではない。
行くための経路も限られているが。

干支が一回りするほどの年月、
アフリカには援助の手が差し伸べられてきた。

だが、何の意味があったのかと
問いたくなる地域は少なくない。

むしろ救いの手こそ彼らを不幸へと
誘ってきたのではないだろうか。
そんな風にすら思えてしまう。

2018年10月4日木曜日

モルフォ蝶

写真や動画で美しく青く輝く蝶を
見たことがあるだろう。
おそらくそれはモルフォ蝶だ。

モルフォとはギリシア語で美しい
という意味で、生きた宝石と呼ばれる
この蝶に相応しい名前だと言える。

南アメリカに生息するモルフォ蝶は
意外と種類が多く、
青一色以外のものの方が多い。

変わったところではタイヨウモルフォという
オレンジから黒にかけてのグラデーションを
持つモルフォ蝶も存在する。

さて、このモルフォ蝶の羽の色だが、
実際に青いわけではない。

光に干渉する構造色が、
あの独特の光沢を生み出している。

構造色というのは微細構造によって
光の波長が乱され、
特定の色に見えるというものだ。

身近な例で言うとコンパクトディスクの
あの虹色は構造色である。

玉虫色で知られるタマムシの光沢も
構造色によるもので、クジャクの羽の
光沢も同じく構造色によるものだ。

聞き慣れない言葉だが、
目にする機会は多い。

ところで成虫ばかり取り沙汰される
モルフォ蝶だが、その幼虫もまた
劇的な見た目をしている。

先に言っておくが、虫、特に毛虫や芋虫が
苦手な場合は絶対に調べない方がいい。

成虫の羽の模様が種類によって異なるように、
幼虫の色合いもそれぞれ異なる。

苦手な者が多いと思うので
詳しい描写はしないが、
大きくて棘がありカラフルである。

よくもまあ、これだけ奇怪な姿から、
あれだけ人々に称賛される美しい姿に
なるものだと感心すること請け合いである。

どうだろう、好奇心が刺激され
見てみたくなったのではないだろうか。
幼虫を。

ちなみにモルフォ蝶は毒を持つ。
あの見た目で有毒なのである。
格好良さに眩暈がしそうだ。

モルフォ蝶とは関係ないが、
ニジイロシジミタテハなども
むやみやたらとかっこいい。
透けた羽を持つ蝶も反則的だ。

ちなみに蝶は私にとって
特段好きな生き物というわけではない。

だが、そんな興味の無い者ですら
一部の蝶たちの造形に魅了されてしまう。

マニアが標本を蒐集したがる気持ちも
わからないではない。

なお、標本用にモルフォ蝶を
養殖する仕事が存在する。産業として
成り立つのだからその美しさは本物だろう。

ところで、まったくどうでもいいことだが
私はどくタイプが一番好きだ。

2018年10月3日水曜日

ストックホルム

スカンジナビア半島東部、バルト海に面した国
スウェーデンの首都である。
スウェーデンは現地語ではスヴェーリエとなる。

ストックホルムは丸太の島という意味だ。
木材の輸出港であったからとも、
防衛のために丸太で港を
封鎖したからとも言われている。

スウェーデンの歴史は古いが、
近世にグスタフ二世アドルフが
各種改革を行ってからが本番と言えるだろう。

特に軍事面における改革は、
三十年戦争において旧態依然とした
オーストリア軍に衝撃を与えた。

次の特筆すべき出来事としては、
ナポレオン麾下の元帥であった
ベルナドットを王に迎えたことだろう。

共和主義者であり、ナポレオンが皇帝に
なることも快く思っていなかった彼が
王になったのだから歴史は面白い。

スウェーデン国王として、カール十四世ヨハンと
なったベルナドットは、軍人時代から片鱗を見せて
いた内政の才により瀕死のスウェーデンを甦らせる。

残念ながらスウェーデンの激動の歴史を
細かく書いていられないので、
街の紹介に移ることにしよう。

ストックホルムは北欧の大都市である。
北欧ということで金髪碧眼の人々が
住んでいるイメージを持っているかもしれない。

だが、この街は多種多様な出自を
持つ人々の住む多民族都市である。
移民が多いのだ。

あまりの移民の多さに人種差別的な反動もあるが、
本邦への好感度は高いとされている。
スイス人と本邦人はあからさまに
優遇されているらしい。

どうか旅行に行く際は先人たちの築き上げた
信頼に傷を付けぬよう振舞ってほしい。

さて、大聖堂の話をしよう。

スウェーデンは新教派の国なので
国教会はルター派プロテスタントだ。

その大聖堂は聖ニコライ大聖堂で、
ストールシーキャンの愛称で呼ばれている。
素晴らしい教会という意味だ。

オレンジの外壁を持つゴシック建築だが、
外観はゴシック様式の定型ではない。
木製の聖ジョージとドラゴン像が有名だ。

聖ニコライ大聖堂はカトリックから改宗したもので、
代わりにできたカトリックのカテドラルは
聖エリック大聖堂である。

こちらもオレンジ色の外壁を持つが、
現代になってから建てられたもので、
様式についてはよくわからない。

なお、聖エリックは古い時代のスウェーデン王で、
殉教したことで聖人として崇敬されているが、
ローマカトリックからは列聖されていない。

正教会の大聖堂は聖ゲオルゲ大聖堂だ。
こちらも元はカトリックの教会であったが、
現代に入ってから正教会の大聖堂となった。

ゲオルゲはジョージのスウェーデン読みである。
赤茶色の外壁に緑青色の尖塔を持つ
美しい建物だが、知名度が低い。

長くなってしまったので
観光名所については少しだけ紹介しよう。

ノーベル博物館は多くの人にとって
本当は退屈な場所なのではないかと思う。
兵器博物館やヴァーサ号博物館の方が
きっと楽しい。私はそう思う。

スウェーデン料理も紹介したいが、
あまりに有名なあの食べ物のことを
書くだけで紙面が一杯になってしまう。

世界一臭いシュールストレミングのことだ。

缶詰にされた発酵させたニシンなのだが、
確かに臭かったが耐えられぬものではない。

ただし、本邦であれを食べてから電車に
乗った私が非常に罪深かったことを
深く認める程度には臭い。

だが、一度口に入れてしまえば
嗅覚というやつは容易く麻痺する。
食べた本人はあまり悩まされないのだ。

味は魚卵のようなえぐみを備えたの塊である。
度数の強い酒で口の中を洗い流すように
食べなければ匂いではなく塩辛さにまいるだろう。

あとはジャガイモやパンなど、
一緒に食べるものを用意するのを忘れないように。

単体で食べる類のものではない。
アンチョビの強烈なやつ
と言えばイメージできるだろうか。
まあ、一度食べて話の種にできれば十分なものだ。

ちゃんとしたスウェーデン料理については
今後スウェーデンの別の街を
紹介する際に書こう。

とりあえず、ほとんど紹介できていないが
ストックホルムは観光地としては
それなりにお勧めできる街である。

2018年10月2日火曜日

オジギソウ

触れると一時的に萎れる草である。

眠り草や含羞草とも言う。
英語名を直訳すると敏感草だろうか。

学習教材として使われていたこともあるので
本邦では知名度が高いが、
在来種でないことはあまり知られていない。

本来は南アメリカの植物で、
本邦へはオランダ人によって江戸期に
もたらされた。

見た目はシダのように葉の並んだ
ただの草である。
花はポンポン状で桃色だ。
よく見ると茎に小さなトゲがある。

ちなみに人間に有効なほど強くはないが
毒を持っている。

この毒はフィラリアを殺すとされるが、
民間療法の域を出ない。
フィラリアに罹ったら素直に病院へ行こう。

なお、与太話かもしれないが、
オジギソウは地震の前兆として、
触れられもせずに萎れるという。

微細な震動を感知してのことなのか、
偶然が大袈裟に喧伝されているのか、
ひとまずは噂程度に聞いておこう。

ところで、何度も触っていると
翌朝まで萎れたまま戻らなくなる。

それが原因で枯れるということはないが、
成長は阻害されるので、
育てている場合には触り過ぎに注意せよ。

2018年10月1日月曜日

ヤウンデ

ギニア湾の奥に位置するカメルーンの首都である。
港湾都市ではなく、内陸に位置している。

大航海時代、ポルトガル人はウーリ川の河口に
ドゥアラの街を建設し、やはりここでも
奴隷貿易を行っていた。

カメルーンの名はポルトガル語で小エビを意味する
カラマローが変形したものである。
沿岸で小エビがよく獲れたのだろう。

カメルーンは後に列強となったドイツの支配下となり、
ドゥアラを中心に入植が行われた。

ドイツ人は内陸にヤウンデを建設し、
アフリカ内奥の富、主に象牙を入手する
ルートを確立させる。

現在でもドゥアラとヤウンデの間は
インフラが整備されており、
鉄道と道路によって繋がっている。

なお、ヤウンデの名は現地の
部族名から採用されたものだ。

ヤウンデは高原に建設された街であり、
赤道にほど近いにも関わらず冷涼かつ
じめじめとしていない。

おそらく、ドイツ人が住むには
他の場所では暑すぎたのだろう。

内陸部の産物はヤウンデに集積され、
ドゥアラ港から輸出されていく。

大規模な水力発電と様々な商品作物、
そして石油によってカメルーンの経済は良好だ。

この辺りでは珍しくクーデターや内戦とは
あまり縁がなく、政情が安定していることも
大きいだろう。

ただし、民主制については不透明な部分が多く、
再選を繰り返す大統領の投票結果には
疑惑が残るとされている。

なお、隣国ナイジェリアとは領土紛争を抱えており、
該当のバカシ半島では自治独立を望む声がある。

また、大戦の結果ドイツから取り上げられた
カメルーンの公用語はフランス語と英語なのだが、
英語話者は南部に少数住んでいるのみである。

このため、フランス語話者が優遇されることに
不満を抱える英語話者たちが
独立を求める動きも存在する。

さて、ヤウンデの話に戻ろう。

元々の大聖堂はドゥアラにある。
ドゥアラの大聖堂は素晴らしく、
今回紹介できないのが残念である。

ヤウンデにある平和大聖堂はモダンな姿が
こう言ってはなんだが少々胡散臭い。
内部はアフリカらしい色彩に驚かされる。
ちょっと新興宗教の感じがする。

モスクについても、見応えがあるのは
より北部にある街ンガウンデレの大モスクだ。
ヤウンデの新しいモスクも悪くはないが。

どうもヤウンデは小綺麗なのだ。
ドイツ人とフランス人どちらの趣味かわからないが、
悪くはないがアフリカ観光の醍醐味からは外れる。

ただ、サブサハラらしい余所の街と比べれば
圧倒的に居心地がいいのは間違いない。
治安も良い。

もっとも、観光客がカモにされるのは
どこの国でも同じなので気を緩めないように。

食べ物に関しては北部と南部でかなり異なる。
北部ではチャドに近く、
南部では西アフリカ風の料理となる。

野菜と香辛料を細かく刻んだ
ンドレと呼ばれるものが
カメルーンで最も愛されている料理だ。

特筆すべきは紅茶である。
フランスを中心に輸出されるオレンジペコーは
力強い香りが特徴で、アジアより西で作られる
紅茶としては比較的知名度が高い。

治安が良く、経済状況も良好なカメルーンは、
アフリカ旅行の行き先としては良い選択だろう。
ただし、国境沿いは危険なので注意が必要だ。