序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年10月5日金曜日

バンギ

サントラフリケーヌの首都である。

聞き慣れない国名だろう。
本邦では中央アフリカ共和国と呼ばれている。

だが、中央アフリカと呼んでは
地域を示しているのか国を示しているのか
判別ができない。

サントラフリケーヌの公用語は
フランス語である。

したがって、中央アフリカを指すフランス語、
サントラフリケーヌが正式な呼称だと判断した。

話は逸れるが、アフリカと聞くと
色々なイメージが湧くと思うが、
イフリーキヤとアラビア語で言うと
また違ったアトモスフィアがある。

なぜアラビア語など持ち出したかというと、
奴隷貿易の話をするためである。

ヨーロッパ人による大航海時代の奴隷貿易ではない。
サラセン人による奴隷貿易のことだ。

新世界ではなくイスラム世界へと
運ばれた奴隷たちの境遇は
いくぶんましなものであった。

才覚や身体技能や何か技術がある者なら
ムスリムに改宗することで厚待遇が得られたためだ。
運でも構わない。

兵士とされる場合もあり、
戦功を上げれば出世も夢ではない。
奴隷身分出身の権力者ですら珍しくない。
もっとも、ほとんどは苦境の中死んでいったのだが。

話をサントラフリケーヌに戻そう。
ここは名前が示す通りアフリカのど真ん中だ。
アフリカの分割を行った列強にとっても
比較的どうでもいい場所だったことだろう。

フランスの植民地時代に特別なトピックは無いのだが、
独立後の歴史は目も当てられない。
一周回って面白いので列記したいぐらいだ。

そんな失敗国家と呼ばれるサントラフリケーヌの
首都バンギはウバンギ川の河港である。

サラセン人の交易ルートの要地だったが、
イスラム帝国の縮退と共に重要性を失っていった。

現在はというと、フランス軍と
アフリカ連合軍が駐留し、
辛うじて街の体裁を保っている。

無政府状態、時はまさに世紀末というやつである。

旅行など間違っても行ける場所ではない。
行くための経路も限られているが。

干支が一回りするほどの年月、
アフリカには援助の手が差し伸べられてきた。

だが、何の意味があったのかと
問いたくなる地域は少なくない。

むしろ救いの手こそ彼らを不幸へと
誘ってきたのではないだろうか。
そんな風にすら思えてしまう。