序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年11月30日金曜日

アワカルケ

見るからに毒のありそうな
黄色い斑のある草である。

驚くべきはその根の長さだ。
ビル三階分ほども伸びるその根には
微量であるが神経を麻痺させる毒がある。

トルザリアでは古来この根を使い
狩猟のための毒矢に利用してきたのだが、
銃の登場で使われることは無くなった。

だが、種子に含まれる致死性の高い毒は
その後も歴史上幾度も暗殺に使われ、
毒殺の代名詞となっている。

本邦での知名度は無きに等しいが、
現地では若者のスラングとして、
死ぬほどという形容詞に使われている。

そんな有毒植物のアワカルケだが、
一部のトカゲの仲間は好んで花を食べる。

もちろん花にも毒があるため、
体内の酵素による解毒なしでは食べられない。

花は鮮やかな赤色で、
観賞用に良さそうだが、栽培が難しく
野生でしか見ることができない。

近年の森林伐採により数も減らしているため、
現物を見ることは難しいだろう。

2018年11月29日木曜日

ムババーネ

本邦での知名度が低いエスワティニの首都である。
ムババーネの名は街が作られた当時
この地域に居住していた部族長の名らしい。

エスワティニという国名が耳慣れないと思う、
それも当然だ、今年の四月に改名されたのだから。
それ以前はスワジランドと呼ばれていた。

もっとも、スワジランドの知名度も低いと思うが。

エスワティニもスワジランドも
スワジ人の国という意味だが、
英語から現地語へと変更された。

この国は南アフリカ共和国の東部に
食い込むように存在しているが、
これはスワジ人たちが膨張するオレンジ自由国から
身を守るためイギリスに保護を求めた結果だ。

エスワティニはイギリス連邦加盟国ではあるが、
独自の王を頂く王国である。

立憲君主制ではあるが、
事実上の専制君主制を敷いている。

民主化を求める動きも内外からあるが、
国王の強権は揺らいでいない。

様々な事件はあったが、どちらかと言えば、
安定していると言っても良いかもしれない。

経済状況は悪くはないのだが、
富は王族とごく少数の白人が占有しており、
一般国民の生活水準は低い。

また、国王の財布の紐が緩いともっぱらの噂である。

そんなエスワティニの首都ムババーネは
中途半端な街である。

王宮と議会はロバンバにあり、
経済の中心地はマンジニであるためだ。

ムババーネには行政府があるのだが、
前述の通りほぼ絶対王政のため、
重要度が低い。

近代化した都市だが、
垢ぬけない地方都市である。
見所も特に無い。

全ての聖人の大聖堂という聖公会の
大聖堂があるが、田舎のちょっと裕福な
地主の家といった雰囲気だ。

エスワティニの宗教事情は古来の宗教が
キリスト教と混じり合ったものが主なため、
キリスト教もイスラム教も強くない。

見所の無い田舎臭い首都ムババーネだが、
特筆すべき良い点がある。

清潔でのどかなのだ。
治安が良く、人々も小綺麗で、
街中も掃除されている。
食べ物もしっかりしている。

アフリカ南部とは思えない先進的な雰囲気だ。
田舎町をのんびり探索したいなら良いだろう。
わざわざ海外に行かずとも良い気はするが。

他の街も治安が良い。
アフリカでありがちな
警官の賄賂せびりも滅多にない。
むしろ暇を持て余して雑談を求めてくるらしい。

アフリカ南部を旅したいのであれば、
難易度の低い場所と言えるだろう。

2018年11月28日水曜日

マセル

本邦での知名度が低いレソトの首都である。
マセルの名は赤い砂岩という意味だ。

レソトは南アフリカ共和国の中ほどに
不自然に存在する国である。

かつてボーア人がオレンジ自由国を拡大する中で、
ソト人たちはイギリスに保護を求めた。
その結果、マロティ山脈一帯はバストランドと
呼ばれるイギリス植民地となった。

マロティ山脈はドラケンスベルヘ山脈の一部であり、
レソトはその全土が山地となっている。

この山脈は槍の障壁、ウクハランバと
呼ばれるほど険しい。

レソトはイギリス連邦加盟国ではあるが、
独自の王を頂く王国である。

本邦のように国民の象徴としての君主であり、
行政権は持っていないのだが、
不安定な政情もあって色々な事件があった。

いちいち列挙していられないほど
色々な事件があった。

レソトは気候が良く、水が豊富である。
これはアフリカでは珍しい有利な点だが、
農地に乏しいため水を売って食料を買っている。

ダイヤモンドも産出するが、
貿易収支は赤字である。

そんなレソトの首都マセルは
かなり現代的な佇まいを見せている。

もしレソトに観光に行くとしたら、
雄大かつ峻厳な自然が目的となるだろう。

マセルの見所はカトリックの勝利の聖母大聖堂と
聖公会の聖ヨハネ教会ぐらいだろうか。

ちなみに、非常に治安が悪い。

金を稼ぐため南アフリカに出稼ぎに行く者が
非常に多かったのだが、彼らは
南アフリカでのワールドカップ開催により
同国から締め出されてしまった。

帰還した者たちは失業者となり、
残念なことに多くが犯罪に走った。

数少ない農地で大麻を栽培して
密輸しているという話もあり、
問題は山積している。

エイズの蔓延も過酷である。
平均寿命は低く、産業は低迷し続けており、
先行きは暗い。

なお、主食はモロコシの発酵粥モホホだ。
食糧事情は悪いのだが、
マイスビールの醸造が盛んだという。

水が良いため美味いとも、
トウモロコシなので不味いとも聞くが、
現地に行かなければ味わえないので詳細は不明だ。

ビールは気になるが、
観光に行くべき場所とは思えない。

本邦外務省の海外安全情報によると、
特に危険情報は出ていないのだが、
私はお勧めしない。

それでも、もし行く用事があるのであれば、
ビールがどんなものだったか
ぜひとも教えてほしい。

2018年11月27日火曜日

ロカ岬

ヨーロッパの最西端、いや、
ユーラシア大陸の最西端である。

ポルトガルのリスボンから近く、
シントラからバスに乗って
一時間弱で到着する。

有名な「ここに地終わり海始まる」と
彫られた石碑以外には大したものは無く、
大西洋を見る以外にできることは少ない。

だが、それがいい。
視界一面の海は地球が丸いことを
直感的に理解させてくれる。

大地と海の境界で悠久の歴史を
感じたいところだが、
実はそうした感慨に耽るのは容易ではない。

何故なら、地の果てを見たいと望む者は
自分だけではないからだ。

観光客、人、人、人。

岬は人でごった返す。
ツアーに組み込まれているので
途切れることが無い。

ツアーバスだけではない。
一時間に一本の路線バス一杯の観光客が
やってきては帰ってゆく。

これらのバスを使う限りにおいては
自分もまたそのうちの一人にしかなれない。

夜闇の中で暗い海を見たところで
危険と隣り合わせでしかないため、
人が少ない時間を狙うなら必然的に早朝になる。

自分の足で未明から向かうか、
タクシーなどを利用するか、
いずれにせよ手軽ではない。

ついでに言うと、
同じことを考える者もいるだろう。

なお、本邦の観光地のように安全に配慮され
柵が設けられているというわけではない。

足を踏み外せば海の藻屑、
断崖となっている箇所もあるので
悪ふざけなどはしないように。

2018年11月26日月曜日

モロクトカゲ

足からを吸い上げる驚異のトカゲである。

体は小さく、手の平に乗る程度である。
小さくて可愛いため飼いたいという者も多いが、
オーストラリア政府の保護によって流通は少ない。

ウルル、いわゆるエアーズロック周辺に
生息しており、過酷な砂漠に順応する
様々な特徴を備えている。

体中に棘があり、斑のある茶色の体は
周囲の風景に溶け込む保護色である。

だが、モロクトカゲ最大の特徴は、
冒頭でも書いたように
水を吸い上げる能力であろう。

彼らが水たまりに足を踏み入れると、
水は皮膚の表面を伝って口まで流れていく。

毛細管現象によって、水が移動するのだが、
舌で舐めとる場合と異なり、
わずかな水分も逃さずキャッチする。

体が少しでも濡れると、
その水が口元へ移動するため、
霧を飲むことすらできる。

主な食べ物はアリで、
アリの行列を探して歩き回る。

英語ではソーニーデビル、
イバラの悪魔と呼ばれているのだが、
モロクトカゲの名も悪魔と関連がある。

ユダヤ教徒が悪魔として記している
モロクという神から拝借された名前なのだ。

母の涙と子供の血に濡れた魔王と呼ばれる
モロクの名を、体表から水を集める
このトカゲに付けた生物学者は
中二病の気があるのではないだろうか。

2018年11月25日日曜日

アルマジロ

アメリカ大陸に生息する
鎧を着こんだネズミのような動物である。

ネズミと比べれば大きく、
最大のもので人の幼児ほどにもなる。

鎧は毛が鱗状に変質したものであり、
想像以上に堅い。

穴を掘って眠るのだが、
この行為が農地を荒らし、
かつ数を増やしているため駆除の対象となる。

その際にアメリカ人は銃を使うのだが、
丸く湾曲した甲殻は銃弾を弾く場合がある。
傾斜装甲の要領である。

この弾かれた銃弾が人に当たったという
事件が時折起きており、現地警察は
アルマジロを駆除する際には
散弾を使うよう呼び掛けている。

アルマジロの腹部には鱗が無く、
柔らかいため外敵に襲われると
丸まって防御姿勢を取る。

ただし、完全に球状になれるのは
ミツオビアルマジロの仲間だけで、
他の種類には隙がある。

ちなみにアルマジロは南アメリカでは
よく食べられる食材である。
北アメリカでも駆除後に食べる者もいる。

味はとてもジューシーな豚肉といった風情で、
かなり美味い。

もちろん、部位によってその味わいは異なり、
一番美味なのは頬肉だろう。

ただし、鱗と毛の処理が面倒なのが難点である。
鱗が食べられないのはもちろんのこと、
毛は消化に悪すぎて食べれば腹を下すという。

アルマジロを食べるというと
奇抜な印象を受けるが、
数の多い農害獣でかつ美味いのだから
どちらかと言えばポピュラーな部類だろう。

とはいえ、飼育され万全な状態で
加工される豚肉を食べた方が安全で楽である。

人類が積み重ねてきた家畜の飼育技術と
安定供給力を思い返してみるといいだろう。

2018年11月24日土曜日

バレッタ

地中海の中ほどにある島国マルタの首都である。

バレッタの名はマルタ騎士団の総長
ジャン・ド・ヴァレットに由来する。

マルタ騎士団はとにかく地中海の覇権を
オスマン帝国に渡すものかと
戦い続けた存在だが、ほとんど海賊である。

宿敵はオスマン帝国配下の
バルバリア海賊のため、
海賊と海賊が戦っていた構図だ。

マルタ騎士団は元々十字軍の際に
結成された修道騎士団
聖ヨハネ騎士団であった。

聖地巡礼のための宿泊施設を作り、
そこに病院を併設していたことで
ホスピタル騎士団と呼ばれるようになった。

十字軍が敗退するとキプロスへ逃れ、
この頃から実質的な海賊となる。

キプロス王が彼らをひどく疎んじたため、
騎士団はビザンツ帝国のロドス島を
奪ってそこに拠点を移した。
以来、ロドス騎士団と呼ばれるようになる。

島を奪ったこともそうだが、
この頃にはもう完全に海賊であった。

だが、聖地から離れたキリスト教諸国にとっては
サラセン人と戦う唯一の騎士修道会であり、
多くの寄付が集まることになる。

なお、もうひとつ残っていた
テンプル騎士団は邪教崇拝の嫌疑をかけられ
冤罪によって異端審問を受け、
財産の没収に遭い解体されている。

オスマン帝国の大攻勢を受けてロドス島を
撤退した騎士団は、シチリア王から
マルタ島を借り受ける。

以来、マルタ騎士団と呼ばれるようになり、
騎士修道会と海賊のふたつの顔を持ちながら
存続していく。

ただし、宗教改革の時代を迎えると、
徐々に衰退、現在は領地を失い
国土無き準国家として活動している。

さて、マルタ島は地中海の争点として、
古くはカルタゴとローマ、
サラセン人とノルマン人、
フランスとイングランドなどによって争われた。

最終的にイギリス連邦マルタ共和国となり、
現在に至っている。

大聖堂はバレッタではなくイムディーナにあり、
バレッタには聖ヨハネ騎士団、つまりマルタ騎士団の
本拠地とも言える聖ヨハネ准司教座聖堂がある。

聖堂と言うより要塞なのだが、
有名なカラヴァッジオの絵画が複数あり、
それを見るために訪れる者も少なくない。

なお、バレッタの街は世界大戦時に空襲を受け、
その際に破壊されてから修復されずに
廃墟のまま保存されている建物もある。

バレッタの街を訪れるなら
ぜひとも海から船で入港してほしい。
港湾要塞であることがよくわかるからだ。

街並みだけでなく、地中海の青い海が
楽しめる観光地のため、
旅行先の候補としてみるといいだろう。

2018年11月23日金曜日

サンマリーノ

イタリア半島に存在する小さな国
サンマリーノ共和国の首都である。

キリスト教がローマに受容される以前、
皇帝から迫害を受けていた頃に、
キリスト教徒潜伏の地であった。

マリヌスという石工が迫害を逃れ
山中にキリスト教徒の共同体を作った。

この山の隠れ里というものは、
強固な砦のようなもので、
周辺貴族の侵略を独力で撃退した実績を持つ。

中世には教皇から独立を許され、
ウィーン会議でもサンマリーノが独立国家で
あることが再確認されている。

この教皇からの承認をもって、
正式な共和国建国となるのだが、
現存する共和国としては世界最古である。

イタリア統一運動の際に統合されそうなものだが、
むしろその統一に貢献したことから、
却って独立国としての尊重を受けることになる。
立ち回りが上手かったのだろう。

現在欧州連合には加わっていないが、
ユーロが流通し、他の国同様独自デザインの
貨幣を発行している。
やはり、立ち回りが上手い。

チーズ、ワインなどの生産も行っているのだが、
経済の基幹は観光と切手の発行だ。

特に土産物に力を入れており、
伝統的に陶磁器の産地であったことから、
陶磁器店が軒を連ねる。

面白いことに、土産物として、
日本刀ショップと銃ショップが多いことだ。
どちらも模造刀と玩具銃だが、
本物も売っている。

銃はともかくとして日本刀は意外である。
ヨーロッパ人の日本マニアが持っている日本刀は
案外サンマリーノ産が多いのかもしれない。

ちなみに他の武器類も土産物屋の定番である。
多くは刃引きされたなまくらだが、
メイスや斧などは十分殺傷力があるので注意だ。

大聖堂についてだが、
バシリカはあるがカテドラルは無い。
大聖堂としての機能はあるのだが、
ここは割愛しておこう。

イタリア半島である。
大聖堂並の聖堂などごろごろしている。

さて、サンマリーノの観光名所であるが、
是非とも山岳要塞を堪能してほしい。

随所に築かれた要害は、
ティターノ山全体を城と化している。

城と聞くとシャトーや天主閣を
イメージしてしまう方も多いと思うが、
実用の美を堪能してほしい。

ちなみにサンマリーノは山頂の街なので
観光に際してはロープウェーのお世話になる。

なかなかに印象深い旅行となるだろう。

2018年11月22日木曜日

ヘンルーダ

地中海を原産地とする香草である。

本邦ではヘンルーダと呼ばれているが、
実はこの名称は本邦でしか通用しない。

多くの国では単にルー、あるいはルータ、
ルートなどと呼ばれている。

特に品種を指定するような場合には、
英語ならコモンルーのような呼ばれ方をする。
コモンとは一般的な、という意味だ。

本邦へは江戸期にオランダ人が持ち込んだ。
オランダ語ではヴィンルートである。

これが訛っていつの間にか
ヘンルーダとなっていたわけだ。

爽やかな苦みを楽しめるハーブだが、
微量の毒性があることが知られるようになり、
利用は廃れていった。

大した毒ではないのだが、
肌が弱い者が触れればかぶれるし、
妊婦が摂取すれば流産の危険がある。

小さな黄色い花は見応えがあるとは言えず、
その葉は蝶の幼虫の大好物である。

つまるところ、現代では
あまり有用性のない植物なのだ。

だが、昔は薬草として重宝されていた。
主な効能は痙攣を鎮めることである。

製油したルーオイルは、
芸香と書いて うんこう と読まれ、
本の虫食いを防ぐとされた。

また、古代ローマでは視力を高める効能が
あると信じられていたようで、
目をよく使う職業の者が服用していた。

女性の月のものがなかなか来ない際に使う
通経剤としての効能は確認されている。
この効能が前述の流産の危険性に繋がるのだ。

いずれにせよ、現在では
わざわざヘンルーダを栽培し
利用する必要性は薄い。

イタリアの蒸留酒グラッパの香り付けに
使われることがある程度だろうか。

なお、魔術関連の文献に当たっていると、
しばしばヘンルーダを使用した
呪術が登場する。

薬の材料であったり、香として焚いたり、
よくわからないがとりあえず
それらしいものの名前を
列挙する際に加えられたりする。

恐らく、ハーバリストが堕胎薬として
使っていたイメージの名残で
魔女と結び付けられているのだろう。

悔恨という花言葉も由来はきっと
堕胎がらみだろう。
いずれにせよ、気分の良い想像は難しい。

ちなみに、ミカンの仲間の植物である。

2018年11月21日水曜日

パンゴリン

鎧を着込んだアリクイのような生き物である。
本邦ではセンザンコウと呼ばれる。

鎧といえばアルマジロが有名だが、
センザンコウの場合、
大きな鱗が松ぼっくりのように重なり合う。

その姿はまさにスケイルアーマーを着込んだ動物だ。
鱗は尖っており、ハリネズミのように
攻撃的な防御効果を持っている。

なお、センザンコウは穿山甲と書く。
山を穿つ甲殻である。

まるで神話生物だ。

長い舌でアリやシロアリを舐め取って食べるため、
姿が似ていることも併せて
長らくアリクイの仲間だと思われていた。

アフリカから東南アジアにかけて生息しており、
いくつか種類が存在するが、
いずれも絶滅が危惧されている。

古来その鱗が薬として珍重されてきたためだ。
インドではリウマチに効くとされ、
チャイナでは媚薬とされてきた。

サイの角同様、毛が変質したものであるため、
当然そんな効能は無い。

アフリカでは魔除けになると信じられていたが、
媚薬と比べると理解しやすい。
外敵から身を守る護符としてはとても納得がいく。

だが、媚薬は理由が定かではない。
本草綱目に記載があるのだが、
媚薬として書いた李時珍の罪は重い。

というのも、現代でもその媚薬としての効果を
信じている者が多く、密猟されたセンザンコウの
鱗が密輸される事件が発生する。

ワシントン条約で取引が禁じられている動物のため、
剥製を売買するだけでも罪に問われる。

それが、鱗だけでトン単位で密輸されるのだ。
価格にして億単位である。

絶滅危惧種だというのに密猟される数の桁が違う。
ほとんどはアフリカからチャイナへと流れる。

ところで、本草綱目は博物誌のようなものである。
大プリニウスの博物誌もそうだが、
そこに書かれた内容は後世へ大きく影響する。

私も嘘、大袈裟、紛らわしいことを恐れず
記事を書いているが、もし仮に数百年単位で
読み継がれるようなことがあっても、
このセンザンコウの例のようなことには
ならないよう気を使っている。

今の時代に情報過多のインターネットの片隅で
書いているものが後世に影響を与えるとは
思えないが、一応、最低限の配慮はしている。

天が落ちてくるのではないかと憂いた
杞国の人々のような心配ではあるが、
この もどき が後世、歴史的資料と
されてしまったらどうしよう。

などと、妄言を吐くのであった。

2018年11月20日火曜日

ポルダー

水深の浅い入り江や湖沼から水を抜き、
干上がらせて陸地とすることを干拓というが、
ネーデルラントの干拓地をポルダーと呼ぶ。

ネーデルラントは元々氷河によって削られた地形で、
そこに土砂が堆積して海抜の低い土地が形成された。

このため、湿地が多く、海水面が上昇すれば
度々水浸しになる地域であった。

かつてネーデルラントをえぐるように存在した
ゾイデル海はこうした理由から拡大し続け、
かの地を侵食していった。

だが、ネーデルラント人は巨大な入り江と化した
ゾイデル海の出口に大堤防を築き、
長い年月を掛けてその水を抜いてしまった。

堤防には水門が設けられており、
干潮時には門が開けられ海水が出て行き、
潮が満ちる前に締め切ることで
かなりの水を抜くことができる。

その後は風車の動力によって水を汲み上げ、
地道に海水を排出していった。

陸地を増やすこと、それは農地を増やすことであり、
食料生産量を増やし、人口を増やすことができる。

更には数多く建てられた風車は、
様々な労働を機械化し、
ネーデルラントに多くの産物をもたらした。

それだけではない。
風車の羽に使われる帆布や、木工技術の発展は、
そのまま船舶へと応用され、ネーデルラントの
海運立国を下支えすることになったのだ。

土地を広げ、商品を生み出し、交易を強化した
ネーデルラントは、海洋帝国に成長する。

世界は神が造ったが、ネーデルラントは
ネーデルラント人が造ったという言葉がある。

自然への挑戦、自然の管理。
ヨーロッパ人は自然を克服し、
意のままにすべき対象と考えている節があるが、
ネーデルラント人はその気風が特に強い。

そういえばチャイナの歴史も治の歴史である。
彼らも自然とは人の手で
造り変えていくものだと考えている気がする。

ちなみに、本邦でも干拓は埋め立てと並んで
盛んに行われてきた。

神田山を削り取り、日比谷湾を埋め立てて
江戸を造るようなこともしている。

だが、どちらかと言えば、
本邦は自然には逆らわず、
諦めて従う傾向が強いように思う。

その土地土地で自然との向き合い方は違う。
そうした違いが異なる文化を生み出し、
文化と文化の衝突が更なる文明を築き上げる。

こうして、人類の歴史は造られてきた。
世界は神が造ったのかもしれないが、
歴史は人が造るものなのである。

2018年11月19日月曜日

アイセル湖

ネーデルラントに存在する湖である。

ローマ帝国時代には存在せず、
少しずれた位置にフレヴォ湖があった。
フレヴォ湖と海との間は湿地帯だったという。

だが、万聖節の洪水と呼ばれる事件により、
海面が湿地帯を越えてなだれ込み、
フレヴォ湖を海の一部へと変えた。

湿地帯であった場所はワッデン海となり、
ここは現在でも潮の満ち引きによって
海になったり干潟になったりする。

広大な範囲が干潟になるため、
中には島も含まれている。
満潮時に海の中にある島に、
干潮時には歩いて行けるのだ。

一方、フレヴォ湖はゾイデル海となった。
ワッデン海とゾイデル海の間には砂丘があり、
完全には海と繋がっていなかったという。

そして聖ニコラスの洪水によって
ゾイデル海は隣接していた泥炭地を
飲み込んで拡大する。

洪水が発生日の守護聖人の名で呼ばれているのが
なんともエキゾチックだが、
ワッデン海とゾイデル海の間の砂丘を破壊した
洪水にはこの手の名前がついていない。

ワッデン海とゾイデル海が繋がった数年後、
聖ルチア祭の洪水によって、
このふたつの海は更に拡大、
北海と完全に接続した。

アムステル河畔にあった村が
北海へ船を出せるようになり、
後のアムステルダムとなる。

ゾイデル海が拡大し続けることは
人々の目に明らかであったため、
ダイクと呼ばれる堤防が築かれ、
対策が講じられた。

しかし、聖エリーザベトの洪水によって
ダイクは破壊され、
多くの村が海底に沈んだそうだ。

ネーデルラント人が干拓を行い、
海を陸地に変えてやろうと考えたのは、
陸が海になる恐怖を経験したためなのだ。

ゾイデル海とワッデン海の間に巨大堤防
アフシュライトダイクが建設されたのを皮切りに、
ゾイデル海はどんどん陸地へと変えられていく。

大堤防によって淡水化したゾイデル海は、
すべてがポルダーに変えられたわけではない。
アイセル湖の名で一部が残されている。

また、ゾイデル海の南西部分は
ハウトリブダイクという堤防が築かれ、
アイセル湖と分離、マルケル湖となっている。

しっかりとメンテナンスをしていると思うが、
もしも大堤防アフシュライトダイクが
決壊したら、再びゾイデル海が姿を現すだろう。

ゾイデル海だった陸地はフレヴォラント州である。
はじまりの湖、フレヴォ湖の名は
ここに残されているのだ。

2018年11月18日日曜日

ヴァチカン

ローマ教皇庁である。

皇居の半分以下のこの場所を
街として紹介するのは間違っているかも
しれないが細かいことはいいことにしよう。

聖ペテロ大聖堂、ヴァチカン宮殿など
の建物があるが、実質的に
サンピエトロ寺院の境内がすべてである。

ただし、ヴァチカン外にもヴァチカン市国の
治外法権が認められている建物は
複数存在する。

この場所は元々ウァティカヌスの丘と
呼ばれるローマ郊外であり、
死者の埋葬される聖地であった。

そこでキリストの使徒ペテロが殉教し、
埋葬され、その墓の上に教会が建てられた。
ヴァチカンの始まりである。

ヴァチカンがカトリックの本拠地ではあるが、
昔は教皇領は数多く存在し、
教皇自身もヴァチカンではなく
ラテラノ宮殿に住まうのが恒例だった。

だが、ラテラノ宮殿はアヴィニョン捕囚時代に
火災によって失われ、ローマへの帰還を果たした
教皇はヴァチカン宮殿が建設されるまで
聖マリア奉納大聖堂を仮住まいとする。

時代と共に教皇領は失われていき、
イタリア統一によってローマとラティウムのみが
教皇領となってしまう。

結局ヴァチカン以外の教皇領はすべて失われ、
ベニート・ムッソリーニによる
教皇との和解、ヴァチカン市国の成立まで
ヴァチカンの囚人と呼ばれる状態にもなっていた。

ヴァチカンの軍備に関しては
伝統的なスイス人傭兵が存在する。

だが、彼らの武装は近代化されておらず、
近年では催涙スプレーを携行しているようだ。

ヴァチカンについて面白い話がある。
ローマ市民は国際郵便を利用する場合、
ヴァチカンへ行き、ヴァチカンの切手を買い、
ヴァチカンのポストに投函するという。

イタリアの郵便サービスよりも、
ヴァチカンのそれの方が速くて確実なのだそうだ。

全世界のカトリック教会を総括する場所なのだから、
国際郵便の頻度が高いのも頷ける。
当然、その信頼性は強固なものだろう。

2018年11月17日土曜日

セミ

スピーカーのような虫である。

羽をこすり合わせて音を出し、
腹部の空洞によって音を共鳴させ、
大音量で鳴き続ける。

雄の成虫の体は音を出すことに特化しており、
本邦の夏の風物詩となっている。

本邦ではその鳴き声が夏の象徴として、
愛されているかどうかはともかくとして、
一般に認知されている。

だが、海外ではノイズでしかなく、
本邦のアニメ作品で夏を象徴する
音声として起用されていても
あの音は何だと不思議がられるという。

彼らはその生涯のほとんどを
幼虫として地中で過ごす。

太古の昔には一年ごとに成虫となり、
毎年多数のセミが鳴き交わしていたが、
生存競争の激化により、
同じ年に成虫となる数を減らし、
年度をずらすようになっていった。

その結果、現在のセミたちは
七年、十一年、十三年といった
素数の年毎に成虫となり、
同族同士の争いを避けている。

ちなみに鳴くのは雄である。
雌は共鳴機関の代わりに卵巣など
生殖に関わる機能が腹部に詰まっており、
大音量で鳴くことはない。

大陸ではセミの幼虫が羽化し、
成虫となる様を神格化し、
羽化登仙という言葉が示すように、
不老長寿と結び付けて考えられてきた。

対して本邦では成虫となってから
短期間で死んでいく様を重視し、
諸行無常の切なさの象徴とされてきた。

また、幼虫が殻を残して羽化することから、
残った殻を うつせみ と呼び、
様々な文物に影響を与えている。

世界的には食用とする地域が少なくない。
古くはギリシアのアリストテレスが
羽化する前の幼虫のセミの美味を語っており、
昆虫記で知られるファーブルもその味を確かめた。

もっとも、ファーブルは
客人に出せる料理ではない
と評している。

漢方薬の素材としても使われており、
解熱作用があるとされている。

現在の漢方処方にも記載されており、
使われるかどうかはともかくとして、
薬局で取り扱われている。

戦後の食糧難の時期には本邦でも
成虫を味噌につけて食べたと言われており、
私の祖母も食べたことがあると言っていた。

おそらく雄は食べる所が少ないため、
美味いのは雌が幼虫だろう。

ファーブルも調理法を誤ったのでは
ないだろうかと思う。

ちなみにセミに尿をかけられる事例が
枚挙にいとまがないが、
彼らの排泄する尿はほぼ真水である。

2018年11月16日金曜日

アガラス岬

アフリカの真の最南端である。

喜望峰を最南端だと誤って目指す旅人が多く、
喜望峰には観光客が満ち溢れている。

バックパッカーたちの多くも
喜望峰をゴールに定めてアフリカを縦断する。

バルトロメウ・ディアスが喜望峰に
到達したことはまともに歴史を学べば
誰しも知るところである。

なので、喜望峰の知名度は極めて高いが、
アガラス岬のことは学ぶ機会が無いのだろう。

ところで古代ギリシアのヘロドトスが著した
歴史には、エジプトのネカウ二世が
フェニキア人にアフリカ南部の海洋探索を命じ、
最南端を発見したと記されている。

赤道を越えたことが無かった地中海人たちは
星や太陽の運行がおかしいため
この記録は正しくないと判断していたが、
むしろその記述は正しいものである。

つまり、大航海時代より二千年も前に、
アフリカ東岸から船で南下し、
アガラス岬に到達した者たちがいた可能性が
極めて高いということだ。

胸の熱くなる話である。

それはそうと、喜望峰が観光客でいっぱい
なのに対してアガラス岬は穴場的スポットである。

あなたは今アフリカ大陸の最南にいますと
書かれたモニュメントがあるのだが、
そこで記念撮影をすれば右は大西洋
左はインド洋という貴重な写真が撮れる。

殺風景な場所だが、世界の果てを感じるには
むしろ丁度いいのかもしれない。

2018年11月15日木曜日

喜望峰

アフリカの南端として名高い岬である。

実は最南端は別の岬なのだが、
ここが南端としてよく知られている。

名前についても微妙なところで、
英語ではケープ オブ グッドホープなのだが、
岬であるケープが峰と訳されている。

峰とは山の特に高い部分のことなのだが、
何らかの誤訳でもあったのだろうか。

また、グッドホープは良い意味合いでの
希望と訳すことができるのだが、
何故か喜望という造語が当てられている。

そもそも、発見者のバルトロメウ・ディアスは
この岬にカーボ トルメントソと名付けた。

ポルトガル人はアフリカのどこかにあるという
キリスト教徒の大国、プレスタージョンの国を
探してアフリカの探索を続けていた。

ギニア湾からいくら南下しても左手に
見える陸地は途切れる様子が無い。

だが、いつかアフリカの南端を越えて
東岸に至る航路を見つけられるだろうと
信じて冒険を続けていた。

ナミブ砂漠が途切れ、
再び緑の大地が見え始めた辺りで、
ディアスは二週間にも及ぶ大嵐に遭う。

嵐が去った後、完全に陸地を見失っていた。
当時は沿岸航法といって、陸地が見える距離を
陸伝いに進むのが常道であった。

や食料も尽きてしまうのでディアスは
とにかく陸地へ戻ろうと東へ進路を取るが、
どこまでも海が続いていた。

おそらくそのまま東へ進み続けていたら、
ディアスの船団には餓死か嵐での沈没という
悲惨な末路が待ち受けていただろう。

そう、南端を越えるほど
南下してしまっていたのだ。

この可能性を疑ったディアスは、
船団の進路を北に向ける。
素晴らしい判断である。

こうして辿り着いたのが喜望峰であった。

九死に一生を得たディアスは、
悲惨な嵐を思い起こし、この岬に嵐の岬、
カーボ トルメントソと名付けた。

しかし、後にポルトガル王によって
東岸への道が切り開かれたことの喜びを称えて
名前の変更が行われた。

カーボ ダ ボア エスペランサ。
英語でケープ オブ グッドホープである。

なお、その後のディアスはベテランの先達として
ヴァスコ・ダ・ガマをヴェルデ岬へと案内している。

また、ペドロ・アルヴァレス・カブラルの
ブラジル探検にも同行した。

さて、喜望峰に話を戻そう。
この地はしばらく単なる南端の目印として、
航路の際に目視されるだけの場所だった。

アフリカ東岸の探索が進むと、
ルアンダからソファラまでの航路の間に
補給港の必要性が議論されるようになる。

そこで白羽の矢が立ったのが喜望峰であり、
ここにケープタウンが建設された。

ところで、喜望峰にはダチョウとペンギンがいる。
飛べない鳥が好きな私としては
この点だけでも非常に興味をそそられる。

それに加えて上記の歴史的意義があり、
更にはケープタウンという大都市があり、
その背後にはテーブルマウンテンが存在する。

これほど冒険心をかきたてられる場所も
そう多くはないのではないだろうか。

南アフリカの治安の悪さが気になる所だが、
ケープは比較的ましだという話も聞くことだし、
いつかケープペンギンを愛でに行きたいと思う。

2018年11月14日水曜日

プレトリア

南アフリカ共和国は首都機能を
三つの都市に分散している。

司法府のあるブルームフォンテーン。
立法府のあるケープタウン。
そして、行政府のあるプレトリアである。

ブルームフォンテーンは花の泉を意味し、
その名を意識してのことか
随所で薔薇の花が栽培されている。

街中に薔薇が咲き誇ることから
薔薇の都市の別名を持ち、
ローズフェスティバルが開催される。

ネオケープダッチ様式の建物など、
植民地時代の建築を見て回るのがいいだろう。

聖アンデレ聖ミカエル大聖堂は
赤煉瓦のコロニアル様式だ。

ケープタウンは岬の町という意味であり、
有名な喜望峰に臨む街である。
アフリカーンス語ではカープスタッドとなる。

大西洋とインド洋を別つアフリカ南端部を
越えようとする船舶の補給港として
オランダ東インド会社によって建設された。

あくまで補給物資の集積と管理ができれば
良かったため、東インド会社は入植者に
大幅な自由を与えたという。

その結果、ケープタウンはアフリカ有数の
都市へと成長してしまう。
増加する入植者たちが元の住民たちと
動植物を駆逐した結果だ。

なお、街の後背にはこれまた有名な
テーブルマウンテンが鎮座しており、
特徴的な風景を作り出している。

気候が良く、名所に富み、治安も比較的
良いことから観光地として人気で、
何よりペンギンがいる。

聖公会の大聖堂は聖ジョージ大聖堂で、
重厚なゴシック様式だ。
グッドホープ城と共に見所と言えるだろう。

最後にプレトリアだが、
国際的には行政府のあるこの街が
首都として機能している。

この街の名はイングランド支配に抵抗した
ボーア人の名に因むが、都市名を
ンデベレ族首長を指すツワネに変更した、
ようなのだが、なんだかうやむやになっており、
国際的にはプレトリアのままである。

ブルームフォンテーンが薔薇の街なら、
こちらはジャカランダの街である。

街路樹として数多く植えられている
ジャカランダ並木は
さながら紫の桜並木のごとしだ。

この街は元々トランスヴァール共和国の
首都であり、反イギリスの気風が強い。
ボーア人の首都なのだ。

そのため聖公会の力は強くなく、
代表的な大聖堂はカトリックの聖心大聖堂だ。
基本に近いゴシック様式で建てられている。

以上、同時に三都市を紹介したが、
それぞれがそれぞれの地域の首都的な
性質も持っている。

首都機能は無いが大都市であるヨハネスブルクも
くわえて四ヵ国の連邦のような
雰囲気もあるように思う。

南アフリカの歴史の紹介は省いたが、
ご存知のようにとても複雑な経緯を持つ国だ。
そして全体的に治安が悪い。

幸いなことにケープは比較的治安が良いので、
喜望峰とテーブルマウンテン、
そしてペンギンを見に行きたい。

2018年11月13日火曜日

ヘマタイト

赤鉄鉱や鏡鉄鉱と呼ばれる鉱物である。

稀に薔薇状で産出することがあり、
鉄の薔薇、アイアンローズなどという
格好いい呼び名もある。

代表的な鉄鉱石であり、
通常は精錬され鉄材となる。

ヘマタイトの名がギリシア語の
血の石に由来するように
酸化鉄らしい赤い色をしているが、
金属光沢を持つ黒いものも存在する。

黒く光沢の優れたものは磨かれ、
貴石として扱われて装飾品に
用いられるのだが、これがまた美しい。

宝石類の美しさというよりも、
磨き抜かれた鉄としての
質実剛健な美しさを感じる。

私が子供の頃、鉱山見学の土産物に
小さな鉱石が色々と取り付けられた
キーホルダーを買ってもらったことがある。

その中で私を一番魅了したのが
このヘマタイトだ。

面白いのがこの黒一色のヘマタイト、
削ると粉末が赤い。

酸化鉄なので当然とも言えるが、
輝く黒石が鮮やかな血の色になるのは
なかなかに衝撃的である。
血の石と名付けられたのも頷ける。

呪術的にも血液に関する傷病の
治癒を願う護符として用いられていた。

また、鏡鉄鉱の別名が示すように、
鏡として用いられることもあった。

鏡と言っても古代の鏡は黒曜石の鏡のように、
自分の顔を克明に見られるようなものではない。

技術が発達する以前は
自分の顔を見ることすら一苦労だったのだ。

ところで貴石の類はパワーストーンとして
おまじない好きの心を惹きつけてやまないが、
ヘマタイトはそれほど人気が無いようだ。

あまり突飛なことは書かれておらず、
伝統的な説明のみなことが多いのは
不人気が理由かもしれない。

2018年11月12日月曜日

ローマ

ローマである。

それ以上の説明など必要だろうか。
人類史上に燦然と輝くローマである。

もっとも、冷静に見るならば、
長い歴史の中でローマが煌めいていたのは
一時期のことではある。

それでも、過去の栄光は現在も
その名を照らし続けており、
地球上のあらゆる場所から
ローマを一目見ようと人々が集まる。

名所や名物を敢えて挙げるのも野暮だろう。
偉大なるローマ帝国の歴史を語るのも
私の役割ではないように思う。

なので、ローマのはじまりの話をしよう。
ローマは一日にして成らずである。

伝説によればローマが建設されたのは
イリアスやオデュッセイア、
つまりギリシア神話で
語られる時期の少し後である。

愛の女神の息子とされる
トロイア王族の生き残りアイネイアスは
滅亡した国を離れ安住の地を求めて旅をした。

デロス島で祖先の地を目指せとの託宣を受けた彼は
トロイア人の祖テウクロスが生まれたとされる
クレタ島を目指した。

だが、クレタ島で彼は別の始祖
ダルダノスのことを聞かされる。
つまり、託宣のあった祖先の地とは
クレタ島ではなかったということだ。

しかし、始祖の地へは二頭の怪物、
スキュラとカリュブディスの住む
メッシナ海峡を抜けなければ辿り着けない。

オデュッセウスの行く手を阻んだ
あのメッシナ海峡である。

賢明な彼はメッシナ海峡を避けるため、
シチリア島を大きく迂回し、
西からイタリア半島へと到達した。

彼が辿り着いたのは肥沃なラティウム。
平らな土地という意味の名を持つその地に、
現在のローマはある。

だが、事は平和裏には進まなかった。
アイネイアスは現地の政治的軍事的均衡を崩し、
大きな戦争を引き起こす。

だが、この戦いの勝者となったことで、
彼はラティウムの有力者となり、
アルバ王家の始祖となる。

時は流れ、アルバ王家に王位継承争いが勃発した。
弟は王位を継いだ兄を追放し、自らが王になると、
兄の一人娘を神殿の巫女とした。

神に仕える巫女は婚姻を許されないため、
兄の家系の断絶を狙ったのだ。

しかし、巫女は軍神に見初められる。
神との婚姻なのだから誰も咎めることはできない。
こうして、巫女は双子の息子を生んだ。
ロムルスとレムスである。

王がその双子の王位継承権を認めるわけがない。
兵を差し向け殺害を命じた。
だが、兵士は赤子を殺すことを躊躇い、
籠に入れて川へと流す。

双子は岸に流れ着き、河畔に住む狼に育てられた。
成長した双子はやがて人々を率い
悪しき王へと挑むことになる。

双子は共に王となり、新たな都を築こうとしたが、
その場所について兄弟で意見が割れ、
次第にふたりの仲は険悪になっていった。

そして、決裂の時を迎える。
勝利したロムルスはパラティーノの丘に
自身の名に由来する都市ローマを建設したのだった。

ローマの建国神話である。

本当はこのままローマの歴史を書き連ねたいが、
そういうわけにもいかないので
続きが気になる方は先達の名著に当たってほしい。

ところで、ローマ通を自認する知人曰く、
ローマで最も働き者なのは詐欺師であるという。

真偽はともかくとして、
ローマは世界中から訪れる
観光客慣れした大都市である。

旅人を狙った犯罪は枚挙にいとまがないため、
歴史に触れて感動するのも大事だが、
自衛を怠らぬよう注意されたし。

2018年11月11日日曜日

マラカイト

緑色の孔雀石のことである。
青いマカライトではない。

銅に由来する美しい緑の鉱物で、
基本的には緑青そのものである。

実際には他にも色々と混ざっているが、
銅錆であるため脆い。

毒があると言われているが、
緑青自体は人体に対して
ほとんど毒性を持っているとは言えない。

しかし、砒素が混入している
ケースが多いため、
緑青には毒があると言われるのだ。

孔雀石の名は緑の縞模様がクジャクの羽を
彷彿とさせるため付けられた。

古くから貴石として珍重され、
翡翠や瑪瑙ラピスラズリと共に
呪術的な力を持つと考えられてきた。

産出は珍しくなく、
顔料としての利用も盛んである。
本邦では青丹や岩緑青と呼ばれる。

クレオパトラ七世のアイシャドー
としても有名だ。

だが、孔雀石が真価を発揮するのは
工芸品へと加工された時だろう。

特にロシア皇帝が孔雀石の調度品を好み、
サンクトペテルブルクには
これでもかというほど見事な装飾がある。

エルミタージュ宮殿の孔雀石の間は
白と緑と黄金の絢爛たること
天上の如しである。

この至高の空間が宮殿の一部でしかないこと、
この宮殿全体が美で満ち溢れていること、
エルミタージュは離宮に過ぎないこと、
これらのことを考えると皇帝になりたくなる。

あれがすべて自分のものだと想像すると、
物欲のゲージが振り切れてしまいそうだ。

それはそうと、例によってパワーストーンとして
売り文句が色々とあるわけだが、
エネルギー的毒素を吸い取ってくれるそうだ。

毒素を貯め込むのでこまめな浄化が必要らしいぞ。
香草のセージや天然の岩塩、麻やシルク、
月光などで浄化できるとのこと。

何を言っているのだ。

2018年11月10日土曜日

ハボローネ

アフリカ南部の内陸国ボツワナの首都である。
リムポポ川が流れ、降雨量も少なくない。

ボツワナの人口のほとんどはツワナ人である。
ツワナ人は八つの部族に別れていて、
それぞれに首長が存在する。

広大な盆地でもあるカラハリ砂漠の国であり、
手付かずの自然が残され、数多くの野生動物が
生息していることで知られる。

そんなボツワナの首都ハボローネは非常に
現代的な都市である。

独立当初は最貧国の一角であったが、
アフリカの中でも特に民主主義が
機能している国であり、
安定が成長を後押しした。

オラパ鉱山は世界最大級の
ダイヤモンドの産出地であり、
これがボツワナを発展させる原動力となる。

賢明にもダイヤモンドの収益は
教育と医療、インフラに使われ、
現在の発展したボツワナの姿を形作った。

ただし、ボツワナは深刻なエイズ蔓延国である。
一時期に比べるとエイズの流行は抑えられたが、
失われたものは多い。

ハボローネはガボローネと読まれることもあり、
元々はガベロンズと呼ばれていた。
ツワナ語はよくわからないが、
そう悪くはない場所というような意味だろうか。

それをヨーロッパ人が自分たち風に
読み替えたのがガベロンズである。

キリスト王大聖堂は
市民体育館のような見た目をしている。

正面に背の高いオブジェがあり、
その頂に十字架が無ければ
宗教施設だとはわからない雰囲気だ。

モスクは主なものは四つ。
いずれもそれほど規模は大きくないし、
観光向けには作られていない。

ちなみに、モスクは元々アラビア語では
マスジドであるが、スペイン人がメスキータと呼び、
それが英語化してモスクとなった。

ボツワナではアラビア語は外国語なので、
モスクとマスジドの両方の記述がある。

今後モスクではなくマスジドと記載していくが、
大聖堂のようにランク分けはされていないので、
観光地として著名なところだけを
紹介した方が良さそうだ。

アフリカ東部からは
イスラム教の割合がぐっと上がる。

話をハボローネに戻そう。
と思ったが、あまり観光名所は無い。
観光するなら街を出て自然を楽しもう。

ボツワナ料理はボホベというトウモロコシ粥が
主食としてはポピュラーだ。

スイカやメロンはこの地域が原産のため、
粥にメロンが入っていたりする。

飲み物はルイボスティーと
トウモロコシ酒チブクが有名である。
本邦の旅人の口に合うかはわからないが。

さて、エイズ禍で知られるボツワナであるが、
その災厄も終息に向かっている。

病魔さえなければ、サブサハラで最も民主的で
現代的な国家となっていたかと思うと、
やはりアフリカは辛い土地だなと感じてしまう。

2018年11月9日金曜日

フローライト

蛍石のことである。

蛍の火のように緑色をしているため
この名が付いたと思われがちだが、
カラーバリエーションは多い。

蛍石は熱すると発光するため、
この名が付けられた。

ただし、加熱すると割れてはじける。
儚い存在なのだ。

フローライトの名は
灯りが流れるという意味ではない。
フロールアイト、アイトは
ラテン語で石を指す言葉だ。

つまり流れる石という意味合いになる。
何が流れるかというと、
金属精錬の際の不純物だ。

蛍石は鉱石から金属を精錬する際に、
融剤として使われてきた。

蛍石に含まれる弗素化合物が
鉱石の中の不純物の融点を下げ、
精錬したい金属以外の物質を先に溶かす。

こうして浮き上がった鉱滓を除き、
金属の精錬を行ってきたのだ。

レンズの素材としても使われる。
フローライトレンズは軽量でかつ、
色を変化させにくいため、
高級なカメラや顕微鏡、望遠鏡に用いられる。

ただし、蛍石は高価な宝石ではないが、
大きなものは産出し難い。

このため、ごく小さなものを除けば、
フローライトレンズは
値段が高くなってしまう。

宝石としての蛍石は硬度が低く、
さほど珍しくないため
いわゆるジュエリーとしては扱われない。

アクセサリーを作っても
簡単に傷付いたり割れたりしてしまう。

それでもその美しさは人を魅了するため、
脆さを差し引いてでも蛍石で何かを
作りたいという者は少なくない。

近年では結晶体のままインテリアとして
飾られることが多いが、
小さな器や彫刻が古くから伝来している。

なお、パワーストーンショップへ行くと
手頃な値段で買うことができる。
ちなみに人工的に作りだすことも可能だ。

パワーストーンとしての売り文句は、
やはり光を放つことに着目するようで、
天才的な閃きなどと結び付けられている。

古来、貴石や宝石には力が宿るとされ、
魔除けや呪物として珍重されてきたので
その文化自体は素晴らしいものだと思う。

だが、販売のために新しい意味を
でっちあげるのはいかがなものだろうか。

2018年11月8日木曜日

ウィーン

エスタライヒの首都である。

オーストリアと書くとオーストラリアと
紛らわしいのでエスタライヒと記す。

現地語でエスタライヒあるいは
オスタライヒなのだが、
英語ではオーストリアである。

エーとオーの中間の音が
本邦の言語に存在しないため
エスタなのかオスタなのか判然としないが、
英語話者はこれをオーと判断した。

オースターとは東を意味する。
余談になってしまうがオーストラリアは
アウストラリアであり、
アウストラルは南を意味する。

つまりエストとアウストをどちらも
オーストにしてしまった者が悪い。

ただし、エスタライヒのエーストも
ラテン語で書くとアウストである。
本来の意味ではエストなのだが。

ひとしきり混乱したと思うが、
当のエスタライヒ人も気にしているようで、
表記をオーストリーにしてくれと
大使館から要請があったことがある。

当初は政府もオーストリーを使っていたが、
結局はなぁなぁになり定着しなかった。

オーストリーなどと半端なことを言わずに
エスタライヒと言えば良かったものを。

さて、首都のウィーンだが、
今回は歴史を長々と書くつもりはない。
何故なら区切るのが難しいからだ。
端折るのも容易ではないとベルリンで知った。

神聖ローマ帝国やハプスブルクのことを
書き始めるとややこしいのだ。

ならばいっそのこと全省略することにした。
悪しからず。

ちなみに元々はローマ軍の宿営地
ウィントボナである。

観光情報もインターネット上に
あふれかえっているので省略する。
誰もが憧れる観光地なのだから
いくらでも情報が得られる。

では大聖堂のこと以外に
何を書くのだとなったので
無駄に国名の話をした次第である。

シュテファン大聖堂も観光地として
有名すぎるので今更私が
何を書くのかという気がしないでもない。

とりあえず外観はゴシック様式で
尖塔は世界第三位の高さであり、
内装はバロック様式であるとだけ書いておく。

大聖堂以外の教会も相当なものが揃っている。
ヴォティーフ教会は中でも白眉なので
特記しておこう。

ウィーン料理は多民族国家エスタライヒらしく、
様々な地方の美味いものが混然一体となり、
帝都において洗練された結果である。

ウィーンは東西の交易路の目的地であり、
バルト海と地中海を結ぶ
琥珀街道の中間でもある。

街道の交点には東西南北の産品が集う。

ビザンツ帝国との結びつきによって
東方の香辛料が比較的
容易に手に入ったことも大きい。

歴史があり、名所があり、美味い料理がある。
旅行に当たっては、何日間行けるのか、
どこへ行くのか、いくら使うのか、
綿密な計画が求められる。

ところで次回のヨーロッパ枠はローマなのだが、
ウィーン以上の難所である。
むしろいっそのこと歴史の話だけしてみようか。

2018年11月7日水曜日

バニラ

非常に甘い芳香で知られる
蘭の仲間の植物である。

中央アメリカ原産で、一年を通して
暑い気候でなければ花実をつけない。

香料としてのバニラはこの植物の
種子から作りだすが、
そのままでは特に香りはしない。

あの甘い香りを生み出すには
発酵が必要となるのだ。

処理を経て甘い香りを放つようになった種子は
バニラビーンズと呼ばれて流通する。

カスタードクリームの中に混じっている黒い点、
あれがバニラビーンズだ。

発酵はあの小さな粒が沢山詰まった
鞘の状態で行われる。
その技術はトトナコ族の
秘伝だったと言われている。

ちなみに、花は一日で落ちる。

この一日の間に特定の蜂が花粉を媒介しなければ
種子が生ることはないため、
栽培の試みが幾度も失敗に終わった。

しかし、ある奴隷の少年が人工授粉法を編み出し、
以来バニラは大量生産されることになる。

現在我々が安価にバニラを利用できるのは
彼のお陰かもしれない。

もちろん、いつかは他の誰かが
考案していたかもしれないが。

さて、フレーバーテキストライターらしい話をしよう。

大量生産が可能となり、
バニラはアイスクリームの
標準的な味となった。

チョコチップだとかキャラメルリボンだとか、
カラフルなシュガーだとか、
特別なフレーバーの無いやつだ。

ありふれたバニラアイスの中に、
かつての高級香料の面影はない。

ここから転じて、バニラとは特徴や特典の無い、
つまらない凡庸な普通の存在を
指す言葉になってしまった。

トレーディングカードゲーム用語に
バニラカードというものがある。
特別な能力を持たない単純なカードのことだ。

一発逆転とはいかないものの、
低コストで数値上の強さがあるため、
好む者は好むのだが、ハズレ扱いされることが多い。

表現されるのはステータスと、
名前と絵とテキストだけ。

だからこそライターとして燃えるものがある。
何の特徴も無くとも、フレーバーテキストで
印象に残っていれば、凡百の中に埋もれはしない。

バニラフレーバーは元来は高級香料である。
このことを念頭に置いて今後も文字を綴ろうと思う。

ただし、敢えて何の印象も持たせず、
弱そうに見せる必要がある場合もある。

情けなさや小者感を表現するのも
大切なことなのだ。

追記
この記事を書いていた当時は知らなかったが、
どうやらバニラの価格が高騰しているらしい。

サイクロンがマダガスカルを襲った影響で
多くの農園が被害を受けたためだ。

バニラの価格はぐんぐん上がり、
銀よりも高くなったという。

サイクロン被害によるものなので
いずれ落ち着くかもしれないが、
農園自体が立ち直れない場所もあるだろう。

天然バニラのバニラアイスが
高級品になってしまうかもしれない。

なお、合成バニラ香料というものも存在する。

2018年11月6日火曜日

ウィントフック

砂漠の中にドイツ人が建設した都市で
ナミビアの首都である。
とても近代的だ。

ナミビアの名はナミブ砂漠由来だが、
ナミブとは何もないという意味だ。

何もない国と名乗ることに
抵抗はなかったのだろうか。

それとも、ナミブ砂漠を
生き抜いてきた者としての矜持が
この名に込められているのだろうか。

街の名前は風の曲がり角という意味である。

ちなみにこの何もない土地には
ダイヤモンドの鉱床がある。

ナミビアの中心に位置するウィントフックは
その管理を行うための行政の地だったのだ。

ドイツ人はこの地に中世風の建造物を
沢山築いたため、観光地としては
なかなか見ごたえのある場所となっている。

ドイツ領であったナミビアだが、
大戦の結果イングランドの植民地となる。

ただし、残念ながら英語はほぼ通じない。
公用語は英語だが通じない。
ドイツ語もあまり通じない。

元イングランド植民地のイギリス連邦加盟国
なのだが、イギリス統治期間が短く、
独立後はアフリカーンス語が主流となったためだ。

アフリカ南部では比較的豊かな街だが、
貧富の差が大きい。
スラムには近付かないように。

大聖堂はカトリックの聖マリー大聖堂だ。
ドイツ風コロニアル様式、
つまりメルヘンチックな建物である。

ディズニーランドのイッツアスモールワールドに
ありそうな建物と言えばイメージしやすいだろう。

ルター派のクリストゥス教会も
煉瓦造りだがそんなイメージだ。

つまり、メルヘンな建物がちらほらと
存在する街、それがウィントフックなのである。

隕石やウェルウィッチアも見られるし、
街を出ればナミブ砂漠の絶景が待ち受けている。

観光するには十分な目玉が揃っているのだが、
そこで気になるのはやはり食べ物だろう。

なんとドイツ風のソーセージやシュニッツェル、
そしてドイツ仕込みのラガービールが楽しめる。
これは大当たりだ。

ただし、ここはアフリカ南部である
ということを忘れてはいけない。
ぼんやり歩いていると強盗に遭うだろう。

何もないのは
自分の所持品となってしまうかもしれない。

2018年11月5日月曜日

カラハリ砂漠

ボツワナ周辺に広がる砂漠である。
カラハリとは乾いた土地という意味だ。

ただし、砂漠に分類されているが、
どちらかというと砂漠に近いステップである。

一定の降水量があり、
植物がそこそこ存在するためだ。

当然そこに生息する動物も多く、
キリンハイエナ、チーター、ライオン
オリックス、ヌー、ゾウ、サイカバ
アフリカの生き物大集合の様相を呈している。

オカヴァンゴと呼ばれる湿地が存在するのだが、
こうした大型哺乳類たちは
おおむねそこにいる。

カラハリ砂漠は盆地である。
降った雨は最も低いオカヴァンゴに流れ込む。
有名なマカディカディ塩湖もこの地域だ。

カラハリは降雨があるとはいえは貴重だ。
ツワナ人の通貨はプラというのだが、
これは雨を意味する言葉である。

つまり、水は貨幣と同等の
価値を持つということだ。

高価と言えばカラハリはダイヤモンドの産地である。
石炭、銅鉱石、ニッケル鉱石も豊富だ。

不毛の土地と思われがちな砂漠でも
現代の技術であれば様々な資源を
取り出すことが可能なのだ。

ただし、コストをかけて水を調達する必要はある。

2018年11月4日日曜日

プラハ

百の塔のプラハと呼称される
チェコの首都である。

ヴルタヴァ川の流れを中心に発展した
古い都市であり、歴史的な建造物が立ち並ぶ。

元々はスラヴ人の建てたプラハ城と
ヴィシェフラト城の間に形成された城下町であり、
黄金のプラハと呼ばれるほどの発展を見せた。

芸術家、錬金術師、占星術師が集い、
芸術と科学の都として
ヨーロッパの中心であった時期もある。

だが、プラハ窓外投擲事件に端を発する
三十年戦争によって文化の中心地は
ウィーンへと移る。

以来、チェコはハプスブルク家の
支配を受けるようになり、
独自の文化を弾圧されていった。

一次大戦によってオーストリアハンガリー帝国が
解体したことでチェコスロヴァキアとして
独立したのも束の間、二次大戦ではドイツと
ソヴィエトによって再び自由を失う。

冷戦時代は東側陣営に属していたが、
革命により共産党を打倒、
チェコとスロヴァキアは分離した。

近代以降の激動の流れの中にあっても、
プラハの街並みのほとんどは戦火を免れた。

また、社会主義陣営に属していたことで
資本主義的な発展が遅れたことで、
古い建造物が軒並み残されている。

つまり、街全体が建築博物館とでも言うべき
見所満載の最高級の観光地なのだ。

代表的なゴシック建築の聖ヴィート大聖堂は
聖ヴィート聖ヴィーツラフ聖ヴォイテフ大聖堂が
正式な名称であるがそれは置いておこう。

歴代のボヘミア王の墳墓を擁するこの大聖堂は
それはもう素晴らしく、この大聖堂だけに
一日を費やしても良いほどだ。

また、ヤン・フスが説教を行った
ベツレヘム教会もあるのだが、
街中の教会がいちいち芸術作品なので
ぜひとも散策していただきたい。

冒頭で紹介したように尖塔を持つ建築が多く、
また、家々の屋根は赤で統一されているため、
その風景は筆舌に尽くしがたい。

土産物はやはりボヘミアングラスが
いいのではないだろうか。

料理はドイツとスラヴの折衷であり、
香草や香辛料はあまり好まれないため、
わりと素朴な味わいのものが多い。

サワークリームであるスメタナが特徴的で、
ザワークラウトも好まれるため、
アクセントに酸味の利いた料理が多い印象だ。

より田舎っぽくしたドイツ料理などと
言われることもあるが、逆にチェコ本来の料理が
オーストリアなどに与えた影響も大きい。

だが、チェコといえばピルスナーである。
本邦のビールはまずほとんどがピルスナーで
あることを考えると、ビール党はチェコへ行って
本場を飲んでくるべきではないだろうか。

ちなみにバドワイザーはチェコのバドヴァーから
勝手に名前を拝借して世界的に有名になった。
本物のバドワイザーはチェコのビールなのだ。

黄金色のラガー、すなわちピルスナーは
本邦ではそれ以外のビールの存在が珍しいと
思っている者も多いほど人口に膾炙している。

聞くところによると、昔はガラス職人は
水分と栄養の補給を兼ねて、仕事をしながら
ビールを飲むのが普通だったらしい。

もっとも、酒を飲みながら仕事をするなど
普通だった地域も多いので特別な例とは
言えないかもしれないが。

さて、プラハの魅力を伝えきれていないが、
この辺りで締め括ろう。

とにかく、ヨーロッパ旅行で行先に悩んだら
プラハを候補に挙げて損はないだろう。

2018年11月3日土曜日

ナミブ砂漠

ナミビアの海岸沿いに位置する砂漠である。
ナミブとは何もないことを示す。

水蒸気の発生しにくい寒流が原因で
造成されるタイプの砂漠である。

海水温が低いため、海上に水蒸気が
生じにくい状態で、強い風が陸地に
吹き付けるのが原因だ。

ナミブの場合は遮るものの無い大西洋を
吹き抜けてきた偏西風が
乾いた風となって流れ込む。

すると、地上が乾燥するのはもちろんのこと、
雲ができないため日中は炎天下となり、
更に水分を奪っていく。

そして、夜間は温まった空気を地上に
留め置く雲は無く、風が吹き続けるため、
急激に気温が下がる。

乾燥した大地は加熱と冷却を繰り返され、
万物は乾燥と寒暖差によって脆く崩れ去り、
砂と礫と岩の砂漠と化す。

寒流であるベンゲラ海流と偏西風の
コラボレーションで作られた西岸砂漠だ。

それでもナミブ沖は暴風が多いため、
海霧がナミブ砂漠に流れ込む機会は多い。

このため、定期的に水分が供給されることで、
砂漠にしては様々な動植物が生息している。

なお、沖合の暴風の影響で、ナミブ砂漠の
海岸には難破船や鯨の死骸がよく流れ着く。
世に言う骸骨海岸である。

ナミブ砂漠の砂は鉄分が多く、赤い。
また、砂砂漠の割合が多く、
美しい砂丘を見ることができる。

赤い砂丘はまさに絶景。
世界遺産にも登録されている。

砂丘に上ればオムクルバロと呼ばれる
山が見えるだろう。
平らな砂漠の中にそびえ立つこの山は、
神々の山、あるいは炎の山と呼ばれる。

炎、つまり赤く見えるのだが、
これは夕日と赤い砂漠の照り返しによるもので、
山自体は植物の茂る緑のオアシスである。

アフリカの最南端を目指した航海者たちは、
左手に延々と続く赤い砂漠を
どのような面持ちで眺めたのだろうか。

2018年11月2日金曜日

ルサカ

ヴィクトリアの滝ことモシオトゥニャのある
ザンビアの首都である。
高原と渓谷の国として知られている。

ポルトガルによるアフリカ横断計画と
イングランドによる縦断計画との交点に位置し、
両国の争点となった過去を持つ。

争いはイングランドに軍配が上がり、
ポルトガルはこの植民地計画の失敗が一因となり
王制に打撃を受けた経緯がある。

そんなザンビアだが、
アフリカで最も平和な国と呼ばれている。
クーデターや内紛がとりわけ少ないのだ。

産業はやや貧弱で、銅鉱石に依存しているものの、
政情が安定しているというのがどれだけ
人々に平穏をもたらすかという好例だろう。

首都は元々リヴィングストンであったが、
隣国との国境に近すぎることから
ルサカへと遷された。

ルサカの大聖堂はカトリックと聖公会のふたつ。
カトリックのものは幼少のキリスト大聖堂。
聖公会のものは聖なる十字架大聖堂である。

幼少のキリスト大聖堂はちょっと奇抜な
公民館といった雰囲気の建物だ。
十字架が立っていなければ
教会だと思わないかもしれない。

聖なる十字架大聖堂はこちらも教会らしくない。
だが、石造りの重厚な建物で、やや前衛的。
アール・デコ風かなとも思う。

印僑が多いため、
ルサカヒンドゥー寺院が存在する。
比較的新しく、オレンジの塔が印象的だ。

さて、ルサカの観光スポットだが、
せいぜい市場を見るぐらいだろうか。
観光をするなら街を出て自然を見るべき場所だ。

ザンビア料理はトウモロコシ団子のシマが
主食としてよく食べられている。

それに合わせて食べられるおかずの一番人気は
印僑のもたらしたカレーだ。
鶏肉を煮込んだトンカベジというカレーだ。

西アフリカにはカレーに似た料理があったが、
ここにきて本物のカレーである。

カレーというのは凄い食べ物である。
辛さの問題さえ克服できれば、
どんなものでも美味しく食べられてしまう。

得体の知れない材料が使われていても、
カレーならば易々と食べてしまうだろう。

ちなみにザンビアに限らずこの周辺では
大豆から作られたソイミートが
よく食べられている。
日清のカップヌードルに入っているあれだ。

話が逸れたが、ザンビアはモシオトゥニャを
見に行く場所という印象が強い。

最寄りの街は旧首都リヴィングストンのため、
観光でわざわざルサカまで行く必要は
ないかもしれない。

2018年11月1日木曜日

サツマイモ

アサガオの仲間で薄桃色の花を咲かせる植物だ。

ただし、花は咲かせにくいため、
アサガオに接ぎ木するなどして
無理矢理開花させ、人工授粉が行われる。

ペルーが原産地とされ、マガリャネスの
南アメリカ西岸到達以降に世界中に伝播した。

本邦へは大陸経由でもたらされたため、
唐芋とも呼ばれる。

そして、鹿児島で大々的に栽培を開始したため、
薩摩芋の呼び名が定着した。

享保の大飢饉においては、サツマイモを生産していた
地域のみ餓死者が出なかったという。
このことが知られて以来栽培地域が広がって行った。

芋としてのサツマイモにはデンプンが
豊富なわけだが、自前の酵素の中に
デンプンを糖化するものが備わっている。

つまり、日光に晒す、低温で蒸すなど、
ある程度以上の温度でしばらく置くことで、
デンプンが糖へと変わり甘くなる。

食べる以外にも焼酎の原料として著名で、
鹿児島は芋、宮崎は蕎麦、大分は、熊本は米、
などと言い九州を代表する名物である。

サツマイモから作られるアルコールは、
燃料としての研究も行われており、
大戦時には航空機燃料とできないか期待された。

乗組員である鹿屋の薩摩隼人が
芋焼酎で元気になって出撃したという意味では
航空燃料と言えなくもないかもしれない。

冗談ついでにサツマイモにまつわる
昔のジョークも紹介しよう。

サツマイモを栗の美味さに近いものとして
九里までもう少しの八里半と呼ぶことがあった。

この場合、栗の方が上だが、
栗よりも美味いとする言い方もある。
九里四里うまい十三里である。

川越街道が江戸まで十三里であり、
川越がサツマイモの産地であったという
何重にも意味の込められたうまい言い回しだ。

さて、外国でのサツマイモ事情も
少しだけ紹介しよう。

ヤム芋という芋があるのだが、
ソフトスイートポテトと呼ばれる
サツマイモの品種によく似ている。

このことからソフトスイートポテトが
ヤムと呼ばれ、アメリカなどでは流通している。

実際見た目も味も似ているのだが、
植物としての種類は大きく異なる。

ヤムの呼び名が定着した結果、
特定の品種以外のサツマイモもヤムと
呼ばれることが多くなった。

そして本来のヤムイモは生産地域以外では
あまり見ることができなくなったようだ。

そういえば、サツマイモは毒を持つことがある。

普通にしていれば毒は持たないのだが、
虫やカビに襲われると、
抵抗のために毒を作りだす。

この毒は加熱で破壊できないため、
傷んだサツマイモを食べてはいけない。
焼酎の材料として蒸留してさえ、
毒由来の苦味がついてしまうという。