大麦より少し遅れて栽培されるようになった小麦だが、
製粉の手間がかかるという難点があった。
製粉技術が発達したことで、
容易にパンや麺が作られるようになり、
その評価は大麦を上回ることになる。
何より小麦で作られた食料は
香り、味、舌触りが非常に優れているのである。
しかし、軽く流したが製粉というのは
歴史上無視できぬ要素である。
水車によって巨大な石臼を回す例が多いのだが、
そのために水路を引く必要がある。
水を巡る争いには飲用水以外にも、
こうした要因があったのだ。
また、粉に挽くと隙間がなくなる分嵩が減る。
よって、粉挽職人は小麦泥棒と誹られた。
風車や水車といった施設が使えない場合、
手挽きの石臼を使うことになるが、
これも重要な財産である。
挽き臼の無い貧農家庭は他人に頼らざるを得ない。
そこにひと悶着起きるのは想像に難くないだろう。
さて、本邦では製粉技術の発展が遅れたと言われている。
よって、徳川の太平の世になるまでは、
小麦粉は贅沢品として扱われていた。
卵、砂糖、小麦粉、牛乳。
今でこそ当たり前の食材だが、
どれも高級品だったのである。