序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年7月31日火曜日

ブラークリー

リフィー川の河口に位置する
アイルランドの首都である。

ダブリンと呼んだ方が間違いなく
知名度が高いだろう。
ブラークリーは現地語での呼び方である。

古くはプトレマイオスの地図に
エブラナとして記されている。

また、アイルランド島のことをローマ人は
ヒベルニア、冬の国と呼んでいた。

ダブリンの名はヴァイキングの言葉で、
黒い水たまりという意味である。

ダブリン城の庭にあった池のことらしいが、
何故黒かったのかが書かれている文献は
今のところ見ていない。
瀝青の池でもあったのだろうか。

アイルランドの歴史は外敵との戦いの歴史である。
古くはヴァイキングとの、
近世以降はイングランドとの戦いだ。

戦略的な要衝であるダブリンは
幾度も戦火に晒された。

だが、最も酷かったのは外敵によるものではなく、
ブリテンからの独立派と残留派が
激しく争った内戦だ。

今でも内戦の傷痕をダブリンの街で
見つけることができるだろう。

さて、珍しいことに、
ダブリンにはカテドラルがふたつある。
クライストチャーチ大聖堂と聖パトリック大聖堂だ。

主教座を持っていたクライストチャーチが
正当なカテドラルであるが、
ふたつの大聖堂問題と呼ばれる政治的対立が存在した。

もっとも、現在のクライストチャーチは
カトリックではなく聖公会のため、
その点はもはや関係なくなっている。

カトリックの主教座は現在、
聖マリー臨時主教座聖堂というところにある。
臨時、である。

もしかすると顕在化していないだけで
今でも宗教対立が存在するのかもしれない。

もちろんそんなことは観光客には関係がない。
ギネスビールを飲み、肉に舌鼓を打とう。
ウイスキーを飲むのも忘れてはならない。

ブリテン島と同じく
天候に悩まされるかもしれないが、
手っ取り早く酔って忘れてしまうといいだろう。

2018年7月30日月曜日

ハリガネムシ

蠢く針金のような生き物がいる。

回虫に似ているが、節が無く、
そこまで近い生き物でもない。

いわゆる寄生虫だが、昆虫専門である。
爪の間から入り込むという俗説もあるが、
人間には無害なので安心してほしい。

水中で卵から産まれたハリガネムシは
カゲロウやボウフラに寄生し、
羽化した宿主と共に地上へ移動する。

この時点での宿主に対して
何か悪さをするという話は聞かない。

サナギのような状態となって
どんな悪環境にも耐えられるらしい。

宿主がカマキリなどの肉食昆虫に捕食されると、
その体内で本格的な成長を始める。
長いものでは人の子供の身長ほどにもなるという。

十分に成長しきると、宿主に対して
ある種の毒を注ぎ込む。

この毒に冒された昆虫は、
水の中に飛び込んでしまうのだ。

ハリガネムシは宿主の体から水中に出た後に、
同種と巡り会って卵を産む。

このハリガネムシの生き方には
あるリスクが存在する。

宿主が鳥などの昆虫以外に捕食された場合、
寄生することができず死んでしまうのだ。

ある生物学者によると、ハリガネムシによって
水中に飛び込む昆虫は、魚たちの重要な
食べ物になっているという。

一見生態系とは無縁に見える寄生虫だが、
その影響はかなり大きいらしい。

もし彼らがいなくなったならば、
魚は水棲昆虫を食べ尽くし、
水棲昆虫が食べる藻が異常繁殖し、
水質が変わってしまうのだという。

どんな些細に思えるものでも、
世の中の仕組みが回っていくためには
重要であるという好例だろう。

2018年7月29日日曜日

バマコ

西アフリカの内陸国マリの首都である。
残念ながら長らく内戦中だ。

戦いは北部地域で行われているため、
バマコ周辺は安全なようだが、
旅行に行くのに適切な国ではない。

気になるのはバマコ大聖堂。
煉瓦を積み上げて造られた
フランス時代の建物だ。

大聖堂と号するにはささやかなものだが、
塔がなかなかに精巧な作りである。

さて、バマコはニジェール川サハラ縦断路の
交点に位置する交易都市である。

古くは岩塩と黄金や象牙を交換する
サハラ交易の中継点として栄えていた。

一大勢力を誇ったマリ帝国の主要な街でもあり、
トンブクトゥに次ぐ大都市であった。
現在はバマコの方が大きい。

マリ帝国の没落後はソンガイ帝国でも
主要交易都市であり続けたが、
帝国が崩壊すると衰退していった。

フランス植民地時代にスーダンの首都とされたが、
フランス人にこの内陸地域を
発展させるつもりは無かったようだ。

マリの北部はサハラだが、
バマコの周辺はサバンナである。

ニジェール川沿いでは灌漑が可能なため、
植民地として綿花栽培が行われていた。

マリ連邦として独立した際にはセネガルとの
連邦国家であったが、セネガルが離脱、
マリ共和国として再スタートを切った。

だが、独裁政権にクーデターと政情不安定な状態が続き、
トゥアレグ族による分離独立闘争も発生した。

国政自体は改善され、アフリカの中では
非常に民主的な国家と呼ばれるまでになったのだが、
前述のトゥアレグ族の火種は消えることなく、
現在も続く内戦が勃発することになった。

なお、マリは現在も黄金の産地である。
もっとも、子供たちが手掘りをさせられているらしく、
その際に使う水銀が彼らを脅かしているそうだ。

サブサハラについて書いていくに当たっては、
暗い話題が多くなりそうで気が重い。

2018年7月28日土曜日

青銅

銅との合金である。

青緑色のイメージが強いが、あれは錆びの色であり、
本来は赤銅色、黄金色、白銀色のどれかである。

本邦の遺跡から出土する銅鐸は、
元々は黄金色に輝いていたのだ。

色の幅があるのは錫の含有量の違いで、
錫が多いほど硬く脆くなる。

硬さと脆さのバランスで言えば、
黄金色の状態が最も優れていると言えるだろう。

なお、十円玉は赤銅色をした青銅である。

純銅で作られた銅器は柔らかいため、用途が限られる。
対して、錫を混ぜた青銅器は武器に使えるほど強い。

ここで、ひとつ衝撃の事実を告げなければならない。
歴史で青銅器時代と鉄器時代というものを習ったと思う。
化学で鉄と銅の融点の差についても学んだと思う。

だが、鉄器は青銅器よりも低い温度で作ることができる。

鉄は溶かさずとも鉄鉱石を熱して叩くことで
鉄材とすることができるのだ。
むしろ近世に入るまで溶解させられなかった。

この方法は炭素の含有量の調節が難しく、
初期の鉄は柔らかいものだった。
おまけに錆びやすい。

その点青銅は表面のみが錆び、
その錆が酸化被膜として中身を守ってくれるため、
鉄器より耐久性に優れていたのだ。

ただし、青銅器には弱点がある。
銅は比較的手に入りやすいが、錫の産地が限られている。
対して鉄はどこにでもある。

青銅器から鉄器に移行したのは
製鉄技術の向上もあるかもしれないが、
おそらくこの辺りが関係しているのだろう。

鉄の剣よりも青銅の剣の方が強い。
ただし、鋼の剣は段違いで強い。

どうだろう、青銅のイメージが
変わったのではないだろうか。

2018年7月27日金曜日

リジュボア

テージョ川の河口に位置する
ポルトガルの首都である。

本邦においてはリスボンという
英語での呼び名が定着している。

元々はフェニキア人の築いたかなり古い街で、
他のヨーロッパの都市と比べても
特に古い街だと言われている。

フェニキア時代の名は判然としていないが、
大プリニウスはオリシッポの名で言及している。

ブリタニアとの交易の中継点として
栄えたこの街には、
様々な物品、民族が集っていた。

この特性はゲルマン人時代も、サラセン人時代も、
そして現代においても変わっていない。

ローマが衰退するとゲルマン人の
諸王国の支配地域となり、
この頃はウリシュボナと呼ばれていた。

イベリア半島がサラセン人の手に落ちると、
ウリシュボナも進んだ文明都市となる。
恐らくこの頃にリジュボアへと
名称が変わったものと思われる。

その後、レオン王国のポルトゥカーレ伯爵が
レコンキスタの一環としてこの街を攻め落とし、
本国の混乱の隙を突いてポルトガル王国を建国した。

大航海時代の話をすると長くなるので、
歴史についてはこのぐらいにしておこう。

偉大なる探検家ヴァスコ・ダ・ガマと
ペトロ・アルヴァレス・カブラルの話をしたいが、
また別の機会にとっておくことにする。

ところで、リジュボアは幾度も破壊されている。
戦火に焼かれたことも多いが、
実はこの地は地震が多い。

破壊の度に逞しく再生してきたリジュボアには、
様々な年代の構造が残されている。
まさに都市の年輪である。

つまり、この街を観光すれば、
一通りの建築様式を目にすることが可能なのだ。

また、エンリケ航海王子から始まる
数々の海洋探索の功績を称えて建造された
発見のモニュメントも見所の一つだ。

巨大なモニュメントに探検家たちの像が
刻まれている様子は見た者の心を熱くさせる。

彼らの偉業を称えて建てられたものといえば、
ベレンの塔も見ておかなければならない。

海岸に建つ瀟洒な姿は大海原へと
心を旅立たせてくれるだろう。

忘れてはいけないのはリジュボアが
坂の街だということである。

各観光名所を巡るには、
幾度も坂を昇り降りしなければならない。

それ自体が観光の目玉となっている
路面電車があるのだが、
こいつは頻繁に渋滞にひっかかる。

一両編成にも関わらず、
何両か連なってしまうことも珍しくない。

急な坂を歩いて登るのはかなりきついため、
移動時間には余裕を見るようにしたい。

リジュボアは観光するなら最上級の街である。

見て歩くだけでも一日中楽しめる街並み、
数々の名所、過ごしやすい気候、美味い料理。

紹介したいものは他にも山ほどあるが、
長々とまとまりのない悪文になってしまったので、
心残りではあるがここらで筆をおきたい。

2018年7月26日木曜日

アルミラージ

額に生えた一本の角が特徴的な動物だ。
姿かたちはウサギに似ているがかなり大きい。
肉食獣である。

インド洋に浮かぶアルティニン島に生息しており、
角は黒く、体毛は黄色く細かい。
この体毛は日光を浴びると金色に輝き、美しい。

黒い角はまるで槍のように長く、
螺旋状に捻じれているのだが、
アルミラージはこの角を使い狩りを行う。

自身より大きな動物が相手でも、
怯むことなく角を振りかざし、
時には人間ですらも刺し殺されることがある。

角は折れても再び生えてくるということはないため、
角の折れた個体は生き延びられないと考えられる。

貪欲で、体の大きさに比べて多すぎるのではないか
と思えるほど食物を摂取するため、
満腹時は腹部が大きく膨れ上がる。

他の肉食獣同様、家畜化は不可能だが、
かつてはこの動物を慣れさせ、
飼育する技術を持った者たちがいたらしい。

アルティニン島をアレクサンドロス大王が訪れた際、
アルミラージが贈られたという記録がある。
飼育が困難なため、大王は技術者も
連れて帰ったものと思われる。

また、伝説によれば、大王は島に棲むドラゴンを退治し、
その謝礼としてアルミラージを贈られたという。
ティニンはアラビア語で竜を意味する。

なお、アルミラージとは天国を意味するアラビア語である。
恐らく金色に輝く毛皮から、天国の生き物を
イメージして名付けられたのだろう。

黒い螺旋状の角は、北極海のイッカクの牙と共に、
呪術の道具として重宝された。

変わったところでは、この角を加工した槍がある。
金属と比べると脆いため、
恐らくは儀礼用か装飾用だろう。

一本角は古来より神秘的なものとして伝えられている。
おそらく、アルミラージの角も
毒を浄化する力があると考えられたのだろう。

2018年7月25日水曜日

ヌアクショット

大西洋に臨むモーリタニアの首都である。

この街自体は新しく、歴史的に見れば、この地域の
中心地はより内陸のガーナ王国であった。
なお、ガーナ王国と現在のガーナは位置が異なる。

ガーナ王国はサハラ交易の中継点であり、
岩塩と黄金の取り引きで財を成した。

ガーナ王国の滅亡後も、
この地の岩塩は遥か東方まで輸出され、
遠くメッカまで繋がる交易路の始点であった。

だが、次第にこの地域はイスラム世界から取り残され、
交易路の変化と共に衰退していった。

近代において、フランス領西アフリカの一部となるが、
その西端たる地域が脚光を浴びることは無かった。

アフリカの年と呼ばれるアフリカ独立ムーブメントの際に
モーリタニアとして独立したこの地域は、
首都を小さな漁村であったヌアクショットに置く。

この街には将来的な繁栄を望み、
拡張性を考慮した都市計画が施された。

計画は順調に進み、目標としていた人口に達したのだが、
人々の生活スタイルが変わったことで、
砂漠に住む人々が職を求めて集まってくるようになった。

当初の計画を超えた人口が集中してしまい、
現在は過密が問題となっている。

さて、ヌアクショットは歴史が新しく、
モーリタニアは比較的政情が安定しているため、
戦争に巻き込まれたことが一度しかない。

しかし、その一度が強烈であった。

西サハラの独立を求めるポリサリオ戦線が、
少数の決死隊でもってヌアクショットに攻め込んだのだ。

モーリタニア政府はこの事件に衝撃を受け、
モロッコと分割統治していた西サハラの領土を放棄。
ポリサリオ戦線が建国を宣言した
サハラアラブを国家として承認している。

モーリタニアは決して豊かな国ではないが、
農耕牧畜、漁業に鉱業をうまく発展させ、
良好な経済状況を作り上げている。

本邦へはタコの輸出を行っている。
現地の人々はタコを一切食べず、
一般人はタコとイカの違いもよく知らないという。

このため、漁で獲れたタコはすべて輸出に回しており、
本邦の主要なタコ輸入元となっている。

さて、観光地としてのヌアクショットだが、
いわゆる観光名所は一切無い。

交通ルールを守る運転手は皆無で、
ロバに引かせる馬車が渋滞を作り出すなど、
なかなかに混沌とした街を楽しめる。

食べられているのはクスクスなど北アフリカ料理に近い。
トマトがよく使われる点も共通だ。

フランス式のパンもよく食べられているのだが、
何故かスパゲッティタイプのパスタが人気である。
トマトソースとヤギ肉、ラクダ肉のパスタは珍しい。

お茶はこの地域で多い、
ミントと砂糖と共に濃く煮出すタイプだ。
三回に分けて飲む。

ヌアクショットは発展の伸びしろのある街だと思われる。
人口も多いため、いずれ観光業にも
力を入れるようになるかもしれない。

2018年7月24日火曜日

セイウチ

海象とも呼ばれる北極海に棲む海獣である。

よく似た海獣にトドがいるが、
トドはアシカの仲間であり近縁ではない。

セイウチは立派な牙があることで知られている。
しかし、この牙は抜けることがあり、
必ずしも牙を備えているとは限らない。

この牙はしばしば自分の体を傷付けてしまう。

セイウチの主食は海底に棲む貝である。
トドよりも多い髭によって感覚が鋭く、
貝を探し当てる能力が高い。

鏡の国のアリスでも大工と共に牡蠣を食べていた。

セイウチには耳介が無く穴だけが空いている。
おそらく極めて冷たい水の中で暮らすため、
体温を逃がさないようになっているのだろう。

トドには小さな耳がきちんと付いている。

なお、セイウチとはロシア語の
シヴーチが訛ったものなのだが、
シヴーチとはトドのことである。

ところでセイウチを使ったエスキモー料理に
コパルヒンというものがある。

皮を剥いで袋を作り、切り分けた肉と脂肪を
詰め込んで、泥炭の中に埋めて発酵させる。

場所は北極圏のため、このコパルヒンは
当然のように凍っているのだが、
それを斧で割り、ナイフで薄く削いで食べる。

獣臭さと腐敗臭が鼻を襲う。
そして恐らくアンモニア由来と
思われる刺激が舌を襲う。

永久凍土では貴重な栄養源だ。

2018年7月23日月曜日

マドリード

イスパニアの首都である。

海洋帝国だったイスパニアが
内陸に首都を持っていたというのは
意外な印象を与えるかもしれない。

後ウマイヤ朝が要塞を建造したのが
この街の始まりである。

川の傍に建てられたことからアルマジュリート、
すなわち水源と名付けられたこの要塞は、
レコンキスタの際に陥落した。

アラゴンとカスティージャが連合王国となり、
イスパニアとして融合していく過程で、
国土の中央に位置するこの街が首都となる。

イベリア半島は山地と川の関係で
内陸部は交通の便が悪かった。

そんな中で全土に睨みを利かせるには、
中央に首都を置く必要があったのだろう。

大航海時代には新大陸の富が流れ込み、
ヨーロッパ有数の文化の発信地となるが、
イスパニアが海洋覇権を失ってからは、
これといった産業の無い停滞した街となってしまう。

更には近代に入って内戦が始まると、
マドリードでは激しい市街戦が繰り広げられた。

さて、観光地としてのマドリードだが、
非常に人気の高い街である。
特に国内旅行の定番であるらしい。

外国人にとってマドリードの魅力の第一は、
新しいのに古い建物の数々だろう。

アルムデナ大聖堂は外観はネオクラシカルだが、
内装がネオゴシックという面白い造りになっている。

ちなみにアルムデナ大聖堂はごく最近
建てられたという非常に珍しいカテドラルである。

他にも王宮やレディーロ公園や聖イシドロ教会など、
建築マニアでなくとも楽しめる場所が目白押しだ。

もっとも、マドリード観光をするなら、
こうしたお堅い場所を見て回るよりも
ディープな夜の街の方が楽しいだろう。

バルを巡りはしご酒というのが
マドリード最大の楽しみ方かもしれない。
治安が良いとは言えないのが難点ではあるが。

料理はカスティージャのものが基本だが、
首都だけあってイスパニア中の名物が食べられる。

個人的にはコシードやカジョスなどの
煮込み料理がお勧めだ。

スイーツなら何と言ってもチュロス。
ホットチョコレートに浸けていただく。

いずれにせよ、イベリア半島は見所が盛り沢山である。
マドリードだけに行くのはもったいない。

金と時間を目一杯用意して、
全土を巡るぐらいの計画を立てた方がいいだろう。

2018年7月22日日曜日

サハラ

アフリカ大陸北部に広がる世界最大の砂漠である。
なんとアメリカ合衆国と同程度の広さを持つ。

本邦ではサハラ砂漠と呼ばれることが多いが、
サハラは砂漠の意味なのであまり良い表現ではない。

何もない不毛の地のイメージが強いが、
いくつか鉱山があり、
現地の貴重な収入源となっている。

古い時代には、危険を冒してサハラを縦断し、
地中海とサブサハラの交易を行う人々もいた。
今は車による移動が可能な道路がいくつか存在する。

サブサハラとはサハラより南側のアフリカのことで、
北アフリカとサブサハラは人種や文化が大きく異なる。
サハラによって分断されているためだ。

ところで、砂漠と聞くといわゆる砂丘の連なる
砂の海を想起するのではないだろうか。

だが、実はこうした砂海と呼ばれる地形は、
砂漠の中でも珍しいものである。

砂漠の地形には、砂の海エルグ、岩盤が露出したハマダ、
石が無数に落ちているレグ、乾燥した渓谷跡ワディ、
かつて海であったため塩の層が広がるシャットなどがある。

エルグは砂砂漠と呼ばれ、最も一般的な砂漠は
土砂漠と呼ばれているが、単に砂漠と言えばこれだ。
栄養の乏しい土だけが広がっている。

次いで多いのが岩石砂漠ハマダで、
その次が礫砂漠レグである。

砂ばかりだから砂漠と呼ばれているのではないかと
思うかもしれないが、本来は沙漠表記であった。

沙とは文字通りが少ない場所だ。
漠は広々として何もないことである。

そういえば、サハラを東西に横断した
という記録を知らない。
恐らくルートが無いのだろう。

南北のラインは各地にあるのだが、
そもそもアフリカ大陸を東西に移動したければ、
サハラは迂回すべきである。

北アフリカ地中海沿岸を通れば快適な旅ができるのに、
わざわざ砂漠を横断する必要は無いのだ。

ちなみにサブサハラ側はサバンナが広がっていて
ここを移動するのもまた大変である。

結局、アフリカ大陸という場所は、
沿岸や大河周辺以外は人が住むには
難しい場所なのかもしれない。

2018年7月21日土曜日

ラユーン

サハラアラブ亡命政府が首都としている
西サハラ北部沿岸の街である。
アイウンとも呼ばれる。

ただし、ラユーンはモロッコが実効支配しており、
亡命政府はアルジェリアにある。

西サハラは西側をモロッコが支配しており、
東側をサハラアラブが支配している。
つまり、東西に分かれて紛争中というわけだ。

まずはこの経緯を軽く説明しよう。

西サハラはイスパニアの保護領であったが、
ベトナム戦争が終結した頃にこれを放棄した。

しばらくはモロッコとモーリタニアによって
分割統治されていたが、アルジェリアに支援された
武装組織ポリサリオ戦線が独立を求め戦いを始める。

ポリサリオ戦線はモーリタニアを徹底的に攻撃、
出血を強いられたモーリタニアは西サハラを放棄した。

ポリサリオ戦線はサハラアラブと国名を定め建国を宣言。
西サハラの領有を諦めたモーリタニアはこれを承認した。

勝利を収めたポリサリオ戦線だったが、
彼らが旧モーリタニア支配地域をまとめる前に、
モロッコ軍が侵攻、各都市を占領する。

ここで、モロッコとポリサリオ戦線の激突を防ぐため、
国際連合が介入し、彼らに平和的解決を求めた。
住民投票により帰属を定めることになったのだ。

しかし、西サハラには遊牧民が多く、
国家として彼らの戸籍を持っている組織も無かったため、
有効な投票が行えないとして試みは無期延期となった。

モロッコはこの係争中の地域において、
沿岸部の都市を自国の領土として扱い、
実効支配を進めている。

モロッコにとって内陸の砂漠地帯は不要な土地である。
したがって、「砂の壁」と呼ばれる長大な要塞線を構築し、
サハラアラブ軍を東部地域へと封じ込める作戦に出た。

砂の壁は文字通りの砂丘の壁を形成するとともに、
鉄条網と地雷によって防衛されている。

現在のサハラアラブ軍にこの要塞線を
突破することは難しいようだ。

さて、ラユーンに話を戻そう。
この街は砂の壁の西側、
モロッコに近い北部沿岸に位置する。

つまり、この街をサハラアラブが
事実上の首都とするには、
モロッコ軍を完全に排除しなければならない。

この街は旧スペイン領サハラの首都であり、
西サハラ最大の都市でもある。

紛争中と書いたが、砂の壁が存在するため
この街に戦火は及ばない。

モロッコの一地方都市として繁栄しており、
住民も自分をモロッコ人だと言う者ばかりだ。

電気や水道といったインフラも整備されており、
街並みもいたって綺麗なもの。

というのも、どういうわけか建物の色が
薄桃色に統一されているため、
砂漠の色に溶け込んだ美しい景観が楽しめる。

ただし、観光名所はろくに無い。
食べ物もモロッコ料理なので
カサブランカやラバトに行けばいい。

わざわざ係争中の地域に
首を突っ込みに行くべきではないだろう。

西サハラ問題が今後どう転ぶかはわからないが、
モロッコの実効支配は着実に功を奏している。

実効支配とはどういうことなのかを知るために
訪れてみるというのなら無駄ではないかもしれない。

2018年7月20日金曜日

ハエの仲間の昆虫である。

飛ぶのが得意ではなく、
少しの風でも煽られて流されていく。

蚊といえば吸血であるが、
普段は花の蜜を吸って生きている。
花粉の媒介を蚊に頼る植物も多い。

また、幼虫であるボウフラは、
水を浄化する生き物であり、
実は環境保全に役立っている。

だが、それ以上に蚊は人間にとって
害をなす生き物である。

単純に刺されると痒いという問題もあるが、
伝染病を媒介するという点において、
不倶戴天の敵である。

地域によっては文字通り死をもたらす存在だ。
マラリアだけでも凄まじい数の犠牲者が出る。

他にもフィラリア、線虫、黄熱病、デング熱、
脳炎、ナイル熱、チクングニア熱など、
いずれも命に関わるものばかりだ。

これらの脅威を人の世界から取り除くには、
蚊を滅ぼさなくてはならない。

人類は蚊を根絶するためにその知恵を駆使し、
様々な化学兵器、生物兵器を使用してきた。

毒煙で追い立てる。
産卵場所に毒薬を撒く。
灯りに誘導して感電させる。
蚊が感染する病原菌を散布する。
遺伝子操作で繁殖できない蚊を放つ。

なんと非道な行いだろうか。
しかし、それでも蚊は繁栄を謳歌している。

人と蚊の戦いはこれからも続いて行くだろう。

2018年7月19日木曜日

ブリュッセル

ベルギーの首都であり、
欧州連合の第一の拠点でもある。

沼沢地であったが、森と山の隙間を縫うように
発達した道路網の中継点として栄えたという。

中世から工業が盛んとなり、
現在で言うドイツ地域とフランス地域を結ぶ
商業都市として勢力を増していった。

このドイツ地域の西端という性質は、
神聖ローマ帝国が領土内に普及させた
郵便網の起点であることからも読み解けるだろう。

ベルギーではオランダ語とフランス語が
話されているが、北側がオランダ語を、
南側がフランス語を公式に使用する。

ただし、北側に位置するブリュッセルだけは
特異点であり、どちらも等しく用いられる。

同じ国の同じ都市に住みながら、言語が違う。
これは本邦では理解しにくい感覚である。
当然、対立は激しい。

こうした様々なものの境界線に位置する
都市だからこそ、北大西洋条約機構や、
欧州連合の拠点となれたのかもしれない。

さて、観光に話を移そう。
ブリュッセルといえば美食の街である。

ヨーロッパ中の様々な地方の料理を供する
レストランが立ち並び、まさに欧州連合の
首都と言える食の殿堂となっている。

おそらく現在ではヨーロッパ以外の地域の
料理店も軒を連ねていることだろう。

また、ベルギーチョコレートと言えば、
高品質なチョコレートの代名詞であり、
有名な企業の本店がブリュッセルに集まっている。

いわゆるベルギーワッフルには種類があるのだが、
本邦で人気のタイプはブリュッセルワッフルである。

四角い形をした柔らかなワッフルで、
様々なソースやアイスクリームと共にいただく。

名所も数多い。
最も有名なのは小便小僧だろう。

これは、爆弾の導火線に小便を掛けて人々を救った
ジュリアンという名の少年に由来すると言われている。

現在設置されているものはレプリカで、
オリジナルは市立博物館に所蔵されている。

中央駅から北へしばし歩くと辿り着ける
聖ミカエル大聖堂は伝統的なゴシック様式で
建てられており、ステンドグラスの美麗さで有名だ。

世界で最も美しい広場のひとつと言われる
グラン・プルスを歩いた後は、
ベルギービールを楽しむといい。

エールもランビックも独特かつ多様であり、
本邦のビールに馴染んでいると、
これがビールなのかと驚くに違いない。

もちろんラガーも忘れてはいけない。
エールばかりが取り上げられるが、ベルギー国内で
消費されるビールの大部分はピルスナーである。

同じ味わいのビールは無いとまで言われる
ベルギービールの深遠なる世界に旅立つのなら、
やはりブリュッセルを起点にするのがいいだろう。

2018年7月18日水曜日

手の平に乗る程度の茶色い鳥である。
頬と腹が白く、頬には黒い斑があり可愛らしい。

ポルトガルから本邦まで広く分布するが、
寒い地域と何故かインドには生息していない。

ヨーロッパのスパローは山間部に住み、
東アジアの雀は農村や都市など人の住む場所に多い。

イネ科の植物の種子を好むが雑食で、
都会では花の蜜や生ごみを食べて逞しく生きている。

穀物をついばむことから、
毛沢東が雀を害獣と発言したことがある。

これを聞いた人民は、一生懸命雀を狩り、
農村から駆逐した。

すると、雀が食べていた虫が大発生し、
畑は大被害を受けたという。

いたずらに生態系を弄ってはいけない。

さて、都会で沢山見ることのできる雀だが、
彼らの巣を見たことがあるだろうか。

小さな巣を驚くほど狭い隙間などに作るのだが、
もしかしたら自分の住んでいる建物にもあるかもしれない。

瓦の下や雨樋、屋根の隙間や煙突、
換気扇カバーにプレハブの鉄骨の隙間など、
実はあちらこちらに巣が存在する。

子供を育てていない夏から秋にかけての時期は、
街路樹の枝などに凄まじい数が集まって寝ている。
もし、夜中に木を切り倒したら、
雀の群れが突然現れることだろう。

群れといえば雀たちは
よく分からない遊びをしていることがある。

ふたつの群れに別れ、何かの拍子に一斉に飛び、
もう一方の側に移動しようとするが、
何割かは途中で引き返して元の位置に戻る。
これを繰り返す。

雀合戦と呼ばれているが、
これが実際に何なのかは寡聞にして知らない。

雀は体の大きさに見合わず獰猛で、
恋の季節になると激しく喧嘩するのだが、
雀合戦も縄張り争いか何かなのだろうか。

最後に、焼き雀の話をしよう。

京都の伏見稲荷の門前では雀の焼き鳥が売られている。
見た目は頭がそのまま残っているためぎょっとするが、
骨ごとパリッといけば深い味わいが広がる。

タレと山椒の風味が格別に調和し、
抜群に美味いのだが、獲れる数が限られているため、
販売数は少なくすぐ売り切れになってしまう。

食糧難だった昔はあちこちで食べられていたのだが、
狩猟の手間に対して食べられる身の少なさから、
次第に人気を失っていった。

なお、雀は鳥獣保護法において
狩猟鳥に分類されているため、
自由に飼育や捕獲をしてはいけない。

追記:雀が死にかけの
ばりばり貪っているのを見掛けてしまった。

2018年7月17日火曜日

ラバト

ブーレグレグの河口に位置するモロッコの首都である。

モロッコ最大の都市はカサブランカであり、
経済でも知名度でもラバトは負けている。
ついでに言うと内陸のフェズにも及ばない。

元々ラバトはサラという名であった。
ローマ人はこの地を支配領域に組み込んだが、
帝国が衰退すると放棄した。

後に、サラセン人がイベリア半島を攻める際に、
この地にリバート、つまり軍事拠点を置くことになる。
ラバトの名の由来はこれである。

ムワッヒド朝の衰退により、
再びこの街は寒村に成り下がったが、
イベリア半島を追放されたサラセン人たちが移り住む。

彼らはラバトにブーレグレグ共和国を建国した。
共和国と聞くと文化的で平和な印象を受けるが、
ブーレグレグは海賊の国である。

大西洋と地中海を繋ぐジブラルタル海峡に
ほど近いこの地に海賊の一大拠点が
存在するというのは大きな脅威である。

彼らを危険視した他のサラセン人国家からの
攻撃も受けたが、近世にオーストリア海軍によって
滅ぼされるまで存続し続けた。

その後モロッコはフランスの植民地となり、
ラバトはフランス人によって都市改造が行われ、
モロッコの首都となった。

なお、ラバトの港は砂やが溜まりすぎ、
水深が浅くなってしまったので現在では廃港である。

話は前後するが、ムワッヒド朝のアミールが、
この街に世界最大のモスクを
建造しようとしたことがある。

アミールの死によって建設は頓挫してしまったが、
モスクの一部がハサン塔の名で残っており、
ラバト随一の観光名所となっている。

他の見所といえば、私は聖ペテロ大聖堂を推したい。
真っ白な建物は、なんとアール・デコ様式だ。

フランス植民地時代に建てられたものだが、
アール・デコ様式のカテドラルは珍しい。

目にも眩しい純白の壁。
直線と影の造形は太陽の位置で表情を変えていく。
非常に美しい。

食に関しては、月並みだがタジンを食べるといいだろう。
本邦でもタジン鍋として流行したあの独特の鍋を用いた
低温で煮込んだシチューである。

新大陸からの物品が早くに届いた影響か、
ジャガイモを使った料理が比較的多い印象だ。
タジンにもよく用いられる。

大西洋から吹く風を受けながら、
テラスでモロッコ料理を味わいたいものだ。

2018年7月16日月曜日

シメジタケ

湿地あるいは占地と書くキノコである。

香りマツタケ、味シメジと言われるほどだが、
実はこのキノコが一般的に食べられるように
なったのは昭和後期である。

本来のシメジはホンシメジと呼ばれ、
栽培が難しく、希少性が高い。

味シメジとうたわれるものは
このホンシメジである。

シメジが認知され食べられるようになってすぐに
シメジとして流通していたのはヒラタケで、
本当はシメジではなかった。

食品偽装が問題になった頃から
ブナシメジが流通するようになったが、
これもシメジではない。

なので今ではブナシメジとはっきり書かれている。

なお、ホンシメジも栽培できるようになったが、
他の食用キノコ同様、栽培されたものは
天然物より味が落ちる。

この手の話は天然物の価値を上げるために
栽培品を悪く言っているように聞こえるが、
キノコに関しては実際に味が変わる。

何がそこまで影響するのかは分かっていないが、
含まれている旨み成分の量が違うので、
味が違うのは間違いない。

なお、ホクト社が開発した白いブナシメジが存在する。
商品名はブナピーだ。

ブナピーは通常のブナシメジよりも
優しい味わいで、かすかな甘みがある。

香りやクセがマイルドなため、
キノコ嫌いでも比較的食べやすい。

ブナピーのピーはプルンプルンの略らしく、
実際に普通のブナシメジより食感がツルリとしている。

なんだかホンシメジの栽培会社に喧嘩を売り、
ホクト社の宣伝をしているような格好になったが、
そんなつもりは毛頭ない。

ちなみに私はブナピーと普通のブナシメジなら
クセのあるブナシメジの方が好きだし、
栽培ブナシメジより栽培ホンシメジの方が美味いと思う。

2018年7月15日日曜日

ロンドン

イングランドの首都であり、テムズ川に依って
繁栄したブリテン島最大の都市である。

ローマ時代に建設されたロンディニウムが
基礎となったとされているが、
人自体は石器時代から住んでいたようだ。

ヴァイキングの来寇が相次ぎ、一時は衰退するが、
イングランドが統一され、防衛力が強化されたことで
次第に発展していった。

ヴァイキング以降、ロンドンは
戦火に晒されるということが少なかった。

このことが順調な発展を助けたとも言えるが、
ロンドン自体が堅い城砦であったというよりも、
ブリテンという島国が攻め難かったと見るべきだろう。

同じ島国である本邦の歴代の都が外国勢力に
攻め込まれた回数を思い起こせば
理解しやすいはずだ。

ロンドンといえば金融である。
契機は大航海時代に設けられた王立取引所であろうか。

今のようにインターネット上で
数字がやり取りされるどころか、紙幣すらなく、
金や銀の目方が価値基準だった頃、
現金のやり取りをしていては商売が円滑に行えない。

更にはその現金自体も、品質や信用に応じて
両替が必要であった。

為替手形、小切手、銀行、こうしたものを通じて、
遠隔地との商売が成り立っていくのである。

もちろん、こうした金融業はロンドンの専売特許ではない。
だが、世界の海の支配権を握ったのはイングランドである。
ロンドンが世界のカネの流れを掌握したのは必然だった。

もっとも、それはグレートブリテンの凋落と
運命を共にするという意味でもある。

だが、イングランドは老獪な国である。
今後国際社会がどのように変化していくか分からないが、
その中を上手く泳ぎ抜く可能性は高そうだ。

さて、観光地としてのロンドンだが、
面白い所であることには違いない。
見て歩くには一週間でも全く足りないだろう。

だが、ごく個人的な偏った意見で申し訳ないが、
ロンドンの特定の場所にどうしても行きたいのでなければ、
他の国の都市を観光した方が楽しめるだろう。

例えば、天文学マニアがグリニッジに行きたいとか、
オカルトマニアがロンドン塔に行きたいと言うのであれば、
それは大変有意義な旅行になるだろう。

そういった特別な思い入れも無く、
なんとなくツアーパックでロンドンを
訪れるのはお勧めできない。

もし博物館が楽しめないようなら特にだ。

どうせならもっと食事の美味い場所や、
気候が良い場所、治安のいい場所に行くといい。

別にロンドンに対して悪意があるわけではないが、
私はこのように思う。

2018年7月14日土曜日

ケナフ

ケナフとは麻によく似た葉を付ける
非常に背の高い草である。

アフリカ原産とされるこの植物は、
古くから繊維が利用されてきた。
洋麻と呼ばれることもある。

茎の外皮は固く、
この繊維が耐久性の必要な布となる。
南京袋や絨毯などに使われてきた。

一時期、この植物が本邦で
もてはやされたことがある。

二酸化炭素の吸収量が多く、簡単に栽培でき、
紙を作ることができるという触れ込みで、
環境に優しい植物と喧伝されていた。

私も当時はそんな情報を真に受け、
いずれは木材ではなくケナフから
紙が作られるようになると考えていた。

時代を先取りし、先鞭をつけるために
畑を持つ友人にケナフを作ってはどうかと
提案したことすらある。

しかし、結局ケナフ紙は一過性の流行に終わった。

若かった私は耳触りの良い
未来を思わせる情報に踊らされてしまったのだ。

エコだとか先進的だとか未来的だとかいうものを
易々と信用してはならない。

やはり何かが代替されるには、
より低コストで高品質である必要があるのだろう。
ケナフはどちらにも当てはまらなかった。

森林伐採の問題が今より更にもっと深刻になれば、
今一度脚光を浴びることも無いとは言いきれないが、
そんな事態になれば紙を気軽に
使うどころではないかもしれない。

2018年7月13日金曜日

アルジェ

アルジェリアの首都アルジェは
アフリカ最大の都市である。

地中海の要塞としてフェニキア人たちの
交易活動の拠点となっていた。

元々はイコシウムという名だったが、
ベルベル人によってアルジェと改名される。

アルジェの語源は島を意味する
アルジャザイルである。

この要塞都市は海賊の街として有名だ。

オスマン帝国に与したバルバリア海賊の
本拠地だったのだ。

海賊艦隊は幾度もキリスト教徒の攻撃を挫いたが、
やがては近代化した敵に対抗できなくなり、
最後はフランスの手に落ちてしまう。

アルジェはフランスの植民地であったため、
それらしい雰囲気がそこここに点在する。

アフリカの聖母大聖堂は
フランス時代の代表的な建物で、
ネオビザンチン様式で建造された。

丘の上に建つ大聖堂からはアルジェ湾が一望でき、
地中海の鮮やかな青を眼下に楽しむことができるだろう。

丘の斜面は市街になっており、
迷路のように入り組んだ路地は
一度迷えば二度と出られない気分にさせてくれる。

この旧市街一帯はカスバと呼ばれている。
カスバとは砦を意味する。

地中海の要塞として発展したアルジェらしい市街地である。

なお、食べ物はトマトを使った地中海料理が中心で、
味付けが少しイスラム圏らしい雰囲気だ。

地中海沿岸ということを考えるとありきたりなのだが、
アルジェリアは実はワインの産地である。

イスラム圏でお酒というのが奇異に感じるかもしれないが、
キリスト教徒も少なくない中で需要がある。

何より元フランス領ということで、
フランスから移住した
熟練のワイン農家たちがいたのだ。

地中海を眺めながらボルドー風のコクとコシのある
熟成されたワインを楽しむのもいいだろう。

なお、アルジェリアワインは
政情不安定であった影響で本邦での入手が難しい。

2018年7月12日木曜日

七面鳥

七つの顔を持つ鳥である。
七つは言い過ぎだと思う。

頭部に羽毛が無いため肌が露出しているのだが、
興奮具合によって血流が変わり変色する。
七つの顔とはこの色の変化を指している。

体毛は黒く、一部光沢を持つ。
体は大きくオスの成体は人の幼児より大きい。

肉垂と呼ばれる顔の皮の余りがトレードマークで、
健康状態の良いものほどこれが多い。

北アメリカ南東部に生息し、
現地では昔から食用にされてきた。

ヨーロッパ人がやってくると、
家禽として重要な食料となる。

ヨーロッパの王侯貴族に献上された際、
トルコ経由で伝わっていたホロホロ鳥と混同され、
トルコの鳥、ターキーと呼ばれるようになった。

ホロホロ鳥も食べると美味い。

七面鳥の肉は旨味がしっかりしているわりに、
鶏肉よりも脂が少ない。

このため、高カロリー食を常とするアメリカ人からは
ヘルシーな食べ物と考えられている。

アメリカでは感謝祭の日は七面鳥を囲むのが伝統だが、
イングランドではアメリカから送られた七面鳥を
クリスマスに食べる習わしがある。

この風習は本邦にも伝わったが、
七面鳥の入手が困難なため鶏へと置き換わった。
本邦人がクリスマスにチキンを食べる理由である。

私の祖父はアメリカ軍の基地で調理人をしていたのだが、
我が家ではクリスマスに七面鳥が食卓に上った。

内臓を抜いた腹にパンと香草を詰めてオーブンで焼くのだ。
非常に美味である。

しかし、祖父はきちんと正規のルートで
七面鳥を入手していたのだろうか。

2018年7月11日水曜日

トリポリ

北アフリカ、リビアの首都である。

ギリシアやレバノンにも同じ名前の都市があり、
いずれもギリシア語で三つの都市を意味する
トリポリスが由来である。

その名の通り、単一の都市の名前ではないが、
三つの都市が有機的に結合し、
ひとつの都市圏として機能していた。

リビアのトリポリは、オエア、サブラタ、
レプティスの三つの都市から成っているが、
現在のトリポリはオエアの位置にある。

サラセン人は自分たちの言葉でタラーブルスと
呼んだが、レバノンのトリポリと区別するため、
西のタラーブルスと呼んだ。

オエアがトリポリとして発展したのは
ヴァンダル王国の時代であり、
その後は主にイスラム帝国の支配下に置かれた。

主に、とするのはイスパニアやマルタ騎士団の
領地となったこともあるためで、
近世にはイタリアに占領されている。

トリポリと聞いてまず思い浮かぶのは砂漠の狂犬こと
ムアンマル・アルカッザーフィーである。
カダフィ大佐の呼び方が本邦では一般的だろう。

もっとも、リビア内戦から年月が流れてきたので、
カダフィを知らない者も増えたかもしれない。

ここでカダフィの話をしても仕方がないので
彼が何者なのかについては省くが、
どうして国家元首が大佐なのかについて軽く触れる。

諸説ある上に、本人が、もう軍人ではないので
大佐とは呼ばないでほしいと発言していたので
なんとも言い難いが、
大佐には軍事組織の長の意味合いがある。

というのも、大佐の率いる連隊というものは、
兵站を備え独立して活動可能な最小単位だからである。

近世以前であれば、領主の有する軍隊や、
傭兵団の単位に置き換えることができる。

連隊と漢語で言うと分かりにくいが、
レジメントとは統治を意味する言葉で、
徴兵と管理の基本単位であった。

それを率いる大佐、
つまりカーネルは領袖だったわけだ。

ちなみに海軍大佐の場合はカーネルではなく
キャプテン、つまり船長である。
紛らわしいことに陸軍のキャプテンは大尉だ。
キャプテンもまた集団の長のことなのである。

カダフィは尊敬するガマール・アブドゥン・ナーセルが
大佐を名乗っていたためこれに倣ったらしいが、
軍事政権の長としては適した呼称である。

なお、カーネル・サンダースこと
ハーランド・デーヴィッド・サンダースの称号は
軍隊の階級ではなく州に貢献した者に
与えられる名誉称号である。

以上。
お気付きかもしれないが
大佐の話がしたかっただけである。

トリポリに申し訳ないので名所と名物も記載しておく。

見るべきものは何と言ってもローマ時代の遺跡
レプティス・マグナだろう。

アフリカ出身で初めて皇帝になった
セプティミウス・セウェルスの出身地である。

また、厳密にはトリポリではなく隣のズリテンの名物だが、
ナツメヤシのジュースは是非味わっておきたい。

暑さの中、蜂蜜のようなその甘さは、
地中海と砂漠の魅力を引き立てることだろう。

2018年7月10日火曜日

エノコログサ

いわゆる猫じゃらしである。
狗尾草ともいう。

ふわふわとした穂が犬の尾に似ていることから、
犬ころ草と呼ばれていたものが、
エノコログサに転訛したと言われている。

英語では狐草である。
あのふわふわとした尻尾は確かに狐を思い起こさせる。

だが、やはり、なんといっても
猫じゃらしの印象が強い。

本邦において猫は比較的新しく伝来した動物だが、
もし、もっと古くから存在していたならば、
この植物の名は猫に関連した名前になっていただろう。

そのぐらい猫がじゃれつく。

ただ、猫は気紛れなので、気合を入れて
この植物を用意しても見向きもしないかもしれない。

さて、このエノコログサ、雑草中の雑草だが、
の原種である。

本邦へは粟の栽培法と共に伝来した形跡があり、
荒地でよく育つため爆発的に広まったと見られる。

実は食べることができ、
脱穀すれば粟と変わらない味がする。

可食部が少ないため普段は食べ物だと思われていないが、
飢饉の際にはこれを食べて飢えを凌いだという記録もある。

粟はパンを焼くことのできる穀物だが、
エノコログサでも作れるのだろうか。
非常に興味があるが、試すには手間と勇気がいる。

どうでもいいことだがエノコログサの穂を切り取り、
手の平の中で軽く握ると毛並みの方向に動く。

子供の頃これを毛虫に見立てて遊んだが、
今の子供もやっているのだろうか。

2018年7月9日月曜日

パリ

セーヌ川の中州、シテ島を中心として
発展したフランスの首都である。
ローマ人の都市ルテティアが基礎となっている。

元々ルテティアはシテ島に作られた
パリシイ族というガリア人の城砦で、
泥の土地、水の中の土地といった意味合いである。

ローマが衰退するとルテティアは再び
シテ島の城砦のみとなり、パリシイ族の名に
由来するパリと呼ばれるようになった。

フランク族の手に渡ったパリは、
パリ伯爵の権威が増すと共に発展し、
パリ伯爵が国王に推挙されたことで首都となる。

そして、ヨーロッパが文化的に発展するに従い、
人文、芸術の発信地となっていった。

現在のパリは、ナポレオン三世の構想によって
ジョルジュ・オスマンが改造した姿である。

エトワール凱旋門から放射状に伸びる
十二本の大通りは花の都パリの象徴とも言える。

パリ万博に合わせて造られた
エッフェル塔もパリの顔だろう。

ただし、交通の便に優れたこの都市は、
要塞としては非常に脆弱であった。
実際に大国の首都とは思えぬほど容易く陥落している。

パリを手に入れたアドルフ・ヒトラーは
連合軍に奪回されることがあれば
その前に徹底的に破壊するよう命じたという。

有名な「パリは燃えているか?」である。

だが、司令官はパリを破壊した人物として
歴史に名を残すことを嫌がり、
命令を実行しなかった。

そんなパリも近代化を続けている。
モンパルナスタワー、ラ・デファンス、
オペラ・バスティーユなどなど、歴史的な景観を
壊すとして反対運動の起こった建物も少なくない。

私が以前パリへ行った際には物乞い、浮浪者、
スリに詐欺師が目に付いた。

花の都の現実に失望する外国人は多く、
パリ症候群という言葉まで存在する。

昨今の移民政策はパリの劣化を促進しているらしく、
恐らく、今再びパリを訪れたならば、
昔はまだましであったのだと悲嘆に暮れることだろう。

パリの良い所も記しておこう。
私のお勧めは地下鉄である。

東京の地下鉄に慣れていても、あの古色を
残した駅の数々と、そこを行き交う人々の
バイタリティには心躍るものがある。

なかなかに複雑な路線図だが、
パリを観光するならば是非とも
地下鉄をマスターしてみてほしい。

2018年7月8日日曜日

石鹸

遥か昔より利用されている界面活性剤である。

界面活性剤の説明は省く。
乱暴に言ってしまえばと油を混ぜることが
できるようにする物質である。

石鹸は脂肪が灰汁などのアルカリによって
性質を変えたもので、この変化を鹸化という。

油汚れを水に溶かし、流すことで
洗浄が可能となるのだ。

ローマ時代には蛮族と罵られたゲルマン人ですら
使用していたが、ローマの崩壊と共に
文化が衰退するとヨーロッパでは忘れ去られた。

しかし、サラセン人がこれを継承し用いていたため、
レコンキスタによってアラビアの科学が
ヨーロッパへともたらされたことで復活する。

船上での戦いにおいて、石鹸液を撒くことで、
敵を滑らせ戦えない状態にするという
冗談のような活用法もあったようだ。

本邦へは戦国期にシャボンの名で入ってきたと
みられており、洗剤ではなく香料として、
あるいは虫下しのための下剤として扱われていた。

また、当時は石鹸とシャボンは別物で、
灰汁を小麦粉で固めたものを
石鹸と呼んでいたという話も聞いた。

そもそもは石鹸という名は蜜蝋を指す
言葉だったという説もあり、
どうにもはっきりしない。

ひとまず、明治より前の文献に登場する石鹸は、
我々の思い描く石鹸ではない可能性を
念頭に置いた方が良さそうだ。

ところで、石鹸で手を洗うことで黴菌を
やっつけられると小さな頃に教わったと思う。

石鹸は細胞の表面の水と油を分ける膜を
破壊することで細菌を殺すことができる。

汚れを落とすと一口に言っても、
実際に何がどうなっているのかは
考える機会もそうそう無いだろう。

化学の知識が無くとも
便利な道具を扱えるという好例である。

2018年7月7日土曜日

チュニス

北アフリカ、地中海に面したチュニジアの首都である。

かつてカルタゴのあった場所だが、
現在のチュニス市街はカルタゴの南西、
チュニス湖の対岸に当たる。

カルタゴはフェニキア人の植民都市であり、
地中海交易の要となった場所である。

フェニキアはペルシアに敗れ本国が崩壊するものの、
地中海の要衝であるカルタゴは発展を続けた。

その凋落は遅れて発展したローマとの間に
シチリアを巡る争いが発生したことで訪れる。

カルタゴを陥落させた大スキピオは
破壊されていくその姿を見ながら、
いつかローマにもこの日が
来るかもしれないと思ったという。

月日は流れ、ローマが落日を迎える頃、
カルタゴはイベリア半島を回ってきたゲルマン人、
ヴァンダル族の手に渡った。

蛮族の代名詞として知られるヴァンダル族は、
西ローマのアフリカ艦隊を手に入れると、
それを利用して西地中海の覇権を握る。

山賊めいた連中が海賊になったのである。

海上封鎖された西ローマはみるみるうちに衰亡し、
いつものように内輪揉めを始めた。
その内乱に乗じてヴァンダル王ガイセリックは
ローマへの進軍を開始する。

ガイセリックはヴァンダリズムという単語が
後世に残るほどの破壊活動をローマで行った。
大スキピオの予感は当たったようだ。

その後この地はイスラム帝国に飲み込まれ、
カルタゴの衛星都市トネスが発展、
幾度も支配者が変わり、現在のチュニスに至る。

なお、チュニスの名物はバンベローニという
揚げドーナツとミントティーである。

2018年7月6日金曜日

ジャージーデビル

アメリカ合衆国の北東の州、
ニュージャージーに生息する動物だ。
翼手目である。

見た目は馬のような頭を持つ大蝙蝠といった風情で、
大変気味が悪い。

発情期の馬のいななきを金切り声にしたような
不気味な声で鳴く。

夜間にこの声を聞いた入植者たちは
悪魔の声のようだと嫌がり、
デビルと名付けた。

前足は翼になっているのだが、
飛ぶことはできず、細い後足で素早く走る。
非常に臆病ですぐ逃げてしまう。

悪魔とは名ばかりのひ弱な動物だ。

だが、入植者たちは家畜を襲う害獣だと思い込み、
懸賞金までかけて彼らの駆除を行おうとしたために、
生息地を追われ、劇的に数を減らすことになった。

現在は絶滅危惧種として保護されているが、
野犬の群れの格好の獲物となっているため、
残念ながら数を減らし続けている。

なお、ジャージーデビルは非常に難産である。
出産時に母子ともに死亡してしまう例が少なくない。

これは蝙蝠にしては大きすぎる頭が
産道に引っかかってしまうためで、
死産率が非常に高い。

なんとも非効率な印象を受けるが、
進化の過程で何かしら
この形状に落ち着く理由があったのだろう。

2018年7月5日木曜日

タスマニアデビル

オーストラリアの南東の島、
タスマニアに生息する動物だ。
有袋類である。

見た目は耳が大きめの子熊といった風情で、
大変可愛らしい。

発情期の猫の鳴き声を少しマイルドにしたような
奇妙な声で鳴く。

夜間にこの声を聞いた入植者たちは
悪魔の声のようだと嫌がり、
デビルと名付けた。

顎の噛む力は強いのだが、
自分より大きな生き物に対しては
非常に臆病である。

悪魔とは名ばかりのか弱い動物だ。

だが、入植者たちは家畜を襲う害獣だと思い込み、
懸賞金までかけて彼らの駆除を続けたため、
劇的に数を減らすことになった。

現在は絶滅危惧種として保護されているが、
デビル顔面腫瘍性疾患という固有の病が流行し、
残念ながら数を減らし続けている。

なお、タスマニアデビルは非常に多産である。
しかし、最大でも四匹しか育たない。

これは四つある乳首に辿り着いた者だけが
成長することが可能なためで、
他は餓死してしまう。

なんとも非効率な印象を受けるが、
恐らくは、こうすることで強い個体のみが
育つようになっているのだろう。

2018年7月4日水曜日

本邦固有の針葉樹である。

ヒマラヤ杉やレバノン杉など、
本邦において杉と呼ばれる海外の植物は
少なくないが、実はほとんどが杉ではない。

英語のシダーはしばしば杉と訳されるが、
松の仲間のヒマラヤ杉や
黒檜の仲間のアメリカ杉を中心とした
針葉樹一般を指す言葉がシダーだ。

シダーウッドを杉と訳してしまったため、
杉ではない植物に杉とつく和名が
与えられてしまったのだ。

杉の仲間は少なく、
北アメリカのセコイアと落羽松、
華南の広葉杉ぐらいのものである。

本邦において、杉は太古の昔より
木材として活用されてきた。

真っ直ぐな幹は木材として非常に適しており、
本邦の木工技術の発展に
大きく寄与したのではないかと思われる。

だが、杉には厄介な点がふたつある。
いずれも杉材を求めて植林をした結果だ。

ひとつめは過密な杉林には他の植物が
生育しないという点である。

杉林はとても暗い。
地面まで光が届かないのだ。
そのため、杉林は生物が少ない。

緑の砂漠とまで呼ばれるほどだ。
ただし、竹は容赦なく杉林を侵食する。

ふたつめは大量の花粉が飛散する点だ。

杉は風媒花である。
杉花粉は花粉症の代表として君臨しているが、
要するに植林のしすぎが原因なのだ。

幸い私は花粉症ではないが、
花粉量が非常に多い年はすこしむず痒くなる。
いずれ発症してしまうことだろう。

2018年7月3日火曜日

石炭

燃える石である。

古代植物の化石であり、
地中から掘り出し燃料として利用する。

薪炭と比べ火力が高く、
石炭が使われるようになってから
製鉄や蒸気機関が発展した。

石油が実用化される以前の高需要の時期には、
石炭は黒いダイヤと呼ばれ、
炭鉱夫は高給取りとして知られていた。

なお、ダイヤモンドも石炭と同じく炭素である。

石炭はエネルギー量が倍近い石油よりも価値は低いが、
石油よりも普遍的に存在するため、
現在も第一線で利用されている。

元の植物からどの程度石炭化しているかで
種類が分かれており、若干性質が異なる。

茶色をした脆い泥炭は燃料としては
あまり上等なものではないが、
ウイスキーを作る過程で用いられており、
独特の香りをもたらす。

褐炭は質の悪い石炭で、
水分量が多いため扱いが難しい。
廉価だが輸送コストの方が高くつくと言われている。

通常の石炭は瀝青炭と呼ばれ、
最も利用されている種類だ。

上質なものは無煙炭と呼ばれ、
その名の通り煙が少ない。
火力が高いが着火が難しいという弱点もある。

瀝青炭を蒸し焼きにしたものを骸炭と呼び、
ほぼ純粋な炭素のため非常に高い火力を誇る。

石炭の弱点として、燐や硫黄など、
余分な成分を含むことから、
炉を傷めてしまうというものがある。

また、コールタールやピッチは燃焼効率を落とし、
炉の温度を下げてしまうため、
特に高温を必要とする鋼作りの妨げになる。

この点を克服したのが骸炭であり、
その高い火力が金属加工技術に
もたらした恩恵は多大だ。

石炭が本格的に利用されるようになったのは
産業革命中の製鉄からだが、
古代よりその火力は活用されていた。

薪炭ではなく石炭を使う鍛冶屋は、
恐らく良質な鋼を扱うことができたのだろう。

チャイナでは石炭を煮炊きに使った記録があり、
石炭の火力があったからこそ、豊富な炒め料理が
発達したという説もある。

炭鉱の話もしたかったが、それはいずれまた
別の機会にとっておこうと思う。

2018年7月2日月曜日

バジル

白い花をつける緑の濃い香草である。

原産地はインドとされ、
アレクサンドロス大王によって
地中海にもたらされた。

イタリア料理といえばバジルとトマトだが、
バジルは東方、トマトは新大陸の植物である。
意外と確立した時期は新しいのだ。

古代においてはバジルは魔術に用いる
薬草として重宝されていた。

例えばエジプトでは墓に植えることで
魔除けとしていたし、インドでは香りによって
死者を冥界に送るとされた。

香りの強い植物というのは、
呪術的な力を持つと考えられていたのだ。

意外と種類の多い植物種で、
我々がバジルと聞いて思い浮かべるものは
スイートバジルと呼ばれている。

タイ料理のガパオに用いられる
ホーリーバジルも有名だ。

バジルといえば葉を食するイメージが強いが、
種もまた嗜好品として人気がある。

バジルの種を水に浸けておくと、
中の成分が滲み出てゼリー状の膜を作る。

食べるとつるりとした食感と喉ごしに、
種のプチプチとした歯触りが楽しめるため、
飲料に混ぜて供される。

近年では本邦でもバジルシード飲料が
売られているが、タピオカやナタデココほど
人気は出ていないようだ。

なお、本邦にはかなり古い時代に伝来したようで、
一説によると弥生時代にはすでにあったという。

目箒、めぼうき という名で呼ばれていたのだが、
これを使った料理は伝えられていない。
やはり呪術目的で用いられていたのだろうか。

インドの医学書には心を鎮め気力を高めると
書かれているが、漢方の生薬に
それらしきものは見当たらない。

だが、本邦では伝統的に目薬として用いられてきた。

前述のゼリー状物質を使い、
洗眼するという使い方だ。
これが目箒の名の由来である。

2018年7月1日日曜日

食塩

塩は人が生きていくうえで不可欠な物質である。

海水を乾かす、岩塩を掘り出す、
もしくは塩湖から採取する。
これが塩を得る主な方法だ。

本邦では塩湖も岩塩も乏しいため、
海水から精製する以外の方法は馴染みが無い。

だが、世界的に見れば塩湖も岩塩も無く、
海水から製塩しなければならない
環境の方が珍しいのだ。

もちろん、塩湖も岩塩も海水も無い地域がある。
そこでは貿易で塩を手に入れる必要があった。

そういう意味では本邦は
海に囲まれていて幸運だ。

サハラでは、塩を手に入れるために
危険な砂漠を縦断し、黄金と交換していたという。

塩と金の交換である。
手に入らない場所ではそれだけ価値が上がるのだ。

また、貨幣の信用がなくなると、
現物での取引が行われるようになるのだが、
その時に頼りになるのもやはり塩だ。

塩は薬としても扱われていた。
化膿を防ぐ効果などを考えれば想像しやすいだろう。
ナトリウム以外のミネラルを得られるのも大きい。

ところで、神道では穢れを祓うために塩を使う。
これは世界的に見れば珍しい信仰だ。

塩害によって畑の作物の生育が阻まれる
という話を聞いたことがあるだろう。

このため、塩を撒くことを呪いと
見做す地域も少なくない。

塩分は摂取しすぎれば体を壊す。
だが、摂取しなければ生きていけない。

何事も丁度良い塩梅というものが肝要なのだ。