序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2018年10月23日火曜日

カリーニングラード

国ではないが、誰でも一度は
なにここ、と感じたことがあると思うので
せっかくだから取り上げる。

ロシアのカリーニングラード州の州都である。
しかし、ここは元々東プロイセンという
非常にドイツ的な場所だ。

チュートン騎士団が占領し、
王の山を意味するケーニヒスベルクという
要塞を建設したのがこの港街のはじまりである。

琥珀の産地であり、ハンザ同盟にも加わった。
陸路でもプロイセン、ポーランド、
リトアニアを繋ぐ重要な交易都市であった。

ポーランドリトアニア連合王国との戦いに
敗れたチュートン騎士団は
本拠地であったマリエンブルクから撤退し、
ケーニヒスベルクに根城を移すことになる。

結局チュートン騎士団はポーランドの
傘下に入ることになるのだが、
カトリック公認騎士修道会であった彼らが
ルター派に改宗したのが面白い。

そして、カルヴァン派との争いの中で
中心的な都市となっていく。
ルター派とカルヴァン派の争いを書き始めると
趣旨が変わるので残念ながら省こう。

すでに眠くなってしまった
読者もいるかもしれないので
もう少し色々と省こう。

ケーニヒスベルクはプロイセン王国の
初代国王が戴冠を行った
ドイツ始まりの地であるとも言える。

ちなみにチュートン騎士団はナポレオンに
解体されるまでなんとか頑張っていた。

ドイツの歴史を長々書いても仕方が無いので
また省くが、一次大戦の結果西プロイセンは
ポーランド領となってしまい、東プロイセン、
つまりケーニヒスベルクは飛び地となる。

二次大戦におけるドイツのポーランド侵攻は、
飛び地と本国を繋ぐ目的もあったのだ。
そして敗北し、ポーランドの国境は元に戻る。

ドイツは東西に分割され、飛び地であった
ケーニヒスベルクはカリーニングラード
としてソヴィエトに吸収された。

歴史はこのぐらいでいいだろう。
むしろ長く書きすぎた。

ドイツ人はこの地から追放され
ロシア人が移住したため、
現在では文化的にもロシアである。

重厚なゴシック様式のケーニヒスベルク
大聖堂は大戦中、イギリス軍の空襲によって
破壊され、無神論を奉ずるソヴィエトは
これを修復しなかった。

近年ようやく修復され、
時計塔はベートーヴェンの
交響曲第五の冒頭四音を鳴らすという。

「このように運命は扉を叩く」と言われた
あの有名な最初の四音である。

だが、残念ながら実際に
鳴ってる様子は確認できなかった。
鐘であれをやられたら
恐ろしいのではないだろうか。

正教会の大聖堂は救世主ハリストス大聖堂だ。
現代的にアレンジされたネオビザンチン様式
のこの大聖堂はごく近年に完成した。

完成まではケーニヒスベルク大聖堂が
ルター派と正教会の共同大聖堂であった。

ところでロシアは邦人が観光し難い国である。

ロシアからベラルーシに、
ベラルーシからリトアニアに、
リトアニアから再びロシアにという形になる
カリーニングラード入りは
個人では困難を極める。

旅行会社を通じて団体ツアーが
できないことはないのだが、
やはり自由に歩き回りたい。

ロシアを邦人が自由に歩き回るのが
まず難しいのだが、こればかりは
冷戦の遺物として根強く残っている。

いっそ独立でもしてくれれば
観光もしやすいのだが、
ロシアの秘蔵の工業地かつ不凍港なので
大きな戦争でもなければあり得ないだろう。

ロシア自体が変革する方が
早いかもしれない。

さて、長々と書き過ぎたので
このあたりで記事を終えよう。