序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年2月22日金曜日

胡椒

ヨーロッパ人が恋焦がれた
香辛料の中の香辛料である。

インドで栽培されていたこの植物の果実は、
爽やかな辛みがあり、
防腐効果も持ち合わせる。

冷凍庫の無い時代、肉の保存には
この胡椒が欠かせなかった。

だが、ヨーロッパでは栽培できず、
アジアから交易によって
手に入れるしかなかった。

ギリシアで文化が花開いていた頃から、
ヨーロッパ人にとって胡椒は
東方よりもたらされる重要な品であった。

大プリニウスも胡椒について、
その価値の高さを書き記している。

ローマ帝国が衰退、崩壊し、イスラム帝国が
勃興してからはインドとヨーロッパを結ぶ
交易路は弱いものとなった。

胡椒はサラセン商人からヴェネチア商人へと
売り捌かれ、多くの商人の手を経る中で
値段は釣り上がっていく。

ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマは
喜望峰を回り、アフリカ東岸で現地の商人の
協力を得て、サラセン商人に先導されて
インドに到達した。

西アフリカの人々が喜んで物々交換に応じた
装飾品などを持ち込んだが、悠久の文明を誇る
インドではそれはガラクタに過ぎなかった。

それでもいくばくかの金になり、
ガマはそのなけなしの金で
買えるだけの胡椒を購入した。

大した量ではなかったが、
ポルトガルに持ち帰ったそれは
一財産と呼べるほどの高値となる。

一方、インドから東方へは栽培技術と共に伝播した。
胡人の椒。椒とは山椒などの香辛料のことだ。

本邦にも胡椒の名で伝えられ、
聖武帝の御代には既に存在した。
東大寺に薬品として胡椒が保管されている。

胡椒の実は丸いが、ロングペッパーと呼ばれる
細長いものがある。これは別の植物ヒハツの
果実であり、似ているがより辛みが強い。

ヒハツは本邦での発音で、
インドではピパーリという。
ペッパーの語源である。

ヨーロッパ人は長いこと胡椒とヒハツを
区別していなかった。
同じ植物に由来すると思っていたのだ。

ヒハツについては別の機会に書くとして、
胡椒についてもそろそろ長くなってきた。

胡椒の文化について真面目に書いたなら、
こんな記事ひとつで足りるわけがない。

残念だが、さわりだけの紹介に留め、
ここいらで筆を置くことにしよう。