紅海出口付近西岸の国エリトリアの首都である。
エリトリアはエチオピアの沿海部が
独立戦争を経て建国に至った国だ。
シンガポールを手本に国作りをしているとされるが、
毛沢東思想にアレンジを加えた党是を持つ
民主正義人民戦線の一党独裁体制が続いているため、
アフリカのノースコリアと揶揄されている。
事実、国外へ脱出し難民となる国民が相次ぎ、
この国が歪んでいることを物語っている。
歴史的にはアクスム王国の栄えた
伝統ある地域である。
アクスムの王家は
ソロモン王とシバの女王の子孫だという。
シバの女王の伝説は様々であり、
その実態は分からないが、
そのうちのひとつをかいつまんで語ろう。
女王はエルサレムにソロモンを訪ねた際、
メネリクという息子をもうけることになる。
成長したメネリクが父ソロモンに会いに行くと、
父は彼がイスラエルの王位を継ぐことを望んだ。
しかし、彼はこれを断っている。
するとソロモンはシバの地に
第二のエルサレムを建設することを提案した。
こうしてメネリクは新イスラエルの王となる。
その際、神官の息子が十戒の納められた聖櫃を
盗み出し、新エルサレムへと運んだという。
以来、神の恩寵はソロモンからメネリクへと移り、
ソロモン王はその叡智を失いイスラエルは衰退、
メネリクの新イスラエルが隆盛を極めたという。
紅海の貿易路を抑えたアクスム王国は事実栄え、
アフリカで初めて独自の硬貨を発行した
国だとも言われている。
東西南北の文化の交差点であったアクスムには
様々な人種と宗教が混在していたが、
周辺諸国がイスラム帝国に組み込まれていくに従い、
交易の独自性を失い衰退していった。
なお、アクスム王国はイスラム帝国と友好関係に
ありながら改宗はしておらず、オスマン帝国に
飲み込まれるまで独自の文化を守り続けた。
紅海にスエズ運河が開通すると、
ヨーロッパ人の進出が盛んになる。
この地はイタリアの植民地とされ、
紅海のラテン語での古名にちなんで
エリトリアと名付けられた。
ムッソリーニはエリトリアに第二のローマを
建設しようと、前衛的な建築物を
多数建設していく。
その都市こそがアスマラである。
第二のローマを目指しながら未来志向であったのは
少々不思議だが、このモダニズム建築群は
近年、世界遺産に登録された。
アスマラを観光するのであれば、
イタリアの前衛建築家たちのデザインした
様々な建築物を見て回ることになるだろう。
もっとも、冒頭で書いたように
エリトリアはノースコリアと比較されるような
独裁国家であることを忘れてはいけない。
見所はたくさんあるが、旅行をするとなると、
今はまだ様子見をした方がいいだろう。