アフリカ大陸とユーラシア大陸の接合点、
スエズ地峡が掘削されて造られた運河である。
地中海と紅海を結ぶ運河の間には
アルマラートアルクブラー湖が
取り込まれている。
運河を北上する船と南下する船とは、
この湖の部分で待機することですれ違うのだ。
ちなみに英語ではグレートビター湖という。
元々塩湖なのである。
ふたつの海を結ぶという途方もない構想は、
地中海と紅海の水面高度が同じであることが
判明したことで事業が開始された。
主体となったのはアジア方面への進出に
出遅れたフランスで、インドに利権を持つ
イギリスはこれに反対する立場を取っていた。
当時、スエズ地峡には鉄道が引かれ、
陸上輸送を挟むことでヨーロッパとインドの
間の物流をショートカットしていた。
この鉄道にも利権を持つイギリスは
運河の工事を様々な手段で妨害したのだが、
多くの者が失敗すると考えていた運河建設は
大成することになる。
そして、実際に運用が開始されてみれば、
利用する船のほとんどはイギリス船であった。
当時、運河を運用する会社の株式を最も多く
保持していたのはこの地を治める
エジプト政府である。
しかし、エジプトは財政難の折に、
この株式を売りに出すことにした。
それを全力で買い取ったのがイギリスだ。
筆頭株主となったイギリス政府は、
散々邪魔をしたというのに、
フランス人の造ったこの運河を我が物としたのだ。
なお、バルチック艦隊がスエズ運河を
通れなかったことは、軍艦の大きさだけでなく、
このイギリスの支配が理由として大きい。
ちなみに、明治期に派遣された岩倉使節団は
スエズ運河を通ってヨーロッパを訪れている。
また、運河に架かるスエズ運河橋は
本邦の出資によって建設されたものだ。
さて、スエズ運河の意義であるが、
イギリスから東アジアまで船で移動するとして、
アフリカの喜望峰を周るルートと比べると、
スエズ運河を通るルートは距離にして
だいたい四分の三となる。
喜望峰周りは赤道を二回通らなければいけない
という問題も抱えている。
温度変化が積荷を襲うのだ。
ただし、時代によって拡張されてきたが
スエズ運河の水深と幅には限界がある。
超大型タンカーは現在でもこの運河を
通ることができない。
したがって、こうしたタンカーは今でも
喜望峰を周ることになるのだが、
喜望峰のあるケープタウンに因み、
ケープサイズタンカーと呼ばれている。
なお、近年はソマリア海賊が跋扈しているため、
紅海からインド洋へ抜けることにリスクを
感じる船主も少なくない。
このため、東アフリカ沿岸を避けようと、
わざわざ喜望峰を周るケースも存在する。
ところで、古代の人々もこの地に
運河を築けないか考えていたようだ。
だが、大プリニウスも記しているこの古代運河は、
ナイルとグレートビターを繋ぐものだ。
地中海と紅海を接続させる発想をした者が
いなかったということはないと思うが、
やはり技術的に不可能だったのだろう。
ただ、ピラミッドをも建設した
古代エジプト人ならそのぐらいやってのけて
いたとしても驚きはしないかもしれない。