言わずと知れたアフリカの大河である。
その長さはアマゾン川に次ぐ第二位であり、
大きな河川が合流して地中海に注ぐ。
青ナイルと白ナイルがカルトゥームで
合流するのだが、青と白ふたつのナイルは
まったく別の所から流れ出している。
ナイル川の源流は長らく謎であった。
ギリシア人もローマ人もサラセン人も
その源を探ったが、発見できなかった。
青ナイルの源流はエチオピアのタナ湖
であることが大航海時代辺りに判明したが、
白ナイルは一筋縄ではいかない。
ヴィクトリア湖がナイル川の源流だと
認識されていることが多いが、
実はこれは誤りである。
ヴィクトリア湖はナイル川の
経過地点に過ぎない。
結論から言うと、白ナイルの源流は
未だに発見されていない。
この現代においてすら、まだ分からないのだ。
ナイル川の源流をめぐる探検の歴史は
かなり長く、紹介しきれるものではない。
なお、プトレマイオスによると、
月の山脈と呼ばれる山々から
流れ出したものとされている。
偉大な探検家イブン・バットゥータですら
ニジェール川と繋がっていると考えていたし、
デイヴィッド・リヴィングストンまでもが
白ナイルの源流探索中に命を失っている。
さて、源流の話はこの辺りにしておくとして、
ナイル川といえばヘロドトスの
「エジプトはナイルの賜物」である。
定期的に洪水を起こすナイル川だが、
その度に上流の栄養豊富な土壌を運んできた。
このため、エジプトではナイル川氾濫の
時期を知るために暦というものが発達する。
古代王朝が失われて後も、
ナイロメーターと呼ばれる水位計が設置され、
洪水のタイミングを見極めていた。
砂漠地域でありながら、ナイル川の流域は
穀倉地帯であり、この食料生産力が
多くの人口を養い文明を花開かせたのだ。
なお、現在のナイルに定期的な洪水は無い。
運河と灌漑によって農業が営まれる
ようになると、洪水は災害でしかなくなった。
そこでアスワンダムが建設されたが、
洪水を完全に阻止するには至らず、
更に南にアスワンハイダムが造られる。
アスワンハイダムはナイル川から
洪水という脅威を消し去ったが、
同時にいくつかの遺物をも消し去っている。
アブ・シンベル神殿やフィラエ島のイシス神殿、
カラブシャ神殿やアマダ神殿など、
多くの遺跡が移築を余儀なくされた。
多額の費用をかけて移築は成功し、
人類の歴史の足跡は湖底に沈むことを免れたが、
知られざる遺跡が地中に埋まっていた
可能性は否定できない。
なお、アスワンハイダムに続き、
近年メロウェダムも建設された。
チャイナ資本によってスーダンに造られた
このダムを巡っては、
多くの問題が取り沙汰された。
湖底に沈んだのは多くの住民の住む地域であり、
そこに眠るクシュ王国の考古学的遺物の調査も
十分になされたか疑わしい。
反対運動は暴力沙汰になり、死者を出したし、
結局、強制的な移住が進められた。
どうにもきな臭い話である。
長くなってしまった。
生態系の話もしたいところだが、
それは個々の生物を紹介する際に
していくことにしよう。