序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年3月11日月曜日

ザイール川

アフリカで二番目に長い大河である。

表題はザイール川としたが、
現在はコンゴ川と呼ばれることの方が多い。

昔、ポルトガル人がこの川の河口で
名前を尋ねたところ、ンザディという
答えが返ってきたという。

ポルトガル人はそれをザイールと聞き取り、
川の名前のみならず、この地域を
ザイールと呼ぶようになった。

しかし、ザイール川中流域の人々は
この川を古来コンゴ川と呼んでいた。

ザイールが植民地支配から脱すると、
ザイール共和国ではオータンティシテ
という政策がとられた。

フランス語で真正化を意味するこの政策は、
ヨーロッパ人が名付けた地名の数々を、
本来の原住民族の言葉に直そうというものだ。

ザイール共和国はコンゴ民主共和国となり、
ザイール川もコンゴ川と改められた。

さて、熱帯雨林地域に流れるザイール川は
世界で二番目に水量の多い川である。

複数の川がひとつにまとまっているのだが、
主流とされる川はふたつある。

タンガニーカ湖に源流を持つ東側の川と、
シャバ高地から流れ出るルアラバ川だ。

タンガニーカ湖の南の高地から南下する
チャンベシ川はバングウェウル湖を経て
ルアプラ川となり北上する。

ルアプラ川はムウェル湖を経てルヴア川となり、
ルアラバ川と合流するのだ。
似たカタカナが続いて目が泳ぐ。

キサンガニという街の近くでボヨマ滝という
滝が形成されているが、この辺りが
ちょうど赤道になっていて、これを越えると
ザイール川あるいはコンゴ川という名になる。

北上していたザイール川は大きく弧を
描くように流れを変え、
やがて南下することになる。

ムバンダカという街の近くで赤道をもう一度
越えると、ウバンギ川とカサイ川という
大きな川と合流して更に水量を増すことになる。

コンゴ民主共和国の首都キンシャサ
コンゴ共和国の首都ブラザヴィルを両岸に
置く地点では大きく広がりマレボ湖と呼ばれる。

ひとつの川を挟んでふたつの国の首都が
存在するのはとても珍しい光景だ。
しかもどちらの国名もコンゴである。

マレボ湖を過ぎると、クリスタル山脈に
差し掛かるため、それまで緩やかだった
流れは激流へと変わる。

現在はインガダムの存在する
リヴィングストン滝は、
偉大な探検家の名前の付けられた滝だ。

多くのヨーロッパ人探検家が河口から
上流を目指して探検を行ったが、
このリヴィングストン滝が越えられず、
コンゴ盆地へ至ることができなかった。

滝壺付近にはマタディという街があり、
ここからは西へと緩やかに流れていく。
そうして、ムアンダで大西洋に至るのだ。

西アフリカの大河ニジェール川
河口がどこにあるのか分からなかったため、
当初はこのザイール川に繋がっていると
考えられていた。

ナイル川との関連を考える者も多く、
北のナイル川、西のニジェール川、
南のザイール川の三本はアフリカを
三分しているという説まであった。

サラセン人は東から内陸へ入り、
ザイール川中流に到達していたが、
ヨーロッパ人とは逆に
下流へ向かうことができなかった。

もしサラセン人がザイール川の下流まで
到達していたならば、アフリカ西岸の
歴史は大きく変わっていたかもしれない。

もちろん、その場合ヨーロッパ人の
探検史も違ったものになっていただろう。

いずれにせよ、密林に覆われたザイールは
ヨーロッパ人もサラセン人も寄せ付けなかった。

そもそも人間が住むにはあまり向いておらず、
文明が発展しなかった地域ではあるのだが。

なお、現在は水上交通と水力発電によって
コンゴの経済にとって
なくてはならない存在となっている。