エチオピアの首都である。
現在のエチオピア連邦の前身である
エチオピア帝国は世界でも有数の
長い歴史を持つ国だった。
初代皇帝はソロモン王とシバの女王の
血を引くアクスム王家の血筋であるとされ、
ソロモン朝エチオピア帝国を築いた。
なお、建国はモンゴル帝国が国号を
元と定めた一年前の出来事である。
そして、クーデターによって最後の皇帝が
廃位されたのは長嶋茂雄が引退した年だ。
もっとも、ずっとソロモン朝であった
わけではないし、帝位が空席の時代もあった。
本邦でも南北朝時代はあったし、
実権が将軍にある期間が長いので
長寿の王朝とはそういうものなのだろう。
さて、イスラム諸国に囲まれながら
正教会の国家であり続け、
ヨーロッパ列強の支配にも抵抗した
エチオピアには独自の暦がある。
救世主の生誕年の解釈の違いから、
グレゴリオ暦との間に数年のずれがあり、
かつ、元日が我々の言うところの九月にある。
このように他のアフリカ諸国とは異なる
大変ユニークな歴史と文化を持つのが
エチオピアという国だ。
その首都アディスアベバは
国土のほぼ中央に存在する。
近代に遷都されたのだが、気候と温泉、
防衛のしやすさが決め手であったらしい。
その名は新しい花を意味する。
アディスアベバ以前は
北部にあるゴンダルが首都であった。
エチオピアの大部分はエチオピア高原という
高地なのだが、降雨による浸食が激しく、
断崖絶壁や深い渓谷が多い。
このため交通網を敷くのが難しく、
首都アディスアベバも接続が悪い。
防衛のしやすさとはこのことであり、
ヨーロッパ人が植民地化に手こずったのは
この地形によるところも大きいだろう。
第一次エチオピア戦争では
イタリアを相手にこれを退けている。
もっとも、再度やってきたイタリアに敗れ、
五年間ほど植民地とされている。
何故イタリアが五年で手放したかというと、
第二次世界大戦が勃発し、
周囲のイギリス領から攻撃を受け
撤退したためだ。
そして、亡命していた皇帝が
アディスアベバに帰還し、
この街の再建を始める。
ちなみに現在のアディスアベバは
中華人民共和国の介入によって
インフラ整備が進んでいる。
このことから、アディスアベバという街は、
メイドインチャイナと
揶揄されることもあるようだ。
もちろん古い建物も残されている。
正教会の聖三位一体大聖堂はこの街一番の
観光名所だろう。
エチオピア正教会独自の雰囲気が
ギリシア系の正教会とは違った味を出している。
イタリアとの戦勝記念に建造された
聖ギオギルス大聖堂も見所だ。
正八角形の大聖堂というのが面白い。
なお、観光に際しては治安はかなり良い方である。
スリや物乞い、詐欺師はいるが、
パリやローマにもいるのだからいて当然だ。
ただ、ひとつ気を付けた方がいいことがある。
現地の人々はチャイニーズにネガティブな
感情を抱いており、東アジア人の見分けはつかない。
もっとも、ジャパニーズだとわかれば
お人好しの金持ちだと思い詐欺師が寄って来るので
チャイニーズへの野次はスルー推奨である。