序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年6月10日月曜日

アテネ

知恵の女神に捧げられた都市であり、
哲学の殿堂として知られている
現在のギリシャ共和国の首都だ。

古代のギリシア世界の中心であり、
エーゲ海を支配した強大な都市国家であった。

芸術と学問の都であり、
西洋およびアラビアの科学の泉源でもある。

だが、ローマの興隆以来、ビザンツ、オスマンの
属国として歴史の表舞台から姿を消し、
現在はかつての栄光は遺跡に残されるのみだ。

もちろん、今でも考古学者の集う地であり、
舞台芸術も盛んであるが、様々な問題を
抱えた都市および国家に成り下がった。

ところで、ギリシャやギリシアと我々は
かの地を呼んでいるが、
これは例外的な呼称である。

ローマ人はあの地域をグラエキアと呼び、
この名が英語のグリークやポルトガル語の
ゲレシアへと変化する。

本邦へはポルトガル人によって紹介されたため、
ゲレシアの名で伝わったが、
これが訛りギリシヤとなった。

本邦の言語ではギリシヤは言いにくいため、
やがてギリシャとなったが、学問の世界では
ラテン語読みでギリシアと書かれることが多い。

サラセン人はこの地方をアルユーナーンと
呼んでいたが、これはイオニアから訛ったもので、
前述のグラエキアと共に、ギリシアの地方名由来だ。

では、当のギリシア人たちは自分たちの
国をなんと呼んでいるかというと、
エラダの形容詞系エリニキである。

エラダは古代ギリシア語ではヘラスであったが、
これも本来は地方名のひとつに過ぎない。

ヘラスからエラダへと変化していることから
想像がつくと思うが、現在のギリシア語は
古代から比べると大きく変貌を遂げた。

ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国、
三つの帝国の支配下の中で、
文化が大きく変わっていった結果だ。

さて、アテネの街に話を戻そう。
しかし、世界最大級の観光都市アテネの
名所をここで紹介する意義はあるだろうか。

大聖堂とマスジットぐらいは紹介しておこう。
カテドラルは生神女福音大聖堂、
通称ミトロポリス大聖堂だ。

正教会関連用語は本邦でさかんに訳され、
カトリックとは異なる趣を持っている。
生神女とはキリスト教の聖母マリアのことだ。

オスマントルコ支配下では
イスラーム勢力の一端であったため、
キリスト教の勢いは弱かった。

したがって、この大聖堂が建てられたのは
近代に入ってからである。

オスマン時代に築かれたツィスタラキスの
マスジットは現在は郷土芸術博物館となっている。

このマスジット、ハドリアヌスの図書館の
大理石の柱が使われたとされているが、
建築を行った知事ツィスタラキスはスルタンから
古代の遺物を棄損した罪で裁かれている。

このぐらいでアテネの紹介は終えよう。
歴史の重すぎる街の紹介はやはり難しい。