序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年5月29日水曜日

ヒトヨタケ

食べられる毒キノコである。

何を言っているのだお前はと思うかもしれないが、
これは毒とは何かという問題である。

ヒトヨタケにはコプリンという物質が含まれる。
これ自体は毒ではない。

少々、体内の一部の酵素の効果を阻害するだけだ。
普段普通に生活している分にはその酵素が
働かなくとも特に問題は無い。

ネギには発汗作用があるし、
タンポポの根には利尿作用がある。

この人体への影響をもって
ネギやタンポポに毒があると言うだろうか。
普通は言わないと思う。

ここで一旦、ヒトヨタケの生態について
解説したいと思う。

こげ茶色で閉じ気味の傘を持つヒトヨタケには
面白い特性がある。

成熟後、自分自身の持つ酵素によって、
自分自身を溶かしてしまうのだ。

キノコは菌類の子実体と呼ばれる形態である。
胞子を飛ばし、繁殖するための
一時的な姿というわけだ。

ヒトヨタケは役目を終えた子実体を
自ら分解し、有終の美を飾る。

溶けたヒトヨタケは黒い液体となり、
その様子から英語ではインクキャップスと呼ぶ。
インクの蓋という意味だ。

一晩で溶けてなくなってしまうことから、
一夜茸という名が付けられているのである。

一晩苦しむ毒キノコだからヒトヨタケだと
思っただろうか。一晩でぽっくりと
死んでしまうからヒトヨタケだと思っただろうか。

一晩でおなくなりになるのは
ヒトヨタケの方なのだ。

溶け始める前のヒトヨタケは食用にできる。
味は薄く、それほど美味というわけではないが、
キノコらしい香りが料理に花を添える。

また、油をよく吸い、食感も合うことから、
バターなどと共に炒めると美味しくいただける。

バター炒めなどは酒の肴にもってこいの味だが、
残念ながらヒトヨタケは酒呑みを殺すのだ。

冒頭で書いたヒトヨタケが働きを阻害する酵素、
それはアセトアルデヒド脱水酵素である。

アルコールは本来、動物にとって毒であるが、
人間はアルコールのもたらす酩酊を楽しむ。

体内に入ったアルコールは、肝臓の頑張りによって、
アセトアルデヒドという物質に分解される。

アセトアルデヒドは更なる肝臓の頑張りによって、
無害な酢酸へと分解されることになる。

肝臓では酵素が働き、これらの分解が
進められるのだが、アセトアルデヒドは
アルコールとはまた違った毒である。

アセトアルデヒドが分解されずに体内を巡ると、
悪酔いや、いわゆる二日酔いが発生する。

自分のアセトアルデヒド脱水酵素の能力を
超えた飲酒が二日酔いへと繋がるわけだ。

アジア人が酒に弱いと言われているのは
この酵素の生成能力が
ヨーロッパ人より弱いためだ。

ちなみに私は本邦の平均よりも
この酵素の生成能力が強いようで、
一度も二日酔いになったことがない。

お陰でお酒を翌日に持ち越すことなく
楽しむことができている。

話をヒトヨタケに戻そう。

アルコールが体内にある状態でヒトヨタケを
食べると、アルコールの分解は
アセトアルデヒドの段階で止まってしまう。

いきなり悪酔いである。
そして、そこからずっと二日酔いが続く。
具体的には一週間ほどだ。

私は二日酔いの経験が無いが、
聞く限りでは絶対になりたくはない。
それが一週間続く。

酒呑みを殺すキノコというわけだ。
殺すといっても、致死性は無い。

もしかしたら一週間も二日酔いが続いたら
死にたくなるかもしれないが。

さて、ヒトヨタケは毒キノコなのだろうか。
毒はアルコールの方ではないだろうか。
判断は各々に任せるとしよう。