序説

序説

かの偉大なる博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスに倣い、 聞きかじった内容を元に森羅万象を書き記すものである。 なお、各項目に記す内容の真偽は検証せず、 嘘、大げさ、紛らわしいことを恐れずに執筆していくため、 読者諸兄はこの点に留意していただきたい。 物事を伝...

2019年5月22日水曜日

ワームウッド

ヘビの木という意味だが、和名をニガヨモギという。
ニガヨモギの名であれば一度は聞いたことがあるだろう。

本邦のヨモギよりも背が高く、癖の強い香りがあり、
非常に鋭い苦みを持つ。

ヨーロッパ原産だがユーラシア大陸各地に伝播しており、
苦艾、くがい の名で漢方の生薬にもなっている。

ヨーロッパでは道端に生えている雑草だが、
古くから様々な病に効く薬だと考えられてきた。

その強い苦みに胃薬としての効き目があるとは思うが、
伝承にある様々な薬効は民間療法の域を出ない。

本邦へは江戸後期に伝えられたが帰化せず、
栽培されているもの以外を見ることは難しい。

さて、このニガヨモギだが、チンザノに代表される
ベルモットという酒の香り付けに使われる。
ベルモットの名はワームウッドのドイツ語読みに由来する。

キレのある苦みが強い酒によく合い、
ベルモットを使ったカクテルは
マティーニやマンハッタンなど有名なものが多い。

知名度が高いため、バーに不慣れな者が
名前を知っているカクテルを注文し、
マティーニに顔をしかめるのは日常茶飯事である。

酒とニガヨモギといえば、現在では一般的ではないが
アブサンを置いては語れない。

美しい緑色の酒アブサンは、ニガヨモギに含まれる
ツジョンという成分の過剰摂取により、
幻覚を見ることで知られている。

緑の魔酒などと呼ばれるアブサンは
この幻覚作用のために禁止されたが、現在はツジョンの
含有量を制限した上で製造が認められている。

アブサンの幻覚から霊感を得ていた芸術家は多く、
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホは
アブサン中毒であったと語られている。

ところで、アブサンはアブサンスプーンという
特徴的な形のスプーンがセットになっている。

このスプーンに角砂糖を載せ、アブサンを垂らし、
火をつけると明るい場所では目に見えない
青白い火が灯る。

この火によって溶けた砂糖をアブサンに混ぜて
飲むことがフランスで大流行した。

アブサンは退廃的で幻想的な嗜好品なのだ。

最後にひとつ、ニガヨモギに対する世間の誤解を
訂正しておきたいと思う。

ウクライナ語でニガヨモギは
チョルノーブィリであるとされている。
ロシア語読みをすればチェルノブイリだ。

原子力発電所事故のあった
あのチェルノブイリである。

しかし、チェルノブイリは黒い草という意味で、
黒くないニガヨモギには
ポルィーニという名がきちんとある。

つまり、チェルノブイリはニガヨモギではないのだが、
この誤解がある誤った解釈に繋がり、
人口に膾炙してしまっている。

キリスト教の聖書のひとつ、ヨハネの黙示録において、
アプシンシオンという名の星、あるいは天使が
水を苦くし、多くの人が死ぬと語られている。

このアプシンシオンはニガヨモギ
あるいはオウシュウヨモギのことで、
苦く受け入れがたいものの比喩である。

だが、前述のようにニガヨモギがチェルノブイリだと
誤って認識されているため、チェルノブイリ事故は
聖書で預言されていたという解釈が広まった。

ちなみにオウシュウヨモギは葉に細かい毛があるため、
白く見える。決して黒い草ではない。

私はオカルトが大好きな宗教学者くずれだが、
だからこそ、明らかな誤りは
正しておきたいと思う次第である。